日本人全レスラー名鑑 ナ行

 

 

内藤 恒仁 ないとうつねひと U → フリー
●180センチ、85キロ
●1965年12月5日 千葉県香取郡出身
昭和63年9月にUWFでデビュー。平成元年に脱退し単身フロリダのマレンコ道場に入門。その後はさまざまなインディー団体に登場しているようである。

 

中川 弘 なかがわひろし 
●174センチ、95キロ
●1947年10月3日 奈良県磯城郡田原本町出身
大相撲の朝日山部屋に所属し、高津錦の四股名で相撲を取っていたが、親方が亡くなったのをきっかけに、東京プロレスに入門。旗揚げの「ビッグ・マッチ・シリーズ」では試合に出場し、まずまずの成績を収めている。東京プロレス崩壊の際に引退している。既に故人。
特記:ご長男の譲様より写真提供いただきました。

(情報提供:トレーナー様、中川譲様)

 

長沢 日一 → 長沢秀幸を見よ

長沢 虎之助 → 長沢秀幸を見よ

 

長沢 秀幸 ながさわひでゆき 旧全 →日 → 国
●176センチ、85キロ
●1924年1月2日 大阪府大阪市出身
本名 長沢日一(かいち)。昭和28年に実業団相撲から旧全日本プロレスに入団。日本プロレスに昭和32年に移籍。力道山の評価は高く、ブラジル遠征に帯同したり、「第4回ワールド大リーグ戦」に出場。力道山の死後は取り締まり宅に就任している。しかしリング上では万年前座として過ごし、日本プロレス崩壊前は営業やレフェリーなどもこなした。日本プロレス崩壊後は、国際プロレスに入団し、マスクを被ってタイガー・チョン・リーを名乗ったこともある。晩年は資材部社員となり、昭和56年に退社している。長沢虎之助、本名の長沢日一のリングネームを使ったこともある。

 

仲野 信市 なかのしんいち 新 → ジ → 全
●185センチ、110キロ
●1963年3月14日 神奈川県横浜市保土ヶ谷区出身
●WWCジュニアヘビー、世界ジュニアヘビー(全日本プロレス版)、アジア・タッグ(全日本プロレス版)
学生時代は柔道や野球で活躍。昭和53年に高校を中退して新日本プロレスに入門。新日本プロレスでは前座をにぎわす存在でしかなかったが、ジャパン・プロに参加し、全日本プロレスのマットに上がり実力をつける。長州派が新日本プロレスにUターンした後も谷津嘉章とともに全日本プロレスに残留し所属レスラーとなる。昭和63年にアジアタッグを獲得するまでに成長するが、平成2年のSWS旗揚げに参加。その後はSPWF、夢ファクトリーなどインディーを転々としたが、2001年に無我で引退。現在は佐川急便でドライバーをして働いていると言う。

 

中野 龍雄 なかのたつお 旧U → U
●174センチ、98キロ
●1965年6月16日 茨城県下妻市出身
昭和60年の旧UWFの第1回新人公募に合格して入門。豆タンクのような体型ながらジャーマンスープレックスの切れは鋭かった。気性も荒くUWFインターと新日本プロレスとの対抗戦でも活躍。WARのリングにも登場して活躍した。中野巽耀(たつあき)と名乗っていたが、最近は活躍を聞かない。

 

新倉 史祐 にいくらふみひろ 新 → ジ
●186センチ、108キロ
●1957年8月23日 神奈川県横浜市出身
●インターナショナル・タッグ(カルガリー版)
高校時代は野球で活躍。卒業後にボディビルからプロレス入り。前座で活躍するが長州力のジャパンプロ旗揚げに参加し全日本プロレスのリングに上がる。昭和61年には馳浩とともにプエルトリコに遠征。カナダのカルガリーではマスクをかぶってのベトコン・エクスプレスで活躍しインターナショナル・タッグ王座を獲得するが、内臓疾患のためレスラー廃業。引退後は「プロレスラー秘密の話」などの本を出版したが、現在は渋谷で「巨門星」という居酒屋を経営しているようだ。

 

野上 彰 のがみあきら 
●180センチ、95キロ
●1966年3月13日 千葉県習志野市出身
●IWGPジュニアヘビー
昭和59年に高校卒業と同時に新日本プロレスに入門。デビュー当時は怪我に泣かされたが、平成2年にイギリスへ念願の海外初遠征。ここで隈取風のペインティングを施しAKIRAとして活躍。アメリカへも短期間遠征した。翌年ライガーを破ってIWGPジュニアヘビー級王者となる。ヘビー級に転向してからは飯塚とのJJ・JACKSを結成しタッグ戦線をかき回すが、小林邦明との抗争をへて意気投合し飯塚を裏切って平成維新軍に参加。一時期プロレスを離れ舞台俳優として活躍したが、最近はリングに上がって元気な姿を見せている。現在はAKIRAとして俳優とレスラーの二束のわらじで活躍。