来日全外国人レスラー名鑑 ハ3
| ハルク・ホーガン
HULK HOGAN 20回 超人 201センチ、120キロ 1955年米・フロリダ州タンパ :アックスボンバー、カリフォルニアクラッシュ :WWF世界ヘビー、WCW世界ヘビー |
|
| 55 4 (新)【特】第3回MSG・シリーズ、55 10 (新) 闘魂S、 55 11(新) 第1回MSGタッグ・リーグ戦、56 3 (新)【特】WWFビッグ・ファイト・S、 56 5 (新) 第4回MSG・シリーズ、56 10 (新) 10・8新日本VS国際全面対決、 56 10 (新) 【特】闘魂S(残留)、56 11 (新)【特】第2回MSGタッグ・リーグ戦、57 3 (新)【特】第5回MSG・シリーズ、57 4 (新)【特】ビッグ・ファイト・S、 57 6 (新) サマー・ファイト・S第1弾、57 8 (新) ブラディ・ファイト・S、57 11 (新) 第3回MSGタッグ・リーグ戦、58 1 (新)【特】新春黄金・S、58 5 (新) lWGP決勝リーグ、58 11 (新) 第4回MSGタッグ・リーグ戦、 59 1 (新)【特】新春黄金S、59 5 (新) 84 IWGP、59 11 (新) 第5回MSGタッグ・リーグ戦、60 1 (新) 新春黄金S、60 5 (新)【特】lWGP&WWFチャンピオン・S | |
|
カリフォルニアでロックバンドで活動しながらボディビルで体を鍛え、ヒロ・マツダに自ら売り込みフロリダで特訓を受け、テリー・ブルドーのリングネームでデビュー。スターリング・ゴールデンとも名乗り下積みをしていたが、フレッド・ブラッシーの目に留まり、インクレディブル・ハルク・ホーガンに改名しMSGに初登場。緒戦でテッド・デビアスをKOし話題を集める。日本ではハンセンのパートナーとして実力とつけ、IWGP決勝戦で猪木を病院送りにし、トップスターとなる。アメリカでもAWAに移籍後、ベビーフェイスに転向し人気爆発。WWFに出戻ってトップスターになる。アメリカでの試合振りはお粗末なものだが、日本ではストロング・スタイルに対応するという器用さが、彼をトップに押し上げたといえよう。本名はテリー・ボレア。 サイン |
ハロルド坂田 → 日本人全レスラー名鑑の日系レスラーの項を見よ。
| バロン・ガトニ
BARON GATTONI 1回 怪獣男爵 185センチ、147キロ 1931年イタリア・ノヴァーラ :ボディプレス |
|
| 40 4 (日) 第7回ワールドリーグ戦、40 5 (日)ゴールデン・S(残留) | |
|
パンピロ・フィルポ、クロンダイク・ビルあたりのレスラーと同じく野人ギミックのレスラーで、第7回ワールド・リーグ戦にイタリア代表として参加し、まずまずの成績を上げている。ガトニの場合、レスリングよりもその食欲が話題の種となる。来日した当時は一日7、8回もの食事をし、外人係のジョー樋口を悩ませたという。また、レスリングは下手だったが、唄はプロ級の上手さだった。父親はムッソリーニの顧問だったと自称したり、ブラジルからジープで75日かけてニューヨーク入りするなどの奇人でもあった。 |
| バロン・シクルナ
BARON SCICLUNA 6回 マルタの怪男爵 195センチ、125キロ 1935年イタリア・マルタ島 :マルタ式背骨折り :WWWF世界タッグ、USタッグ(NY地区)、IWA世界ヘビー、同世界タッグ(オーストラリア版) |
||
| 42 11 (日) ウィンター・S、43 2 (日) ダイナミック・S、47 6 (国) ビッグ・サマー・S、48 3 (全) 第1回チャンピオン・カーニバル、49 8 (全) サマー・アクション・S第2弾、53 4 (新) 第1回MSGシリーズ | ||
|
イタリアのマルタ島出身で少年時代にカナダに移住。マイク・バレンチノとしてデビュー。1966年にバロン・マイケル(ミッシェル)・シクルナに改名し、WWWF地区に登場、独自のマルタ式背骨折りで快進撃を続け、一度はMSGでの世界戦でサンマルチノを失神に追い込んでいる。この実績を買われてこの年の暮れに来日しているが、期待通りの活躍は出来なかった。その後の来日でも真価を発揮できずに終わる。長くMSGで中堅として活躍している。本名はマイケル・シクルナ。 | |
| バロン・フォン・ヘッシー
BARON VON HECZY 1回 オーストラリア・ヘビー |
|
| 37 12 (日) 冬の国際大試合、38 1 (日)プロレス春の国際試合(残留) | |
![]() |
リングネームから察するにドイツ系のレスラーだと思われる。来日前後にオーストラリア・ヘビー級選手権を保持していたようだ。詳しい経歴などは調査中。 |
| バロン・フォン・ラシク
BARON VON RASCHKE 7回 妖獣 188センチ、118キロ 1942年米・コロラド州デンバー :ブレーンクロー :WWA世界ヘビー(シカゴ版)、AWA世界タッグ、インターナショナル・ヘビー(ケベック版) |
|
| 46 10 (国) ビッグ・チャレンジ・S、47 3 (国) 第4回IWAワールド・S、47 5(国)ワールド選抜S(残留)、49 9 (国) スーパー・ワイド・S、50 12 (全) オープン選手権大会、52 5 (全)【特】NWAチャンピオン・S、54 1 (全) 新春ジャイアント・S、56 11 (全) 世界最強タッグ決定リーグ戦 | |
| 本名はジェームズ・ラシク。東京オリンピックのアメリカ代表に選ばれたが、負傷のため不参加に終わる。そこをバーン・ガニアにスカウトされ、1966年にAWA地区でデビュー、カナダに転戦しケベック地区のインターナショナル王者となる。当時は正統派だったが、1968年のWWWFへの転戦を機に髪をそりナチ・ギミックの悪党に変身し、ガニアを激怒させた。以降AWA、NWA、WWA(シカゴ版)などの団体で活躍、WWAでは世界王者になっている。晩年は正統派に転向してAWA地区で人気を獲得。大変なインテリで読書家でもあった。必殺技はブレーン・クロー。サイン | |
| ハン・リー
(ジ・アベンジャー*、エル・サント**)
HAM LEE 5回 カンフーの達人 170センチ、105キロ 米・ハワイ |
|
| 47 1 (国) 新春パイオニア・S *、48 9 (新) 闘魂S **、49 8 (新) 闘魂S*、 51 7 (新) アジア・リーグ戦、53 6 (新) サマー・ファイト・S、54 2 (新) ビッグ・ファイト・S | |
![]() |
中国系のレスラーでカンフーの達人といわれ、メキシコではジムと開くほどのステータスを獲得しているが、日本での評価はさっぱり。ゴング誌の「来日して欲しくないレスラー」に何度も選出されていた。メキシコに定着するまではハワイ、太平洋岸などを転戦していたようだ。昭和48年にはエル・サントを名乗って来日し、メキシカンレスラーの顰蹙を買った。親日家で日本レスラーがメキシコに遠征した際は、たびたびセコンドについているほど。 |
バンバン・ビガロ → クラッシャー・バンバン・ビガローを見よ。
| ハンク・ジェームス
(ハンス・ジェームス*) HANK JAMES 3回 黒い疫病神 190センチ、123キロ 1937年米・ミシガン州ベントンハーバー |
|
| 45 1 (日) 新春チャンピオン・S*、48 8 (全) ワールド・チャンピオン・S、50 5 (全) ブラック・パワー・S | |
![]() |
ボボ・ブラジルの異母弟だが、「賢兄愚弟」の典型を見るような男で、初来日の際、ブラジルとのコンビ(当時は兄弟と公表していなかったようだ)でインタータッグに挑戦するも、あまりの不甲斐ない試合振りがブラジルの逆鱗に触れ、控え室で鉄拳制裁をくらったというエピソードを残している。それでも弟思いのブラジルは全日本プロレスに2度に渡って一緒に来日しているが、本人のレスリングは全く進歩していなかった。 |
| ザ・ハングマン(スーパー・デストロイヤー*、タワーリング・インフェルノ
**) THE HANGMAN 4回 首吊り男 195センチ、125キロ フランス・ブルゴーニュ :カナディアンバックブリーカー :アメリカス・ヘビー、アメリカス・タッグ、カリフォルニアTV |
||
| 50 4 (新) 第2回ワールド・リーグ戦*、51 4 (新) 第3回ワールド・リーグ戦**、52 8 (新) 闘魂S、55 11 (新) 第1回MSGタッグ・リーグ戦 | ||
![]() |
1975年頃、ロス地区に登場した大型マスクマンで、短期間のうちにアメリカス、同タッグ、TV選手権というロス地区のタイトルを総ざらいにして話題を呼んだ。しかしキース・フランクス(アドリアン・アドニス)との金網デスマッチでマスクをはがれ、スーパー・デストロイヤー、タワーリング・インフェルノを名乗って来日したフランス系カナダ人のネイル・グアイである事を暴露される。昭和52年はマスクを付けて来日したが、昭和55年の来日では素顔で参加であった。帰国後WWF、AWAに出現している。 | |
| ハンス・ジェームス HANS JAMES 黒い疫病神 190センチ、123キロ 1937年米・ミシガン州ベントンハーバー |
|
| 45 1 (日) 新春チャンピオン・S | |
| ボボ・ブラジルの異母弟ハンク・ジェームスの初来日時のリングネーム。 詳細はハンク・ジェームスの項参照。 |
|
| ハンス・シュナーベル
HANS SCHNABEL 1回 ブロックバスター 182センチ、111キロ 1915年米・カンサス州 :太平洋岸タッグ、USタッグ(カンサス版) |
|
| 29 8 (日) 太平洋岸タッグ選手権・S | |
| ルー・ニューマンとのコンビでプリモ・カルネラ、バッド・カーチス組から奪取した太平洋岸タッグ選手権を保持していたラフ・ファイター。昭和29年8月8日の東京体育館における力道山、遠藤幸吉組との防衛戦で、二人がかりの攻撃で遠藤をフォールした事が観客を興奮させ、日本プロレス史上初の暴動事件のきっかけとなった事で、日本のプロレス史に名を残している。 | |
| ハンス・シュミット HANS SCHMIDT 3回 地獄の料理人 192センチ、118キロ 1923年カナダ・ケベック州 :シュッミット式バックブリーカー :インターナショナル・ヘビー(モントリオール版)、USヘビー(シカゴ版) |
|
| 42 2 (日) MSGシリーズ、43 1 (T) オープニング・ワールド・S、50 7 (新) サマー・ファイト・S | |
| 「地獄の料理人」と呼ばれたドイツ系カナダ人(フランス系説もあり)で、シュッミット式バックブリーカーの考案者といわれているが、この技を「シュミット式」と呼ぶ国は日本だけで、本人は初来日時のインタビューで「先輩に教わった」とあっさりと言ってのけた。性格が非常に荒かったため反則負けが異常に多く、実力がありながら世界選手権を獲得する事は出来なかった。日本には3回来日しているが、48歳での来日だったため、全盛期の迫力はなかったが、シュミット式背骨折で中堅相手に連戦連勝を記録している。本名はガイ・ラルース。 | |
| ハンス・シュローダー
( ジ・アンダーテーカー
*) HANS
SCHROEDER 3回 ドイツの重戦車 185センチ、117キロ 1942年西ドイツ :パワースラム :北米ヘビー(ハワイ版) |
|
| 47 8 (日) 第2次サマー・ビッグ・S、48 6 (全) サマー・アクション・S、51 4 (国) ダイナマイト・S * | |
![]() |
ドイツでプロレスを学びオーストラリアでデビュー、オセアニア地区で活躍したあとにアメリカに進出してテキサスで活躍。1975年ごろからはアンダーテイカーに変身しカルガリーに出没した。晩年はハワイでタイトル戦線にからむ活躍をしている。日本ではやはりアンダーテイカーとしての来日時がハイライトであった。 |
| ハンス・ヘルマン
HANS HELMAN 1回
殺人博士 181センチ、120キロ :太平洋岸タッグ、NWA世界タッグ(ミネアポリス版) |
|
| 35 4 (日) 第2回ワールドリーグ戦 | |
| 陸上競技出身のレスラーで、運動神経は抜群。大学教授の資格を持つインテリでもある。ドイツ系のレスラーだが、インドの伝説的レスラー ガマ・シンの愛弟子だったといわれている。デビュー当時はボールデンボーイ・ボブ・ヘルマンのリングネームで活躍していた。1951年にキラー・コワルスキーとのコンビで太平洋岸タッグを、1958年にはフリッツ・フォン・エリックとのナチス・コンビでミネアポリス版世界タッグを獲得している。素晴らしい肉体美が売り物。 | |
ハンス・モーティア → ドクターX、ターザン・ゾロを見よ
| ハンス・ロックス
HANS
ROCKS 1回 ドイツの岩石男 183センチ、115キロ 1940年ドイツ・リューベック :ドイツ・ヘビー |
|
| 49 9 (国) スーパー・ワイド・S | |
| アマレス、ボクシング、重量挙げを経験し、1961年にプロレスラーとなる。来日当時、現役のドイツ・ヘビー級選手権者だった。全盛時にはホースト・ホフマン、アクセル・ディターと並んでドイツ3強を呼ばれていたこともあるが、日本では目立った活躍は出来ず。 | |
| パンチョ・ロザリオ
PANCHO LOTHARIO 吸血鷹 180センチ、108キロ 1936年メキシコ |
|
| 45 7 (国) ビッグ・サマー・S | |
![]() |
アメリカではパンチョ・バルデスの名で活躍したメキシコ系のラフファイター。胸部に大きなわしの刺青があり不気味さをかもし出していた。初代ジプシー・ジョーとしても来日している。サイン 詳細はジプシー・ジョー(初代)の項参照。 |
| ザ・バンピード THE VAMPIEDO 吸血仮面 182センチ、98キロ 1962年イギリス・マンチェスター |
|
| 58 10(新)【特】 闘魂S | |
![]() |
ザ・コブラとのNWA世界ジュニア・ヘビー級王座決定戦に登場したマスクマンだが、試合開始前にマスクを脱ぎ、正体を自ら暴露してしまった。マスクの下から現れたのはデイビーボーイ・スミス。当時すでに専門誌でも紹介されていたので、勘のいいファンはマスクを脱がずともその正体には気づいていた。 デイビーボーイ・スミスの項も見よ。 |
| パンピロ・フィルポ
PAMPERO FIRPO
回 怪獣 178センチ、105キロ 1934年アルゼンチン・ブエノスアイレス :ココナッツクラッシュ :アメリカス・ヘビー、ハワイヘビー、USヘビー(デトロイト地区) |
|
| 42 4 (日) 第9回ワールドリーグ戦、43 8 (日) 第二次サマー・S、45 4 (日) 第12回ワールドリーグ戦、55 7 (全) サマー・アクション・S | |
| 怪獣のニックネームで、ロスやデトロイト地区で活躍した野獣派レスラー。昭和45年の来日の時はザ・コンビクトのマネージャーも務めた。日本での成績は散々だったが、アメリカではボボ・ブラジルからUS王座を奪うなど大物食いをやってのけることもあった。風貌に似合わず多国語を使いこなすインテリで、レスラー仲間の信望も厚かったという。非常に息の長い選手であった。ブルーザー・ブロディは彼のギミックを参考にしたと言われている。サイン | |