来日全外国人レスラー名鑑 エ(2)

 

エル・コバルデ EL COBARDE 1回
●野良犬  ●175センチ、87キロ
●1947年8月28日 メキシコ・バハカリフォルニア州シウダホワレス出身 1983年2月17日没
●メキシコ北部ミドル級
56 2(国) スーパー・ファイト・S
本名はミゲル・アンヘル・デルガド・レイエス。「野良犬」というニックネームで紹介されたNWA系のルード。末期の国際プロレスが呼んだメキシカンの中ではカルロス・プラタと並ぶ大物。メキシコでは来日する4年前の1977年にフッシュマンとの覆面剥ぎマッチで破れ素顔をさらしているが、マスクをつけて来日した。エローデスとのコンビで試合巧者振りを見せIWA世界タッグ選手権にも挑戦している。試合が終わると素顔でうろうろしていたようだ(写真右)。1983年にガンで死亡している。(二枚とも写真撮影:HARU一番様)

 

エル・ゴリアス EL GERAT GOLIATH (ザ・アジアン・テローズ2号* ) 4回
●タイトル泥棒 ●178センチ、105キロ
●1940年 メキシコシティ出身 2004年4月12日没 ●メキシカンストレッチ
●アメリカス・タッグ、アメリカス・タッグ、メキシコ・ナショナル・ヘビー、テキサス・タッグ、世界タッグ(カンサス地区)、ジョージア・タッグ
46 5(日) ゴールデン・S、47 8(日) 第2次サマー・ビッグ・S、51 2(新) ビッグ・ファイト・S、52 6(新) アジア・チャンピオン・S*
本名はパブロ・オルダス・クリスプ。ブラック・ゴールドマンとのタッグで「ゴマのハエコンビ」とか「タイトル泥棒」などと言われたタッグの名手。ニックネームの通り全米各地でトップクラスの活躍をした。日本には日本プロと新日本プロに参戦。観客を楽しませるテクニックは持っていたが、日本のトップクラスには通用しなかった。1978年にはロスで藤波のジュニア王座に挑戦して苦しめた。昭和47年に来日した際はクリス・マルコフと大喧嘩して耳を食いちぎった事もある。基本的にラフファイターではあるが実はかなりのテクニシャンである。得意技はメキシカン・ストレッチ。2004年4月心臓麻痺のため逝去。

 

エル・サイクロン EL CYCRON 1回
●ベネズエラの竜巻男 ●183センチ、106キロ
●ベネズエラ出身 ●ベネズエラ・ヘビー
51 1(国) 新春パイオニア・S

ベネズエラ出身の選手で、1963年にデビュー、1965年には早くもベネズエラ・ヘビー級チャンピオンになりアメリカに進出するが、ビッグ・タイトルには縁がなかった。所詮小悪党といった感じの選手だった様だ。

 

エル・サイコデリコ EL SICODERICO 1回
●竜巻仮面 ●180センチ、109キロ
●1945年 メキシコ・サンルイスポトシ出身 ●ドロップキック
●WWA世界タッグ(メキシコ版)
47 1(日) 新春チャンピオン・S
マスカラスの実弟と紹介されていたが、実は兄だったとする説もある。大きな期待をうけ、日本プロレスに来日するもキャリア不足を本名パブロ・ロドリゲス。露呈し連戦連敗。ファンを失望させると共に兄(弟?)のマスカラスを大いに怒らせた。帰国後ショックからセミリタイア状態となるが、元々教師の傍らのアルバイト・レスラーだった様だ。1982年にセミリタイアとなりアイスクリーム・ショップの経営をはじめたという。メキシコではシコデリコと発音する。

 

エル・サント EL SANTO (偽者=ハン・リー)
●ニセ聖者 ●170センチ、105キロ
●米・ハワイ州出身
48 9(新) 闘魂S
「聖人」と崇められた本物のエル・サントではなく、メキシコで活躍していた中国系レスラーのハン・リーが変身したもの。正体からも想像できるように、試合振りは惨澹たるものだった。ハン・リーは日本で偽サントになった事がばれてメキシコではヒンシュクを買ったという。(写真撮影:花園えびす様)

ハン・リーの項も見よ。

 

エル・シコデリコ → エル・サイコデリコを見よ

 

エル・シグノ 3回 EL SIGNO
●悪童 ●168センチ、97キロ
●1953年9月4日メキシコ・オアハカ州オコトラン出身
●UWA世界ライト、同ウェルター、同ジュニア・ライトヘビー、同トリオ、WWF世界ライト・ヘビー
56 10(新) 10・8新日本VS国際全面対決、 56 10(新) 闘魂S(残留)、58 1(新)【特】新春黄金・S、59 4(旧U) UWFオープニング・S
本名はアントニオ・サンチェス・レンドン。メキシコUWA系の選手で、1976年にライト級、1980年にウェルター級、1983年にジュニア・ライトヘビー級の3階級を制覇した実力者。1980年頃にネグロ・ナバーロ、エル・テハノと共に、ロス・ミシオネロスを結成。無敵のトリオと評判を呼び、日本にも来日し素晴らしいコンビネーションでファンを唸らせた。ニックネームの「悪童」のとおりかなりのラフ・ファイターだった。

 

エル・スコルピオ EL SCORPIO (スコルピオン*)2回
●赤さそり ●170センチ、103キロ
●1948年 メキシコ ・サンルイスポトシ出身
●UWA世界ヘビー、WWA世界ヘビー(メキシコ版)
56 7(新) サマー・ファイト・S61 1(新) ニューイヤー・ダッシュ 86*
本名はラファエル・コントレラス。元々は赤さそりのニックネームどおり真っ赤なマスクをつけていたが1975年にビジャノに敗れてマスクをはがされた。日本へはタイガーマスクへの刺客として来日したが、タイガーマスクの動きには付いていけなかった。当時はUWAのフロントにも名を連ねていた大ベテラン。帰国後UWA世界王者となった長州に挑戦し、1985年にはカネックから同王座を奪取した。飛べないメキシカンだった為か日本では全く受けなかったが、メキシコでは重鎮的な存在だった様だ。サイン

 

エル・セルヒヨ → セルヒヨ・エル・エルモソを見よ

 

エル・ソリタリオ EL SOLITARIO 3回
●孤狼仮面 ●180センチ、95キロ
●1945年5月25日 メキシコ・ハリスコ州ヤウアリカ 1986年4月6日没 ●ソバット
●NWA世界ミドル、NWA世界ライトヘビー、UWA世界ライトヘビー、UWA世界ジュニア・ライトヘビー
47 7(日) サマー・ビッグ・S、54 4(新)【特】第2回MSG・シリーズ、56 8(新) ブラディ・ファイト・S
本名はロベルト・ゴンザレス・クルス。日本では「孤狼仮面」とか「メキシコの木枯らし紋次郎」などとよばれ、昭和47年春に日本プロが行なった「呼んで欲しい外人レスラー」のファン投票で1位となり、「サマー・ビッグ・シリーズ」に初来日したが、犬猿の仲のマスカラスとタッグを組まされるなどして、もうひとつ実力を発揮できなかった。昭和54年には7年ぶりに新日本プロレスに来日し藤波と熱戦を繰り広げた。昭和56年には全日本プロレスに登場してマスカラスとの激突がほぼ決定したが、結局は新日本プロレスに登場している。1986年4月に手術中の医療ミスで帰らぬ人となった。メキシコではマスカラスと並ぶヒーロー的存在であった。黒ブチ眼鏡のような縫い取りが印象的だが、デビュー当時はこの部分も金色であった(写真右)。現在は息子のエル・イホ・デル・ソリタリオが活躍。
さらに詳しく サイン

 

エル・タピア EL TAPIA 2回
●メキシコの流星 ●180センチ、110キロ
●米・テキサス州エルパソ出身
●USタッグ(アマリロ)
48 2(全) ジャイアント・S結集戦、49 5(全) MSG・シリーズ
メキシコ系の中堅レスラーで初期の全日本プロレスに2度来日している。アメリカではUSタッグ王者にもなっていたようだが、体が小さく前座クラスを相手にするのがやっとだった。ジャンボ鶴田のデビュー戦の相手として日本プロレス史に名を刻んでいる。その風貌はハナ肇にそっくり。

 

エル・テハノ EL TEXANO 4回
●平原児 ●169センチ、86キロ
●1958年11月26日 メキシコ ・北バハカリフォルニア州メヒカリ出身
●UWA世界ウェルター、WWC世界ジュニア・ヘビー
56 10(新) 10・8新日本VS国際全面対決、 56 10(新) 闘魂S(残留)、58 1(新)【特】新春黄金・S、59 4(旧U) UWFオープニング・S

本名はファン・コンラッド・アギラール・ハウレギー。アメリカ風に言えばザ・テキサン、つまり「テキサス野郎」と言った意味のリングネームを持つ。元々は覆面レスラーで素顔になってからUWA世界ウェルター級王者となる。シグノの誘いでロス・ミシオネロスを結成するが、1987年に仲間割れ。シルバー・キングとのコンビでロス・カウボーイズを名乗りテキサスに遠征。WCWの開催した世界タッグ・トーナメントにもメキシコ代表として参加し、1回戦でフリーバーズに敗れているが、試合内容では完全に上回っていた。

 

エル・ドーベルマン EL DOBELMAN 1回
●狂犬仮面 ●178センチ、97キロ
●メキシコ ・ サカテカス出身
55 11(国) デビリッシュ・ファイト・S

本名デマス・ラビア。人気挽回をはかった国際プロレスがEMLLとの提携で呼んだメキシコ・レスラーの第1弾としてカルロス・プラタと共に来日した。日本ではじめてメキシコ式のキャプテン・フォール・マッチを公開して話題を集める。プラタとのコンビでは井上、浜口組のIWA世界タッグに挑戦したが惜敗した。フニャフニャした感じの不思議な動きをするレスラーだった。ペーロ・アグアヨの後輩にあたる。

 

エル・トロ・アルゼンチーノ EL TORO ARGENTINO 1回
●192センチ、125キロ ●1942年アルゼンチン出身
52 7(全) サマーアクション・S

アルゼンチン出身のレスラーでトニー・アンジェロにスカウトされてプロレス入り。カナダや米五大湖、東部地区を主戦場としていたらしいが、テレビ・マッチ専門のレスラーだったのではないだろうか?

 

エル・ハルコン EL HALCON 1回
●超能力仮面 ●180センチ、98キロ
●1952年7月23日 メキシコシティ出身 ●メキシカン・ストレッチ
●アメリカン・ヘビー、アメリカン・タッグ(ダラス版)、メキシコ・ナショナル・ヘビー、アメリカス・タッグ
53 8(全) 【特】第2次サマー・アクション・S

本名ホセ・ルイス・オルチス。メキシコではインタビュー中にアナウンサーのマイクを念力で曲げるパフォーマンスで売り出し、日本でも怪奇派の「超能力仮面」として紹介されていた。ミル・マスカラスのライバルで、メキシコと日本でそれぞれ覆面剥ぎマッチを行ない、マスクをはがされている。アメリカでも活躍し、ロスではチャボ・ゲレロとのコンビでアメリカス・タッグを獲得。テキサスではアメリカン・ヘビー級王者となり、NWAの世界ランキングにランクされる事もしばしばあったなかなかの実力者である。1984年からは再びマスクをかぶり、スーパー・ハルコンを名乗った。

 

エル・ハルコン78 EL HALCON 78 2回
●隼仮面 ●169センチ、82キロ
●1955年 メキシコシティ出身
●メキシコ・ナショナル・ライトヘビー
57 1(新) 新春黄金・S、58 7(新) サマー・ファイト・S

本名はダニー・オルチス。本家のエル・ハルコン(ハルコン・オルチス)が日本遠征中に、無断で名前を借用してデビュー。本家のハルコンを大いに怒らせた。本人も4年後に来日し、タイガーマスクと闘うが、キャリア不足の為か全くいい所なく敗れ去っている。1986年にはナショナル・ライトヘビー級王者になっている。

 

エル・ファンタスマ EL FANTASMA 1回
●幽霊仮面 ●178センチ、92キロ
●生年月日不明 メキシコ出身
59 7(旧U) UWF無限大記念日

プロフィールには、ボクシング、空手、合気道、柔道等あらゆる格闘技を身につけ、スター選手としての英才教育を受けた、とあるが、日本で二試合しかさせてもらえず、評価の対象以前のルチャドール。ファンタスマとは人気マンガの主人公の名をいただいたもの。実はこのファンタスマは2代目で初代は1960年代後半に活躍していた。UWFの宣伝写真では初代のものが使われていた。

 

エル・フリオッソ EL FURIOSO 1回
●マットの軽業師 ●178センチ、106キロ
●アルゼンチン出身
47 3(新) 旗揚げオープニング・S

来日当時はプロレス記者も全くこの男に関してわからなかったと言う無名レスラー。アメリカではトニー・ロマノのリングネームで活躍、昭和44年1月にロスに遠征した吉村道明と戦っている写真が「ダイナミック・シリーズ」のパンフレットに掲載されている。また力道山が昭和33年にブラジルに遠征した際に同名のレスラーとの対戦記録が残っているが、同一人物かどうかは不明。(資料提供:宇治金時、JOE HOOKER SRの各氏)

 

エル・ベジョ・グレコ EL BELLO GRECO 3回
●麗しのギリシャ人 ●171センチ、94キロ
●1944年メキシコ シティ出身
●メキシコ北部ミドル
55 2(新) ビッグ・ファイト・S、58 10(新) 闘魂S、64 1(新) 89 新春黄金S

本名はラウル・ガルシア・サラザール。セルヒヨ・エル・エルモソとのおかまコンビ(ロス・エクソティコス)で活躍。日本にも3回来日して人気を集めた。実力的には大したことはないが、タッグ・プレーに関してはさすがに一目置く物があった。「おかま」はあくまでもリングでのギミックで、私生活では普通に女性と結婚していたようだ。コミカルな試合で日本でも話題を集めた。露骨なオカマギミックは彼らが元祖ではないだろうか?サイン

 

エル・ポラコ EL POLACO 1回
●ポーランドからの侵略者 ●170センチ、92キロ
●1950年 メキシコ シティ出身
●UWA世界ミドル(クチージョとして)
57 7(新) サマー・ファイト・S 第1弾

本名はジャイメ・カリージョ。ウルトラマンのパートナーとして来日したメキシカンで、思い切ったラフファイトを得意としていたが、動きがコミカルで憎めない味のあるレスラーだった。リングネームは「ポーランド人」という意味で、元々はマスクマンだった。日本でも大きく紹介された怪覆面レスラー「クチージョ」(写真右)の正体だったが、日本へはなぜか素顔のエル・ポラコ名義で来日している。

 

エル・モンゴル EL MONGOL 1回
●蒙古の怪人 ●176センチ、100キロ
●1934年 メキシコ・チワワ州チワワ出身  ●クロスチョップ
●WWA世界タッグ(ロス)、アメリカス・ヘビー、ジョージア・ヘビー
41 7(日) 第一次サマー・S

本名はラウル・モリーナ。1960年代に多く出現したモンゴル出身を名乗るレスラーの一人。このエル・モンゴルは非常に小型で正体はメキシコ人。主にジョージア地区で活躍、他のモンゴル系を名乗るレスラーは巨漢のパワーファイターが多かったが、このモンゴルは非常に小柄で、狂乱ファイトを得意としていた。神様カール・ゴッチと共に来日している。ロスではゴリラ・モンスーンとの偽アジア・コンビでWWA世界タッグを獲得した。ジョージアではミスターレスリングの覆面をはぎ正体がティム・ウッドである事を暴露している。引退後はジョージアでメキシコ料理の店をオープンしたというからおかしい。

 

エル・レオン・ティニブラス EL LEON TINIBLAS 1回
●暗黒仮面 ●186センチ、115キロ
●1939年7月8日 メキシコシティ出身 ●変形バックブリーカー
●ALLL世界ジュニアヘビー、WWA世界ヘビー(メキシコ版)
49 8(新) 闘魂S

本名マヌエル・リアル・ナバロ。「暗黒仮面」と呼ばれたメキシカンで、来日前の日本では「ライオンを連れてリングに登場する獅子王」として怪奇派レスラーの一人に数えられていた。メキシカンにはめずらしい巨漢で日本でも通用するのではと、新日本プロレスが第2のマスカラスと期待して招聘した。緒戦で星野勘太郎を一蹴したが、マスカラスのようにとび技主体の試合スタイルではなかったため、期待はずれの烙印を押されてしまった。来日時はティニブラスだったが、いつの間にかティニエブラスに改名していた。

 

エルド・ボグニ ALDO BOGNI 1回
●アンデスの恐竜 ●188センチ、115キロ
●1927年ペルー出身 ●エルボースマッシュ
●NWA世界タッグ(テネシー版)、南部ヘビー(ジョージア版)
36 8(日) プロレス秋の国際試合

「アンデスの恐竜」とよばれたパワーファイター。当初はシングル・プレーヤーとして活躍したが、1960年代後半になってブロンコ・ルービッチとのコンビで活躍し、タッグの世界ランキングの常連だった。使う技はトーホールドぐらいのものだが、インサイドワークが上手かったようだ。

 

エルマンソー兄弟 → シーク・エルマンソー、エミール・エルマンソーを見よ

 

エローデス HERODES 1回
●獣人 ●178センチ、115キロ
●1950年 メキシコ・コアウィラ州出身 ●プランチャスイシーダ
●コアウィラ州ヘビー、メキシコ・ナショナル・ヘビー
56 2(国) スーパー・ファイト・S

本名はビクトル・マヌエラ・ゴンゴラ・シスネロス。メキシカンにしては珍しいパワー・ファイターで、同時に来日していたアメリカのレスラーと比べても遜色ない体力を持っていた。立派なヘビー級の体格を持っていたが、メキシカンらしく場外へのトペやプランチャなども器用にこなしていた。一度しか来日していないが、もう一度見たかったレスラーである。メキシコではNWA系で活躍した。2000年にはエル・ボリクーアなるマスクマンに変身している。(写真撮影:HARU一番様)

 

エンゼル・オブ ・デス ANGEL OF DEATH 2回
●死の天使 ●200センチ、140キロ
●1955年米・ニューヨーク州ブルックリン出身 2007年11月24日没
61 8(新) チャレンジ・スピリット 86、62 8(新) 戦国合戦シリーズ

本名はデビッド・シェルドン。元々は16戦16勝の高勝率を誇ったプロボクサーで、1985年にレッド・バスチェンにスカウトされてレスラーに転向。デビュー2年目で来日しているが、キャリアが浅い割にはなかなかの試合振りを見せた。主戦場はカナダ東部地区で大型ラフ・ファイターとして期待を集めたが、その後の消息は聞かれず、2007年に訃報が流れた。

 

ジ・エンフォーサー THE ENFORCER 2回
●侵略坊主 ●196センチ、140キロ
●1943年米・ミシガン州デトロイト ●ブレーンクロー 、火炎殺法
●WWF認定世界タッグ(ロス版)
56 1(新) 新春黄金S、56 7(国) ビッグ・サマー・S

1980年頃突然ロスに出現した悪党で正確なリングネームはジ・エンフォーサ・ルシアーノ。侵略坊主とよばれオックス・ベーカーとのコンビでロスの世界タッグを獲得。昭和56年新春黄金シリーズに来日し、坂口の北米選手権に挑戦するが、全く見せ場のないまま惨敗。北米選手権史上最弱の挑戦者だった。しかし国際プロレスには半年後にエースとして登場。女性マネで妻のバニー・キャロルを引き連れ火炎殺法を駆使し、新日本プロレスでの醜態が嘘のような活躍をした。前身はなんと幻の怪奇派レスラー ギロチン・ゴードン。得意技はクロー攻撃。(写真提供:HARU一番様) サイン

 

エンリキ・トーレス ENRIQUE TORRES 1回
●リングの魔術師 ●185センチ、110キロ
●1922年7月25日 カリフォルニア州サンタアナ出身(メキシコ・ソノーラ州、スペイン・マドリッド説もあり) 2007年9月10日没 ●コブラツイスト
●世界タッグ(ロス版)、太平洋岸ヘビー、テキサス・タッグ、ハワイ・タッグ
34 5(日) 第1回ワールドリーグ戦、34 6 (日) 夏の国際選抜戦(残留)

有名なトーレス3兄弟の長男で、日本にやって来た最初の正統派外人レスラー。リーグ戦では準決勝で同じメキシコのジェス・オルテガと引き分けながら、コイン・トスによって3位に終わっている。プロレス入り前はメキシコでボクサーを経験し、アメリカでレスラーに転向、パシフィック・コースト・ヘビー級王者になった。日本で初めてコブラ・ツイストを公開したレスラーとしても有名である。

 

エンリケ・エド ENRIQUE ED 2回
●スペインの虎 ●183センチ、98キロ
●1939年 スペイン出身
●ギリシャ・ヘビー、スペイン・ミッドヘビー
43 5(国) ワールド選抜・S、45 1(国) 新春チャレンジ・S

ジーン・フェレ・・・つまり後のアンドレ・ザ・ジャイアントをフランスの山奥から見つけ出した人物。スペイン出身で、プロレス入り前は闘牛師として国内では名を馳せた。七カ国語をあやつり、大学教授までしたほどのインテリだったという。ハンサムな風貌で人気を獲得し、ジーン・フェレのマネージャーとしても手腕を発揮したが、レスラーとしての実力は2流であった。ジョージ・レリスコウの娘婿でもある。

 

エンリケ・ベラ ENRIQUE VERA (ベラ・ロドリゲス*) 3回
●獅子王 ●178センチ、99キロ
●1947年 メキシコ・ハリスコ州グアダラハラ出身 ●メキシカンストレッチ
●UWA世界ヘビー、メキシコ・ナショナル・ヘビー
52年3月 (新) 第4回ワールド・リーグ戦 、58 5(新) lWGP決勝リーグ、60 5(新) lWGP&WWFチャンピオン・S

本名はエンリケ・ベラ・ロドリゲス。メキシコの他にもサンフランシスコやプエルトリコで活躍したルチャドールで、新日本プロレスの「第4回ワールド・リーグ戦」にベラ・ロドリゲスの名でメキシコ代表として初来日。不戦勝がひとつあった以外は全敗。6年後の第1回IWGPリーグ戦に再びメキシコ代表として参加、またもや不戦勝がひとつあった以外は全敗と言う散々な結果に終わったが、帰国後カネックを破りUWA世界ヘビー級王者となりファンを驚かせた。大型マスクマンのザ・キラーは実弟(ルイス・ベラ)である。