ファイル45 新春恒例!ロス・バトルロイヤルの歴史

  2004.12.11
2006.1.28rev

 

 昭和プロレス掲示板で話題になったロサンゼルス、オリンピック・オーデトリアム新春恒例のバトルロイヤルの歴史についてしらべてみた。バトルロイヤルがグラビアで紹介されたのは1972年が最初だが、調査の結果、1969年5月に初めて大規模なバトルロイヤルが行なわれ、1970年から新春の恒例行事となった。

http://www.prowrestlinghistory.com/supercards/usa/misc/la.html#la

情報提供=Joe Hooker SR様

 

1970年(昭和45年)

 

残念ながらメンバーの詳細は不明。

 

 1月16日に開催。参加メンバーは、ロッキー・ジョンソン、オレゴン・ランバージャック、ミル・マスカラス、ドン・カーソン、坂口征二、グレート小鹿ほか。優勝者はロッキー・ジョンソン。

情報提供=Joe Hooker SR様

 

 

1971年(昭和46年)

試合写真はダッチ・サベージのオフィシャル・サイトにアップされています。

http://www.dutchsavage.com/dutch28.html

 

 1月15日に行われた。参加メンバーは、ミステリー・オレゴン、アブドーラ・ザ・ブッチャー、ダッチ・サベージ、エル・ゴリアス、ブラック・ゴールドマン、ドン・レオ・ジョナサン、エリック・フローリッチ、アール・メイナード、ロッキー・ジョンソン、マサ斎藤、キンジ渋谷、ザ・プロフェッショナル、高千穂明久ほか。

 結果はプロフェッショナル(=ダグ・ギルバート)がロッキー・ジョンソンを破って優勝。

情報提供=クライベイビー様、ルター電子レンジ様、Joe Hooker SR様

 

1972年(昭和47年)

 
中央にサンマルチノの姿が確認できる  

レフェリーはジェリー・マードック。

 

 1月14日に行われた世界バトル・ロイヤル。賞金は1万1千ドル。参加選手は・・・ブルーノ・サンマルチノ、リッパー・コリンズ、ミル・マスカラス、ジョン・トロス、キング・クロー、キンジ渋谷、マサ斎藤、フレンキー・レイン、ラウル・マタ、ブラック・ゴールドマン、エル・ゴリアス、ヘイスタック・カルホーン、ダッチ・サベージ、ドリー・ディクソン、アール・メイナード、ロッキー・ジョンソン、パンテラ・ネグラ、トニー・ロコ、W・アームストロング、サルバトーレ・ロザリオ、フランシスコ・フローレス、ピース・ブラザーズ・・・と非常に豪華なメンバーだが、W・アームストロングなるレスラーの詳細は不明。

 結果はブルーノ・サンマルチノがリッパー・コリンズをベアハッグでギブアップさせて優勝を飾った。サンマルチノとマスカラスの絡みはあったのだろうか?ちなみに当時のアメリカス王者はフランキー・レイン。

 

1973年(昭和48年)

バトルではお約束の風景

 

 1月12日に開催。賞金は1万1千ドル。参加選手は・・・ボボ・ブラジル、ラーズ・アンダーソン、パンテラ・ネグラ、ブラック・ゴールドマン、エル・ゴリアス、アンヘロ・ブランコ、ポール・デマルコ、ビクター・リベラ、ジョン・トロス、ビジランテス1号&2号、フランキー・レイン、プリンス・マイエバ、ロッキー・ジョンソン、ザ・デストロイヤー、シスコ・グリマルド、ジャン・マドリッド、ジャン・リバース、キンジ渋谷、リッパー・コリンズ、キム・ドクの22人。

 結果は19分21秒にリベラがネグロを抑えて優勝。アメリカス王者の面目を保った。ジャン・リバースはクラッシャー・リバース=ホセ・リベラ、ビジランテスは日本にも来日したクリスティー兄弟が正体。シスコからデマルコ、ジョンソンが登場している。

 

 

1974年(昭和49年)

 
テレビカメラが映っているのでテレビ中継されていたのだろう。  

ゴールドマンが優勝。

 

 1月18日に開催。賞金は1万1千ドル。参加選手は・・・カウボーイ・ディーン、ミスター・セキ、J・セントクレア、パンテラ・ネグラ、ディーン・アレン、ミスター・レスリング(ゴードン・ネルソン)、ラウル・マタ、パク・ソン、フランク・バロワ、ロッキー・ジョンソン、キンジ渋谷、ラウル・レイエス、パット・パターソン、ドクター・デス(ドン・アーノルド)、キム・スン・ホー、レイ・メンドーサ、ロニー・メイン、エル・ゴリアス、ブラック・ゴールドマン、アンドレ・ザ・ジャイアント、ジョン・トロス、ビクター・リベラの22人。

 結果はゴールドマンがリベラをリングアウトで下して優勝。リベラは2連覇ならず。ミスター・セキはミスター・ポーゴ、カウボーイ・ディーン、J・セントクレアについては不明。この年もシスコからマターソン、ジョンソンがゲスト参加。アンドレとバロワはWWWFからのブッキングだろう。

 同日シカゴのインターナショナル・アンファイシアターではリングを2つ並べたAWA名物のバトルが開催された。賞金は5万ドル。参加レスラーは・・・ニック・ボックウィンクル、レッド・バスチェン、イワン・コロフ、ボブ・エリス、ラリー・ハイニエミ、ブル・バリンスキー、アート・トーマス、クリス・テイラー、ビリー・レッド・クラウド、リック・フレアー、レイ・スチーブンス、ケン・パテラ、ビル・ロビンソン、ジミー・バリアント、ビリー・グラハム、マッドドッグ・バション、トニー・マリノ、レーン・ゴルト、バロン・フォン・ラシク、トニー・ロコ、ボビー・ヒーナン、ウィルバー・スナイダー、ムース・ショーラック、ミツ荒川の24名。AWAとWWAのオールスターがそう出場といった感じ。第1リングではグラハム、第2リングではパテラがそれぞれ優勝し、賞金を分け合った。

 またこの年はシスコも1月26日にカウパレスでバトルロイヤルを開催。賞金は1万2千ドル。出場者はダッチ・サベージ、ピーター・メイビア、パット・パターソン、ロッキー・ジョンソン、キンジ渋谷、マサ斎藤、カール・V・ブラウナー、クルト・V・ブラウナー、パク・ソン、ペッパー・マーチン、ジョニー・イーグルス、ドン・ムラコ、アンドレ・ザ・ジャイアント、フランク・バロワ、ボブ・グリフィン、ドン・デヌーチ、ロニー・メイン、マンマウンテン・マイクの18名。ロスの出場者と同じよな面子。メイビアが優勝を果たしている。

 

 

1975年(昭和50年)

 
バレンタインとブラボーの攻防。  

アンドレが優勝。

 

 1月17日に開催。賞金は1万1千ドルから2万ドルにアップした。参加レスラーは・・・ディノ・ブラボー、パット・ローチ、サルバトーレ・ロザリオ、マンマウンテン・マイク、パンピロ・フィルポ、マスクト・カナディアン、ブラック・ゴールドマン、マンド・ロペス、デニス・スタンプ、ロニー・メイン、ビクター・リベラ、ジョン・トロス、マグニフィセント・ズール、グレッグ・バレンタイン、ポークチョップ・チョイス、S・D・ジョーンズ、ジェリー・ブラウン、バディ・ロバーツ、パット・パターソン、アンドレザ・ジャイアントの20名。当初はエドワード・カーペンティア、フランク・バロワも加えた22名での開催予定だったが、両者が辞退したため20名となった。

 結果は8分2秒でアンドレがズールを喉輪落としでKO。2万ドルの賞金を得た。ズールは後のヘラクレス・ローンホーク。当時のアメリカス王者はカーペンティアだった。

 

1976年(昭和51年)

メンバーがやや小ぶりに・・・。

 

 1月16日に開催。賞金は2万ドル。参加レスラーは・・・アンドレ・ザ・ジャイアント、アーニー・ラッド、ジャバ・ルーク、パット・パターソン、ボブ・オートン・シニア、チャボ・ゲレロ、ジョン・トロス、インフェルノス1号、ポークチョップ・チョイス、ブラック・ゴールドマン、エル・ゴリアス、マンド・ロペス、ラウル・マタ、サルバトーレ・ロザリオ、トニー・ロコ、グレッグ・バレンタイン、ロディ・パイパー、ロック・ライデル、ザ・アラスカン、ビル・ベンガリー、ミッキー・ドイル、レイ・アンソニーの22名。

 結果はジャバ・ルークがチョイスを下して優勝。ルークはジョニー・ロッズの変名。インフェルノス1号の正体はカール・フォン・ブラウナーだといわれている。

 またこの年は5月に3万ドル争奪のバトル・ロイヤルが行なわれている。参加レスラーは・・・ロディ・パイパー、ブッチャー・バション、ブル・ベドウ、ジェリー・ブラウン、バディ・ロバーツ、デニス・スタンプ、チャボ・ゲレロ、フランク・モンティ、ゴリー・ゲレロ、ジャバ・ルーク、リップ・タイラー、トニー・ロコ、ザ・アラスカン、ポークチョップ・チョイス、ミスター・フジ、ウィリエム・ルスカ、トニー・ルッソの17人。

最後はパイパーがバションを抑えて3万ドルを獲得している。

 

1977年(昭和52年)

 

 
プロフェッサー田中が優勝  

アンドレがまとわり付くレスラーを振りほどく。

 

 1月14日に開催。賞金は3万ドルにアップ。参加レスラーは・・・ミスター・レスリング(ゴードン・ネルソン?)、ジミー・バリアント、ジョニー・バリアント、アンドレ・ザ・ジャイアント、ドリー・ファンク・ジュニア、チャボ・ゲレロ、アルフォンソ・ダンテス、シェン・カラス、ビクター・リベラ、トニー・ガレア、プロフェッサー・タナカ、ドクター・ヒロ・オオタ、ジョージ・ウェルズ、マイク・アダムス、ザ・ハングマン、ロディ・パイパー、ブッチャー・バション、ケン・マンテルの18名。

 結果はプロフェッサー田中がオオタをフォールして優勝。3万ドルを獲得した。マイク・アダムスはクリス・アダムスの兄(上写真の柔道着)。当時のアメリカス王者はドリー・ファンク・ジュニア。

 

1978年(昭和53年)

この時点ではほとんど無名のヘクターが優勝!

 

 1月13日に開催。賞金は3万ドル。参加レスラーは・・・アンドレ・ザ・ジャイアント、マスクド・カナディアン(ロディ・パイパー)、チャボ・ゲレロ、ヘクター・ゲレロ、エル・ゴリアス、ブラック・ゴールドマン、ロニー・メイン、ロン・バス、ブッチャー・ブラニガン、ディーン・ホー、ドン・デヌーチ、リック・マグロー、藤波辰巳、ヒロ・オオタ、エル・ファラオン、コロソ・コロセッティ、ビクター・リベラ、ジョニー・リベラの18名。

 結果は伏兵のヘクター・ゲレロが優勝。これを期にヘクターは同地区のスターとなる。

 

 

1979年(昭和54年)

WWFの2大王者が参加!

 

 1月12日に開催。賞金は3万ドル。参加レスラーは・・・アンドレ・ザ・ジャイアント、ボブ・バックランド、レロイ・ブラウン、藤波辰巳、チャボ・ゲレロ、アル・マドリル、ツインデビルス1号&2号、ロディ・パイパー、上田馬之助、ドン・ダイヤモンド、ブッチャー・ブラニガン、エディ・マンスフィールド、ブル・ラモス、トム・ジョーンズ、ブラック・ゴールドマンの16名。

 結果は24分18秒にブラウンがマドリルを下して優勝。バックランド、藤波というWWFの2大王者が参加。当時の新日本=WWF=ロスの提携路線は強力であった。当時のアメリカス王者はチャボ・ゲレロだったが、同日ツインデビルス1号に敗退して王座から転落している。

 

 

1980年(昭和55年)

 

WWFの2大王者が参加!

 

 1月11日に開催。賞金は3万ドル、優勝者にはNWA世界王者への挑戦権も与えられた。参加レスラーは・・・アンドレ・ザ・ジャイアント、ドリー・ファンク・ジュニア、テリー・ファンク、ツインデビルス1号&2号、チャボ・ゲレロ、ロディ・パイパー、フランク・ヒル、ジャック・エバンス、ビクター・リベラ、マンドー・ゲレロ、R・エバンス、ザ・フッド(ジョニー・マンテル)、アル・マドリル、テキサス・レッド、ボブ・アドニスの16名。

 結果は15分23秒にアンドレが優勝。3万ドルとともにレイスへの挑戦権を獲得した。ファンクスは当時ロス地区認定の世界タッグ王者(WWF認定とも言われた)この年、藤波が出場していれば対戦が見られたのだが、その辺はやはり特別な配慮があったのだろう。

 

981年(昭和56年)

 

メンバーが急に悪くなってしまった81年度のバトル

 

 賞金は3万ドル、参加レスラーは・・・アンドレ・ザ・ジャイアント、ツインデビルス1号&2号、ビクター・リベラ、ジョン・トロス、マンドー・ゲレロ、オックス・ベイカー、エル・モンゴル(2代目)、プロフェッサー・タナカ、エル・ゴリアス、セサール・バレンチーノ、クリス・アダムス、トム・プリチャード、マイク・マスターズなど16名。

 結果は18分46秒にデビルス1号がリベラをフォールして優勝。前年と比べてメンバーがぐっと落ちた感は否めない。チャボ・ゲレロ、ロディ・パイパーといったドル箱も他地区に転出し、ロスマットは次第に衰えていく。

 

 

 というわけで、1970年から11年に渡り開催されていたことが判明した。ブラック・ゴールドマンはほぼ皆勤。アンドレは1975年以降このバトルの目玉となっていた。また現役のアメリカス王者で優勝したのは、ビクター・リベラのみ。やはり王者は集中攻撃を受けるのだろう。参加メンバーを見るとロスのブッキングルートの変遷、またその隆盛、衰退の軌跡がわかって面白い。

もし上記以外の年次の開催情報をお持ちの方がいらっしゃいましたら、メールもしくは掲示板にて情報提供をお願いいたします。

mick@rock.email.ne.jp