日本人全レスラー名鑑  フ、ホ

 

 

覆面太郎
188センチ、130キロ S19年1月15日 東京都文京区本郷出身
正体はストロング小林の小林省三。正体不明のマスクマンではなく、有望新人の小林が覆面をかぶるという話題性を狙ったギミックであった。覆面太郎としてはパイオニア・サマー・シリーズに登場。覆面太郎は仮の名前でリングネームはファン投票で公募されており、幻となったパイオニア・オータム・シリーズで発表される予定だったが、TBSの経営参画でギミック自体が立ち消えとなる。

ストロング小林の項も見よ。

 

藤井三吉 → ヤス・フジイの項を見よ

 

藤井東助 → ヤス・フジイの項を見よ

 

藤井誠之 日 → 全
182センチ、108キロ S13年10月27日 東京都出身
高校時代に柔道で体を鍛え、日本プロレスに入門したのは昭和38年だからかなりの古参。しかし芽が出ず昭和45年には廃業して家業を継いでいたが、昭和447年の全日本プロレス設立に際し、ジャイアント馬場に声をかけられレスラーに復帰。しかしブランクは埋められず、昭和48年2月に引退した。

 

藤井康行 → ヤス・フジイの項を見よ

 

藤田山忠義
166センチ、100キロ T13年2月11日 福岡県田川市出身
大相撲花籠部屋で前頭12枚目まで昇進した人気力士。昭和26年の大相撲アメリカ巡業の際、大ノ海(後の花籠親方)とともにプロレスのリングに上がり人気を集めたこともある。相撲廃業後、日本プロレスに入門。愛嬌のある風貌で人気を集めた。現役は短くリングアナウンサーに転向した。映画にも多く出演している。

 

藤波辰己 日 → 新
炎の飛龍 186センチ、98キロ S28年10月28日 大分県国東郡武蔵町出身 :ドラゴンスープレックス、ドラゴンロケット :WWWFジュニアヘビー級、WWFインター・ヘビー級、WWFインター・タッグ、IWGPヘビー級、UWA世界ヘビー級、PNWヘビー級、WCCW世界ヘビー級、アメリカス・タッグ
これといった格闘技歴はなかったが、昭和46年に同郷の北沢を頼って日本プロレスに入門。猪木の付き人をしていたこともあり昭和47年に新日本プロレスの旗上げに参加。昭和49年のゴッチ杯争奪戦に優勝して西ドイツに遠征。アメリカではカロライナ地区でドクター・フジナミのリングネームで人気を獲得。その後メキシコに転戦してカネックとの抗争で名を上げる。昭和53年にニューヨークのMSGでWWWFジュニア・ヘビー級選手権を獲得し凱旋帰国。日本マットにジュニア・ヘビー級というジャンルを認知させた功労者である。ヘビー級転向後は腰を痛めるなど苦しい時期もあったが、長州、前田を言った後輩に胸を貸し多くの名勝負を残した。1999年に新日本プロレス社長に就任したが、2006年に退社し無我ワールド・プロレスリングを旗揚げした。  サイン

 

藤原喜明 新 → 旧U → U
テロリスト 188センチ、103キロ S24年4月27日 岩手県和賀郡出身 :頭突き、パイルドライバー :IWGPタッグ
高校卒業後、元日本プロレス・金子武雄のボディビル・ジムで体を鍛え、昭和47年に新日本プロレスに入門。早くから頭角を現し、昭和50年には早くも第2回ゴッチ杯争奪戦に優勝。翌年西ドイツに遠征し各地のトーナメントで好成績を収めた。また猪木のスパーリングパートナーとしても活躍。異種格闘技戦の際には重要な役割を果たした。実力はありながらも中堅に甘んじていたが、昭和59年に花道で長州力に襲い掛かってからテロリストとしてブレイク。昭和59年には旧UWFに移籍。関節技の鬼として確固たる地位を得た。現在も現役で活躍。趣味は盆栽とイラスト。

 

渕正信
183センチ、105キロ S29年1月24日 福岡県北九州市出身 :テネシー・タッグ、世界ジュニア・ヘビー級
高校時代にアマレスをはじめ国体に出場。八幡大学在学中の昭和49年に全日本プロレスに入門。技巧派のホープとして注目を集め昭和55年に念願の初遠征。マサ・フチのリングネームで大仁田とのコンビでサンアントニオ、テネシーなどを転戦し実力をつけた。先にインターナショナル・ジュニア王者になった大仁田の後塵を拝する形となったが、昭和58年に凱旋してからは全日本プロレスのジュニアヘビー級の中心人物となる。平成に入ってからはラッシャー木村のマイク攻撃を受け人気を博した。分裂時も全日本プロレスに残留。現役として試合にも出場している。

 

船木優治 新 → 新U
182センチ、96キロ S44年3月13日 青森県弘前市出身
中学生の時にタイガーマスクの試合を見てレスラーになることを決意。卒業後の昭和59年に新日本プロレスに入門。昭和60年に15歳でデビュー。昭和63年には早くもオーストリアに遠征のチャンスを得る。ドイツ、イギリスを転戦して実力を付けた。平成1年に帰国するが、新日本プロレスには戻らず第二次UWFに移籍。翌年には高田、藤原を倒す実力を身につけていた。UWF解散後は藤原組に参加。平成5年にはパンクラスを旗揚げUWFスタイルをさらに進化させた戦いを繰り広げた。しかし平成12年にヒクソン・グレイシー戦を最後に引退。現在は俳優として活躍している。

 

冬木弘道 → サムソン冬木の項を見よ

 

星名浩 旧U
173センチ、88キロ S41年11月17日 岩手県出身
スーパータイガー・ジムから佐山とともにUWFに参加。新日本プロレスに吸収される際に引退している。

 

星野勘太郎 日 → 新
170センチ、104キロ S18年10月9日 兵庫県神戸市出身 :フライングヘッドバット :テネシー地区世界タッグ、カリフォルニアTV、IWA世界タッグ
本名:星野建夫。神戸商業高校時代はボクシングで活躍したがケンカでも名を馳せたという。卒業後の昭和36年に日本プロレスに入門。デビュー直後は星野一、本名の建夫を経て勘太郎に改名した。昭和42年には山本小鉄と共に初のアメリカ遠征、ヤマハ・ブラザーズとして各地区のタッグタイトルを総なめにした。シングルでも頭角を現しロスではカリフォルニアTV王座を獲得している。日本ではNWAタッグリーグ戦で猪木とのコンビで優勝してことがあるが、派手な活躍はできず。しかし昭和54年に国際プロレスに乗り込んで山本とのコンビでIWA世界タッグ選手権を獲得しファンをうならせた。現在は魔界軍団の総裁として活躍中。サイン

 

星山九昌 日、全
174センチ、85キロ 大阪府出身
昭和38年5月から12月まで日本プロレスに籍を置いていた練習生で、デビューを待たずに力道山の逝去とともにプロレスを廃業。しかし10年後の昭和47年の「第2弾ジャイアント・シリーズ」から全日本プロレスに新弟子として入門している。しかしここでもデビューを待たずに退団している。学生時代には相撲で鳴らしたそうである。

 

保永昇男 新 → ジ → 新
182センチ、95キロ S30年8月11日 東京都足立区出身 :IWGPジュニアヘビー、アジア・タッグ
拓殖短期大学を卒業後の昭和54年に新日本プロレスに入門。昭和57年には早くもメキシコに遠征。昭和59年に帰国するが線が細いのと試合が地味な為に全くブレイクせず。この年の9月にジャパン・プロレスに参加。全日本プロレスで寺西勇とのコンビでアジア・タッグを獲得しようやく陽の目を見た。新日本プロレスにUターン後はジュニア・ヘビー級の重要な戦力として活躍した。すでに引退し現在はレフェリーとして活躍している。

 

本郷篤 → 肥後宗典の項を見よ

 

本間和夫
180センチ、80キロ S19年4月26日 北海道出身
大相撲の立浪部屋からプロレス入り。大相撲では沖ツ風の四股名で三段目まで進んだ。身長もあり期待されたが、体重が増えずに悩んでいたようだ。引退後は日本プロレスの興行を扱うプロモーターとなる。