来日全外国人レスラー名鑑 ハ2
| パット・オコーナー PAT O'CONNER 7回 魔術師 185センチ、112キロ 1927年ニュージーランド・ウェリントン :オコーナーズ・ロールアップ :NWA世界ヘビー |
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| 38 4 (日)【特】第5回ワールドリーグ戦、48 2 (全)【特】ジャイアント・S結集戦、48 8 (全)【特】ワールド・チャンピオン・S、49 11 (全)【特】NWAチャンピオン・S、50 12 (全)【特】オープン選手権大会、53 5【特】(全) エキサイト・S、57 1 (全)【特】新春ジャイアント・S | ||
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第42代NWA世界ヘビー級選手権者。ニュージーランドの出身で、同地でアマレス、フットボールで活躍した後に、アメリカでプロレスラーとなる。魔術師というニックネームからも分かるように、変幻自在のテクニックを駆使したファイトで、ディック・ハットンから世界選手権を奪った。得意技はオコーナーズ・ロール・アップと呼ばれた後方回転エビ固め。引退後はセントルイス地区でブッカー兼レフェリーとして活躍したが1990年肝臓ガンのため死去。サイン (カラー写真撮影:HARU1番様) | |
| バッド・カーチス BUD CURTIS 1回 中米の砲弾男 178センチ、106キロ 1922年米・ネブラスカ州 :中南米タッグ、太平洋岸タッグ |
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| 30 7 (日) プロレス国際試合 | ||
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ジェス・オルテガとともに中南米タッグ選手権者として来日したが、果してそのようなタイトルが実在したかどうか全く不明。力道山の空手チョップの猛攻にし失神し、担架で運ばれる醜態を見せてしまった。アメリカでは太平洋岸で活躍した選手で、プリモ・カルネラとのコンビで太平洋岸タッグ選手権を保持していたこともある。 | |
| パット・ケリー
PAT KELLY
3回 双子の殺人鬼 186センチ、110キロ 1948年カナダ・オンタリオ州ハミルトン |
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| 54 9 (国) ダイナマイト・S、60 3 (新) ビッグ・ファイト・S 第1弾、60 11 (新) 85 IWGPタッグ・リーグ戦 | ||
| 高校時代からアマレスを始め1967年にフランク・タニーにスカウトされてプロレス入り。双子の弟マイクとのケリー・ツインズでカナダを主戦場に活躍したレスラー。実力の方はそれほどでもなかったのだが、双子タッグ特有の摩り替わり戦法など味のある試合を見せた。IWGPタッグリーグでは最下位に終わったが、ファンの受けは悪くなかった。1988年にアドリアン・アドニスとともにサーキット中に交通事故で死亡。サイン | ||
| バッド・コディ
BUD CODY
1回 無頼の無宿人 182センチ、104キロ 1938年オーストラリア・シドニー |
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| 44 10 (国) IWA世界タッグ挑戦S | ||
| IWA世界タッグ挑戦シリーズにゴードン・ネルソンとのコンビで参加した選手。以下同シリーズのパンフより抜粋。 17歳でアマレスを習い、「これが天職だ」と20歳でプロ入りしたが、将来の旅行好きから、故郷にじっとしておらず、まずシンガポールをふり出しに、放浪の旅に出た。キングコングにほれ込まれ、東南アジアをあばれまわり、インド選手権者のダラ・シンとの試合では、第1戦に6万人、第2戦に10万人の大観衆を集めて、二度とも引き分けている。この実力と人気を買われてヨーロッパに呼ばれ、ランキング・レスラーを痛めつけて歩いているのをアメリカのプロモーターが聞き、アメリカに呼ばれてまたひと暴れ。現在は太平洋岸をのし歩いている。 |
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パット・タナカ → 外国人留学生名鑑を見よ
| バッド・ニュース・アレン
(バッファロー・アレン*) BADNEWS ALLEN
29回 黒い猛牛 187センチ、120キロ 1947年米・ペンシルバニア州ハリスバーグ :ブレーンクロー :北米ヘビー(カルガリー版) |
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| 5211(新)格闘技世界一決定戦*、5211(新)【特】闘魂S*、55 1 (新) 新春黄金S *、55 2 (新) ビッグ・ファイト・S、55 4 (新) 第3回MSG・シリーズ、55 6 (新) サマー・ファイト・S、55 8 (新) ブラディ・ファイト・S、55 11 (新) 第1回MSGタッグ・リーグ戦、56 1 (新) 新春黄金S、56 7 (新) サマー・ファイト・S、 56 8 (新) ブラディ・ファイト・S、56 10 (新) 10・8新日本VS国際全面対決、 56 10 (新) 闘魂S(残留)、56 11 (新) 第2回MSGタッグ・リーグ戦、57 1 (新) 新春黄金・S、57 4 (新) ビッグ・ファイト・S、57 10 (新) 闘魂S、58 3 (新) ビッグ・ファイト・S第1弾、58 8 (新) ブラディ・ファイト・S、59 1 (新) 新春黄金S、59 6 (新) サマー・ファイト・S、 59 10 (新) 闘魂S、60 3 (新) ビッグ・ファイト・S 第1弾、60 6 (新) バーニング・スピリット・イン・サマー、 60 10 (新) バーニングスピリット・イン・オータム、61 7 (新) バーニングスピリット・イン・サマー、61 10 (新) 闘魂・S、62 4 (新) ブレイジング・チェリー・ブロッサム・ビガロ 87、62 6 (新) ビッグ・サマー・ファイト・S、62 10 (新) 闘魂S | |||
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本名アレン・コージ。柔道の胴メダリストの実績を引っさげ新日本プロレスの格闘技戦線に参加、新日本プロレスの練習生となる。後にバッファロー・アレンの名でロスでレロイ・ブラウンとの抗争で名前を売り、一躍ロス地区ののトップに躍り出た。1980年にバッド・ニュース・アレンに改名。プロレスではなかなか実力を発揮できなかったが、喧嘩は滅法強くアンドレもビビらせた武勇伝を持ち、ボスだったブッチャーに造反するなどしている。バッドニュース・ブラウンに改名後はWWFのトップ・エベンターとなった。得意技はクロー攻撃。2007年3月6日に急死。 異種格闘技戦出場選手名鑑 バッファロー・アレンの項も見よ。 |
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| パット・パターソン
PAT PATTERSON
6回 シスコの帝王 180センチ、115キロ 1938年カナダ・ケベック州モントリオール :足4の字固め :AWA世界タッグ、USヘビー(シスコ版)、WWF北米ヘビー、インターコンチネンタル・ヘビー |
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| 43 4 (日) 第10回ワールドリーグ戦、48 12(新) ワールドタイトル・チャレンジS、51 10 (新) 闘魂S第2弾、52 11(新)【特】闘魂S第2弾、 54 10(新)【特】闘魂S、56 11 (新) 【特】第2回MSGタッグ・リーグ戦 | |||
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NWA、AWA、WWFの3団体を股にかけて活躍したレスラーで、キラー・コワルスキーのコーチを受けてプロレスラーとなる。サンフランシスコではUS選手権、AWAではレイ・スチーブンスとのコンビで世界タッグ、WWFではインターコンチネンタル選手権と、各団体の主要タイトルを獲得するなどタイトルには恵まれた選手。特にサンフランシスコでは長く活躍、シスコの帝王と呼ばれた。また修行時代の猪木とはライバルであり、親友であった。人望も厚く、来日の際は同行したレスラーの纏め役となった。現在もWWFの首脳として活躍、時折リングにも上がっている。得意技は足4の字固め。本名はピエール・クレモン。 | ||
バッド・バッド・レロイ・ブラウン → クレージー・レロイ・ブラウンを見よ
| バッド・ラーテル
BUD RATELLE
1回 カナダの海賊 182センチ、107キロ 1922年カナダ・バンクーバー |
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| 45 9 (日) 第1回NWAタッグリーグ戦 | ||
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第1回NWAタッグリーグにフランキー・レインのタッグ・パートナーとして来日したベテラン・レスラー。海兵隊時代はボクシングのライト・ヘビー級王者にもなった格闘家。除隊後にレン・ロシイの口利きでプロレス入り。テネシー地区を主戦場としていたため、来日当時は上田馬之助や松岡巌鉄あたりとライバル関係にあったようだ。サイン | |
| パット・ローチ
PAT ROACH 2回 ミッドランドの大砲 194センチ、108キロ 1937年アイルランド・バーミンガム :変形スープレックス :大英帝国ヘビー、ヨーロッパ・ヘビー |
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| 44 2 (国) 国際ゴールデン・S、47 9 (新) ニュー・ゴールデン・S | ||
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「ミッドランドの大砲」と呼ばれたレスラーで、プロレス入りする前は柔道のイギリス王者にもなった格闘家。ビル・ロビンソン渡米後のイギリス重量級を支えた。しかし本人もイギリス・マット界に見切りを付け、新日本プロレスに参加後、その足でロサンゼルスのリングに登場し太平洋岸地区に定着してしまったが、引退後帰国してコーチ業に専念した。映画にも数多く出演している。本名はフランシス・パトリック・ローチ。 | |
| バッドボーイ
BADBOY 暴走野郎 180センチ、125キロ 1934年米・オハイオ州クリーブランド :オーストラリア・ヘビー |
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| 45 1 (国) 新春チャレンジ・S | ||
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カナダを主戦場としていた選手で、1966年にオーストラリアに遠征したときにはオーストラリア選手権を獲得している。雑誌ではバッドボーイ・シールドと紹介されていたがここでは国際プロレスのパンフの表記に従った。日本で知り合ったバーン・ガニアにスカウトされてAWAに入りブル・バリンスキーに改名。本名はフランク・シールド。 詳細はブル・バリンスキーの項参照。 |
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| バッファロー・ザリノフ
1回 猛牛 192センチ、120キロ カナダ・ケベック州オタワ :WWWF世界タッグ、ケベック州認定タッグ |
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| 47 9 (国) ダイナマイト・S | ||
| マッドドッグ・バションにスカウトされてプロレス入り。きっかけはバションとのケンカだというが、バションはケンカした相手をスカウトすることが非常に多かったようだ。デビュー当時はザリノフ・ルブーフのリングネームで活躍し、アメリカに武者修行に出る。モントリオールではギル・ポワゾンとのタッグでケベック州認定のタッグ選手権を保持していた。後にWWWF地区に転出し、ピエール・ランバージャックに改名、エリック(スコット・アーウィン)とのユーコン・ランバージャクスでWWWF世界タッグ選手権を獲得している。 | ||
| バディ・ウォルフ
(レス・ウォルフ*、ブルー・ディモン
**) BUDDY WOLFF
4回 ミネソタの新星 188センチ、125キロ 1944年米・ミネソタ州 :パワースラム |
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| 45 7 (国) ビッグ・サマー・S*、45 9 (国) ダイナマイト・S **(残留)、48 6 (国) ビッグ・サマー・S、49 11 (国) ワールド・チャンピオンS、51 4 (全) 第4回チャンピオン・カーニバル | |||
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AWAとWWWFで活躍した中堅レスラー。レス・ウォルフ時代は、本格派テクニシャンとして期待を集めたが、改名後はB級のラフ・ファイターに成り下がった。日本には国際プロレスと全日本プロレスに来日しているが中堅あたりに負ける事もあったようだ。MSGでバーン・ガニアのAWA世界タイトルに挑戦する抜擢を受けた事もある。マッドドッグ・バションの妹でレスラーのヴィヴィアン・バションと結婚した事でも知られる。 | ||
| バディ・キラー・オースチン
BUDDY KILLER AUSTIN 7回 狂犬 188センチ、118キロ 1923年米・カリフォルニア州サンフランシスコ :パイル・ドライバー :WWA世界ヘビー、WWA世界タッグ |
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| 37 4 (日) 第4回ワールドリーグ戦、37 5 (日) プロレス選抜戦(残留)、38 9 (日)【特】秋の国際試合、38 11 (日)インター選手権・S(残留)、39 1 (日)新春国際試合(残留)、42 1 (日) 新春・S、42 3 (日)MSGシリーズ(残留)、43 2 (日) ダイナミック・S、44 9 (日) ダイヤモンド・S、 44 11 (日) NWAシリーズ(残留)、46 9 (日) 第2回NWAタッグ・リーグ戦、47 9 (国) ダイナマイト・S、47 11(国)ビッグ・ウインター・S(残留) | ||
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力道山時代以来の常連で、巡業中の汽車で知り合った日本人女性を婚約した事もある。若手レスラーを二人試合中のアクシデントで死なせてしまい、それが売りになっていたのだが、本人はその事で悩み酒浸りとなり、晩年には会場を廻りレスラー仲間に酒代をせびるまでに落ちぶれたといわれている。これを見た馬場が黙って札をポケットにねじ込んだというイイ話もある。しかし酒が原因で体調を崩し1981年に死亡。 | |
| バディ・コルト
BUDDY COLT 1回 若駒 186センチ、112キロ 1940年米・ニューヨーク州ブルックリン :パイルドライバー :セントラルステート・ヘビー、USAヘビー、ジョージア州ヘビー、北米ヘビー |
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| 44 9 (国) ロイヤル・S、44 10(国)IWA世界タッグ挑戦シリーズ(残留) | ||
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アメリカではカウボーイ・ロン・リードとして活躍、日本でもロン・リードのリングネームで知名度はあったにもかかわらず、来日時はジョージア地区で名乗っていたバディ・コルトを名乗った。USAヘビー級選手権者として来日。シャチ横内の挑戦は退けたものの、ストロング小林に王座を奪われ無冠のまま帰国した。しかしこのタイトルは国際プロレスのお手盛りの可能性が高い。来日中はゴージャス・ジョージ・ジュニアとのコンビで人気を呼んだ。帰国後はジョージア地区で長くトップを張った。 | |
| バディ・モレノ
BUDDY
MORENO 褐色のピューマ 175センチ、109キロ 1941年ベネズエラ・カラカス :回転エビ固め :北米タッグ、カリビアン・ヘビー、セントラルステーツ・ヘビー |
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| 43 9 (日) ダイヤモンド・S | ||
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サイクロン・ニグロの異母弟。オーストラリアやニュージーランドで長く活躍したテクニシャン。来日時は大相撲の高見山に良く間違えられたという。 詳細はオマール・アトラスの項参照。 |
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| バディ・ランデル BUDDY LANDELL 1回 野生の爆弾児 188センチ、110キロ 1961年米・ケンタッキー州ルイビル :ミッド・アメリカン・ヘビー |
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| 63 1 (全) 88 新春ジャイアント・S | ||
| 味のある中堅で、テネシーCWAでは何度となくNWAミッドアメリカ・ヘビー級王座に君臨。プエルトリコなどでもタイトルを保持していたらしい。その後NWAクロケット・プロで、リック・フレアーそっくりのスタイルで売り出した。来日時は振るわず、ポール・ハリス(=トム・タイロン)と組んで田上のデビュー戦の相手を務めたものの、途中帰国してしまった。(解説:黒い一羽鷹氏) | ||
| バディ・ローズ
(ポール・パースマン*) BUDDY ROSE 5回 プレイボーイ 186センチ、148キロ 1950年米・ワシントン州バンクーバー(ミネソタ州説もあり) :ワンハンドバックブリーカー :AWA世界タッグ、PNWヘビー、USヘビー(シスコ版) |
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| 50 11 (全) 第2弾ジャイアント・S *、57 4 (新) ビッグ・ファイト・S、58 4 (新) ビッグ・ファイト・S 第2弾、59 1(新)【特】新春黄金S、 59 6 (新) サマー・ファイト・S | ||
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ビル・ロビンソン、ニック・ボックウィンクルのコーチを受けてAWA地区でポール・パースマンの名でデビュー。ロサンゼルスを経て、パシフィック・ノース・ウエスト地区で活躍。同地区で、ジミー・スヌーカやリック・オリバーらとのパシフィック・ノースウェスト選手権をめぐる抗争で、一躍スターとなる。新日本プロレスに来日した後にWWFに登場。MSGでボブ・バックランドに挑戦するまでに出世したが、この時期が彼の絶頂期であろう。その後AWAに出戻りダグ・サマーズとのコンビで世界タッグを獲得している。オフィシャルサイトはこちら。 | |
| バディ・ロバーツ BUDDY ROBERTS 7回 金髪の小型爆撃機 182センチ、110キロ 1947年カナダ・コロンビア州バンクーバー :クロスライン :USタッグ(フロリダ版)、アメリカス・タッグ、NWA北米タッグ |
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| 46 10 (国) ビッグ・チャレンジ・S、46 11 (国) ビック・ウインター・S(残留)、49 1 (国) 新春パイオニア・S、50 8 (新) 闘魂S、51 5 (新) ゴールデン・ファイト・S、53 1 (新) 新春黄金S、54 8 (新) ブラディ・ファイト・S、59 10 (全) ジャイアント・S | |||
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ジェリー・ブラウンとのハリウッド・ブロンドス(ブロンド・ボンバーズ)で、全米のタッグ・タイトルを総ざらいにしたタッグの名手。ジェリーとのチーム解散後は、デール・バレンタインに改名し、ジョニー・バレンタインをマネージャーに南東部でシングルに専念。その後、マイケル・ヘイズとテリー・ゴディのファビュラス・フリーバーズのマネージャー兼メンバーとなり、最後の一花を咲かせた。一流のB級レスラー。本名はデール・ジョージベイ。 | |
| ザ・パトリオット THE PATRIOT 1回 流星仮面 生年月日不明 182センチ、108キロ |
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| 49 1 (全) 新春NWA・S | |||
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正体はボビー・ハート(写真右)。「レスリング・マンスリー」に連載されていた漫画の主人公を頂いたギミックで、1973年にアマリロ地区に突如出現し翌年、全日本プロレスに登場。後に2号も出現しタッグを組んでいた。帰国後、素顔でNWA世界ジュニアヘビー級王者としてオーストラリアに遠征。ロン・ミラーにタイトルを取られるものの取り戻す。当時、NWA世界ジュニアヘビー級王者のケン・マンテルがオーストラリア遠征をキャンセルしたため、変わりに王者としてオーストラリアに飛んだわけである。ボビー・ハートがニセ王者であったことはいうまでもないパトリオット変身前にはテネシーでザ・スポイラーズとして活躍していた。(情報提供:Joe Hooker Sr.様) 「未来日外国人レスラー名鑑」のザ・スポイラーズも見よ |
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| ハバナ・ザ・テラー
HABANA
THE TERROR 1回 ハバナの殺し屋 182センチ、120キロ 生年月日不明 |
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| 63 5 (全) 88 スーパー・パワー・S | ||
| プエルト・リコ経由でやってきた大型マスクマン。相当な強豪を期待されたが、全くの木偶の坊で、主に前座試合に出場していたようだ。本名はジュリアス・ネリスという。レスラー転向前は空挺部隊にいたとか。巨体を利してのサマーソルト・ドロップ(というより単なるデングリ返し)のみが印象に残った。(解説:黒い一羽鷹様) | ||
| バブロ・ルゾン PABRO RUSON 1回 | |
| 30 10 (旧全) プロレス国際大試合 | |
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フィリピン出身。ミスター・ジュニア・アメリカととも全日本プロレス協会に参加。レスリングはパッとしなかったが、リングコスチュームは見せるプロレスとして最高だった。(昭和45年別冊ゴング6月号来日外人レスラー名鑑より:情報提供管様) |
| ザ・バラクーダ THE BARRCUDA 海賊仮面 198センチ、113キロ 1935年イタリア・ミラノ :ジャンピング・パイルドライバー :IWA世界ヘビー(オーストラリア版)、カリブ・ヘビー |
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| 50 1(全)【特】新春ジャイアント・S、51 4 (全) 第4回チャンピオン・カーニバル | ||
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ザ・デストロイヤーの覆面十番勝負の相手として来日した大型マスクマン。正体はご存知のようにマリオ・ミラノである。素顔の時よりもバラクーダとしてマスクを被った時の方が、暴れっぷりは良かった。このバラクーダというギミックは日本限定のものだった様である。 マリオ・ミラノの項も見よ。 |
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| バリー・ウインダム BARRY WINDHAM 2回 蒼き狼 200センチ、115キロ 1960年米・テキサス州スウィートウォーター :ドロップキック :NWA世界ヘビー、WWF世界タッグ、USヘビー |
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| 58 11 (全) 84世界最強タッグ決定リーグ戦、61 1 (全)【特】ニューイヤー・ウォーズ・スーパーバトル86 | |
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ブラックジャック・マリガンの長男で、弟のケンドールもレスラー。父譲りの長身を生かした豪快なファイトで、フロリダを中心に人気者となる。マイク・ロトンドとのUSAエキスプレスでWWFに移籍、WWF世界タッグを獲得。WCWに移籍、ここで念願のNWA世界ヘビーを獲得するが5ヶ月で転落している。1990年代後半にWWFに復帰、ここでブラックジャックスのギミックで登場した姿は、父親の生き写しであった。 |
| バリー・ガスパー
BARRY
GUSPER 殺人狼 192センチ、116キロ 1958年カナダ ・オンタリオ州ウィンザー : 北西部タッグ |
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| 63 5 (新) 88 lWGPチャンピオン・S、63 8 (新) 88 戦国S | ||
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カナダのレスラー、ザ・ジャッカル(=ジェイソン・ザ・テリブル)の変身。 詳細はザ・ジャッカルの項参照。 |
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| ハリー・ジャーニイ HARLEY JOURNEY | ||
| 30 12(旧国) プロレス国際大試合、31 12(亜)プロレス国際試合 | ||
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旧国際プロレスがシリーズ途中にハワイから呼び寄せた。1950年度ミスター・ユニバース準優勝。(昭和45年別冊ゴング6月号来日外人レスラー名鑑より:情報提供 管様) | |
| バリー・ダグラス
BARRY DOUGLAS
1回 178センチ、104キロ 1942年イギリス |
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| 43 4 (国) 日欧チャンピオン決戦S | |
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ジョイント・プロモーションのプロモーターとして有名なジョージ・レリスコウの息子(甥という説もある)で本名はバリー・デ・レリスコウ。アマレスを経て1960年にプロレスに転向した。その後、スペイン、フランスに遠征。さらにドイツやオーストラリアのトーナメントで上位入賞を果たす。1980年代には南アフリカにも遠征し、キラー・ダグラスで悪役として活躍した。 |
ハリウッド・ブロンドス → ジェリー・ブラウン、バディ・ロバーツを見よ。