来日全外国人レスラー名鑑 ハ1
| ハーディ・クルスカンプ
HARDY KLUSCAMP
1回 アリゾナの毒蛇 181センチ、108キロ 1913年米・アリゾナ州 |
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| 30 7 (日) プロレス国際試合 | |
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力道山の日本プロによる3度目の国際試合シリーズに、プリモ・カルネラ、ジェス・オルテガらと共に来日したレスラーだが、かなりの老齢でレスラーとしては完全に峠を越えており、プリモ・カルネラのマネージャーとしての来日だった様だ。当時のフィルムが残っているが、これを見た限りでは物凄いオーバーアクションのレスラーでだった。後に、ミスター・クリーンに変身したとされているが・・・。 |
| バート・ベイル BURT BAIL 1回 | |
| 63 11 (U) 11・10 FlGHTlNG NETWORK | |
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新生UWFに来日し最初は全くついてこれなかったが、ラストの方はそれなりのファイトはしていた。解散後、藤原組に戦場を移したのが最後のハレ舞台で、後にK1とリングスに来日したが全然駄目だった。元”エクアドル”のキックのチャンピオンで本業は空手とキックの先生(日本の空手ではなく、いわゆるアメリカン空手。テコンドーに近い。)で門下生も多いが、はっきりいって空手&キックの実力はB級。(解説:TMKID氏) |
| ハートフォード・ラブ
HARTFORD LOVE
1回 地獄の天使 187センチ、115キロ 生年月日不明カナダ・ケベック州モントリオール :NWF世界タッグ、北米ヘビー(プエルトリコ版) |
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| 49 7 (新) サマー・ファイト・S | |
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「兄」のレジナルドとのラブ・ブラザーズとして活躍したベテランで、タッグの世界ランキングにも名を連ねた強豪であったが、なぜか日本ではレジナルドとのタッグをマッチメイクしてもらえなかったために、期待通りの活躍は出来なかったようだ。ヒッピースタイルの派手なコスチュームが売り物。NWFやIWAといった新興団体で活躍した。 |
| ハードボイルド・ハガティ
HARDBOILED HAGGERTY 1回 喧嘩狂 186センチ、118キロ 1923年米・ウィスコンシン州 :凶器攻撃 :AWA世界タッグ、ハワイ・ヘビー、ハワイ・タッグ |
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| 38 7 (日)【特】夏の国際試合、 38 9 (日) 秋の国際試合(残留) | |
| 「喧嘩狂」のニックネームの通り、喧嘩が原因で二つの退学から放校処分を受けた上、プロフットボール転向後も、追放処分を食らった根っからの喧嘩好き。日本でもバットで力道山の膝を滅多打ちにするという、桁外れの暴挙に出た。しかし私生活では、ケネディ大統領とも親交が深かく、社交界にも顔が利いたという。引退後は映画俳優として活躍、バーン・ガニア製作の「ザ・レスラー」にも出演した。本名はドナルド・ハガティ。 | |
| バーナード・ライト BERNARD RIGHT 1回 | |
| 60 1 (旧U) サンライズ・ウイークス | |
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スティーブ・ライトの実弟。来日当時はカナダのカルガリーを主戦場としていた。1983年8月にカナダ・カルガリーで高田とWWFジュニアヘビー級王座決定リーグ戦出場権を争ったモヒカン頭のレスラー、アーサー・フォーリーと同一人物だとする説もあるが別人の可能性が高い。(情報提供:黒い一羽鷹氏) |
| ザ・バーバリアン
THE BARBARIAN
1回 野生の狂神 198センチ、138キロ 1959年米・モンタナ州ボーズマン |
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| 60 11 (新) 85 IWGPタッグ・リーグ戦 | |
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大学アマレス全米選手権4位、卒業後アメフトの選手になったジョン・ノードの変身。後に「バーン・ガニア」の「AWAレスリングキャンプ」に参加してデビュー。後に当時新日本プロレスと提携していたMSWA入りの時の名前が「バーバリアン」。後にWWF転向し、「バーザーカー」(北欧の伝説人物)のギミックに転向。はっきりいってブロディの真似で木偶のレスラー。得意技はカウンターキックだったが、同時期にブロディが来日していたため気を使って試合をしていた。(解説:TMKID氏) |
| ハーリー・レイス HARLEY RACE 33回 美獣 185センチ、115キロ 1943年米・ミズーリ州セントルイス :ブレンバスター、ダイビング・ヘッドバット :NWA世界ヘビー、AWA世界タッグ、WWA世界ヘビー、ミズーリ州ヘビー、PWFヘビー |
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| 43 2 (日) ダイナミック・S、44 11 (日) NWAシリーズ、45 11 (日) インター・チャンピオン・S、47 2 (日) ダイナミック・S、48 2 (全) ジャイアント・S結集戦、48 8 (全)【特】ワールド・チャンピオン・S、49 1(全)【特】新春NWA・S、50 1 (全)【特】新春ジャイアント・S、50 12 (全)【特】オープン選手権大会、51 4(全)【特】第4回チャンピオン・カーニバル、 52 6(全)【特】NWAチャンピオン・S、 53 1(全)【特】新春ジャイアント・S、54 5 (全)【特】スーパー・パワー・S、54 10 (全)【特】ジャイアント・S、55 5 (全)【特】スーパー・パワーS、55 8 (全)【特】第2次サマー・アクション・S、56 2 (全)【特】エキサイト・S、56 10【特】(全) ジャイアント・S、56 11(全) 世界最強タッグ決定リーグ戦、57 4(全) グランド・チャンピオン・S、57 7(全)【特】サマー・アクション・S、57 10 (全)【特】ジャイアント・S、 57 11 (全) 82世界最強タッグ決定リーグ戦、58 3 (全)【特】グランド・チャンピオン・カーニバルT、58 9 (全)【特】ジャイアント・S、59 5 (全)【特】グランド・チャンピオン・カーニバルU、59 10 (全)【特】ジャイアント・S、 59 11 (全) 84世界最強タッグ決定リーグ戦、60 6 (全) 85 熱風!サマー・アクション・ウォーズ、60 8 (全) 85決戦!ダイナマイト・ウォーズ、60 11 (全) 85 世界最強タッグ決定リーグ戦、61 2 (全) エキサイティング・ウォーズ 86、61 5 (全)【特】スーパー・パワー・S | ||||
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巨漢レスラー、ハッピー・ハンフリーの実弟だといわれていたが、どうやら血縁関係はないようだ。ファンク一家の一員だったが、皮肉な事にファンク兄弟をそれぞれ世界王座からひきづり降ろした。ルー・テーズと並ぶ世界王座返り咲き記録を持つが、日本プロレスに来ていた若手の頃は、この男が世界チャンピオンになるとは、誰にも想像できなかったという。レスリングスタイルはスケールが大きくいかにも全日本プロレス向きのレスラーだったという印象がある。晩年はWWFに鞍替えし、ファンを驚かせた。引退後はプロレスラー養成所を設立し後進の指導に励んでいる。 サイン | |
| バーン・ガニア VERNE GAGNE 6回 AWAの帝王、ミネソタの虎 182センチ、112キロ 1929年米・ミネソタ州ミネアポリス :スリーパー・ホールド、ローリング・クレイドル :シカゴ地区USヘビー、AWA世界ヘビー、AWA世界タッグ、NWA世界ジュニアヘビー |
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| 45 2 (国) 【特】新春チャレンジ・S、48 9 (国) 【特】第5回lWA・ワールド・S、49 11 (国) 【特】ワールド・チャンピオン・S、51 2 (全) 【特】エキサイト・S、54 11 (国) 【特】デビリッシュ・ファイト・S、56 1 (全)【特】新春ジャイアントS | |
| ご存知AWAの帝王。元々はNWAで活躍しジュニア・ヘビー級の世界チャンピオンにもなっているが、NWAに反旗を翻し、ミネアポリスでAWAを設立。長く同世界王者に君臨した。ブッカーとしては国際プロレス、全日本プロレスと提携していたが、吉原社長をして「ガニアにはケツのまで毟り取られた」と言わしめたほど、ビジネスに関してはシビアだった。AWA崩壊後には自己破産したといわれている、悲劇のプロレス貴族。本名はラヴァーン・ガニエ。 | |
| バイオレンス・ウォーロード
VIOLENCE WARLOAD
1回 筋肉武将 191センチ、125キロ 1962年米・ミネソタ州ミネアポリス |
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| 62 6 (新) ビッグ・サマー・ファイト・S | |
| ミネアポリスの出身で、用心棒をしていたところをロード・ウォーリアーズの育ての親であるエディー・シャーキーにスカウトされてプロレス入り。中西部地区を中心に活躍し、日本でも粗削りながら豪快な暴れぶりを見せた。コンガ・ザ・バーバリアンとコンビを組み活躍するが、チーム解散後は伸び悩み、結局は大成しなかった。本名はテリー・スピンスキー。 | |
| ザ・バイキング
THE VIKING 1回 北海の獅子王 178センチ、107キロ エルサルバドル |
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| 51 2 (国) スーパー・ファイト・S | |
| 国際プロレスの「スーパー・ファイト・シリーズ」に来日が予定されていたバッド・サモアンの代打で来日したレスラー。バイキングといえば北欧系と相場が決まっているが、この男はどう見ても南米系である。体が小さくほとんど活躍できなかった。昭和54年に全日本プロレスに参加が決定していたが、キャンセルされている。 | |
| バイキング・ハンセン VIKING HANSEN 北海の野獣 190センチ、148キロ 1931年デンマーク・オーフス |
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| 40 9 (日) ハリケーン・S | |
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エリック・ザ・アニマルの前身。シリーズ終了後に大木金太郎らと共に韓国に遠征し5カ国対抗トーナメントに出場した。 詳細はエリック・ザ・アニマルの項を参照のこと。 |
| バグジー・マグロー
BUGSY McGRAW (マイティ・ブルータス*、ザ・ブルート**
) 5回 鮮血の荒熊 190センチ、137キロ 1945年米・ノースカロライナ州シャーロッテ :ボディスプラッシュ :南部タッグ、USヘビー(シスコ版)、フロリダ・ヘビー、フロリダ・タッグ |
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| 47 3 (日) 第14回ワールドリーグ戦 *、49 3 (国) チャレンジ・S **、53 4 (新) 第1回MSGシリーズ、 56 5 (全) スーパー・パワー・S、59 3 (全)【特】 グランド・チャンピオン・カーニバルT | ||
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元々はテキサス地区でビューティフル・ブルートの名で活躍していたベテラン・レスラーで、日本へはマイティ・ブルータス、ザ・ブルートと名を変えて来日。バグシー・マグローでは新日本プロレスのMSGシリーズと全日本プロレスに参加。MSGシリーズでは決勝リーグに進出とまずまずの活躍。ベビーフェイス転向後の全日本プロレスへの来日時はアブドーラ・ザ・ブッチャーに喧嘩を売って男を上げた。昭和59年の来日時はスタン・ハンセンのPWFヘビー級選手権に挑戦するなど、なぜか高待遇を受けた。本名はマイク・デーヴィス。 | |
| ハクソー・ジム・ドゥガン HACKSAW JIM DUGGAN 3回 豪獣 182センチ、125キロ 1954年米・ニューヨーク州ニューヨーク :タックル :ルイジアナ州ヘビー、南部タッグ |
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| 56 8 (新) ブラディ・ファイト・S、61 1 (新)【特】 ニューイヤー・ダッシュ 86、61 8 (新) チャレンジ・スピリット 86 | |
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フットボール出身のレスラーで、長い下積みの後、MSWA地区でスターとなる。昭和56年の初来日では、野人ギミックの木偶の坊との印象しかなかったが、昭和61年の再来日ではエースとしての扱いを受け、猪木を大いに苦しめた。その後は、労働者ギミックでWWFで大ブレイク。ギミックに重点を置くあまり、ろくな試合をしない様になってしまったのが惜しまれる。本名はジェームス・ドゥガン。 |
| ハクソー・ヒギンズ HACKSAW HIGGINS 5回 のこぎり男 192センチ、127キロ 1957年米・ミズーリ州セントジョセフ :バックフリップ :セントラルステーツ・ヘビー |
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| 60 3 (新) ビッグ・ファイト・S 第1弾、60 8 (新) チャレンジ・スピリット85、60 11 (新) 85 IWGPタッグ・リーグ戦、61 7 (新) バーニングスピリット・イン・サマー、62 5 (新) 87 lWGPチャンピオン・S | |
| UWF地区を中心に活躍した大型レスラーで、当時UWFと提携していた新日本プロレスに初来日。知名度は低かったが、来日第一戦のアントニオ猪木とのシングル・マッチで、豪快なバックフリップで猪木を失神させ(デビッド・シュルツの乱入&ミスター高橋の不可解な裁定により反則負け)日本のファンの度肝を抜いた。しかし、来日するたびにトーンダウン。知らぬまに来日しなくなった。一説には盗みぐせが出世を阻んだという。使い方次第では第2のハンセンになり得た素材だけに惜しい。 | |
| バジル・リッキー
BASIL RIKEY 1回 英国の刺青男 183センチ、108キロ イギリス・ケント州アシュフォード |
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| 46 10 (国) ビッグ・チャレンジ・S | |
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イギリス出身のレスラーで高校時代からアマレスでは知名度が高かったが、高校卒業後はスカウトされてテレビタレントになる。しかし足の引っ張り合いの多い芸能界に嫌気がさし、気に食わない連中を片っ端から殴りつけてプロレス界に飛び込んだという。イギリスではダニー・リンチとコンビを組んでいたが、リッキーは正統派ファイトで通していた。日本では「ロビンソン2世」といわれ、注目されたが結局は期待はずれに終わった。セーラー・ホワイト張りに全身に彫った刺青がトレードマーク。 |
| バズ・ソイヤー
BUZZ
SAWYER 6回 無双の虎 183センチ、118キロ 1959年6月14日米・フロリダ州セントピータースバーグ :パワースラム :ナショナル・ヘビー(ジョージア版)、世界タッグ(カロライナ地区) |
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| 59 10 (全) 【特】ジャイアント・S、62 1 (新) ニューイヤー・ダッシュ 87、62 6 (新) ビッグ・サマー・ファイト・S、63 1 (新) 88 新春黄金・S、 63 7 (新) サマー・ファイト・S、 63 11 (新) 88 ジャパンカップ・S | |
| テリー・ソイヤーのリングネームでテネシー地区でデビュー。当時はガリガリでジュニア・ヘビー級の体格しかなかった。ジョージア地区に転出してから、オレイ・アンダーソンとのコンビでナショナル・タッグ王者となり売り出す。183センチと小柄ながら、クレイジーなラフファイトで人気を博した。正統派転向後はブレッド(ハック)・ソイヤーが実の兄弟であることを公表し、タッグも結成するようになった。日本ではマニー・フェルナンデス(レイジング・ブル)とのコンビで人気を呼んだが、薬物の副作用により急死。ファンを悲しませた。必殺技はパワースラム。 | |
| バズ・タイラー
BUZZ TYLER 2回 183センチ、135キロ 1946年米・テネシー州ノックスビル :アバランシュホールド :セントラル・ステーツ・ヘビー、同タッグ |
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| 58 8 (全) スーパー・パワー・S、59 5 (全) グランド・チャンピオン・カーニバルU | |
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1966年にノースカロライナでデビュー。カンサスに転戦してからは引退するまでカンサスを中心としたセントラル・ステート地区で活躍したローカル・ヒーロー。スタイルとしては地味なラフ・ファイターだった。WWFの台頭により、彼のようなローカル・ヒーローは、あっという間にアメリカ・マット界から駆逐されてしまった。日本ではハーリー・レイスのパートナーに起用された。ボビー・ジャガースとはいとこだという説もある。 |
| バスター・マシューズ
BUSTER
MASHUES 187センチ、125キロ 1946年カナダ・ケベック州ジョンケベール |
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| 46 3 (国) 第3回IWAワールド・S | |
| フランス系のギレス・ポアゾンの変名。来日前は素顔の写真が雑誌に掲載されたが、マスクを付けて来日していた。 ギレス・ポアゾンの項参照。 |
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| バスター・ロイド
BUSTER LLOYD 黒い重戦車 185センチ、124キロ 1944年米・サウスカロライナ州クリオ |
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| 44 1 (日) 新春チャンピオン・S | |
| 黒人レスラーの実力者ルーファス・ジョーンズの前身。 詳細はルーファス・ジョーンズの項参照。 |
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| バック・ズモフ BUCK ZUMOHFE 1回 狂乱のロックンローラー 180センチ、108キロ 1955年カナダ・ケベック州モントリオール :AWA世界ライトヘビー |
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| 55 5 (全) スーパー・パワーS | |
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AWAで活躍した選手で長く下積みをしていたが、学生時代からロックバンドを結成していた事もあり巨大なラジカセを片手に入場するギミックを取り入れ、「ロックン・ロール」を名乗るようになってからは人気爆発。AWA世界ライト・ヘビー級王者にもなっているが、実力の方はもうひとつだった。AWA崩壊後は、WWFでTVマッチに出場していたが、すぐに消息を聞かなくなった。 |
バック・ラムステッド → ボブ・ラムステッドを見よ。
| バック・ロブレイ
BUCK ROBLEY(フィル・ロブレイ*) 4回 悪の仕掛け人 185センチ、115キロ 1942年米・インディアナ州インディアナポリス |
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| 45 2 (日) ダイナミック・S*、45 2 (日)アイアンクロー・S(残留)*、47 5 (日)第一次 ゴールデン・S、56 10 (全) ジャイアント・S、57 3 (全) 第10回チャンピオン・カーニバル | |
| デビュー当時はフィル・ロブレイのリングネームで活躍。1971年に交通事故に遭い、再起不能といわれたが、カムバック。しかし、レスラーとしては大成せず、マネージャーを兼業するようになる。全日本プロレス来日時は、ブルーザー・ブロディのマネージャーの役割もかね、ブロディとハンセンのドッキングを成功させた。当時としては珍しくTシャツを着用して試合に臨んだ。チャンピオン・カーニバルではビル・ロビンソンの足を引っ張り優勝戦線から脱落させた試合がひかる。本名はフィリップ・ロブレイ。 | |