ファイル 21 : 国際プロレスで行われていた日本初のヘアー・ベンド・マッチ

 

国際プロレスといえば、外人エース、複数エース制、ヨーロッパマットとの提携、国内初の金網デスマッチ、選手入場時のBGM使用など、数多くの企画を考案し、実行した団体として知られているが、特に金網デスマッチというのはライバル団体の日本プロレスから「あんなものはプロレスではない、邪道だ!」と攻撃を受けたが、それを強行し国際プロレスの呼び物となったのは、皆さんもご存知であろう。しかし、国際プロレスは金網デスマッチ以前にデスマッチを挙行していたのである。

 

 

 

リングの中央で豊登に丸坊主にされるタンク・モーガンと、オックス・ベイカー

 

時は昭和44年4月20日、ところは名古屋市金山体育館。なんとサンダー杉山、ラッシャー木村が保持するTWWA世界タッグ選手権にタンク・モーガン、ドリー・ディクソンの異色のコンビが挑んだタイトルマッチで髪の毛がかけられたのである。髪の毛をかけたのは、両軍のリーダー格である杉山とモーガン。ご存知のように杉山はスポーツ刈、モーガンは既に頭が薄かったので、丸坊主にしてもさほどイメージ・ダウンということはなかったと思うが、「残り少なくなった頭髪を刈られてはたまらない」ということで、モーガンは必死だったらしい。試合は2−1で日本組が王座防衛。あわれモーガンは、丸坊主になることになってしまった。モーガンは逃げ出すこともなくリング中央にあぐらをかき、豊登の手によって丸坊主にされたのである。モーガンは今にもなきそうな表情だったという。

この髪の毛デスマッチは好評を呼び、これに気をよくした国際プロレスは同年7月17日大阪府立体育会館で行われた、豊登、ストロング小林組とオックス・ベーカー、スタン・ザ・ムース組によるIWA世界タッグ選手権でもこのルールを採用し、ベーカーが坊主になっている。といってもベーカーも当時は禿げ上がっており、坊主にされても印象は変わらなかった。やはりヘアー・ベンド・マッチはヘアースタイルを気遣うショーマン派のレスラーが坊主に押されてこそ盛り上がるものであり、元々髪の薄いレスラーが坊主になっても、興味は薄い。それが理由かどうかは分からないが、この髪の毛デスマッチは定着せぬまま消えていったのである。