日本人全レスラー名鑑 タ

 

 

ターザン後藤
178センチ、110キロ S38年8月16日 静岡県出身 :CWA世界タッグ
本名は後藤政ニ。高校卒業後、昭和54年に大相撲の九重部屋に入門するが、翌年廃業し全日本プロレスに入門。童顔をカバーするためにひげをはやす様になり、ターザン後藤に改名。昭和60年には海外初遠征。テネシーのCWAで佐藤昭夫とのコンビでCWA世界タッグを獲得する。コンビ解消後は南部地区を転戦、一時期体調を崩し消息をたつが、昭和63年ごろにプエルトリコに出現。結局、全日本プロレスには見捨てられた形となり、平成に入り大仁田に声をかけられFMWの旗揚げに参加、ようやく日本の土を踏むことになる。その後は多くのインディー団体で活躍した。(左写真撮影:HARU1番様)

 

タイガー・マスク(佐山サトル) 新 → 旧U 
173センチ、96キロ S32年11月27日 山口県出身 :タイガースープレックス、ローリングソバット :WWFジュニアヘビー、NWA世界ジュニア・ヘビー
昭和56年にダイナマイト・キッドを相手に衝撃のデビューを飾ったマスクマンで、正体はイギリスでサミー・リーとしてメインエベンターになっていた佐山サトル。それまでのプロレスでは考えられないような空中殺法で少年ファンのハートをがっちりつかみ、新日本プロが黄金時代を築くのに大いに貢献した。しかしタイガーマスクに変身しわずか3年後の昭和58年にクーデター騒動に巻き込まれて引退。少年ファンを大いに失望させた。昭和59年にはザ・タイガーとしてUWFに登場するが、ルールを巡って選手と対立。昭和60年に退団し素顔に戻ってシューティングなる格闘技に没頭した。当研究室でも便宜上初代と呼ぶが、厳密に言えば佐山のタイガーは3代目に当たる。初代は韓国で変身したサムソン・クツワダ、2代目は同じく韓国でタイガーマスク2号を名乗った桜田一男である。 サイン

 

タイガーマスク(三澤光晴)  
185センチ、105キロ S37年6月18日 埼玉県出身 :タイガースープレックス :NWAインターナショナル・ジュニアヘビー、PWF世界タッグ、アジアタッグ
昭和59年に全日本プロが登場させた2代目タイガーマスクで、マスクからのぞく表情は誰がどう見てもメキシコ遠征に出ていた三沢であった。初代タイガーと比較されるという重圧を撥ね退け、独自のスタイルを作り上げた点は立派であった。最初はジュニアで活躍していたが、ヘビー級に転向しAWA世界ヘビー級(王座はカート・ヘニング)にも挑戦している。平成2年に自らマスクを脱ぎ、三沢に戻った。しつこいようだが便宜上、三澤タイガーを2代目と呼ぶが、厳密に言えば4代目である。 サイン

 

タイガー戸口 日 → フリー → 全 → 新 → フリー 
193センチ、125キロ S23年2月7日 東京都出身 :パイルドライバー :インターナショナル・タッグ
本名 戸口正徳。高校時代はバスケットボールと柔道で身体を鍛え、昭和42年の日本プロ入門時には柔道界との争奪戦が行われたという逸材であった。恵まれた身体をもち、前座でもめきめき頭角をあらわし、英語がしゃべれたこともあり、外人レスラーにもかわいがられたようだ。日本プロレス崩壊寸前の昭和48年正月に初渡米。キム・ドクのリングネームで全米各地を転戦。昭和51年にキム・イルとのコンビで全日本プロレスに登場。ジャンボ鶴田と名勝負を残した。昭和56年には新日本プロレスに移籍。キラー・カーンとのコンビで活躍。WWFでタイガー・チャン・リーの名で活躍。いまだに現役で活躍し、韓国で行われる興行に時折顔を出すという。 サイン

 

大剛鉄之助 東→国 
174センチ、95キロ S17年3月10日 宮城県仙台市出身
昭和41年に大相撲のニ所ノ関部屋から東京プロレスに入門。デビュー当時は仙台強のリングネームで活躍。国際プロレスに移籍後、大剛鉄之助に改名。若手時代から気性が荒く、日本側に不利な判定が下った場合などはレフェリーに突っかかる場面がよく見られた。その気性を見込まれたか?マッドドッグ・バションに連れられ、初の海外遠征。トーキョー・ジョーのリングネームでカナダ一帯を荒らしまわるが、サーキット中の事故で片足切断を余儀なくされ、レスラーを引退。その後はIWAカナダ支部長となりブッカーとして活躍。国際プロ崩壊後は、新日本プロレスのプロのブッカー兼、若手の育成係として手腕を発揮している。本名は栄田幸弘。

 

大同山又道
185センチ、98キロ T9年1月10日 大阪府出身
柔道出身の猛者で、かなりの腕前であったが、北朝鮮国籍であったことがネックで日本選手権などには出場できなかった。昭和30年にプロレスに転向し、大阪で東亜プロレスを結成。アジアプロレスとの対抗戦で破れ、団体の存続をかけた日本選手権のジュニアヘビー級部門トーナメントでも惜敗。団体は自然消滅となる。プロレス廃業後は北朝鮮に戻り、体育協会の副会長となって柔道の普及に努めた。娘はキム・ジョンイルの夫人の高英姫であることが、最近発覚しマスコミで取り上げられた。本名 高山洲弘。

 

田上明 ジ → 全
192センチ、120キロ S36年5月8日 埼玉県出身 :アジアタッグ、世界タッグ
昭和55年に大相撲の押尾川部屋に入門し玉麒麟の四股名で十両まで昇進するが、昭和62年に廃業。馬場にスカウトされプロレスに転向を決めるが、全日本プロレスと角界の関係の悪化を恐れた馬場は、田上をジャパンプロの所属とした。当初はスローモーなレスリングでファンの不評を買ったが、鶴田とのコンビで、才能を開花。ようやくエース級の活躍をするまでに成長した。しかし本人に欲がないことがレスラーとしては致命的である。

 

高木功
190センチ、130キロ S36年11月8日 大阪府出身
中学卒業後、大相撲の高田川部屋に入門。卓越山の四股名で十両まで昇進するが、角界の体質があわず廃業し、昭和62年に全日本プロに入門。海外で馬場のパートナーという破格の扱いでデビュー。タイガーマスク(三沢)を中心とする決起軍に参加、連日、天龍にしごきともいえる激しい攻撃を受けて成長。SWS旗揚げ時に全日本プロレスを脱退。WARでマスクをかぶり嵐に変身。全日本プロレスに復帰するが、2006年7月6日に大麻不法所持で逮捕され、全日本プロレスを追放された。

 

高崎山猿吉 → 魁勝司を見よ

 

高崎山三吉 → 魁勝司を見よ

 

高杉正彦 国 → フリー → 全 → パ
175センチ、100キロ S30年6月17日 神奈川県出身
日本大学でアメフト日に在籍していたが、昭和52年に中退して国際プロレスに入門。外国人レスラーからも高い評価を受けた。昭和56年の国際プロレス崩壊をうけて単身メキシコに遠征。ウルトラセブンに変身し、全日本プロレスに登場。ジュニア戦線で活躍するが、昭和61年の人員整理で解雇。剛竜馬、アポロ菅原とともにパイオニア戦士を結成するものの活動前に空中分解した。その後はIWA湘南の代表となり現在も現役。(情報提供:放浪の殺し屋氏)

 

高田延彦(伸彦) 新 → 旧U → U
184センチ、100キロ S37年4月12日 神奈川県出身 :原爆固め :IWGPヘビー、同ジュニアヘビー、同タッグ
昭和55年に新日本プロレス入り。昭和58年に猪木のカナダ遠征に同行し現地でタイガーマスクの代打として出場する大抜擢を受けた。この1戦で注目を浴びジュニア戦線で頭角をあらわし、期待のホープとなるが、昭和59年に藤原とともにUWFに移籍。昭和61年のUターン後は越中からIWGPジュニアヘビー級タイトルを獲得。前田とのコンビでIWGPタッグを獲得するなど活躍。昭和63年に再び新日本を離脱し新生UWFに参加。一時は前田を破りエースに君臨するも、UWFの分裂によりUWFインターナショナルを設立。崩壊後は格闘技路線に打って出るが、ヒクソン・グレーシーに惨敗し、彼への評価は下降線をたどる。暴露本「泣き虫」の出版では批判を浴びた。現在はPRIDEの解説、ハッスルなどで活躍。

 

高千穂明久 日 → 全
184センチ、110キロ S23年9月8日 宮崎県出身 :ブルドッキング・ヘッドロック :UNヘビー、アジアタッグ、NWF世界タッグ
本名 米良明久。中学卒業してすぐの昭和39年に日本プロレス入り。昭和45年には海外遠征経験のない若手としては異例の抜擢でワールドリーグ戦に出場。同年9月に念願の初渡米。デビル・サトのリングネームで活躍。NWF世界タッグなどを獲得。昭和47年には選手大量離脱による日本プロレスのピンチを聞いて帰国、坂口とのコンビでNWAタッグリーグで優勝。坂口離脱後はUN王者にもなるが、すぐに日プロは崩壊。全日本プロレスに移籍後は中堅クラスを抜け切れず、活路をアメリカ、オーストラリアなど海外に求めた。昭和56年にカブキに変身した。

ザ・グレート・カブキの項も見よ。 サイン

 

高野俊二 新 → フリー → 全
200センチ、120キロ S39年2月16日 福岡県出身
ジョージ高野の実弟。中学卒業後に上京し新日本プロレスに入門。一時期、プロボクシングに転向したが、すぐにプロレスにUターン。選手の大量離脱時には重用された。その後カルガリーに遠征し、ストロングマシーン、ヒロ斎藤とカルガリーハリケーンズを結成し、新日本プロレスを離脱。全日本プロレスに参戦するが、ハリケーンズ解散後は全日本プロに入団。平成2年にはSWSに移籍し兄のジョージと合流。SWS崩壊後はインディーを転々とする。現在は高野拳磁。

 

高橋貢  
172センチ、85キロ S32年 大分県出身
国際プロレス崩壊寸前の昭和56年5月16日の後楽園ホール大会で紹介された入門生。中津工業高校時代は柔道、ラグビーで活躍。ボディビル歴7年。元レスラーの金子武雄の推薦で入門したが、国際プロレスの経営状態に不安を抱き、デビューを待たず、すぐに退団したようだ。

 

滝川隆寿 新→全 
183センチ、85キロ S39年4月11日 北海道札幌市出身
高校時代は柔道で体を鍛え、高校を中退して昭和55年3月に新日本プロレスに入門。別冊ゴング昭和55年10月号の選手名鑑には練習生として紹介されている。「猛烈なしごきに耐えそう」と解説されているが、耐えられなかったようで雑誌が店頭に並ぶ頃には脱走。しかし驚くべきことに昭和55年10月に全日本プロレスに入門。なぜ馬場が新日本プロレスにいたことのある彼の入門を許可したのか不明だが、全日本プロレスでも続かず、すぐにプロレス界から姿を消した。(情報提供:Joe Hooker SR.氏)

 

竹下岩夫  → 竹下民夫を見よ

 

竹下民夫 日 → 東 → 国
175センチ、85キロ S13年12月29日 千葉県出身
前歴は大相撲、プロ野球(トンボ・ユ二オンズ)という異色派。日本プロレスから豊登に誘われ東京プロレスに移籍。東京プロレスでは竹下岩夫のリングネームで前座に登場している。国際プロレス合流後はレスラー、レフェリー、リングアナウンサーの3役をこなした。またコーチとしても若手にとっては怖い存在であった。

 

竹村正明
178センチ、105キロ T15年4月18日 高知県出身
元大相撲の土佐の花。ヘビー級選手として期待を集めたが、力道山とトラブルを起こし日本プロレスを解雇される。引退後「月に行くからパスポートがいる!」など、意味不明な発言をし周囲を心配させた。手術に失敗したことを恨み執刀医の息子を殺害し、自らも短刀で自害した。

 

立ノ海 旧国 → 北
170センチ、95キロ T2年4月26日 高知県出身
大相撲出身で、柔道も5段の腕前の持ち主であった。プロレス転向後は木村政彦の右腕として活躍。国際プロレス団が崩壊した後は北海道で北日本プロレスを結成したが、目立った活動もせぬまま崩壊。

 

田中忠治 日 → 東 → 国
176センチ、105キロ S17年1月26日 山口県出身 :回転エビ固め :IWA世界ミッドヘビー
本名 田中政克。昭和33年に17歳で日本プロレスに入門。当初は田中東八とも名乗った。豊登の付き人となり、その後は常に豊登と行動をともにし、東京プロレス、国際プロレスにも豊登とともに参加した。昭和44年にIWA世界ミッドヘビー級選手権を獲得。昭和46年に初の海外遠征に出て、ヨーロッパ、アフリカを転戦。昭和47年に帰国するが、同じタイプの井上、寺西の台頭で活躍の場がなくなっており、昭和52年秋に肝臓病が悪化し体力の限界を理由に引退。その後の消息は不明である。サイン

 

田中米太郎  → レフェリー編を見よ

 

谷口豊  
205センチ、?キロ 
大相撲の三段目まで昇進した元・琴風。ジャイアント馬場に次ぐ巨漢として注目されたが、渡米中の馬場とはすれ違いで同じリングに上がることはなかった。小さなミスター珍との試合で人気を獲得したものの、腰を痛めてすぐに引退した。引退後は、プロレスの後援をしながら「琴風」というチャンコ屋さんを営んでいるそうだ。ミスター谷口とも名乗った。

 

玉の川
177センチ、103キロ T13年3月6日 大分県出身
本名は恵良正行。大相撲出身で、荒っぽい試合で人気を博したという。プロレス界からはすぐに姿を消した。