来日全外国人レスラー名鑑 日系レスラー
| キンジ・渋谷 KINJI SHIBYA 2回 神風親分 175センチ、113キロ 1923年米・ユタ州 :ジュードー・チョップ :USヘビー(シスコ版)、アメリカス・タッグ、カナダ・ヘビー |
|
| 42 9(日) ダイヤモンド・S、45 5 (日) 第一次ゴールデン・S | |
「神風親分」と呼ばれた日系レスラーの大御所で、ハワイでプロ・フトッボラーをしていた所を沖識名にスカウトされてプロレス入り。主に西海岸で活躍し、サンフランシスコでレイ・スチーブンスからUSヘビーを獲得したのをはじめ、1972年にはマサ斎藤とのタッグではロスでアメリカス・タッグを獲得している。選手生命の長いレスラーで、1976年にはバンクーバー地区のカナダ・ヘビー級チャンピオンにもなっている。日本に来日した際には日本側に付いてファイトした。本名はなんと渋谷金持。 |
|
| グレート・東郷
GREAT TOGO 7回 日系の流血王 168センチ、104キロ 1911年米・オレゴン州フートリバー :頭突き :世界タッグ(カリフォルニア版) |
|
| 34 9(日)【特】 プロレス秋の国際試合、35 4(日) 第2回ワールドリーグ戦、36 4(日) 第3回ワールドリーグ戦、37 4(日) 第4回ワールドリーグ戦、38 4(日) 第5回ワールドリーグ戦、38 5(日) インター選手権S(残留)、38 11 (日)インター選手権S、43 1(国) オープニング・ワールド・S | |
168センチ、104キロという体で全米のトップ・スターとして活躍した日系レスラーの第一人者。レスラーとしての実績もさる事ながら、リング外での金の汚さでも有名で、アメリカ武者修業中の馬場に「練習をしたら腹が減って飯代が高くつくから試合のない日は寝ていろ。」と言い放ったのは有名な話。日本でも日本プロレス、国際プロレスと金銭でもめ、ユセフ・トルコの鉄拳制裁を受けた。ルー・テーズと第3団体を日本で旗揚げする計画をぶち上げるが、失敗に終わっている。本名はジョージ岡村。1973年12月17日に胃がんで死亡。 |
|
| ディーン樋口
DEAN HIGUCHI 188センチ、130キロ 米・ハワイ州 |
|
| 41 10 (東)ビッグマッチ・シリーズ | |
![]() |
ハワイ出身の日系2世。豊登によるハワイ猪木略奪事件の際、猪木をかくまった縁でか、東京プロレスの旗揚げに参加した。その後、ディーン・ホーと改名し、米本土で活躍した。 ディーン・ホーの項も見よ。 |
| ディーン・ホー DEAN HO (ディーン樋口*) 2回 日系の怪腕 188センチ、130キロ 1938年米・ハワイ州ホノルル :空手チョップ :WWWF世界タッグ、USヘビー(サンフランシスコ版)、サンフランシスコ地区世界タッグ |
|
| 41 10 (東)ビッグマッチ・シリーズ*、53 11(国) 日本リーグ争覇戦 | |
| ディーン樋口の本名で東京プロレスの旗揚げに参加したハワイ出身の日系レスラー。ハワイでボディビルのジムを経営していたがその後プロレス入り。ホーに改名後はサンフランシスコで長くトップとして活躍し、ニューヨークに転戦してトニー・ガレアとのコンビでWWWF世界タッグを獲得している。昭和53年には国際プロレスの日本リーグ争覇戦に参加、準決勝まで勝ち進んだなかなかの実力者であった。(写真提供:HARU一番様) | |
| デューク・ケオムカ DUKE KEOMUKA 5回 黒帯親分 170センチ、116キロ 1926年米・カリフォルニア州 :柔道チョップ :NWA世界タッグ(テキサス版) |
|
| 41 5(日) ゴールデン・S、42 4(日) 第9回ワールドリーグ戦、43 4(日) 第10回ワールドリーグ戦、45 9(日) 第1回NWAタッグリーグ戦、47 5(日) ゴールデンS | |
|
主に南部地区で活躍した日系2世レスラーで、黒帯親分なるニックネームで知られた。初来日の「ゴールデン・シリーズ」ではヒロ・マツダとのコンビでアジア・タッグ戦線をかき回した。日系とは言え悪党ファイトではなく、テクニシャンタイプのレスラーだった様だ。FBIの体育指導官を勤めた経験を持つ。グレート東郷と絶縁した日本プロレスのブッカーも一時期勤めた。パット田中の父親である。本名は田中久雄。サイン |
トージョー・ヤマモト → 「来日全外国人レスラー」 P・Y・チャンの項を見よ。
| トシ東郷 TOSHI TOGO 日系の怪腕 178センチ、104キロ 1920年米・ハワイ州 :ベアハッグ |
|
| 43 1 (T) 【特】 ワールド・タッグS | |
| ハロルド坂田の変名。TBSプロレスのワールド・タッグ・シリーズには途中参加で、なんとTWWA世界王者のダニー・ホッジから2フォール奪って勝利を収めている。おそらくホッジへの挑戦も予定されていたと思われるが、ブッカーのグレート東郷とTBSの決別によりタイトル・マッチは実現しなかった。 詳細はハロルド坂田の項参照。 |
|
| ハロルド坂田
(トシ東郷 *) HAROLD
SAKATA 6回 怪力男 178センチ、104キロ 1920年米・ハワイ州 :帽子攻撃 |
||
| 26 9 国連軍 朝鮮国連軍慰問プロレス大会、 30 10 (日) アジア選手権大会、32 9 (日) 世界選手権・S、32 10 (日)プロレス国際試合(残留)、36 4 (日) 第3回ワールドリーグ戦、36 6(日)プロレス夏の選抜戦(残留)、36 8 (日)プロレス秋の国際試合(残留)、43 1 (国) 【特】ワールド・タッグS*、47 7 (新)ニューサマー・S、47 9(新)ニューゴールデン・S(残留) | ||
![]() |
ハワイ生まれの日系人で、ロンドン・オンピックでは重量挙げで銀メダルを獲得。デビュー当初はグレート東郷の弟、トシ東郷を名乗り「東郷ブラザーズ」で悪の限りを尽くした。昭和26年の初来日時にナイトクラブで力道山と喧嘩になり、それが縁で力道山をスカウト、アジア・リーグ戦ではタッグを結成している。1964年のイギリス映画「007・ゴールドフィンガー」に日本人の殺し屋オッド・ジョブ役で出演、新日本プロレスに来日した時も、トレードマークのシルクハットを手にオッド・ジョブのギミックで日本陣営に入って活躍した。サイン | |
| ミスター・フジ MR.FUJI 3回 神風参謀 179センチ、103キロ 1934年米・ハワイ州オワフ :空手チョップ :WWWFタッグ、カリビアン・ヘビー、USヘビー(シスコ版) |
||
| 49 5 (全) MSG・シリーズ、54 1 (全) 新春ジャイアント・S、55 10 (全) ジャイアント・S | ||
![]() |
![]() |
ハワイ出身の日系人だが日本語はほとんど話せなかったらしい。ハリー藤原(本名といわれている)のリングネームでハワイ、サンフランシスコを転戦し、ここでUSヘビー級選手権を獲得。1972年にはWWWF地区に転出。ここでプロフェッター・タロー・タナカとのコンビでWWWFタッグ選手権を獲得し、一時代を築いた。マサ斎藤とのコンビでも同王座を獲得している。晩年はプエルトリコを主戦場としたが、デモリッションズのマネージャーとしてWWFにカムバックした。昭和55年の来日時は意外にも日本側で出場している。 |
| ミスター・モト
MR.MOTO
5回 日系の不知火 183センチ、104キロ 1929年米・ハワイ州ホノルル : WWA世界タッグ |
||
| 39 4 (日) 第6回ワールドリーグ戦、39 5(日)ワールド選抜戦S(残留)、40 4 (日) 第7回ワールドリーグ戦、40 9 (日) ハリケーン・S、40 12 (日)インター選手権S(残留)、41 3 (日) 第8回ワールドリーグ戦、41 4 (日) ワールド選抜・S(残留)、41 9 (日) ダイヤモンド・S | ||
![]() |
ハワイ出身の日系2世で、日本名 岩本勝、アメリカ名はチャーリー・イワモト。ハワイ相撲の横綱を経てプロレス入り。WWA地区で活躍しミスター・サトー(大木金太郎)とのコンビでWWA世界タッグ選手権を獲得している。引退後は、日本プロレスから絶縁されたグレート東郷に変わり外人招聘係をまかされ、日本プロレスが崩壊するまでブッカーの大役を務めた。1991年心臓発作のため71歳で逝去。 | |
| ミツ・荒川
MITSU ARAKAWA 1回 寝返り野郎 170センチ、110キロ 1933年米・ハワイ州ホノルル :空手チョップ :WWA世界タッグ(インディアナ版)、NWF世界タッグ、AWA世界タッグ |
|
| 46 1 (日) 新春チャンピオン・S | |
| ハワイ生まれの日系2世で本名は荒川三一。広島で被爆して両親が死んだ復讐にやってきたというギミックでアメリカ人を恐怖のどん底に落とし入れた。170センチという小兵だったが得意の反則殺法で活躍、1967年にはシカゴでドクター・モト(=トーア・カマタ)とのコンビでAWA世界タッグを獲得している。来日時は日本組に付かず、ファンの憎悪を買った。外人勢にも喧嘩を売り完全に孤立していた。帰国後はアメリカで修行中のヒゴ・ハマグチ(=アニマル浜口)の面倒も見ている。どちらかといえばタッグで本領を発揮したようである。日本でも外国陣営について試合に出場した。 | |