1999

 

ファイル No1 : 23年前に行われていたプロレスVSバーリトゥード

 

「S・小林“前座”I・ゴメスに苦杯を喫す」

 

過日ブラジル遠征を挙行した新日本プロレス。お目当てのA・猪木対W・ルスカ戦は実現しなかったが、 そんな中で去る8月11日夜(現地時間)ブラジェリアのメジシ大統領体育館で行われたS・小林対I・ゴメスの一戦で、北米タッグ、アジア・タッグ“二冠王”のS・小林が、こともあろうに新日プロの“前座”レスラーであったI・ゴメスにバルツーズ・ルールの60分一本勝負であっても、苦杯を喫したということは、少なからず関係者ならびにファンをビックリさせた。 ( 月刊プロレス 76年10月号 PHOTO by AP )

 

     
       

イワン・ゴメスのバルツーズ・スタイルのチョップ攻撃を両腕でガードを固め、必死で防御するS・小林

 

I・ゴメスのキックの猛攻にダウンした小林を、なおもキックで追撃する。S・小林なすスベなしといったところ。

 

両者ガップリと組み合うが、こういうスタイルになるとなぜか“ブレーク”を命じられた。

  猪木ばりのローキックをゴメスに見舞う小林。しかし決定打にはほど遠い。

 

 
首固めでS小林を破ったI・ゴメスとマットにへたり込んだ“敗者”S・小林

 

 「ガチンコ」などと言う言葉が気軽に使われ、ルール無用の「バーリトゥード」という野蛮な戦いに3流プロレスラーが出場して惨敗し、プロレス最強神話が崩れるようになったのはいつからの事だろうか?皆さんご存知のように「バーリトゥード(バルツーズ)」の発祥の地はブラジルである。そのブラジルの英雄で75年から新日本に留学生としてプロレス修行にやってきたイワン・ゴメスと言う格闘家がいた。彼は巡業に付いて廻り、前座試合に何度か出場した記録が残っている。写真を見ても解るようにゴメスは身長178センチぐらい体重も100キロそこそこと言うこの小柄な男が、レスラーでも大きな部類に入るストロング小林をKOしたというのだ。

 そもそもこの試合は新日本のブラジル遠征の最中に行われた。この遠征は同時にゴメスの凱旋シリーズでもあった訳だ。ゴメスはこの遠征の第1戦のウィリエム・ルスカとの試合でガチンコを仕掛け、収拾の付かない無効試合に終わらせている。この小林戦でもゴメスは「故郷に錦を」という負けられないと言う思いから、おそらくシュート・マッチを仕掛けていったのであろう。写真でも解るように当時はタブーだった顔面へのキック、チョップを容赦なく叩き込んでおり、当時まだまだ全盛期の小林の腰が完全に引けている事がわわかる。当時の常識ならお互いの顔を立てるために両者リングアウトという戦が妥当であろう。それをゴメスがシュートを仕掛け、無防備な小林を屠ったのである。「へたりこんだ」と言う言葉に小林のショックが窺える。バーリトゥード発祥の地でプロレス界の「暗黙の了解」がたやすく破られた事件であった。ちなみに月刊ゴングはこの試合については報じていない。