日本人全レスラー名鑑 カ
| 魁勝司 かいしょうじ 日→東→日→新→新U 175センチ、94キロ S17年2月15日 大分出身 :メキシカンストレッチ |
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| 大の猪木シンパとして知られ、東京プロレス、新日本プロレスの旗揚げには真っ先に参加に名乗りをあげた。日本プロレス時代には柴田勝久とともにメキシコに遠征し、日本旋風を巻き起こした。改名魔としても知られ、本名の北沢幹之、高崎山猿吉、高崎山三吉、新海弘勝などのリングネームを名乗った経験を持つ。日本プロレス時代にはゴッチとのスパーリングで腕を決めさせなかったという伝説も持つ。新日本プロレスでは若手レスラーの壁として前座で活躍し、第3回カール・ゴッチ杯争奪戦で優勝もしている。引退後は、UWF、リングスなどでレフェリーとして活躍。 | |
| 嘉地久晴 かじひさはる 旧全 185センチ98キロ S10年2月18日 大分県出身 |
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| 空手、柔道をへて山口利夫の旧全日本プロレスに入門。185センチ98キロという恵まれた体格を活かした豪快なファイトで人気があったという。旧全日本プロレス崩壊後は大相撲の二所ノ関部屋に入門。天山の四股名で前頭上位に昇進。この時の付き人が後の大横綱大鵬であった。しかし突然曲げを切りプロレス団体を結成し韓国で興行を行った。この時参加したレスラーにミスター高橋がいる。 | |
| 片山明
かたやまあきら 新 174センチ、95キロ S39年7月12日 岡山県出身 |
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| 高校時代から柔道、ボディビルで体を鍛え昭和60年に新日本プロレスに入門。小柄ながら全力ファイトを見せ、一部では「小鉄2世」というニックネームを付けられていた。しかし怪我がもとで引退、SWSで復帰したが、試合中にプランチャを失敗し頚椎を損傷。現在も車椅子生活を送っているという。 | |
| 加藤弘恭
かとうひろあき アジア 172センチ、97キロ S4年5月12日 兵庫県出身 |
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| 実業団相撲からの転向だったが、172センチ、97キロと体が小さく目立った活躍は出来なかったようだ。 | |
桂浜 → レフェリー編の田中米太郎を見よ
| 金子武雄
かねこたけお 日 172センチ、100キロ S5年1月15日 神奈川県出身 |
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| 重量挙げ全日本ライト級チャンピオンで、見事な筋肉美を誇り、パワーファイトを身上としていた。日本人初のマッチョ・レスラーといったところか。しかし体が小さく、メーン・エベンターにはなれず、中堅レスラーに甘んじた。昭和34年のウエイト別日本選手権でジョー樋口にセメントマッチを仕掛けられ腕を骨折し引退。その後は空手道場、ボディビルジムを経営。藤原喜明、米村天心など金子ジム出身のプロレスラーは多い。 | |
| 金田照男 かねだてるお 東 | |
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東京プロレスの旗揚げシリーズの熱戦譜にその名を見ることが出来る。東京プロレスに入門、デビューした新人レスラーだったと思われるが、どうやら東京プロレスの崩壊と共に廃業したようだ。 |
| 川田利明
かわたとしあき 全
183センチ、110キロ S38年12月8日 栃木県出身 :アジア・タッグ、世界タッグ、3冠ヘビー |
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| 足利工大付属高校時代はアマレスで国体優勝の実績を持つ。昭和57年に全日本プロレスに入門。冬木弘道戦でデビュー。昭和62年には冬木とフットルースなるコンビを結成して天龍同盟に参加し、アジア・タッグを獲得するなどの活躍を見せた。後に阿修羅原の解雇により天龍のパートナーに抜擢され、メインエベンターへの仲間入りを果たした。天龍脱退後は三沢とともに全日本プロレスの黄金時代を支えた。全日本プロレス分裂後も全日本プロレスに残り(NOAHに誘われなかったといわれる)エースとして活躍したが、現在はフリー。ハッスルなどに登場している。 | |
| 神田秀宣
かんだひでのぶ 新→旧U 183センチ、93キロ S38年8月10日 長野県出身 |
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| 国際プロレスの入門テストを受けたが不合格となるも、新日本プロレスのテストに合格してプロレス入り。昭和60年4月にUWFでデビューしたがすぐに引退している。 | |