来日全外国人レスラー名鑑  ハ3

 

 

ハルク・ホーガン HULK HOGAN 20回
●超人 ●201センチ、120キロ
●1953年8月11日 米・ジョージア州オーガスタ出身 ●アックスボンバー、カリフォルニアクラッシュ、ギロチンドロップ
●サウスイースタン・ヘビー、IWGPヘビー、WWF世界ヘビー、WCW世界ヘビー
55 4 (新)【特】第3回MSG・シリーズ、55 10 (新) 闘魂S、 55 11(新) 第1回MSGタッグ・リーグ戦、56 3 (新)【特】WWFビッグ・ファイト・S、 56 5 (新) 第4回MSG・シリーズ、56 10 (新) 10・8新日本VS国際全面対決、 56 10 (新) 【特】闘魂S(残留)、56 11 (新)【特】第2回MSGタッグ・リーグ戦、57 3 (新)【特】第5回MSG・シリーズ、57 4 (新)【特】ビッグ・ファイト・S、 57 6 (新) サマー・ファイト・S第1弾、57 8 (新) ブラディ・ファイト・S、57 11 (新) 第3回MSGタッグ・リーグ戦、58 1 (新)【特】新春黄金・S、58 5 (新) lWGP決勝リーグ、58 11 (新) 第4回MSGタッグ・リーグ戦、 59 1 (新)【特】新春黄金S、59 5 (新) 84 IWGP、59 11 (新) 第5回MSGタッグ・リーグ戦、60 1 (新) 新春黄金S、60 5 (新)【特】lWGP&WWFチャンピオン・S

本名はテリー・ジーン・ボレア。ジョージア州に生まれ、カリフォルニアに引越して青春期を過ごす。カリフォルニアでロックバンドで活動しながらボディビルで体を鍛え、ヒロ・マツダに自ら売り込みフロリダで特訓を受け、テリー・ブルドーのリングネームでデビュー。スターリング・ゴールデンとも名乗り下積みをしていたが、フレッド・ブラッシーの目に留まり、インクレディブル・ハルク・ホーガンに改名しMSGに初登場。緒戦でテッド・デビアスをKOし話題を集める。日本ではハンセンのパートナーとして実力とつけ、IWGP決勝戦で猪木を病院送りにし、トップスターとなる。アメリカでもAWAに移籍後、ベビーフェイスに転向し人気爆発。WWFに出戻ってトップスターになる。アメリカでの試合振りはお粗末なものだが、日本ではストロング・スタイルに対応するという器用さが、彼をトップに押し上げたといえよう。 サイン

 

ハロルド坂田 → 日本人全レスラー名鑑の日系レスラーの項を見よ。

 

バロン・ガトニ BARON GATTONI 1回
●怪獣男爵 ●185センチ、147キロ
●1919年10月12日 アルゼンチン・ブエノスアイレス出身(1933年 イタリア・ノヴァーラ出身説もあり) ●ボディプレス
●アルゼンチン・ヘビー、パンアメリカン・ヘビー、南米ヘビー
40 4 (日) 第7回ワールドリーグ戦、40 5 (日)ゴールデン・S(残留)

本名はホセ・リチャード・ガトニ。パンピロ・フィルポ、クロンダイク・ビルあたりのレスラーと同じく野人ギミックのレスラーで、第7回ワールド・リーグ戦にイタリア代表として参加し、まずまずの成績を上げている。ガトニの場合、レスリングよりもその食欲が話題の種となる。来日した当時は一日7、8回もの食事をし、外人係のジョー樋口を悩ませたという。また、レスリングは下手だったが、唄はプロ級の上手さだった。父親はムッソリーニの顧問だったと自称したり、ブラジルからジープで75日かけてニューヨーク入りするなどの奇人でもあった。

 

バロン・シクルナ BARON SCICLUNA 6回
●マルタの怪男爵 ●195センチ、125キロ
●1935年 イタリア・マルタ島 ●マルタ式背骨折り
●NWA世界タッグ(シスコ版)、WWWFタッグ、USタッグ(NY版)、IWA世界ヘビー、IWA世界タッグ(オーストラリア版)
42 11 (日) ウィンター・S、43 2 (日) ダイナミック・S、47 6 (国) ビッグ・サマー・S、48 3 (全) 第1回チャンピオン・カーニバル、49 8 (全) サマー・アクション・S第2弾、53 4 (新) 第1回MSGシリーズ

本名はマイケル・シクルナ。イタリアのマルタ島出身で少年時代にカナダに移住。マイク・バレンチノとしてデビュー。1966年にバロン・マイケル(ミッシェル)・シクルナに改名し、WWWF地区に登場、独自のマルタ式背骨折りで快進撃を続け、一度はMSGでの世界戦でサンマルチノを失神に追い込んでいる。この実績を買われてこの年の暮れに来日しているが、期待通りの活躍は出来なかった。その後の来日でも真価を発揮できずに終わる。長くMSGで中堅として活躍している。2010年3月20日永眠。

 

バロン・フォン・ヘッシー BARON VON HECZY 1回 
●オーストラリア・ヘビー
37 12 (日) 冬の国際大試合、38 1 (日)プロレス春の国際試合(残留)
リングネームから察するにドイツ系のレスラーだと思われる。来日前後にオーストラリア・ヘビー級選手権を保持していたようだ。昭和37年の「冬の国際大試合」の終盤に来日したが、力道山との試合で空手チョップから逃げまくり「あいつは根性がない!」と、断罪され試合から乾されている。ダラ・シン主演の映画「AAYA TOOFAN」に出演した記録が残っている。

 

バロン・フォン・ラシク BARON VON RASCHKE 7回
●妖獣 ●188センチ、118キロ
●1940年11月17日 米・ネブラスカ州オマハ出身(コロラド州デンバー出身説もあり) ●ブレーンクロー
●IWAインターナショナル・ヘビー(モントリオール版)、アメリカン・タッグ(テキサス版)、WWA世界ヘビー(シカゴ版)、NWA世界タッグ(セントラルステーツ版、ミッドアトランティック版)、ジョージア・ヘビー、AWA世界タッグ、フロリダTV
46 10 (国) ビッグ・チャレンジ・S、47 3 (国) 第4回IWAワールド・S、47 5(国)ワールド選抜S(残留)、49 9 (国) スーパー・ワイド・S、50 12 (全) オープン選手権大会、52 5 (全)【特】NWAチャンピオン・S、54 1 (全) 新春ジャイアント・S、56 11 (全) 世界最強タッグ決定リーグ戦
本名はジェームズ・ドナルド・ラシク。東京オリンピックのアメリカ代表に選ばれたが、負傷のため不参加に終わる。そこをバーン・ガニアにスカウトされ、1966年にAWA地区でデビュー、カナダに転戦しケベック地区のインターナショナル王者となる。当時は正統派だったが、1968年のWWWFへの転戦を機に髪をそりナチ・ギミックの悪党に変身し、ガニアを激怒させた。以降AWA、NWA、WWA(シカゴ版)などの団体で活躍、WWAでは世界王者になっている。晩年は正統派に転向してAWA地区で人気を獲得。大変なインテリで読書家でもあった。サイン

 

ハン・リー (ジ・アベンジャー*、エル・サント**) HAM LEE 5回
●カンフーの達人 ●170センチ、105キロ
●1932年 メキシコシティ出身
47 1 (国) 新春パイオニア・S *、48 9 (新) 闘魂S **、49 8 (新) 闘魂S*、 51 7 (新) アジア・リーグ戦、53 6 (新) サマー・ファイト・S、54 2 (新) ビッグ・ファイト・S
本名はフィリッペ・ハム・リー。ハワイ出身といわれていたが、メキシコ生まれの中国人のようである。メキシコではジムと開くほどのステータスを獲得しているが、日本での評価はさっぱり。ゴング誌の「来日して欲しくないレスラー」に何度も選出されていた。しかし一方で相当のシューターだとの説もある。キューバでデビューした後、アリゾナを振り出しに、太平洋岸、ハワイなどアメリカを転戦し、メキシコに戻った。昭和48年にはエル・サントを名乗って来日し、メキシカンレスラーの顰蹙を買った。親日家で日本レスラーがメキシコに遠征した際は、たびたびセコンドについているほど。(写真撮影:花園えびす様)

 

バンバン・ビガロ → クラッシャー・バンバン・ビガローを見よ。

 

ハンク・ジェームス (ハンス・ジェームス*) HANK JAMES 3回
●黒い疫病神 ●190センチ、123キロ
●1937年 米・ミシガン州ベントンハーバー出身
●ウエスタンステーツ・タッグ、NWA世界タッグ(デトロイト版)、ブラスナックル・ヘビー(アマリロ版)
45 1 (日) 新春チャンピオン・S*、48 8 (全) ワールド・チャンピオン・S、50 5 (全) ブラック・パワー・S
ボボ・ブラジルの異母弟だが、「賢兄愚弟」の典型を見るような男で、初来日の際、ブラジルとのコンビ(当時は兄弟と公表していなかったようだ)でインタータッグに挑戦するも、あまりの不甲斐ない試合振りがブラジルの逆鱗に触れ、控え室で鉄拳制裁をくらったというエピソードを残している。それでも弟思いのブラジルは全日本プロレスに2度に渡って一緒に来日しているが、本人のレスリングは全く進歩していなかった。

 

ザ・ハングマン(スーパー・デストロイヤー*、タワーリング・インフェルノ **) THE HANGMAN  4回
首吊り男 195センチ、128キロ
●1942年7月21日 カナダ・ケベック州出身 カナディアン・バックブリーカー
●アメリカス・ヘビー、アメリカス・タッグ、カリフォルニアTV
50 4 (新) 第2回ワールド・リーグ戦*、51 4 (新) 第3回ワールド・リーグ戦**、52 8 (新) 闘魂S、55 11 (新) 第1回MSGタッグ・リーグ戦
本名はネイル・グアイ。1975年頃、ロス地区に登場した大型マスクマンで、短期間のうちにアメリカス、同タッグ、TV選手権というロス地区のタイトルを総ざらいにして話題を呼んだ。しかしキース・フランクス(アドリアン・アドニス)との金網デスマッチでマスクをはがれ、スーパー・デストロイヤー、タワーリング・インフェルノを名乗って来日したフランス系カナダ人のネイル・グアイである事を暴露される。昭和52年はマスクを付けて来日したが、昭和55年の来日では素顔で参加であった。ハングマンとしてはWWFにも登場。AWAにはスーパー・デストロイヤー3号として登場している。

 

ハンス・ジェームス HANS JAMES
●黒い疫病神 ●190センチ、123キロ
●1937年 米・ミシガン州ベントンハーバー出身
●ウエスタンステーツ・タッグ、NWA世界タッグ(デトロイト版)、ブラスナックル・ヘビー(アマリロ版)
45 1 (日) 新春チャンピオン・S
ボボ・ブラジルの異母弟ハンク・ジェームスの初来日時のリングネーム。

詳細はハンク・ジェームスの項参照。

 

ハンス・シュナーベル HANS SCHNABEL 1回
ブロックバスター 182センチ、111キロ
1915年 米・カンサス州出身
太平洋岸タッグ、USタッグ(カンサス版)
29 8 (日) 太平洋岸タッグ選手権・S
ルー・ニューマンとのコンビでプリモ・カルネラ&バッド・カーチス組から奪取した太平洋岸タッグ選手権を引っさげて来日したラフファイター。昭和29年8月8日の東京体育館における力道山&遠藤幸吉組との防衛戦で、二人がかりの攻撃で遠藤をフォールした事が観客を興奮させ、日本プロレス史上初の暴動事件のきっかけとなった事で、日本のプロレス史に名を残している。

 

ハンス・シュミット HANS SCHMIDT 3
地獄の料理人 192センチ、118キロ
1925年2月7日 カナダ・ケベック州ジョリエット出身 シュッミット式バックブリーカー
USヘビー(シカゴ版、ビッグタイム版)、NWA世界TV(フロリダ版)、NWA世界タッグ(ロス版)、IWAインターナショナル・ヘビー(モントリオール版)、南部タッグ(ジョージア版)
42 2 (日) MSGシリーズ、43 1 (T) オープニング・ワールド・S、50 7 (新) サマー・ファイト・S
本名はガイ・ラルース。「地獄の料理人」と呼ばれたドイツ系カナダ人(フランス系説もあり)で、シュッミット式バックブリーカーの考案者といわれているが、この技を「シュミット式」と呼ぶ国は日本だけで、本人は初来日時のインタビューで「先輩に教わった」とあっさりと言ってのけた。性格が非常に荒かったため反則負けが異常に多く、実力がありながら世界選手権を獲得する事は出来なかった。日本には3回来日しているが、48歳での来日だったため、全盛期の迫力はなかったが、シュミット式背骨折で中堅相手に連戦連勝を記録している。

 

ハンス・シュローダー ( ジ・アンダーテーカー *) HANS SCHROEDER 3回
ドイツの重戦車 185センチ、117キロ
1942年 西ドイツ出身 パワースラム
北米ヘビー(ハワイ版)
47 8 (日) 第2次サマー・ビッグ・S、48 6 (全) サマー・アクション・S、51 4 (国) ダイナマイト・S *
ドイツでプロレスを学びオーストラリアでデビュー、オセアニア地区で活躍したあとにアメリカに進出してテキサスで活躍。1975年ごろからはアンダーテイカーに変身しカルガリーに出没した。晩年はハワイでタイトル戦線にからむ活躍をしている。日本ではやはりアンダーテイカーとしての来日時がハイライトであった。

 

ハンス・ヘルマン HANS HERMAN 1回
殺人博士 181センチ、120キロ
●パシフィックコースト・タッグ、NWA世界タッグ(ミネアポリス版)
35 4 (日) 第2回ワールドリーグ戦
陸上競技出身のレスラーで、運動神経は抜群。大学教授の資格を持つインテリでもある。ドイツ系のレスラーだが、インドの伝説的レスラー ガマ・シンの愛弟子だったといわれている。デビュー当時はボールデンボーイ・ボブ・ヘルマンのリングネームで活躍していた。1951年にキラー・コワルスキーとのコンビで太平洋岸タッグを、1958年にはフリッツ・フォン・エリックとのナチス・コンビでミネアポリス版世界タッグを獲得している。素晴らしい肉体美が売り物。

 

ハンス・モーティア → ドクターX、ターザン・ゾロを見よ

 

ハンス・ロックス HANS ROCKS 1回
ドイツの岩石男 183センチ、115キロ
1940年 ドイツ・リューベック出身
ドイツ・ヘビー
49 9 (国) スーパー・ワイド・S
アマレス、ボクシング、重量挙げを経験し、1961年にプロレスラーとなる。来日当時、現役のドイツ・ヘビー級選手権者だった。全盛時にはホースト・ホフマン、アクセル・ディターと並んでドイツ3強を呼ばれていたこともあるが、日本では目立った活躍は出来ず。しかし、関係者からの評価は高かった。

 

パンチョ・ロザリオ PANCHO LOTHARIO
吸血鷹 180センチ、108キロ
1936年 メキシコ出身 ●ニューイングランド・ヘビー
45 7 (国) ビッグ・サマー・S
アメリカではパンチョ・バルデスの名で活躍したメキシコ系のラフファイター。胸部に大きなわしの刺青があり不気味さをかもし出していた。初代ジプシー・ジョーとしても来日している。サイン

詳細はジプシー・ジョー(初代)の項参照。

 

ザ・バンピード THE VAMPIEDO
●吸血仮面 ●182センチ、98キロ
●1962年11月27日 イギリス・マンチェスター出身 2002年5月17日没
●世界ミッドヘビー、インターナショナル・タッグ、北米ヘビー(以上カルガリー地区)、WWF世界タッグ、インターコンチネンタル・ヘビー、WWFヨーロピアン・ヘビー
58 10(新)【特】 闘魂S
ザ・コブラとのNWA世界ジュニア・ヘビー級王座決定戦に登場したマスクマンだが、試合開始前にマスクを脱ぎ、正体を自ら暴露してしまった。マスクの下から現れたのはデイビーボーイ・スミス。当時すでに専門誌でも紹介されていたので、勘のいいファンはマスクを脱がずともその正体には気づいていた。

デイビーボーイ・スミスの項も見よ。

 

パンピロ・フィルポ PAMPERO FIRPO
●怪獣 ●178センチ、105キロ
●1930年4月6日 アルゼンチン・ブエノスアイレス出身 ●ココナッツクラッシュ
●テキサス・ヘビー、テキサス・タッグ、パシフィックノースウエスト・ヘビー、アメリカス・ヘビー、ハワイヘビー、USヘビー(デトロイト版)、プエルトリカン・ヘビー
42 4 (日) 第9回ワールドリーグ戦、43 8 (日) 第二次サマー・S、45 4 (日) 第12回ワールドリーグ戦、55 7 (全) サマー・アクション・S
本名はホワン・カチマニアン(Juan Kachmanian )。「怪獣」のニックネームで、ロスやデトロイト地区で活躍した野獣派レスラー。昭和45年の来日の時はザ・コンビクトのマネージャーも務めた。日本での成績は散々だったが、アメリカではボボ・ブラジルからUS王座を奪うなど大物食いをやってのけることもあった。風貌に似合わず多国語を使いこなすインテリで、レスラー仲間の信望も厚かったという。非常に息の長い選手であった。ブルーザー・ブロディは彼のギミックを参考にしたと言われている。サイン