日本人全レスラー名鑑 シ、ス、セ、ソ

 

篠原実  
188センチ、106キロ S30年 福島県出身
国際プロレス崩壊寸前の昭和56年5月16日の後楽園ホール大会で紹介された入門生。16歳のときに大相撲の大鵬部屋に入門、幕下まで昇進したものの廃業。元レスラーの金子武雄の推薦で入門したが、国プロの経営状態に不安を抱き、すぐに退団したようだ。

 

柴田勝久 東 → 日 → 新
180センチ、100キロ S18年12月4日 三重県出身 :メキシカンストレッチ
大相撲の朝日山部屋から昭和41年に東京プロレスに入門。東京プロ崩壊後は猪木の後を追って日本プロレスに移籍、前座で修行をつみ昭和45年にメキシコに遠征。現地ではシバタヤマを名乗り、魁とのコンビで人気を獲得。昭和47年に猪木の新日本プロレス旗揚げに参加するため帰国。設立当初は猪木のパートナーに起用されメインエベントに出場していた。戦力が充実してからは中堅として活躍、昭和52年にはレフェリーとなる。現在は息子の柴田勝頼がフリーレスラーとして活躍中。

 

ジプシー・ザンバ
国際プロレスの昭和46年12月11日の「ビッグ・ウインター・シリーズ」川崎市民会館大会に出場しエル・アキと対戦したレスラー。どうにもショッパイ試合で、「会場からやるきあんのか!!」という野次が飛ぶと「あるよ!!」と怒鳴り返し、その途端に試合があれ出してザンバが反則負けとなった。(情報提供:fwkt様)

3/9追記
そらきち様より、ザンバを紹介した東京スポーツの記事をお送りいただきました。詳しくは「昭和プロレス・ファイル」で!

 

ジャイアント馬場 日 → 全 
東洋の巨人 209センチ、140キロ S13年1月23日 新潟県出身 :16文キック、ジャンピング・ネックブリーカー :インターナショナル・ヘビー、同タッグ、NWA世界ヘビー、PWFヘビー
本名 馬場正平。プロ野球出身で巨人、大洋に在籍したが故障が元で野球を断念。昭和35年に日本プロレスに入門。翌年早くも初渡米し、3大世界選手権に連続挑戦など超売れっ子となる。再渡米中に力道山が死亡。昭和39年に帰国してからは日本プロレス界の不動のヒーローに君臨した。昭和47年には独立して全日本プロレスを旗揚げ。昭和49年には日本人初のNWA世界ヘビー級選手権者となり、合計3度同王座についた。レスラーとしてはもちろんプロモーターをしても信望が厚く、まさに世界の馬場として知名度は高い。「生涯現役」を貫いたが、平成11年1月31日肝不全の為死亡。(右写真提供:HARU一番様) サイン

 

シャチ横内 フリー
186センチ、107キロ S12年9月13日 名古屋県出身 :クロス・チョップ :NWA世界タッグ(テキサス版)
本名 横内信一。高校卒業後にブラジルに渡り事業をはじめるが挫折しレスラーとなる。南米を振り出しに欧州を転戦。昭和42年にはアメリカに上陸。上田とのコンビではテキサス地区の世界タッグ選手権とファンク兄弟から獲得、当地ではNWA世界選手権のドリー・ファンク・ジュニアにも挑戦している。昭和44年には国際プロレスに参加し、レスラーとしてはじめて日本の地を踏む。シリーズ中外人組に寝返り「裏切り者」と呼ばれ悪党人気を獲得した。その経歴が似ていることや得意技が同じ(十字チョップ)こともあり清美川と間違われがちだが、まったくの別人ある事は言うまでもない。

 

ジャンボ鶴田  
若大将 196センチ、127キロ S26年3月25日 山梨県出身 :スープレックス、バックドロップ :AWA世界ヘビー、インターナショナル・ヘビー、同タッグ、UNヘビー
本名 鶴田友美。中央大学時代の昭和46,47年にアマレス日本選手権を2連覇。ミュンヘン五輪にも出場し7位に入賞。昭和47年に全日本プロにスカウトされて入門。「全日本プロレスに就職します。」という名言を吐いた。翌年アメリカに遠征ファンクスの元で実績を積み帰国。ダイナミックなファイトぶりで馬場に次ぐ準エースとなった。体格も才能も恵まれていたが自分が前に出ようという、レスラーに必要ないやらしさがまったくなかった。彼にそのような意欲があれば日本のプロレス界の歴史は大きく変わっていたと思う。平成12年5月13日没。サイン

 

ジョージ高野
188センチ、98キロ S33年6月23日 山口県出身 :ドロップキック :IWGPジュニアヘビー、WWFジュニアヘビー、NWA世界ジュニアヘビー
本名 高野壌治。大相撲の大鵬部屋から新日本プロに入門。父親はアメリカ海兵隊員で、ボクシングの海軍王者であった父譲りの恵まれた体格を生かしたダイナミックなレスリングで、若手時代から人気を獲得。一時は芸能界と二足のわらじをはいた。昭和57年にメキシコに遠征。その足でカナダに転戦し、ここでザ・コブラに変身。タイガーマスクの抜けた穴を埋めるために帰国するが、タイガーマスクとことごとく比較され、受け入れられるまでは非難を浴びた。昭和61年にいったん海外に脱出して素顔で帰国。IWGPタッグを獲得しエース候補となるがSWSに移籍。SWS崩壊後はインディー団体を渡り歩いている。

ザ・コブラの項も見よ。

 

ジョー樋口 → 樋口寛治を見よ

 

新海勝司 → 魁勝司を見よ

 

スーパー・ストロング・マシーン 新 → フリー → 新
185センチ、120キロ S31年12月20日 神奈川県出身 :魔人風車固め :IWGPタッグ
昭和59年に後楽園ホールに若松市政につれられ突然出現した怪覆面。当初は「きん肉マン」として登場する予定であったが、著作権の問題でマシーンとなった。レスラー不足の新日本プロのレス目玉として活躍したが、藤波の「お前は平田だろう」発言で正体を暴露された。若松と喧嘩別れしたあとは新日本プロレスを離脱し全日本プロレスに登場するが、昭和62年に新日本プロレス復帰。一時はWARにも参加したが、平成6年にマスクを脱ぎ素顔の平田で活躍するようになった。星野勘太郎率いる魔界倶楽部では「魔界一号」として活躍。

平田淳二の項も見よ。

 

スーパー・タイガー → 佐山サトル、タイガーマスクを見よ

 

菅原伸義 → アポロ菅原を見よ

 

杉山恒治 →サンダー杉山を見よ

 

鈴木勝義 → マティ鈴木を見よ

 

鈴木実 新 → U
178センチ、86キロ S43年6月17日 神奈川県出身
高校時代からアマレスに打ち込みインターハイで準優勝。昭和62年に新日本プロレスに入門。猪木の付き人を務めつつ前座で活躍するが、入門当時からUWFスタイルへ傾倒し藤原喜明に師事した。平成元年にUWFに移籍、UWF分裂時は藤原組に参加するが、藤原とは袂を分かち船木とともにパンクラスを設立。船木としのぎを削ったが平成7年にパンクラス王者となり事実上のエースとなった。現在はフリーとして各団体で活躍。

 

ストロング小林 国 → フリー → 新
怒涛の怪力 188センチ、125キロ S19年1月15日 東京都文京区本郷出身 :アトミックドロップ、逆エビ固め :IWA世界ヘビー、同タッグ、USAヘビー、北米タッグ
本名 小林省三。国鉄で勤務する傍らボディビルで身体を鍛えボディビルダーとしてテレビにも出演したことがある。昭和41年に国際プロレスにスカウトされて入門。昭和42年に覆面太郎としてデビュー、昭和43年には素顔で再デビューし欧州に遠征、IWA世界タッグ王者として帰国するが、昭和45年夏に再渡欧、冬にはAWAに転戦し昭和46年当地でビル・ミラーからIWA世界王座を獲得し凱旋帰国、昭和49年の離脱までエースに君臨。離脱と同時に猪木と日本プロレス史に残る名勝負を展開。昭和50年から新日本プロレスに参加、坂口とのコンビで北米タッグを獲得するが昭和53年ごろから精彩を欠き、中堅クラスに転落。昭和56年に腰を痛めストロング金剛に改名しタレントとなった。昭和59年に正式に引退。サイン

 

スネーク奄美
174センチ、92キロ S26年5月25日 鹿児島県出身
中学卒業後に大相撲の井筒部屋に入門するが廃業。その後高校に入学しアマレスに打ち込み全日本選手権と国体を制覇。昭和47年に営業社員として国際プロレスに入社するが、アマレス王者の経歴を生かして昭和48年にレスラーとしてデビュー。昭和49年にスネーク奄美に改名。前座で活躍したがフルファイトの後遺症であろうか、脳腫瘍のため戦列を離脱。その後一時は快復したが、現役復帰することなく昭和56年4月30日に死亡。ラッシャー木村は一晩その亡骸に添い寝したと言う。

 

駿河海
183センチ、105キロ T7年1月1日 静岡県出身 : 日本ジュニアヘビー
本名 杉山光男。大相撲時代は出羽の海部屋で幕内まで進んだが、昭和28年に力道山を頼ってプロレスに転向。昭和31年には重量別日本選手権大会に出場し、ジュニア・ヘビー級部門で優勝。初代日本ジュニアヘビー級王座となった。東富士とは親友で、力道山との権力闘争に嫌気がさして引退した東富士とともにプロレス界を引退した。現在も健在。

 

関川哲夫 → ミスター・ポーゴを見よ

 

ゼロ戦隼人 → ヤスフジイを見よ

 

仙台強 → 大剛鉄之助を見よ

 

園田一治 → ハル園田を見よ