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ファイル62 ゴッチ・ベルトは何本あった?

2024.5.14 

ゴッチ・ベルトの起源

 「無冠の帝王」の名をほしいままにした実力者カール・ゴッチ…。
 ゴッチも全く無冠だったわけではなく、「無冠の帝王」というのは、あくまでもキャッチフレーズで、実際には1960〜70年代には世界タイトルを獲得したことは、このサイトの閲覧者なら充分ご承知だろう。

 オハイオ地区のAWA世界ヘビー級、ロスのWWA世界タッグ、WWWF世界タッグがゴッチが獲得した主たるタイトルである。

 日本では”愛弟子”のアントニオ猪木が新日本プロレスを旗上げした際にベルトを巻いた。「フランク・ゴッチ由来の実力ナンバー・ワンの証」と言われたその古めかしいベルトは、「実力世界一ベルト」として、アントニオ猪木との間で争奪戦が繰り広げられ、さらには、猪木×ロビンソン戦、猪木×ルスカ戦(2回目)、猪木×藤波戦で持ち出され、このベルトがかけられた。さらにはモハメド・アリとの記者会見でも披露された。

 このベルト(以下「ゴッチ・ベルト」と称する)のルーツはオハイオ地区で認定されていたAWA世界ヘビー級ベルトがルーツであるというのが定説になっていた。しかし、2024年4月30日にベースボールマガジン社からリリースされた「日本プロレス歴代王者名鑑」ヘビー級シングル編Aに流智美氏が書いているが、オハイオで巻いていたオリジナルのゴッチ・ベルトは、ゴッチが渡米の際に持参した物で、1962年9月にAWA世界ヘビー級タイトルを獲得したときに、同タイトルのベルトとして使用され始めたと言う。ゴッチの親友であったビル・ミラーもゴッチからこのゴッチ・ベルトを巻いてリングに上がっていた。その写真も残っている。

  

   
オリジナルのゴッチ・ベルトをまいたプロモーション写真    ビル・ミラーもゴッチから借りて巻いていた


 

 さてオハイオ地区AWA世界タイトルはNWAに吸収されて消滅するが、このゴッチ・ベルトが、再度、日の目を見たのは、1972年4月の新日本プロレス「旗上げオープニング・シリーズ」にゴッチが参加した時である。この時ゴッチは、オリジナルのゴッチ・ベルトを巻いてリングに登場した。

 「ゴング」1972年10月号の白黒グラビアに写真入りで解説が書かれているので引用する。

 K・ゴッチはA猪木との対決を前に「私が締めているベルトは、フランク・ゴッチから受け継がれてきた真の世界選手権者のベルトです。もし、猪木が私に勝てたら、このベルトを猪木にゆずる」と宣言した。この幻のベルトの由来は…? このベルトがなぜゴッチの手に渡ったかは明らかではないが、一説には一九六二年にゴッチがドン・レオ・ジョナサンを破って旧AWA世界選手権者になった時のベルトともいわれている。現在、無冠のA猪木にとっては奪取したいベルトである。


   
「ゴング」1972年10月号のグラビア    ベルトのアップ写真。サイド・バックルの形状に注目。


レプリカ・ベルトの登場

 このゴッチ・ベルトにはレプリカベルトがあるのは有名な話である。古舘伊知郎氏が「ワールドプロレスリング」の実況から降板する際に猪木から進呈されたベルトがそうである。古舘氏は「新日本プロレスはレプリカを用意すると言ったが間に合わず猪木さんから本物をもらった」と言っているが、これは明らかにレプリカである。

 オリジナルは中央の台座が平坦なのに対し、こちらは中央の台座が分厚く上部にオリジナルにはない王冠がデザインされている。またサイドのバックルもオリジナルは楕円形で無地なのに対し、こちらのベルトは円形で縁取りがあり中央にレスラーのレリーフがデザインされている。

 ここでは便宜上このベルトを「古舘ベルト」と呼びたい。この古舘ベルトはベースボールマガジン社の「栄光の輝き」をはじめとする多くの書籍で写真が掲載されているものである。


     
 テレビ東京「お宝なんでも鑑定団」より。    サイドバックルが上下逆!

 
 ベースボールマガジン社「栄光の輝き」より。


 この古館ベルトの特徴は中央台座の文字で、「WRESTLING」とすべきところを「WRESLING」とスペルミスしている点である。いくらなんでもこれは杜撰すぎる!

 もう一つの特徴はサイドのバックルである。これはレスラーが相手を抱えてそり投げをかけているモチーフだが、それが逆に取り付けられている。これまた杜撰すぎる! 「お宝なんでも鑑定団」に出品した際に、片岡鶴太郎に逆ではないかと指摘されていた。ちなみにこのベルトの鑑定額は300万円であった。

 この2つの製造上のミスは現在ネット販売されている海外製のレプリカベルトもきっちり踏襲しているので笑うに笑えない。

 
 ベースボールマガジン社「栄光の輝き」より。


もう1本あったレプリカベルト!

 さて、ここまで書いた内容は、ちょっとしたマニアならすでにご存じであろう。しかしベルトの世界は奥が深い。この古舘ベルトとは別のレプリカベルトが存在するのである。

 1972年10月「ニュー・ゴールデン・シリーズ」でゴッチが猪木の挑戦を受けて行った世界ヘビー級タイトルマッチ三番勝負で初めてレプリカベルトがお披露目された。この時使われたのは古舘ベルトだと思われているファンは多いと思うが、実はそうではない!

 蔵前国技館で猪木がゴッチから王座を奪取した時のカラー写真をご覧いただきたい。古舘ベルトとの相違点は…

 @四角い枠の中に文字がデザインされている。
 Aサイドバックルのデザインが人が両腕を真横に広げた物にかえられている。


   
「ゴング」1972年12月号表紙の元写真    文字の部分とサイド・バックルのレリーフが古館ベルトとは異なる。


 ゴング増刊の「検証 チャンピオンベルトの謎」にこのベルトの全体写真が掲載されているので紹介しておく。これを見ると文字の部分が四角い枠で囲まれていたことがわかる。また古舘ベルトには逆さまに取り付けられていたレリーフが中央の台座からみて左右2番目に上下正しく取り付けられている事も確認できる。

 ただ残念なことに文字の部分が無名両なのでWRESTLINGのスペルが正しいかどうかは不明である。


文字の部分が四角い枠で囲まれていることがハッキリわかる。


ということは、72年ベルトが初代レプリカベルトで古舘ベルトは2本目のレプリカベルトだったのではないかと推測できる。また文字の部分はスペルミスを隠すためにプレートを貼ったという説もあるようだが、この画像から判断できるようにプレートではなく、文字を四角い枠で囲んだデザインになっていること、さらにサイドプレートの取付位置が違うことから別物であると推測できる。

 もう一つの特徴として中央の台座に何列か横方向に浮彫のようなものがデザインされていることも確認できる。これは何かの写り込みかと思ったが、「Gスピリッツ」Vol.45に掲載されたカール・ゴッチの写真でもこの浮彫のようなものが確認できるので、そのようなデザインだったと言えそうである。だとすれば古舘ベルトは一度もファンにお披露目されたことはなかったのだろうか?



   
「Gスピリッツ」Vol.45掲載の写真    中央の台座に何列か浮彫のようなものが確認できる。


 さて、この次にゴッチ・ベルトがファンに披露されたのは1975年12月11日、蔵前国技館での猪木×ビル・ロビンソンのNWF世界ヘビー級タイトルマッチの時である。立会人のカール・ゴッチがプラスチックのケースに入ったゴッチ・ベルトをファンにかざしてお披露目したのである。今のような4Kカメラで撮影されたわけではないので、細部までは映像では確認できない。

テレビ中継の映像より。72年ベルトか古舘ベルトは判別できないが…

 しかしここであきらめてはいけない。この映像を凝視してみると…ベルトを固定している赤紫色のリボン。どこかで見た記憶がある! 記憶をたどると…ありました! ベースボールマガジン社が1981年に発売した「日本のプロレス30年史」に掲載された写真。恐らくというか間違いなく、このプラスチックケースを撮影した写真だ。暗くてわかりにくいが赤紫色のリボンが映っている。同じベルトと断定してよかろう。このベルトはなんと古舘ベルトであった!

「日本のプロレス30年史」掲載の写真。間違いなく古舘ベルトである。


 このプラケース入りベルトは、NYで行われた猪木×アリ戦の記者会見(現地時間1976年3月25日)、2回目の猪木×ルスカ戦(1976年12月9日)、1985年9月19日の猪木×藤波戦でも披露された。古舘氏が所有しているゴッチ・ベルトもプラケースに入れられていた。よってこのプラケース入りベルトは古舘ベルトで間違いなかろう。古舘ベルトがファンに披露されたのは、1975年12月11日、蔵前国技館と断定しておく。

 しかしなぜ72年ベルトと微妙にデザインの違うレプリカを作る必要があったのか? それはこれからの研究課題だが…72年ベルトの所在が分からない点がヒントになるかも。72年ベルトはゴッチに寄贈され、新たにレプリカ(古舘ベルト)を作り直したのではないか? これはあくまで仮説である。


参考文献:文中に掲載