日本人全レスラー名鑑  ハ

 

白頭山
176センチ、86キロ T10年1月2日 北海道出身
アマチュア相撲から大阪で結成された東亜プロレスに入門。小兵だが怪力で知られ「鋼鉄野郎」と呼ばれたガチンコ・レスラー。本名は清水泰潤。

 

橋本小助
165センチ、79キロ S27年1月14日 滋賀県出身
本名は橋本祐卓。高校時代は体操選手として活躍。その後アマレスをはじめて昭和48年暮れに新日本プロレス入り。体格のハンデもあり、スパーリングなどでも先輩連中には歯が立たなかったが、決して弱音を吐くことがなかったという根性を認められて、リトル浜田と共に昭和50年6月にメキシコに遠征。しかしその年の暮れにプロレス界を引退してしまった。

 

橋本真也
183センチ、135キロ S40年7月3日 岐阜県土岐市出身 :キック攻撃 :IWGPヘビー、同タッグ
中学時代から柔道をはじめ、昭和59年に新日本プロレスに入門。その体型から「ブッチャー」のあだ名がつけられた。昭和62年にはヤングライオン杯で準優勝。その実績を買われてカルガリーに遠征。現地ではモンゴル人のハシフ・カーンとして活躍。昭和63年に一時帰国した後、テネシーに転戦。平成元年に帰国しマサ斎藤とのコンビでIWGPタッグを獲得。破壊王のニックネームで格闘技路線にも積極的に打って出た。平成5年にIWGPシングル王者となりエースに君臨。しかし小川直也にKOされて以来精彩を欠き遂に解雇され、自らの団体ゼロワンを設立。他団体との積極的な交流を行い、各団体のパイプ役として期待されていたが、2005年7月11日に脳幹出血で逝去。いまだにその死を惜しむ声は多い。

 

長谷川丹治  
183センチ、90キロ S10年11月5日 新潟県出身
大相撲の立浪部屋から豊登をたよって日本プロレスに入門。緑岩と同期のホープとして期待されていたが、体重にかけて伸びずじまい。プロ&ボク昭和37年2月号には「断然といってよいほどワザがないのがこの人の欠点だ。恵まれた体をもちながらなんとも迫力が感じられない。」とある。故人。(資料提供:M・タナカ氏)

 

馳浩 新 → ジ → 新
183センチ、105キロ S36年5月5日 富山県小矢部市出身 :ノーザン・スープレックス :IWGPジュニア・ヘビー
専修大学時代にアマレスの全日本学生選手権で優勝。翌年には全日本選手権で優勝しロス五輪にも日本代表として出場した。卒業後は星陵高校の国語教師を務めていたが、昭和60年に大学の先輩である長州力にスカウトされてジャパン・プロレスに入団。すぐにプエルトリコに遠征。後にカルガリーに転戦しマスクを被ってのベトコン・エキスプレスで人気を博す。昭和62年の帰国第1戦でいきなり、必殺技のノーザンライト・スープレックスで小林邦明からIWGPジュニアヘビー級選手権を獲得すると言う衝撃の国内デビューを飾った。平成7年に参院選に出馬して当選。平成8年に一旦休業宣言するが、全日本プロレスに練習生扱いで登場。分裂後も全日本プロレスのリングに登場したが、2006年8月17日に両国国技館で引退興行を行ない政治家に専念。

 

畑浩和
180センチ、94キロ S39年12月15日 大阪府出身
高校を卒業した昭和58年に新日本プロレスの入門テストうを受けて合格。昭和59年の佐野直喜戦でデビュー。その佐野と共に昭和62年にメキシコ遠征。単身現地入りしていた浅井(ウルティモ・ドラゴン)とオリエンタル・トリオを結成し、人気を博したが凱旋帰国後ほどなくして引退。

 

羽田光雄 →ロッキー羽田を見よ

 

馬場正平 → ジャイアント馬場を見よ

 

浜口兵庫 →  アニマル浜口を見よ

 

浜田広秋 → グラン浜田を見よ

 

林牛之助 → ミスター林を見よ

 

原進 → 阿修羅原を見よ

 

原薗善由紀 2006/9/6 update
190センチ、94キロ S34年9月7日 鹿児島県出身
前田明とほぼ同時期に入門したレスラーでデビューも前田と同日(昭和53年8月25日)。体格にも恵まれており将来を期待されたが、デビューした「ゴールデン・ファイト・シリーズ」を最後に引退。以下、新日本プロレス20年史より。「武藤の若い頃のような身体で、でかかったが不器用だった。ジャンプ力のない彼が、階段を一気に飛んだといわれる博多のホテル幽霊事件が、やめた原因ではないかと言われている。いじめられやすいタイプでもあった。」資料提供:レッスルアワー様

 

ハル薗田
180センチ、110キロ S31年9月26日 宮城県小林市出身 :トラースキック
本名は園田一治。中学、高校時代は柔道で体を鍛え、昭和49年に全日本プロレス入り。温厚な人柄もありもんちゃんの愛称で可愛がられた。昭和53年に東南アジアに遠征。昭和54年からプエルトリコに本格的な海外修行に出発。ダラスで覆面をつけマジック・ドラゴンでブレイク。マジック・ドラゴンとして日本でも暴れ、ジュニア戦線で活躍。若手のコーチにも就任したが、昭和62年11月28日に新婚旅行もかねた南アフリカ遠征に向かう途中に飛行機が墜落し、夫人と共にわずか31歳で帰らぬ人となった。

 

速浪武夫 旧国 → ア
177センチ、93キロ S3年10月9日 宮城県出身
本名は佐山武夫。昭和19年に大相撲の伊勢ヶ浜部屋に入門。最高位は十両14枚目。昭和30年に大相撲を引退して、旧国際プロレスに参加した。体重別日本選手権にも国際プロレス団代表として参加している。