ジョン・L・サリバン (*) John L Sullivan
 ジョニー・バリアント Johnny Variant

ジョニー・バリアント(撮影:HARU一番様)
  ■ニックネーム:ペンシルバニアの砲弾
■本名:トーマス・サリバン
身長・体重:187センチ、120キロ
生年月日:1946年11月25日(2018年4月4日没)
■出身地:米・ペンシルバニア州ピッツバーグ出身
得意技:エルボードロップ
■主要タイトル:
 WWWF世界タッグ
 WWA世界タッグ(インディアナ版)
 ジョージア・タッグ
 USタッグ(フロリダ版)
■来日回数:4回
■参加シリーズ:
 44 9(日) ダイヤモンド・S (*)
 48 7(新) サマー・ファイト・S (*)
 51 5(全) NWAチャンピオン・S
 55 2(全) エキサイト・S
 
 1966年にビンス・マクマホンにスカウトされてプロレス入り。ブルーノ・サンマルチノのコーチを受けて正統派としてWWWF地区の有望株として活躍した。初来日の際には妻の急病で途中帰国している。カール・ゴッチのコーチも受けたことがあるらしく、ゴッチのブッキングで新日本プロレスに登場している。
 同じようなタイプのジミー・バリアントと意気投合し、ジョニー・バリアントに改名。改名後は、ショーマンシップたっぷりのヒールに転向し、ジミー・バリアントとのコンビで、WWWF世界タッグを獲得するなど、一躍トップスターとなる。ジョニーとのコンビでWWA世界タッグも獲得したが、昭和51年に全日本プロレスに来日し馬場、鶴田のインタータッグに挑戦した時にはあっさりストレートで軍門に下り、2週間後には極道コンビのアジアタッグに挑戦してまたもや奪取に失敗した。1シリーズでインターとアジアのタッグタイトルに挑戦したチームはバリアント兄弟だけ。フリーバーズの1970年代版というのがぴったりな、見てくれだけのショッパいタッグチームであった。