ゴードン・ネルソン Gordon Nelson
 ザ・アウトロー(*) The Outlaw
 ミスター・レスリング(**) Mr. Wrestling

(写真提供:Dr.Hiro様)


ザ・アウトロー(*)


ミスター・レスリング(**)
  ■ニックネーム:技巧派の帝王、謎の無法者(*)
          悪の白覆面(**)
■本名:ゴードン・ネルソン
身長・体重:183センチ、106キロ
生年月日:1937年3月27日(2012年12月12日没)
■出身地:カナダ・マニトバ州ウィニペッグ出身
得意技:スープレックス
■主要タイトル:
 英連邦ヘビー(ニュージーランド版)
 ウェスタン・タッグ(アマリロ版)
 アメリカス・タッグ
■来日回数:5回
■参加シリーズ:
 43 6 (国) ビッグ・サマー・S (*)
 44 10 (国) IWA世界タッグ・S
 46 3(日) 第13回ワールド大リーグ戦
 47 5 (日) ゴールデン・S (**)
 48 1(全) 新春ジャイアント・S
 
 アマレス時代は多くのタイトルを獲得し、ヘルシンキ、メルボルンのオリンピック代表になっている。プロ転向後はイギリスに遠征しロビンソンと熱戦を展開した。イギリスでは黒覆面の「ジ・アウトロー」としても活躍。ゼブラ・キッドのマスクも剥がしている。初来日はこのマスクマン・ギミックで登場した。素顔での初来日は昭和44年の「IWA世界タッグ・シリーズ」で、この時はバッド・コディとの「無宿人コンビ」として登場した。この時はニュージーランドを主戦場としていたようである。この時はジョン・ダ・シルバから英連邦ヘビー級王座を獲得している。

 昭和46年には「第13回ワールド大リーグ戦」に参加。徳光アナが「こいつは本気でやらせたら絶対強いぞ」と思った言う本格派レスラーで、カール・ゴッチやジャイアント馬場もそのシュート振りには一目置いたという隠れた実力者。特に関節技の巧さは天下一品だった。リーグ公式戦で猪木をグラウンドの攻防で圧倒した試合はマニアの間では語り草になっている。

 後にミスター・レスリングに変身しアマリロやロスで活躍。アマリロではザ・グラディエーター(正体はリッキー・ハンター?)とのコンビでウエスタン・タッグを、ロスではパク・ソンやドクター・デスとのコンビでアメリカス・タッグ王座を獲得している。日本でもミスター・レスリングとして大木金太郎のアジア・ヘビー級選手権に挑戦しているが、この時は凶器をふるっての悪党ファイト専門であった。日本への最後の来日は昭和48年1月の「新春ジャイアント・シリーズ」で、全日本プロレスに初登場。これはドリー・ファンク・シニアのブッキング。この年の6月にシニアはホームパーティーの余興で行なったスパーリング中に心臓発作で帰らぬ人となったが、その時の相手がネルソンだった。

 1970年代後半には、ミッドアトランティック地区でマスクを被りジェフ・ポーツと「ミスター・]ズ」を結成して最後の一花を咲かせた。来日当時のプロフィールではニュージャージー州出身となっているが、最近の海外情報ではカナダ出身で統一されている。奥さんは女子プロレスラーのマリア・ラヴァーン。
 
 
提供:HARU一番様