ニック・ボックウィンクル Nick Bockwinkel

初来日時

(撮影:HARU一番様)
  ■ニックネーム:金髪狼
■本名:ニコラス・ウォレン・フランシス・ボックウィンクル
身長・体重:188センチ、120キロ
生年月日:1934年12月6日(2015年11月14日没)
■出身地:米・ミズーリ州セントルイス出身
得意技:スープレックス、足4の字固め
■主要タイトル:
 NWA世界タッグ(シスコ版、テキサス版)
 パシフィックノースウエスト・ヘビー
 パシフィックノースウエスト・タッグ
 ハワイ・ヘビー
 ジョージア・ヘビー
 AWA世界タッグ
 フロリダ・タッグ
 AWA世界ヘビー
 AWA南部ヘビー
■来日回数:14回
■参加シリーズ:
 39 7(日) 【特】サマー・S
 45 9(日) 第1回NWAタッグリーグ戦
 49 11(国) 【特】ワールド・チャンピオン・S
 53 12(全) 世界最強タッグ決定リーグ戦
 54 9(国) 【特】 ダイナマイト・S
 55 3(国) 3・31四大タイトルマッチ
 55 11(全) 世界最強タッグ決定リーグ戦
 57 1(全)【特】 新春ジャイアント・S
 58 7(全) 【特】グランド・チャンピオン・カー二バルV
 59 2(全)【特】 エキサイト・S
 59 3(全)【特】 グランド・チャンピオン・カーニバルT
 59 11(全) 84世界最強タッグ決定リーグ戦
 60 11(全) 85 世界最強タッグ決定リーグ戦
 62 8(全) 87 サマー・アクション・S U
 
 ウォレン・ボックウィンクルの実子で、16歳でルー・テーズを相手にデビュー。ディック・ウォレンのリングネームでしばらくは試合に出場していたようだ。AWA世界王者になってからは、ボビー・ヒーナンをマージャーにつけ典型的なダーティー・チャンプとして通したが、元々はハワイ、太平洋岸を主戦場とした実力派レスラーだった。
 NWA地区では天才といわれながらタイトル挑戦に恵まれず、1970年にAWAに移籍、2年後レイ・スチーブンスとのコンビで世界タッグを獲得。1975年にはヒーナンをマネージャーにつけバーン・ガニアを破って念願のシングル世界王者を獲得し、4年8ヵ月に渡って王座を守った。引退後はWWFでコメンテーターを勤めた。

 ニック・ボックウィンクルの名を聞いてまず思い浮かぶ言葉は「ダーティー・チャンプ」だろう。実際AWA世界王者として何度も来日しているが、特にタイトルマッチにおけるニックのファイトぶりは、あまり褒められたものではなかった。ピンチに陥るとレフリーを殴っての反則負けで逃げるというのがお決まりのパターンだった。しかしある試合を境にそのようなニックのファイトぶりは「ダーティー・チャンプ」にギミックを全うするためのものだという事に気付いたのである。その試合とは武道館でジャンボ鶴田に挑戦したAWA世界戦である。この日のニックは白いトランクスで登場。試合の方も終始正攻法のレスリングで鶴田を苦しめたのである。筆者がこの時までニックのもつテクニックの素晴らしさに気付かなかった事は迂闊だったという以外に言葉がない。余りのニックの精力的な攻めに鶴田が持ちこたえられなくなり、苦し紛れに本部席にあったチャンピオン・ベルトでニックの頭を殴り付けての反則負け。見事に立場が入れ替わってしまった訳である。この時武道館にこだましたニック・コールを筆者は今でも忘れない。

 彼の初来日は古く昭和39年の年の日本プロレス「サマー・シリーズ」にまで溯る。この時は中堅の扱いでの来日だったが、エース格のマグニフィセント・モーリスを食って、エースとして活躍したそうだ。2度目の来日は昭和ファンならご存知の「第1回NWAタッグ・リーグ戦」。ビッグ・ジョン・クインとのコンビで決勝まで進み、猪木、星野組との熱戦は今でも語り種となっている。このころのニックはNWA世界チャンピオン候補のひとりで、バリバリのストロング派だった。、何しろ16歳でデビュー、その相手がルー・テーズだったというのだから凄い。ショーマン派だというイメージが強いが、実際は根っからのストロング派で、その下地があってこそのダーティー・チャンプのギミックを全うできた訳だ。プロレスの奥の深さを体現したレスラーの一人であったと思う。

2015年11月14日逝去。

 

提供:セブン氏