ファイル55 ダラ・シン別人説を追え!パート2

2009.4.4

 

 ますます深まる「ダラ・シン」の迷宮・・・後編です。

 SHRI DARA SINGH氏にメールを出したものの、09/4/4時点ではレスなしの状況です。

 さて、掲示板に於いて、掲示板の常連であるJumbo Aoki氏より、「ダラ・シンとRandhawaが一緒に写っている写真を発見しました!!」との書込みがあり、早速、画像が紹介されていたサイトを教えていただきました。そのサイトは、Amitabh Bachchanという俳優のサイトでした。その写真はこちら!

 

 

左から Sanjay Gandhi、ダラの兄弟Randhawa、Rdjiv Gandhi、Indira Gandhi、Dara Singh、Amitabh Bachchan

という事だが、左から2人目のRandhawaは、昭和42年版のダラ・シンとは明らかに別人。むしろ、サーダラ・シンに似ているように思える。さらに泥沼に! というわけで今度はサーダラ・シンの画像を集める事にした。

 

     
宣伝用写真   昭和35年来日時   昭和42年来日時

 

 Randhawaとサー・ダラ・シン、非常によく似ている。このサー・ダラ・シンも映画に出演していたとの情報もある。では、前編で紹介した現在ネットで多く紹介されているDara Singh Randhawaと、サー・ダラ・シンを比較してみよう。

 

     

Rahndawaことサー・ダラ・シン

 

若き日のRANDHAWA

 

インド政府のサイトで
紹介されているSHRI
DARA SINGH

 

 Randhawaとサー・ダラ・シン、非常によく似ている。昭和35年、昭和42年に来日したサー・ダラ・シンも本人のように思える。このサー・ダラ・シンも映画に出演していたとの情報もある。そこで、前編で紹介した現在ネットで多く紹介されているDara Singh Randhawaと、サー・ダラ・シンを比較してみよう。

 来日当時のサー・ダラ・シンと SHRI DARA SINGHは似ているといえば、似ているが・・・若き日のRandhawaとは似ていない。
 やはり、SHRI DARA SINGHは昭和42年に来日したダラ・シンではないだろうか? 参考にyoutubeの動画URLを添付しておく。

 http://www.youtube.com/watch?v=j3KYY4Fyaw4

 しかしインド政府のサイトに紹介されているレスラー時代の経歴はCHOTA物のであると、流氏はおっしゃるのである・・・。

2009/4/4時点の推測・・・

昭和30年のダラ・シン
 CHOTAの愛称で知られ、映画に出演・政界に進出。

昭和42年のダラ・シン
 本名 SHRI DARA SINGH RANDHAWA。
 多数の映画に出演し、その後政界に進出。レスラー時代の経歴は初代のものをし借用している?初代との血縁関係は不明。

サー・ダラ・シン
 CHOTAの実弟。愛称がRANDHAWA。サー・ダラも映画に出演経験がある。

 というわけで、昭和42年のダラ・シンは、昭和30年版とは別人であることは確実といえるだろう。 しかし、昭和30年版と昭和42年版の経歴が混同されており、今後はこのあたりの究明が課題となりそうだ。ダラ・シンの迷宮はさらに続いていく・・・。

◆09/4/7 付記

別人説を明記した、ゴングの「ザ・レスラー・ベスト100」の解説文を改めてチェックしてみた。

「日本遠征からの帰国後、どんな活躍を行なったか詳しいデータはない。したがって現在、どうしているのか・・・その生死に関しても全く不明」

この紹介文は無記名ですが、おそらく竹内さんの筆によるものであろう。ここで重要なのは、竹内さんほどの情報通が「初代」のその後の活躍を知らず、生死も不明と書いているということは、1967年、1973年にインドでテーズと戦ったり、1974年にカナダに登場したダラ・シンは「初代」ではなく「2代目」であることを、竹内さんは知っていたのではないだろうか?

つまり初代は帰国後に死亡もしくは行方不明になり、「2代目」SHRI(おそらく同じ一族)が、その名代を継いだ・・・とは考えられないだろうか? 67年、73年にテーズが戦ったCHOTAは映画に出て政治家になった「2代目」のSHRIなのではないか?

2009/4/7時点の推測・・・

昭和30年のダラ・シン
 CHOTAの愛称もあり。インド〜東南アジアで活躍、ロンドンでテーズと対戦。昭和30年に25才で来日。帰国後の消息は全く不明。

昭和42年のダラ・シン
 本名 SHRI DARA SINGH RANDHAWA。
 67年、73年にインドでルー・テーズと対戦。カナダにも進出。昭和42年に来日。
 多数の映画に出演し、その後政界に進出。初代との血縁関係は不明だが、親族である可能性は高い。

サー・ダラ・シン
 初代ダラ・シンの実弟。一族の名称RANDHAWAが通称。日本には2度来日。映画に出演経験がある。

この推測が当たっていれば、初代と2代目のプロフィールが混乱している点が解明できる。
しかし、流さんとの文通での「力道山に呼ばれて日本に行った」の記述の説明はつかない。2代目が初代になりきるための記述なのだろうか・・・?

◆09/4/8 付記

 流さんから、67年、73年にインドでテーズと戦ったのはCHOTAであるのは間違いないとのメールをいただきました。

 さらに「4/7時点の推測」を覆す情報が! 続きは、パート3で!