ランバージャック・デスマッチ

2002.3.23 update

'82年12月MSGで行われたランバージャック・デスマッチ

 

 さて、縛り物デスマッチが一応片付いたところで、最初に登場するデスマッチは日本のファンにもおなじみのランバージャック・デスマッチである。日本ではアントニオ猪木が、タイガー・ジェット・シンと2度、ザ・シーク、ラッシャー木村と1度づつの計4度行っており、テレビでも放映されたので、ご存知の方も多いはずだ。

 このデスマッチの起源はカナダのキコリ(ランバージャック)たちの間に伝わる凄惨な喧嘩を参考にしたものである。ランバージャック同士が喧嘩になった場合、二人の周りを取り囲み逃げ出そうとしたものをブロックし、どちらかの死をもって決着をつけたのだという。しかし、猪木とザ・シークの沖縄での試合ではシークが包囲網をかいくぐって脱出。試合放棄の裁定が下されたが、はっきりいってこれではランバージャックの意味がないのである。

 

 
逃げ出すグラハムを引き戻す!   逃げられないようにレスラーが取り囲む。

  

 

 さて、今回トップ画像に採用した試合は、'82年12月28日にプロレスの殿堂だったニューヨークのMSGで行われたボブ・バックランドとスーパースター・ビリー・グラハムという因縁の両者の間で行われた時のものである。この試合に先立って行われたTVマッチにグラハムが乱入し、WWFヘビー級のベルトを破壊してさらに遺恨を深めたための決着戦として行われた。リングサイドにはトニー・ガレア、ロッキー・ジョンソン、S・D・ジョーンズ、ジェイ&ジュリアス・ストロンボー、ジョニー・ロッズ、ホセ・エストラーダ、エクスキューショナーといった面々が顔を見せている。 この時期バックランドは人気が低迷し、起死回生のイベントであった。試合はバックランドはチキン・ウィング・フェースロックでスーパースターを失神させ勝利を収めたが、人気回復には至らず。ちょうど約1年後の'83年12月26日同所でアイアン・シークにタイトルをもぎ取られるのであった。

 話が横にそれたが、両者リングアウトや場外乱闘がほとんどない今となってはあまり意味のないデスマッチになってしまったといえるだろう。