アントン・ヘーシンク Anton Geesink

(撮影:HARU一番様)
  ■ニックネーム:オランダの柔道王
■本名:アントン・ヨハネス・ヘーシンク
身長・体重:198センチ、140キロ
生年月日:1934年4月6日(2010年8月27日没)
■出身地:オランダ・ユトレヒト出身
得意技:アルゼンチン・バックブリーカー
■主要タイトル:なし
■来日回数:8回
■参加シリーズ:
 48 11(全)ジャイアント・S 第2弾
 49 3(全)エキサイト・S
 49 5(全)MSGシリーズ(残留)
 49 10(全)ジャイアント・S 第2弾
 50 1(全)新春シリーズ
 50 7(全)サマー・アクション・S
 50 9(全)ジャイアント・S
 50 11(全)第2弾ジャイアント・S(残留)
 50 12(全)オープン選手権(残留)
 51 5(全)NWAチャンピオン・S
 53 1(全)新春ジャイアント・S
 
 日本柔道帝国の牙城を崩したオランダの柔道王。昭和48年暮れに鳴り物入りで全日本プロレスに入団するが、全くプロレスのセンスがなくファンも馬場もあきれさせた。柔道ジャケット・マッチでも、相手と手があわずモタモタした試合をやってファンにもあきれられる。昭和53年「新春ジャイアント・シリーズ」でのジャンボ鶴田とのUN選手権を最後に日本のリングから姿を消す。

 同年暮の猪木の欧州遠征の時に対戦が決定していたが、直前に敵前逃亡している。晩年は柔道の指導に専念し、2000年3月には、国士舘大学名誉博士号を授与され、この年日本国政府より、正四位勲三等瑞宝章を受章している。2004年には国際柔道殿堂入りを果たした。オランダでは銅像が立てられるほどの英雄である。