来日全外国人レスラー名鑑  ハ2

 

 

パット・オコーナー PAT O'CONNER 7回
●魔術師 ●185センチ、112キロ
●1924年8月22日 ニュージーランド・ウェリントン出身(オークランド出身説もあり) 1990年8月16日没 ●オコーナーズ・ロールアップ、ドロップキック
●インターナショナル・ヘビー(モントリオール版)、ロッキーマウンテン・ヘビー、オハイオ・ヘビー、英連邦ヘビー(モントリオール版、ニュージーランド版)、NWA世界ヘビー、セントラルステーツ・ヘビー、NWA世界タッグ(セントラルステーツ版)、AWA世界タッグ、WWA世界タッグ(インディアナ版)
38 4 (日)【特】第5回ワールドリーグ戦、48 2 (全)【特】ジャイアント・S結集戦、48 8 (全)【特】ワールド・チャンピオン・S、49 11 (全)【特】NWAチャンピオン・S、50 12 (全)【特】オープン選手権大会、53 5【特】(全) エキサイト・S、57 1 (全)【特】新春ジャイアント・S
本名はパトリック・J・オコーナー。第42代NWA世界ヘビー級選手権者。ニュージーランドの出身で、同地でアマレス、フットボールで活躍した後に、アメリカでプロレスラーとなる。魔術師というニックネームからも分かるように、変幻自在のテクニックを駆使したファイトで、ディック・ハットンから世界選手権を奪った。得意技はオコーナーズ・ロール・アップと呼ばれた後方回転エビ固め。日本プロレスには一回来日しただけに終わったが、馬場の評価は高く、全日本プロレスには6回にわたり来日している。引退後はセントルイス地区でブッカー兼レフェリーとして活躍したが1990年肝臓ガンのため死去。サイン

 

バッド・カーチス BUD CURTIS 1回
●中米の砲弾男 ●178センチ、106キロ
●1922年 米・ネブラスカ州出身
●中南米タッグ、パシフィックコースト・タッグ、ハワイ・タッグ
30 7 (日) プロレス国際試合

ジェス・オルテガとともに中南米タッグ選手権者として来日したが、果してそのようなタイトルが実在したかどうか全く不明。力道山の空手チョップの猛攻にし失神し、担架で運ばれる醜態を見せてしまった。アメリカでは太平洋岸で活躍した選手で、プリモ・カルネラとのコンビで太平洋岸タッグ選手権を保持していたこともある。

 

パット・ケリー PAT KELLY 3回
●双子の殺人鬼 ●186センチ、110キロ
●1948年 カナダ・オンタリオ州カークランドレイク出身 1988年7月4日没 
●インターナショナル・タッグ(カリガリー版、トロント版)、カナディアン・タッグ(バンクーバー版)、ガルフコースト・タッグ、セントラルステール・タッグ、AWA南部タッグ
54 9 (国) ダイナマイト・S、60 3 (新) ビッグ・ファイト・S 第1弾、60 11 (新) 85 IWGPタッグ・リーグ戦
本名はビクター・アルコ。国際プロレスのポスターでは「キリー」と表記されていたが、ここでは一般に使用されているケリーとする。高校時代からアマレスを始め1967年にフランク・タニーにスカウトされてプロレス入り。双子の弟マイクとのケリー・ツインズでカナダを主戦場に活躍。実力の方はそれほどでもなかったのだが、双子タッグ特有の摩り替わり戦法など味のある試合を見せた。IWGPタッグリーグでは最下位に終わったが、ファンの受けは悪くなかった。1988年にアドリアン・アドニスとともにサーキット中に交通事故で死亡している。カナダでは兄弟でCMに多数出演する人気タレントでもあった。サイン

 

バッド・コディ BUD CODY 1回 
●無頼の無宿人 ●182センチ、104キロ
●1938年 オーストラリア・シドニー出身
44 10 (国) IWA世界タッグ挑戦S
IWA世界タッグ挑戦シリーズにゴードン・ネルソンとの「無宿人」コンビで参加した選手。以下同シリーズのパンフより抜粋。「17歳でアマレスを習い、「これが天職だ」と20歳でプロ入りしたが、将来の旅行好きから、故郷にじっとしておらず、まずシンガポールをふり出しに、放浪の旅に出た。キングコングにほれ込まれ、東南アジアをあばれまわり、インド選手権者のダラ・シンとの試合では、第1戦に6万人、第2戦に10万人の大観衆を集めて、二度とも引き分けている。この実力と人気を買われてヨーロッパに呼ばれ、ランキング・レスラーを痛めつけて歩いているのをアメリカのプロモーターが聞き、アメリカに呼ばれてまたひと暴れ。現在は太平洋岸をのし歩いている」

 

パット・タナカ → 外国人留学生名鑑を見よ

 

バッド・ニュース・アレン (バッファロー・アレン*) BADNEWS ALLEN 29回
●黒い猛牛 ●187センチ、120キロ
●1943年10月22日 米・ペンシルバニア州ハリスバーグ出身(ニューヨーク州ニューヨーク出身説もあり) 2007年3月6日没 ●ブレーンクロー
●アメリカス・タッグ、北米ヘビー(カルガリー版)、ポリネシアンパシフィック・ヘビー、バハマ・ヘビー、フロリダ・ヘビー
5211(新)格闘技世界一決定戦*5211(新)【特】闘魂S*、55 1 (新) 新春黄金S *、55 2 (新) ビッグ・ファイト・S、55 4 (新) 第3回MSG・シリーズ、55 6 (新) サマー・ファイト・S、55 8 (新) ブラディ・ファイト・S、55 11 (新) 第1回MSGタッグ・リーグ戦、56 1 (新) 新春黄金S、56 7 (新) サマー・ファイト・S、 56 8 (新) ブラディ・ファイト・S、56 10 (新) 10・8新日本VS国際全面対決、 56 10 (新) 闘魂S(残留)、56 11 (新) 第2回MSGタッグ・リーグ戦、57 1 (新) 新春黄金・S、57 4 (新) ビッグ・ファイト・S、57 10 (新) 闘魂S、58 3 (新) ビッグ・ファイト・S第1弾、58 8 (新) ブラディ・ファイト・S、59 1 (新) 新春黄金S、59 6 (新) サマー・ファイト・S、 59 10 (新) 闘魂S、60 3 (新) ビッグ・ファイト・S 第1弾、60 6 (新) バーニング・スピリット・イン・サマー、 60 10 (新) バーニングスピリット・イン・オータム、61 7 (新) バーニングスピリット・イン・サマー、61 10 (新) 闘魂・S、62 4 (新) ブレイジング・チェリー・ブロッサム・ビガロ 87、62 6 (新) ビッグ・サマー・ファイト・S、62 10 (新) 闘魂S

本名アレン・コージ。柔道の胴メダリストの実績を引っさげ新日本プロレスの格闘技戦線に参加、新日本プロレスの練習生となる。後にバッファロー・アレンの名でロスでレロイ・ブラウンとの抗争で名前を売り、一躍ロス地区のトップに躍り出た。1980年にバッド・ニュース・アレンに改名。同じく柔道から転向したウイリエム・ルスカとは比較にならないほどプロレスのセンスがあった。また喧嘩にも滅法強くアンドレもビビらせた武勇伝を持つ。ブッチャー軍団で二番手として頭角をあらわすが、ボスのブッチャーに造反している。バッドニュース・ブラウンに改名後はWWFのトップ・エベンターとなった。2007年3月6日に急死。

異種格闘技戦出場選手名鑑 バッファロー・アレンの項も見よ。

 

パット・パターソン PAT PATTERSON 6回
●シスコの帝王 ●180センチ、115キロ
●1941年1月19日 カナダ・ケベック州モントリオール出身 ●足4の字固め
●USヘビー(シスコ版)、NWA世界タッグ(シスコ版)、AWA世界タッグ、WWF北米ヘビー、インターコンチネンタル・ヘビー、カナディアンインターナショナル・タッグ(モントリオール版)
43 4 (日) 第10回ワールドリーグ戦、48 12(新) ワールドタイトル・チャレンジS、51 10 (新) 闘魂S第2弾、52 11(新)【特】闘魂S第2弾、 54 10(新)【特】闘魂S、56 11 (新) 【特】第2回MSGタッグ・リーグ戦
本名はピエール・クレモン。日本でのプロフィールでは1938年生まれとなっていたが、実際は1941年生まれで3歳逆にサバを読んでいた事になる。NWA、AWA、WWFの3団体を股にかけて活躍したレスラーで、キラー・コワルスキーのコーチを受けてプロレスラーとなる。サンフランシスコではUS選手権、AWAではレイ・スチーブンスとのコンビで世界タッグ、WWFではインターコンチネンタル選手権と、各団体の主要タイトルを獲得するなどタイトルには恵まれた選手。特にサンフランシスコでは長く活躍、シスコの帝王と呼ばれた。また修行時代の猪木とはライバルであり、親友であった。人望も厚く、来日の際は同行したレスラーの纏め役となった。引退後もWWFの首脳として活躍、時折リングにも上がっていたが、2004年に退社している。

 

バッド・バッド・レロイ・ブラウン → クレージー・レロイ・ブラウンを見よ

 

バッド・ラーテル BUD RATELLE 1回
●カナダの海賊 ●182センチ、107キロ
●1922年 カナダ・ブリティッシュコロンビア州バンクーバー出身
45 9 (日) 第1回NWAタッグリーグ戦

「第1回NWAタッグリーグ」にフランキー・レインのタッグ・パートナーとして来日したベテラン・レスラー。海兵隊時代はボクシングのライト・ヘビー級王者にもなった格闘家。除隊後にレン・ロシイの口利きでプロレス入り。テネシー地区を主戦場としていたため、来日当時は上田馬之助や松岡巌鉄あたりとライバル関係にあったようだ。サイン

 

パット・ローチ PAT ROACH 2回
●ミッドランドの大砲 ●194センチ、108キロ
●1937年5月19日 イギリス・バーミンガム出身 2004年7月17日没 ●変形スープレックス
●大英帝国ヘビー、ヨーロッパ・ヘビー
44 2 (国) 国際ゴールデン・S、47 9 (新) ニュー・ゴールデン・S
本名はフランシス・パトリック・ローチ。「ミッドランドの大砲」と呼ばれたレスラーで、プロレス入りする前は柔道のイギリス王者にもなった格闘家。ビル・ロビンソン渡米後のイギリス重量級を支えた。しかし本人もイギリス・マット界に見切りを付け、新日本プロレスに参加後、その足でロサンゼルスのリングに登場し太平洋岸地区に定着。引退後は帰国してレスラーを育成。その一方で、「時計じかけのオレンジ」「レイダース/失われたアーク」「インディジョーンズ/魔宮の伝説」など、ハリウッド映画にも数多く出演していた。

 

バッドボーイ BADBOY
●暴走野郎 ●180センチ、125キロ
●1934年 米・ペンシルバニア州フィラデルフィア出身 1998年7月没
●オーストラリア・ヘビー、トライステーツ・タッグ
45 1 (国) 新春チャレンジ・S
本名はフランク・シールド。カナダを主戦場としていた選手で、1966年にオーストラリアに遠征したときにはオーストラリア選手権を獲得している。雑誌ではバッドボーイ・シールドと紹介されていたがここでは国際プロレスのパンフの表記に従った。日本で知り合ったバーン・ガニアにスカウトされてAWAに入りブル・バリンスキーに改名。

詳細はブル・バリンスキーの項参照。

 

バッファロー・ザリノフ 1回 
●猛牛 ●192センチ、120キロ
●1939年2月13日 カナダ・ケベック州モントリオール出身 ●コブラクラッチ
●ミッドアメリカン・ヘビー、テネシー・ヘビー、WWWFタッグ、WWA世界タッグ(インディアナ版)、カナディアン・ヘビー(バクーバー版)
47 9 (国) ダイナマイト・S
本名はピエール・ラフレアー(Pierre Lafleur。マッドドッグ・バションにスカウトされてプロレス入り。きっかけはバションとのケンカだというが、バションはケンカした相手をスカウトすることが非常に多かったようだ。デビュー当時はザリノフ・ルブーフ(Zarinoff Lebeouf)のリングネームで活躍し、モントリオールではギル・ポワゾンとのタッグでケベック州認定のタッグ選手権を保持していた。アメリカに武者修行に出てテネシーでラシアン・ストンパーを名乗り売り出す。後にWWWF地区に転出し、ピエール・ランバージャックに改名、エリック(スコット・アーウィン)とのユーコン・ランバージャクスでWWWF認定タッグ選手権を獲得している。80年代にはイゴール・ゴルコフに改名して五大湖周辺やカナダで活躍している。

 

バディ・ウォルフ (レス・ウォルフ*、ブルー・ディモン **) BUDDY WOLFE(WOLFF) 4回
●ミネソタの新星 ●188センチ、125キロ
●1944年 米・ミネソタ州セントクラウド出身 ●パワースラム
●USタッグ(オクラホマ版)、テキサス・ヘビー、フロリダ・ヘビー
45 7 (国) ビッグ・サマー・S*、45 9 (国) ダイナマイト・S **(残留)、48 6 (国) ビッグ・サマー・S、49 11 (国) ワールド・チャンピオンS、51 4 (全) 第4回チャンピオン・カーニバル
AWAとWWWFで活躍した中堅レスラー。レス・ウォルフ時代は、本格派テクニシャンとして期待を集めたが、改名後はB級のラフ・ファイターに成り下がった。日本には国際プロレスと全日本プロレスに来日しているが中堅あたりに負ける事もあったようだ。MSGでバーン・ガニアのAWA世界タイトルに挑戦する抜擢を受けた事もある。マッドドッグ・バションの妹でレスラーのヴィヴィアン・バションと結婚した事でも知られる。ラーズ・アンダーソンとのコンビでも活躍している。

 

バディ・キラー・オースチン BUDDY KILLER AUSTIN 7回
●狂犬 ●188センチ、118キロ
●1923年 米・カリフォルニア州サンフランシスコ出身 1981年8月12日没 ●
パイル・ドライバー
●南部ヘビー(フロリダ版)、セントラルステーツ・ヘビー、アジア・タッグ(日本プロレス)、WWWF/USタッグ、WWA世界ヘビー、WWA世界タッグ(ロス版)、テキサス・ヘビー、ハワイ・タッグ、北米タッグ(セントラルステーツ版)
37 4 (日) 第4回ワールドリーグ戦、37 5 (日) プロレス選抜戦(残留)、38 9 (日)【特】秋の国際試合、38 11 (日)インター選手権・S(残留)、39 1 (日)新春国際試合(残留)、42 1 (日) 新春・S、42 3 (日)MSGシリーズ(残留)、43 2 (日) ダイナミック・S、44 9 (日) ダイヤモンド・S、 44 11 (日) NWAシリーズ(残留)、46 9 (日) 第2回NWAタッグ・リーグ戦、47 9 (国) ダイナマイト・S、47 11(国)ビッグ・ウインター・S(残留)
本名はオースティン・ロジャース。デビュー当時はフランシス・ガボールと名乗り、ジョン・ガボール(フリッツ・フォン・ゲーリング)とのコンビで活躍した。力道山時代以来の常連で、巡業中の汽車で知り合った日本人女性を婚約した事もある。若手レスラーを二人試合中のアクシデントで死なせてしまい、それが売りになっていたのだが、本人はその事で悩み酒浸りとなり、晩年には会場を廻りレスラー仲間に酒代をせびるまでに落ちぶれたといわれている。これを見た馬場が黙って札をポケットにねじ込んだというイイ話もある。しかし酒が原因で体調を崩し1981年に死亡。

 

バディ・コルト BUDDY COLT 1回
●若駒 ●186センチ、112キロ
●1940年 米・メリーランド出身(ニューヨーク州ブルックリン出身説もあり) ●パイルドライバー
●セントラルステート・ヘビー、ハワイ・ヘビー、北米ヘビー(アマリロ版)、ウエスタンステーツ・タッグ(アマリロ版)、USAヘビー(国際プロレス)、ジョージア・ヘビー、南部ヘビー(フロリダ版)、フロリダ・ヘビー
44 9 (国) ロイヤル・S44 10(国)IWA世界タッグ挑戦シリーズ(残留)

本名はロン・リード。アメリカではカウボーイ・ロン・リードとして活躍、日本でもロン・リードのリングネームで知名度はあったにもかかわらず、来日時はジョージア地区で名乗っていたバディ・コルトを名乗った。USAヘビー級選手権者として来日。シャチ横内の挑戦は退けたものの、ストロング小林に王座を奪われ無冠のまま帰国した。しかしこのタイトルは国際プロレスのお手盛りの可能性が高い。来日中はゴージャス・ジョージ・ジュニアとのコンビで人気を呼んだ。帰国後はバディ・コルトとしてブレイク、ジョージア、フロリダ地区で長くトップを張ったが、1975年2月20日に起きたボビー・シェーンが死亡した墜落事故を起こした飛行機に同乗しており、足に重傷を負い選手生命を絶たれた。

 

バディ・モレノ BUDDY MORENO
●黒豹 ●175センチ、109キロ
●1938年4月22日 ベネズエラ・カラカス出身 ●回転エビ固め
●テキサス・ヘビー、北米ヘビー(カルガリー版)、セントラルステーツ・ヘビー、北米タッグ(セントラルステーツ版)、カリビアン・ヘビー
43 9 (日) ダイヤモンド・S
サイクロン・ニグロの異母弟。オーストラリアやニュージーランドで長く活躍したテクニシャン。来日時は大相撲の高見山に良く間違えられたという。

詳細はオマール・アトラスの項参照。

 

バディ・ランデル BUDDY LANDELL 1回
●野生の爆弾児 ●188センチ、110キロ
●1961年8月17日 米・ケンタッキー州ルイビル出身
●ミッドアメリカン・ヘビー、WWC北米ヘビー、WWC北米タッグ、カリビアン・タッグ、ナショナル・ヘビー(ジョージア版)、AWA南部ヘビー、コンチネンタル・ヘビー(テネシー地区)
63 1 (全) 88 新春ジャイアント・S
本名はウイリアム・アンソー。味のある中堅で、テネシーCWAでは何度となくミッドアメリカ・ヘビー級王座に君臨。プエルトリコでは北米ヘビー、、テリー・ギッブスとのコンビで北米タッグを獲得している。その後NWAクロケット・プロで、リック・フレアーそっくりのスタイルで売り出した。来日時は振るわず、ポール・ハリス(=トム・タイロン)と組んで田上のデビュー戦の相手を務めたものの、途中帰国してしまった。(情報提供:黒い一羽鷹氏)

 

バディ・ローズ (ポール・パースマン*) BUDDY ROSE 5
●プレイボーイ ●186センチ、148キロ
●1950年 米・ワシントン州バンクーバー(ミネソタ州説もあり) 2009年4月28日没 ●ワンハンドバックブリーカー
●パシフィックノースウエスト・ヘビー、パシフィックノースウエスト・タッグ、USヘビー(シスコ版)、NWA世界タッグ(シスコ版)、AWA世界タッグ、カナディアン・タッグ(バンクーバー版)、南部タッグ(ノックスビル版)
50 11 (全) 第2弾ジャイアント・S *、57 4 (新) ビッグ・ファイト・S、58 4 (新) ビッグ・ファイト・S 第2弾、59 1(新)【特】新春黄金S、 59 6 (新) サマー・ファイト・S
本名はポール・パースマン。ビル・ロビンソン、ニック・ボックウィンクルのコーチを受けてAWA地区で本名デビュー。ロサンゼルスを経て、パシフィック・ノース・ウエスト地区で活躍。同地区で、ジミー・スヌーカやリック・オリバーらとのパシフィック・ノースウェスト選手権をめぐる抗争で、一躍スターとなる。新日本プロレスに来日した後にWWFに登場。MSGでボブ・バックランドに挑戦するまでに出世したが、この時期が彼の絶頂期であろう。その後AWAに出戻りダグ・サマーズとのコンビで世界タッグを獲得している。プロレス学校を経営していたが、2009年4月28日に56歳の若さで死去。

オフィシャルサイトは http://www.playboybuddyrose.com/

 

バディ・ロバーツ BUDDY ROBERTS 7回
●金髪の小型爆撃機 ●182センチ、110キロ
●1947年 カナダ・ブリティッシュコロンビア州バンクーバー ●クロスライン
●USタッグ(トライステーツ版)、フロリダ・タッグ、アメリカス・タッグ、NWA北米タッグ(新日本プロレス)、ミッドアトランティック・タッグ、テキサス・ヘビー、ミッドサウス・タッグ、NWA世界6人タッグ、WCWA・TV、UWF・TV
46 10 (国) ビッグ・チャレンジ・S、46 11 (国) ビック・ウインター・S(残留)、49 1 (国) 新春パイオニア・S、50 8 (新) 闘魂S、51 5 (新) ゴールデン・ファイト・S、53 1 (新) 新春黄金S、54 8 (新) ブラディ・ファイト・S、59 10 (全) ジャイアント・S
本名はデール・ジョージベイ。ジェリー・ブラウンとのハリウッド・ブロンドス(ブロンド・ボンバーズ)で、全米のタッグ・タイトルを総ざらいにしたタッグの名手。ジェリーとのチーム解散後は、デール・バレンタインに改名し、ジョニー・バレンタインをマネージャーに南東部でシングルに専念。その後、マイケル・ヘイズとテリー・ゴディのファビュラス・フリーバーズのマネージャー兼メンバーとなり、最後の一花を咲かせた。一流のB級レスラー。

 

ザ・パトリオット THE PATRIOT 1回
●流星仮面 ●182センチ、108キロ
●南部タッグ、USタッグ、NWA世界タッグ、ミッドアメリカ・タッグ(いずれもミッドアメリカ版)、ジョージア・ジュニアヘビー、テネシー・タッグ、NWA世界ライトヘビー(オーストラリア版)
49 1 (全) 新春NWA・S
正体はボビー・ハート(写真右)。「レスリング・マンスリー」に連載されていた漫画の主人公を頂いたギミックで、1973年にアマリロ地区に突如出現し翌年、全日本プロレスに登場。後に2号も出現しタッグを組んでいた。帰国後、素顔でNWA世界ジュニアヘビー級王者としてオーストラリアに遠征。ロン・ミラーにタイトルを取られるものの取り戻す。当時、NWA世界ジュニアヘビー級王者のケン・マンテルがオーストラリア遠征をキャンセルしたため、変わりに王者としてオーストラリアに飛んだわけである。ボビー・ハートがニセ王者であったことはいうまでもないパトリオット変身前にはテネシーでザ・スポイラーズとして活躍していた。(情報提供:Joe Hooker Sr.様)

「未来日外国人レスラー名鑑」のザ・スポイラーズも見よ

 

ハバナ・ザ・テラー HAVANA THE TERROR 1回
●ハバナの殺し屋 ●182センチ、120キロ
●生年月日不明
63 5 (全) 88 スーパー・パワー・S
本名はジュリアス・ネリス。プエルト・リコ経由でやってきた大型マスクマン。相当な強豪を期待されたが、全くの木偶の坊で、主に前座試合に出場していたようだ。レスラー転向前は空挺部隊にいたとか。巨体を利してのサマーソルト・ドロップ(というより単なるデングリ返し)のみが印象に残った。(解説:黒い一羽鷹様)

 

バブロ・ルゾン PABRO RUSON 1回
30 10 (旧全) プロレス国際大試合
フィリピン出身。ミスター・ジュニア・アメリカととも全日本プロレス協会に参加。レスリングはパッとしなかったが、リングコスチュームは見せるプロレスとして最高だった。(昭和45年別冊ゴング6月号来日外人レスラー名鑑より:情報提供管様)

 

ザ・バラクーダ THE BARACUDA
海賊仮面 198センチ、113キロ
1935年 イタリア・ミラノ出身 ジャンピング・パイルドライバー
●NWA世界タッグ、南部タッグ(いずれもテネシー版)、IWA世界ヘビー、IWA世界タッグ(いずれもオーストラリア版)、オーストラアジアン・ヘビー、オーストラアジアン・タッグ
50 1(全)【特】新春ジャイアント・S、51 4 (全) 第4回チャンピオン・カーニバル
本名はマリオ・ブルフォネ。ザ・デストロイヤーの覆面十番勝負の相手として来日した大型マスクマン。正体はご存知のようにマリオ・ミラノである。素顔の時よりもバラクーダとしてマスクを被った時の方が、暴れっぷりは良かった。このバラクーダというギミックは日本限定のものだった様である。

マリオ・ミラノの項も見よ。

 

バリー・ウインダム BARRY WINDHAM 2回
●蒼き狼 200センチ、115キロ
1960年7月4日 米・テキサス州スウィートウォーター出身 ドロップキック
●フロリダTV、フロリダ・ヘビー、フロリダ・タッグ、南部ヘビー(フロリダ版)、USタッグ(フロリダ版、ミッドアトランティック版)、ウエスタンステーツ・ヘビー、USヘビー(ミッドアトランティック版)、NWA世界ヘビー、WWF世界タッグ、WCW世界タッグ
58 11 (全) 84世界最強タッグ決定リーグ戦、61 1 (全)【特】ニューイヤー・ウォーズ・スーパーバトル86
ブラックジャック・マリガンの長男で、弟のケンドールもレスラー。父譲りの長身を生かした豪快なファイトで、フロリダを中心に人気者となる。マイク・ロトンドとのUSAエキスプレスでWWFに移籍、WWF世界タッグを獲得。さらにWCWに移籍、ここで念願のNWA世界ヘビーを獲得するが5ヶ月で転落している。1990年代後半にWWFに復帰、ここでブラックジャックスのギミックで登場した姿は、父親の生き写しであった。

 

バリー・ガスパー BARRY GUSPER
192センチ、121キロ
1958年 カナダ・オンタリオ州ウインザー出身
●グランプリ・タッグ(マリタイム版)、カリビアン・ヘビー
63 5 (新) 88 lWGPチャンピオン・S、63 8 (新) 88 戦国S
カナダのレスラー、ザ・ジャッカル(=ジェイソン・ザ・テリブル)の変身。

詳細はザ・ジャッカルの項参照。

 

ハリー・ジャーニイ HARLEY JOURNEY
30 12(旧国) プロレス国際大試合、31 12(亜)プロレス国際試合
旧国際プロレスがシリーズ途中にハワイから呼び寄せた。1950年度ミスター・ユニバース準優勝。(昭和45年別冊ゴング6月号来日外人レスラー名鑑より:情報提供 管様)

 

バリー・ダグラス BARRY DOUGLAS 1回
●178センチ、104キロ ●1942年 イギリス出身
43 4 (国) 日欧チャンピオン決戦S
ジョイント・プロモーションのプロモーターとして有名なジョージ・レリスコウの息子(甥という説もある)で本名はバリー・デ・レリスコウ。アマレスを経て1960年にプロレスに転向した。その後、スペイン、フランスに遠征。さらにドイツやオーストラリアのトーナメントで上位入賞を果たす。1980年代には南アフリカにも遠征し、キラー・ダグラスで悪役として活躍した。

 

ハリウッド・ブロンドス → ジェリー・ブラウン、バディ・ロバーツを見よ。