ファイル No2 : 検証! カネック敵前逃亡事件 ( 昭和53年3月30日 蔵前国技館 )

 

事件の経緯

カネック敵前逃亡事件が起きたのは昭和53年3月30日新日本プロレス「ビッグ・ファイト・シリーズ」最終戦の蔵前国技館。WWWFジュニア・ヘビー級王者として凱旋した藤波辰巳の国内初防衛戦と言う晴れの舞台での出来事だった。この試合の前哨戦、岐阜大会の両者の激闘はいやがおうにもこの日のタイトルマッチへの期待を盛り上げ、藤波のメキシコ修行時代から因縁の深い両者は蔵前ではタイトルのほかに髪の毛とマスクをかけるというヒートアップ振りを見せていた。

当時のカネックは英語が全く喋れず、プエルトリカンのロベルト・ソト以外の選手とはコニュニケーションが取れず、ソトと常に行動していたようだ。この日のカネックは控え室に入ってもリング・コスチュームに着替えることなく何事か考え込んでいたらしい。これを見たゴング誌の記者はソトにどうしたのか尋ねるとソトは「日本人の彼女が出来てその事で悩んでいるんだ」と答えたという。試合前の表情をカメラに収めるためテレビ朝日のスタッフが控え室を訪れ、カネックの姿がない事に気付いたのは試合直前だったと言う。ソトがリングに上がっているすきに荷物をもってカネックは武道館を飛び出していたらしい。報告を受けた当時マッチメーカーだった山本小鉄は既に試合を終えていたイワン・コロフに代役を頼み何とか藤波の試合を組んだ。リング上でカネックが起こした前代未聞の敵前逃亡を報告する新間営業部長、その傍らには顔を引き攣らせた藤波の姿があった。カネックは深夜宿泊先の京王プラザ・ホテルにふらりと姿をあらわしたところをロベルト・ソトに捕まり、ソトに鉄拳制裁を受け、新日本プロの関係者はメキシコの裁判所に契約不履行で告訴する旨を伝えた。この時カネックは声を上げて泣き出したという。この前代未聞の不祥事は何故起こったのか・・・検証していきたいと思う。

仮説

1.ノイローゼ説

この説は事件当時一般的に報道されていたもので、マヌエル・ソト以外にスペイン語が通じない環境の中で藤波のドラゴン・スープレックスの威力に恐怖感を抱き、さらに膝を故障していたカネックが藤波に勝つ自信を喪失し、思い余って会場を飛び出したと言う説。これによってカネックは「ガッツがない」「気が弱い」など辛辣な評価を受けた。

2.覆面剥ぎデスマッチ説

これはカネックの了承なしに藤波がタイトルを賭ける代わりに、カネックはマスクをかけると言うルールを新日本のフロントが決めてしまったためプライドの高いカネックが抗議の試合放棄をしたと言う説。

3.白人レスラーからのイジメ説

これは時効と言う事だろうか2、3年前からマスコミが公表した説で、シリーズに参加していた白人レスラーの陰湿ないじめに遭っていたと言う説。試合前日の深夜に酔った白人レスラーがカネックの部屋に押し入り、消化器を撒き散らしカネックに殴る蹴るの暴行を加え、発見された時カネックは血みどろでうめき声をあげていたと言う。週間ゴングの竹内宏介氏著の「プロレス・スキャンダル100連発」においては主犯者をロン・スターと特定している。ロン・スターの素行の悪さは有名な話でかなり信憑性は高い。

4.山本小鉄恫喝説

山本氏自身が自著「一番強いのは誰だ」の中で書いた説。「(カネックは)来日当初から天狗になっていて、とにかく態度が悪かった。いいかげんな試合をされては困ると言う心配から、僕はカネックに活を入れるため控え室を訪ねた。最初は普通に話していたつもりだが、あまりにもなめた態度が見えるので、頭に来て恫喝してやった。『おい、藤波は生半可な事で勝てる相手じゃないぞ。(中略)真剣勝負の覚悟は出来ているのか』藤波の強さを強調すれば、あいつも実力者だから、きっと本気になって、いい試合をやってくれるだろうと思ったのが間違いだった。」つまり山本氏の喝が結果的にカネックをビビらせてしまったと言うのだ。当時のゴングにも「あるプロレス関係者に『日本人は血の気が多い。下手なファイトをしたら1万人のファンがお前に襲いかかるぞ』とおどかされ、一種のノイローゼ状態になって・・・」とある。

 

 

  結論

以上の4つの説が現在さまざまなメディアで紹介されているものだが、まず「スペイン語が通じなくてノイローゼに」という説は疑問だ。前述のようにプエルトリコ出身のロベルト・ソトがいるからである。ご存知のようにプエルトリコはスペイン語圏にあり、カネックとはコミュニケーションが取れており、実際にソトはカネックの世話を焼いていたという。それに「山本小鉄恫喝説」もカネックの図太い性格から見ると首をかしげざるを得ない。藤波がカネックに付いて語ったエピソードで「道端で死んでいる犬を肉屋に売りにいった。そんな図太い神経の奴が・・・」と言うのがある。こんな奴がビビらされたぐらいでノイローゼになるだろうか?ドラゴンスープレックスに恐れをなしたという説もどうかと思う。選手権試合の前哨戦として行われた大垣でのシングルマッチを見る限り、ドラゴンスープレックスを過敏に警戒している様子はなかったし、ノイローゼ状態であのような白熱した試合が出来るものか?

という訳で結論に入ろう。筆者が思うにカネックの試合放棄の原因は3つ。まずロン・スターを始めとする白人レスラーからの暴行で完全にやる気をなくしていたのではないかということ?イジメの原因はカネックが1週間ほど前から右膝負傷のために試合を休んでいた事だと言われている。この欠場が山本氏には「天狗になっている」と写り、恫喝と言う行動に及んだのだろう。この様な仲間とのトラブル、マッチメーカーからのお説教に加え、本人に了承なしの覆面剥ぎデスマッチというマスクマンとして最大の屈辱を受け、メキシコ・ナンバー1を自負していたプライドをきづ付けられ、新日本プロレスへの報復への意味での「試合放棄」だったと筆者は見る。

カネックは帰国後、「出場停止3ヵ月」の処分を受けたが、持ち前の根性で前座の第一試合からやり直した。そしてなんと自費でカール・ゴッチを招聘して師事を仰いで実力で這い上がり、ルー・テーズを破って世界チャンピオンになったのである。「ゴッチに学び、テーズを倒した」これがUWA世界王座獲得時のカネックのキャッチフレーズであった。