ペーボ・モンゴル (*) Bepo Mongol
 ニコリ・ボルコフ Nikoli Volkoff

ベーポ・モンゴル

昭和49年当時

(撮影:HARU一番様)
  ■ニックネーム:蒙古怪人(*)、ロシアの白熊
■本名:ジョセフ・ニコライ・ペルゾビッチ
身長・体重:192センチ、135キロ
生年月日:1947年10月14日(2018年7月29日没)
■出身地:クロアチア(旧ユーゴスラビア)出身
得意技:ワンハンド・ネックハンギングツリー
■主要タイトル:
 WWWFインターナショナル・タッグ
 ジョージア・ヘビー
 フロリダ・タッグ
 ミッドアトランティック・タッグ
 WWF世界タッグ

■来日回数:8回
■参加シリーズ:
 47 7 (日) サマー・ビッグ・S(*)
 49 8(新) 闘魂S
 52 3(新) 第4回ワールド大リーグ戦
 53 4(新)第1回MSGシリーズ
 54 10(新)闘魂S
 57 1(全)新春ジャイアントS
 57 10(全)ジャイアントS
 58 5(全)グランド・チャンピオン・カーニバル
 
 共産主義に反発を感じ旧ユーゴスラビアからアメリカに亡命。WWWF地区でトニー・アンジェロに認められ、ベーポ・モンゴルとしてジート(ブラックジャック・ダニエル)とのコンビでザ・モンゴルズとして登場。ブルーノ・サンマルチノにリングアウトするなどの暴れっぷりを見せて注目を集めた。昭和47年に日本プロレスに初来日し、坂口征二のUNヘビー級選手権に挑戦し、坂口を大流血させた。
 ザ・モンゴルズを解散して、2代目ニコリ・ボルコフ襲名後は「ロシアの白熊」と呼ばれ、ニューヨークをはじめとする東海岸地区や、AWA地区で活躍。新日本プロレスの常連で、フレッド・ブラッシーのマネージメントでエースとして来日し猪木からフォールを奪った事もあったが、その後は尻すぼみ。
 昭和57年にに全日本プロレスに移籍しスタン・ハンセン、ブルーザー・ブロディーとのコンビでインターナショナル・タッグ王座に挑戦して善戦した。全日本プロレスでのほうが本領は発揮できたが、結局、日本ではブレイクできなかった。AWA地区ではボリス・ブレニコフのリングネームで活躍した。得意技のワンハンド・ネックハンギングは豪快だった。