日本プロレス崩壊への軌跡 6 「三冠王坂口が無冠に、日本プロの坂口潰しの真相」

 

「日プロ崩壊の軌跡5」で紹介したように、坂口が提唱した新日本プロレスとの合併は、土壇場になって大木の猛反対により、御破算となった。これによって、日本プロレスは完全に大木派と坂口派に二分されてしまう。しかし大木を始めとする選手会は頑なに離脱を主張する坂口を慰留している。48年2月23日に行われた選手会の議事録を抜粋して紹介しよう。

参加者:大木金太郎、坂口征二、グレート小鹿、ミツ・ヒライ、ミスター松岡、上田馬之助、長沢日一、田中米太郎、羽田光男、伊藤正男、小沢正志、大城勤、木村聖

大木 : (移籍の件)どのように考え直したんですか?

坂口 : あくまでも自分の考えから一歩も譲りません。

大木 : 一人で行くと言う事ですか?

坂口 : 一人になった場合は(日本プロの)看板を使えない。

大木 : 我々は最後まで日プロを守っていく。16日に、一部の人を除いて誓約書にサインしてもらった。

坂口 : その日の話しあいは最初から僕を除いたように計画したものでしょうか!?

大木 : あの日は日プロに残っても良いという人だけでの話し合い!(誓約書を作った上で坂口の残留を)もう一度お願いしようと言う結論を出した。

坂口 : あくまで気持ちは変わりません!自分の気持ちを分かって下さった4人の人たちと行動を共にします。

大木 : 意志は硬いということか?31日までは契約があるが?

坂口 : よそに出るとしたら4月1日になります。試合には出るが選手権試合には出ません。(タイトルは返上する。)

小鹿 : 返上して解決と言う訳には行かない。プロレスのためにはマイナスではないか?本当にプロレスの事を考えているのなら返上なんかしないんじゃないのか!

松岡 : チャンピオンとしては言い分が通らん話しだ!

坂口 : 自分がこの事件を起こしたんだから、自分はチャンピオンにふさわしくないから返上すると、記者会見の席上でハッキリ話をします!

大木 : プロレスの事を考えたら、こんなこと、言えんのじゃあないのか!困った事だ!

門茂男のプロレス365 第1巻より抜粋( )内は筆者。

大木以下残留を心に決めた選手達の坂口に対する必死の説得が、最後には個人攻撃に変わっているのがおわかり頂けると思う。そんな不穏な雰囲気の中でジョニー・バレンタインをエースとして招聘した「ダイナミック・シリーズ」。このシリーズを最後に坂口派は新日本に移籍するわけだが、ここで大木が坂口に対し、返上されてはプロレス界のイメージダウンになるから試合で潔く負けてタイトルを置いて行けと迫ったのである。この時坂口はUNヘビー、インタータッグ、アジア・タッグの3冠王であった。すべてのタイトルを防衛してから返上して、丸腰で新日本に移籍しようと思っていた坂口は、大木からの余計な念押しに対し、意外な行動に出る。まずアジア・タッグは、吉村の引退にともない返上。そして昭和48年2月22日のインター・タッグ戦。防衛戦の相手はジョニー・バレンタインとキラー・カール・クラップ組。この試合で坂口は全くの無気力試合を行なったのである。まずは一本目、坂口はクラップのブロンズ・クローであっさりギブアップ。2本目は大木がバレンタインを押さえたものの、3本目は坂口に見捨てられた大木が外人組の袋叩きに遭い、タイトルを喪失したのである。

 

 
王座転落したにもかかわらず、どこか清々とした坂口の表情に注目!

 

ここで大木派も坂口に制裁を加えようという動きに出る。これがいわゆる坂口潰し事件である。竹内宏介氏が「プロレススキャンダル100連発」のなかで詳しく書かれている。「・・・試合前に日プロの某幹部がバレンタインに対して『坂口はベルトを持ったままダブルクロスしようとしている。これを阻止する事にユーが協力してくれるなら特別ボーナスを用意する』とふきこんだらしい。・・・」実際竹内氏は試合前にある中堅選手から「今日の試合は面白くなるから見てな」と、はっきり言われたそうだ。しかし、試合(昭和48年3月2日横浜)で幹部連中が期待したような、凄惨な場面は起こらなかった。1本目は4分23秒でバレンタイン、2本目は2分50秒で坂口、3本目はバレンタインが2分にリングアウトで取り、試合はあっさりと終わった。試合後の坂口の晴れ晴れとした表情を見て頂きたい。一説には猪木が坂口潰しの噂を聞きつけバレンタインに事の次第を説明しに出向いたといわれている。坂口はこの試合後に「敗因ですか・・・まぁ、精神的な疲労と、周りからの圧迫感じゃないですか。」と語っているが、けちの付いたタイトルを外して清々したというのが本音ではなかろうか?坂口派の離脱が決まってからと言うもの木村、大城、小沢は連日残留組の中堅レスラーに制裁とも取れるシュートな試合を挑まれていたことも付記しておく。

ご存知のように、インター・タッグは大木、上田組が奪還し、UNヘビーは高千穂が2本をリングアウトでとって奪還。アジア・タッグは小鹿、松岡組がクラップ、カール・フォン・スタイガー組との決定戦に勝ち、王座を獲得したのだが、正直言ってこのメンツでは日本プロレスの栄光の歴史を守っていけるはずもなかった。2年前の華やかなりし黄金時代と比べる由もない低調振りであるが、慢心した大木とタイトルを握らされた中堅選手達は、崩壊を目前にしても厳しい現実に目をむける事はなかったのである。

日プロ崩壊への軌跡7へつづく・・・。