日本人全レスラー名鑑 コ

 

 

剛竜馬 国 → フリー → 新 → 旧U → フリー
185センチ、105キロ S31年3月21日 東京都出身 :原爆固め :WWFジュニア・ヘビー、アメリカス・タッグ
本名 八木宏。昭和46年に国際プロレスが行った第1回新人選手公募に合格してプロレス入りするが、それ以前に日本プロレスにも練習生として籍を置いていた。昭和48年に欧州、カナダへ修行の旅に出る。帰国後、剛竜馬に改名するがもうひとつブレイクせず。昭和53年に突然フリー宣言してヒロマツダの元に走る。同年7月に藤波のWWWFジュニア選手権に挑み善戦。昭和54年には王座奪取。新日本プロレスに入団後は精彩を欠き、旧UWFへの参加を経て、全日本プロレスに登場するも昭和61年にリストラされ、その後はインディー団体を転々としる。結局はプロレスバカなるニックネームでブレイクしたが、平成14年に不祥事をおこし、プロレス・ファンを大いに悲しませた。サイン

 

小鹿雷三 → グレート小鹿を見よ

 

越中詩郎 全 → (大日)→新
185センチ、104キロ S33年9月4日 東京都出身 :ヒップアタック :IWGPジュニアヘビー、IWGPタッグ
高校卒業後、短期間電力会社に就職していたが、昭和53年に全日本プロレスに入門。昭和59年にルー・テーズ杯争奪リーグ戦に優勝し、翌年メキシコに遠征サムライ・シローの名で人気を獲得した。しかし昭和60年に突然、新日本プロレス参加を表明。当初は大日本プロレスなる団体に身を置いて新日本プロレスに登場。昭和61年にはIWGPジュニアヘビー級王座を獲得。高田伸彦らと名勝負を繰り広げる。平成に入ってからは反選手会同盟を結成し、平成維新軍へと発達させ、大いに気を吐いた。2003年に新日本プロレスを離れ巣が、2006年ごろからお笑い芸人のケンドー・コバヤシらが越中の「〜してやるって!」という口癖をを真似て人気が再燃。2007年には新日本プロレスのリングに復帰した。

 

小島泰弘 → ヒロ・マツダを見よ

 

小杉俊二
175センチ、98キロ S35年2月17日 新潟県出身
体が小さいため何度も断られたが、昭和55年に新日本プロレスへ念願の入門。前座で修行を積むが、昭和60年のヤング・ライオン杯で山田恵一を抑えて優勝。しかし内臓疾患のために引退。将来が楽しみなパワーファイターだったが、性格もファイトも地味すぎたような気がする。

 

後藤政二 → ターザン後藤を見よ

 

後藤達俊
180センチ、110キロ S31年5月25日 愛知県出身 :バックドロップ
高校時代は重量挙げで身体を鍛え、卒業後は日産自動車に入社。働きながら寛水流空手を学び、そのラインで昭和57年にプロレス入り。昭和60年には早くも初渡米。凱旋帰国第1戦ではアメリカでのパートナーであるサクラダとのコンビで登場するが、試合中に肩を故障するという不運。その後も馳をバックドロップで死のふちに追いやるなど、アクシデントの多いレスラー人生を送る。平成に入ってヒールに転向してからようやく日の目を見るようになったが、ここ数年は沈滞気味。

 

小橋健太
187センチ、118キロ S42年3月27日 京都府出身 :アジア・タッグ、世界タッグ
高校卒業後は短期間会社員として働くが、昭和62年に全日本プロレスに入門。馬場の付き人をしながら前座戦線で63連敗という記録を作り注目を浴びる。馬場とのコンビでアジアタッグ挑戦、7番勝負の企画など馬場には特別かわいがられた。これに答え目覚しい成長を遂げ、平成の全日本プロレスを支えるメインエベンターに成長。馬場の死後NOAH設立に参加するがいきなり負傷し出遅れてしまった。今後の挽回に期待。海外遠征経験のないエースの最初の世代でもある。

 

小林邦昭 新 → ジ → 新
虎ハンター 183センチ、105キロ S31年1月11日 長野県小諸市出身 :フィッシャーマンズ・スープレックス :アメリカス・ヘビー、IWGPジュニアヘビー、NWAインターナショナル・ジュニアヘビー
中学卒業後、塗装会社で働いていたが昭和48年に新日本プロレスに入門。新幹線の食堂のメニューを全部食べるという伝説を作り、昭和55年には念願のメキシコ遠征。昭和57年にはアメリカに転戦、ロス地区でキッド・コビーのリングネームで活躍、アメリカス選手権を獲得。凱旋帰国後は初代タイガーマスクとの抗争で悪党人気を獲得するが、タイガー離脱後はジャパンプロに移籍し、全日本プロレスに登場。Uターン後もジュニア戦線で活躍。誠心会館との抗争、平成維新軍への参加など話題の絶えないレスラーである。2000年に引退。

 

小林省三 → ストロング小林を見よ

 

ザ・コブラ 
188センチ、98キロ S33年6月23日 山口県出身 :原爆固め :IWGPジュニアヘビー、WWFジュニアヘビー、NWA世界ジュニアヘビー
昭和58年8月、新日本プロレスのカナダ・カルガリー遠征の中継に小林邦昭とのタッグで日本に初登場。同年11月にザ・バンピード(デイビーボーイ・スミス)とのNWA世界ジュニアヘビー級王座決定戦に出場しこれを見事に獲得し華々しいデビューを飾る。しかしその動きは誰がどう見てもジョージ高野であった。タイガーマスクの代打としての登場だったが、当時のファンからはなかなか受け入れられずにブーイングを浴びた時期があった。昭和61年に姿を消し、素顔のジョージ高野に戻っている。

ジョージ高野の項も見よ。

 

駒厚秀 → マシオ駒を見よ

 

ゴリラ鈴木 → マンモス鈴木を見よ