ジュニア時代の藤波の最大のライバルといえば、文句なくチャボ・ゲレロだろう。藤波を後一歩まで追いつめた
53年10月20日寝屋川でのWWWFジュニア選手権は今でも語り種になっている。あの試合は内容では完全に
チャボが勝っていた。この戦いで友情が芽生え、二人はロスでタッグチームを結成しアメリカス・タッグ王者とな
り、日本でもタッグを組むなど友好的な時期もあったが、一転シングルで対決するとなれば火花が散るような熱戦
を展開したものである。数年前には「無我」に参加するなど二人の友情は今でも続いている。
アメリカでの彼の実績を考えれば、藤波があれほど苦しめられたのは当然の事だったといえよう。全日本プロレ
スへの初来日から帰国後ロスに登場し、いきなりアメリカス王者となったチャボは破竹の勢いで師匠のドリー・フ
ァンクJr、世界王者になる10日前のテリー・ファンクにどうどうのフォール勝ちを収め、77年にはメキシコからや
ってきたアルフォンソ・ダンテスからNWA世界Lヘビー級タイトルを奪取、その勢いでハリー・レイスのヘビー級タ
イトルに挑戦、2フォールをとっていないのでタイトルの移動こそなかったものの1−0で完勝するなど、この時期
のチャボの残した実績を見ると藤波よりは一枚格が上だったといえる。第2回MSGシリーズではシングルで自分
より二周りはでかい坂口を場外ノックアウトしているのだから恐れ入る。
チャボが日本でも認められたのは、勝負に対するこだわり、根性があったからだと思う。海外での実績はあって
も日本では程々にやっているレスラーというのは沢山いた。80年代後半のカネックもその口だったが、チャボは
やや力が落ちてきた時でも全力でやっていたように思う。レスラーが大成するかしないかというのは一重に勝負
へのこだわりであり、客に失礼なファイトをみせられないというプロ意識だろう。これがない奴は長続きしない。チ
ャボに対して不満がひとつだけある。それは健吾から奪取したNWAインター・ジュニアを持ったまま全日本に移
籍してしまった事だ。フロリダで大仁田に負けたのだが、あの時点で移籍は決定していたも同然、少年の筆者は
愕然としたものである。移籍の原因の一つに当時落ち目になっていたロス・マットに見切りを付けたというころもあ
ろうが、チャボと佐山タイガーの試合は一度は見てみたかったと非常に残念に思う。チャボならタイガーの動きに
も付いていけただろうし、テクニックではいちまい上手だったはずだ。ダイナマイト・キッドとは違ったニュアンスの
名勝負を残せたであろう。ロートルのマイティ井上やしょっぱい大仁田を相手に選んだのは自分の限界を感じて
の選択だったのかもしれないが、あそこはふんばって新日本に残って欲しかったと残念に思う。間違いなくチャボ
は「天才」レスラーだった。
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