三沢選手の死が我々に投げかけるもの・・・

 

低迷していると言われて久しい日本プロレス界のリーダーの一人である三沢選手が6月13日に死んだ。しかも試合中にバックドロップで投げられて、意識不明になり、そのまま息を引き取った・・・。

昨日、私は映画「レスラー」を鑑賞した。心臓発作で試合後に倒れ引退を決意したレスラー「ランディ」が、命の危険を承知で往年のライバルとのリマッチのリングに臨み、発作に苦しみながら、往年の必殺技「ラム・ザ・ジャム」を繰り出す。トップロープから主演のミッキー・ロークがダイブするシーンで映画は終わる。ランディの生死は分からない。しかし、レスラーとは、常に命がけでリングに上がり、かつリングにしか居場所を見出せない男達であることを、この映画はみごとに描ききっていた。往年のライバルが「無理をするな、もうフォールしろ」と、促すのを聞かず、ランディはコーナーポストを登る。ファンが求めているのは「ラム・ザ・ジャム」なのだ。自分をレスラーとして支えてくれてきたファンの要求に応えなければ、リングに上がる価値はない。ファンがもう辞めろと言うまでは、ランディはリングに上がり続けると試合前に宣言していた。

レスラーとはそういう人種なのである。八百長だのショーだの言われようが、うんざりするような試合もあったが、リングにはそういう男達のドラマがある。だから私はプロレスに「見切りをつける」ことが出来ないのだ。

三沢選手はプロレスに殉じたといえよう。団体を運営しながらリングに上がり続けた三沢。最近は体調が優れなかったというが、それでもリングに上がり続けた。三沢もリングにこそ、自分を最大限に表現できる居場所を見つけていたのだろう。

さて、今回の訃報を聞き、まず驚いたのは、会場にリングドクターがいなかったとくことだ。昭和時代新日本プロレスには、富家リングドクターが巡業に帯同していた。大技偏重の試合について、危険性が指摘されて、久しいが、であればなおさら、万一の場合に備え、各会場にリングドクターを配備する必要があったのではないか? 経費の問題があるのかもしれない。しかしレスラーは生身の人間なのだ。同じくリングで命を落としたプラム麻里子、福田雅一の教訓が生かされなかったように思え、残念でならない。もし、リングドクターがいれば、三沢の命は救えたかもしれない。

もうひとつ思ったのは、今後、プロレスファンは、プロレスに何を求めるのか? 今までどおりの大技連発の派手な試合を求め続けるのか? ファンが求め続ける限り、いまやレスラーはそれに応えざるを得ないのだ。大技連発でなくとも、ファンを感動させる試合は可能である。実際に昭和プロレスはそうだった。当時はレスラーがファンを引っ張っていっていた。ファンを引っ張っていけなくなった時、それがレスラーがリングを去る時である。ファンではなく、レスラーが主導権を握ることが出来なければ、プロレスはさらに迷走を続けるような気がしてならない。

プロレスはプロ・レスリングに戻ることを真剣に考える時期に来ているのではないだろうか? 頭からマットに叩き付ける業の応酬がプロレスの真髄ではないことに、ファンも気が付くべきである。

レスラーたちには「冥福を祈る」「残念なことをした」というような、形どおりのコメントだけで終わらず、プロレス界の今後を真剣に考えて欲しいと思う。三沢選手の死を無駄にしてはいけない。プロレス関係者、ファンは今一度プロレスのあり方が今のままで良いのか考えるべきではなかろうか。
このままではプロレスが死んでしまう。

改めて三沢選手のご冥福を祈ります。

2009/6/14記す