ファイル29 ついに入手!これがイワン・ゴメスのバルツーズ殺法だ!

  2002.12.25

 

 1999年に始まった昭和プロレスファイルの記念すべき第1回で取り上げたのが昭和51年(1976年)8月のブラジル遠征で、日本では練習生だったイワン・ゴメスがバルツーズ(バーリトゥード)殺法でメインエベンターだったストロング小林を下したという事件を紹介した。これは月刊プロレスの写真を元に書いたものだが、今回ついに当時のテレビ放送のビデオを見る機会に恵まれた。当時放映されたのはルスカ戦、小林戦に次ぐブラジル遠征第3戦で行われた木戸理との試合である。小林を戦意喪失させたゴメスのバルツーズ殺法とはどのようなものだったか検証してみたい。

 

   
暗くてよく見えないが客入りは良くない。   緊張気味のゴメス。   いきなりオープンハンドで殴りかかるゴメス。
   
防戦一方の木戸。  

 タックルから抱えあげ、後方に木戸を放り
投げたこれが唯一の投げ技。

  立ち上がった木戸にハイキック!
   
顔面を押さえうずくまる木戸!   そこにフロントヘッドロック。  

木戸も反撃に出て、ロープ際にゴメスを追い
つめる。

   

追い詰められたゴメスは苦し紛れに木戸を
場外へ放り投げる。

  エキサイトするセコンドの木村健吾!   レフェリーに注意され顔をこわばらせるゴメス
   

ゴメスのラッシュは続く!

 

平手射ちが顔面に入り脳震盪を起こしたの
か、うずくまる木戸。

  すかさず飛び掛るゴメス。
   
首を決めて後方に倒れこむ!  

強烈なフロントネックロックでさすがの木戸
もギブアップ!

  勝ってなお気合充分のゴメス!

 

 ご覧頂いたように、ゴメスの戦法は掌底ぎみの平手打ちを顔面、わき腹、背中に叩き込み、ひるんだ隙にハイキックでダウンさせフロントネックロックを狙うというもの。一時期の掌底を多用していた船木の戦法に通じるところがある。この試合ででた投げ技はゴメスのタックルからのショルダースルーのみで、平手打ちでの打撃攻撃に終始。さすがの木戸も防戦一方で全く技を仕掛けることが出来ないまま、フロントネックロックに丸め込まれてしまった。小林戦の決まり手として報道された首固めもこのフロントネックロックだったと考えていいだろう。

 総合格闘技に目がなれた今見てこそ味わい部会試合だが、これを昭和51年当時にリアルタイムでご覧になったファンにとっては、「全く味気ないつまらない試合」と映っただろう。それほど全くプロレス的要素のない試合で、異種格闘技戦と呼んでもいい雰囲気があり、ゴメスのファイトスタイルはまさに今流行の総合格闘技のスタイルである。おそらく小林も木戸のように手も足も出せずにフロントネックロックの餌食になったと思われる。

 ブラジル遠征第一戦でのルスカとの流血マッチも、ゴメスの平手打ちに対応できなかったルスカが、我を忘れてパンチを振るった結果のシュートマッチだったと思われる。実はこの試合も数10秒ビデオには収録されていたが、ゴメスは顔面血だらけ。試合後、仲裁に入った猪木になにやら抗議していた。ルスカ戦の場合はルール説明の不徹底が招いた悲劇だったといえよう。

 しかしゴメスの打撃の前に何も出来ずに崩れ落ちた若き日の木戸・・・まるで現在のプロレスラーが総合格闘技戦で苦戦を強いられている姿を予言したかのような試合であった。