来日外人全レスラー名鑑 ヘ

 

ベアキャット・ライト BEARCAT WRIGHT 1回
●黒い山猫 ●198センチ、118キロ
●1932年1月13日 米・ネブラスカ州出身(ジャマイカ出身説もあり) 1982年8月28日没 ●ドロップキック
●オハイオ・ヘビー、インターナショナルTVタッグ(ロス版)、WWA世界ヘビー(ロス版)、パシフィックノースウエスト・タッグ、USヘビー(シスコ版)、ハワイ・タッグ、フロリダ・タッグ
50 10 (新) 闘魂S第2弾
本名はエドワード・ライト。父親はプロボクサーのエド・ベアキャット・ライト。黒人初の世界王者(WWA)になったがKKKに脅迫され、ベルトを持ったまま消息を絶ち、死亡説まで出た幻のレスラーだった。しかし突然昭和50年の新日本プロレス「闘魂シリーズ第2弾」に来日、猪木、坂口、小林のビッグ3を相手に大暴れし無効試合を連発した。猪木−アリ戦実現の影の功労者でもある。かつては一世を風靡したスクリュー・ドロップキックもややさび付いていた。10年早く来日すべき選手だった。1982年に急死。

 

ヘイスタック・カルホーン HAYSTACKS CALHOUN  4回
●お化けかぼちゃ、人間空母 ●183センチ、273キロ
●1934年8月3日 米・ジョージア州出身(アーカンソー州出身説もあり) 1989年12月7日没 ●ボディプレス、ヒップドロップ
●インターナショナルTVタッグ(ロス版)、WWWFタッグ
38 4 (日) 第5回ワールドリーグ戦、43 8 (日) 第二次サマー・S、53 6 (新) サマー・ファイト・S、54 6 (国)【特】 ビッグ・サマー・S
本名はウィリアム・カルホーン。「お化けかぼちゃ」と呼ばれた超巨漢レスラー。食費を稼ぐためにプロレス入りしたという。全盛期には270キロを超えていた。日本でも力道山を相手に化け物振りを発揮。しばらくプロレス界から遠ざかるが、1973年にWWWFに再登場、トニー・ガレアとのコンビでWWWFタッグを獲得。この頃は減量し、体重は200キロを割っていた。1989年にテキサス州の自宅で心臓麻痺のために死亡。

 

ヘクター・ゲレロ HECTOR GUERRERO 3回
●炎の閃光 ●176センチ、99キロ
●1954年10月1日 メキシコシティ出身 ●ドロップキック
●アメリカス・ヘビー、アメリカス・タッグ、AWA南部タッグ、トライステート・タッグ、フロリダ・ジュニア・ヘビー、NWA世界ジュニアヘビー
54 1 (新) 新春黄金・S、58 3 (全)【特】 グランド・チャンピオン・カーニバルT、59 8 (全) スーパー・パワー・S
ゲレロ4兄弟の三男。ロスのバトルロイヤルで優勝して売り出し、アメリカス王座も獲得した。藤波のライバルとして脚光を浴び、新日本の昭和54年新春黄金シリーズに初来日。藤波と対戦したが原爆固めに敗れる。後に中西部へ転戦し、兄のチャボと共に全日本プロレスに移籍。当時、インター・ジュニアヘビー級選手権者の大仁田に挑戦、引退の原因となる負傷を負わせた。晩年はマスクを被りレザートロンに変身してNWA世界ジュニア・ヘビー級王者となり兄弟そろって世界王者となった。  サイン

 

ペッツ・ワトレー PEZ WHATLEY 1回
●黒い弾丸 ●185センチ、115キロ
●1951年1月10日 米・テネシー州チャタヌーガ出身 ●フライング・ヘッドバット
●ウエスタンステーツ・タッグ、ミッドアメリカン・タッグ、南部ヘビー(フロリダ版)
52 8 (新) 闘魂S
本名はピーター・ワトレー。中西部地区で活躍した黒人レスラーで、ザ・レスラー誌選出の1975年度の新人王になっている。アメリカではピストル・ペッツ・ワットレーとして活躍。日本からの帰国後、シャスカ・ワトレーにリングネームを変えていた時期もある。平成に入り、タイガー・コンウェイ・ジュニアとのジャイブ・トーンズとして来日している。自称「シュートに強い」ということからピストル(ガチンコの隠語)と名乗っていたらしい。

 

ペッパー・ゴーメッツ PEPPER GOMEZ 1回
●メキシコの豹 ●173センチ、100キロ
●1927年4月24日 メキシコシティ出身(米・カリフォルニア州説もあり) 2004年5月6日没 ●ストマック・クロー
●ノースウエスト・タッグ、サウスウエスト・タッグ、テキサス・ヘビー、テキサス・タッグ、NWA世界タッグ(テキサス版)、アメリカス・タッグ、AWA世界タッグ(シスコ版)、USヘビー(シスコ版)、WWA世界ヘビー(インディアナ版)
44 4 (日) 第11回ワールドリーグ戦
本名ホセ・セラピオ・パロミノ・ゴーメッツ。ボディビル出身で「ミスター・カリフォルニア」になり、テキサスのプロモーター モーリス・P・シゲールにスカウトされて、プロレス界に進出。ストマック・クローを得意とし、フリッツ・フォン・エリックとの「バトル・オブ・クロー」で全米に名を轟かせる。以後、全米各地を転戦、サンフランシスコでは「鉄の胃袋」というギミックで売り出し、レスラーやファンを脚立やコーナーポストから腹をめがけて飛び降りさせるというデモンストレーションで有名になった。

 

ペッパー・マーチン PEPPER MARTIN 2回
●荒野の一匹狼 ●184センチ、108キロ
●1936年9月27日 カナダ・トロント出身? ●マーチン・スペシャル
●パシフィックノースウエスト・ヘビー、パシフィックノースウエスト・タッグ、カリフォルニアTV
40 12 (日) ウィンター・S、45 2 (日) ダイナミック・S、45 2 (日)アイアンクロー・S(残留)
本名はハワード・マーチン。カナダの出身でプロフットボール・チームのハミルトン・タイガースで活躍した後、海兵隊に徴兵されるが、除隊後にプロレス入り。変形の裸締め(=チキン・ウィング・フェイスロック)をマーチン・スペシャルと称してフィニッシュホールドとしていた。武者修行中の猪木とのコンビで太平洋岸タッグを獲得している。2度目の来日ではプリンス・イヤウケヤとのコンビでアジア・タッグに挑戦しているが、惜敗している。1970年代にはハリウッドでスタントマンとして活躍するようになった。

 

ペドロ・サムソン PEDRO SAMSON 1回
●褐色の爆撃機 ●190センチ、115キロ
●1954年 コロンビア出身
49 1 (国) 新春パイオニア・S
もともとはプロボクサーとしてヨーロッパで活躍した男で、ボクシングは試合数が少ないので暴れたりないとプロレスラーに転向したという。ヨーロッパではビリー・サムソンのリングネームで活躍し、1973年にグスタフ・カイザーのトーナメントに出場し、清美川と知り合い、彼の推薦で国際プロレスに参加。ペドロ・サムソンは日本限定のリング・ネームだったようだ。1984年にウィスバーデン・トーナメントで優勝している。新日本プロレスに来日したヤング・サムソンの宣伝写真には彼の写真が使われていた。

 

ペドロ・モラレス PEDRO MORALES 6回
●ラテンの魔豹 1●82センチ、110キロ
●1942年10月22日 プエルトリコ・ポンス出身 ●ドロップキック、ペドロ・ドロップ(ワンハンド・バックブリーカー)
●WWA世界ヘビー(ロス版)、WWA世界タッグ(ロス版)AWA世界タッグ(シスコ版)、北米ヘビー(ハワイ版)、フWWWF・USヘビー、WWWF世界ヘビー、ロリダ・タッグ、インターコンチネンタル・ヘビー、WWC北米ヘビー
41 3 (日) 第8回ワールドリーグ戦、41 5 (日)ワールド選抜・S(残留)、49 5 (全)【特】MSG・シリーズ、51 4(新) 第3回ワールド・リーグ戦、53 6 (新) サマー・ファイト・S、54 10 (新) 闘魂S、60 5 (新)【特】lWGP&WWFチャンピオン・S
プエルトリコからの移民で、少年時代は札付きの不良として有名だったが、レスラー転向後は「ラテンの魔豹」とよばれ、WWAとWWWFの世界王者となる。特にWWWFタイトルは2年10ヶ月間保持した。ロス時代には馬場にドロップキックのコーチもした事で有名。身長182センチという体格的なハンデを根性でカバーし、多くの強敵と名勝負を繰り広げた。ニューヨーク地区では長くトップ・レスラーの扱いを受け、引退後はスペイン語放送の解説者を勤めた。他にフロリダ、サンフランシスコ、AWAエリア、プエルトリコと活動範囲は広い。さらに詳しく  サイン

 

ベニー・マクガイヤー BENNY McGUIRE 3回
●怪物兄弟 ●188センチ、290キロ
●1946年12月7日 米・サウスカロライナ州ヘンダーソンビル出身 2001年3月26日没 ●ボディプレス
49 1 (新) 新春黄金S、50 1 (新) 新春黄金S、53 1 (新) 新春黄金S
本名はベニー・ロイド・マクレリー。デブ兄弟として有名なザ・マクガイヤー・ツインズの兄の方で、ジャック・ルージョーにスカウトされてプロレス入り。弟にビリーが292キロだったのに対して、兄のベニーは304キロとやや大きかったようだ。新日本プロは彼らのために特製のマイクロバスを用意した。本職のプロレス以外でも多くのバラエティ番組で取り上げられ、スター不足に悩む新日本プロレスを喜ばせた。

 

ベビー・フェース BABY FACE 6回
●メキシコの大砲 ●170センチ、98キロ
●1947年8月31日 メキシコ・コリマ州出身
●ナショナル・ライトヘビー
54 2 (新) ビッグ・ファイト・S、55 2 (新) ビッグ・ファイト・S、57 1 (新) 新春黄金・S、59 1 (新) 新春黄金S、59 8 (全) スーパー・パワー・S、64 1 (新) 89 新春黄金S
本名はホセ・ガダールペ・フェンテス・オルチョア。UWAではペロ・アグアヨと並ぶ代表的ルードで、グラン浜田のライバル。日本でも浜田との死闘を展開し、本場のルチャ・リブレを日本のファンに披露した。気性が非常に荒く、その荒っぽいファイト振りから現地では「メキシコの大砲」と呼ばれていた。80年代中半にメキシコで起こった6人タッグ・ブームの際にはスコルピオ、ルイス・マリスカルとのトリオ「ロス・ティグレス・デル・リング」(リングの虎)で活躍した。引退後はスペル・アストロとレストランを共同経営している。

 

ベポ・モンゴル BEPO MONGOL
●蒙古怪人 ●192センチ、135キロ
●1947年10月14日 クロアチア(旧ユーゴスラビア)出身 ●ワンハンド・ネックハンギングツリー
●WWWFインターナショナル・タッグ
47 7 (日) サマー・ビッグ・S
1969年WWWF地区に突然登場した初代ザ・モンゴルズの片割れで、正体は後のニコリ・ボルコフ(2代目)。ベポとはユーゴの言葉で「ベイビー」という意味らしい(ジートはおじいさん)。ザ・モンゴルズ以前の経歴は不明。ベポ・モンゴルとしての初来日では坂口の保持していたUN選手権に挑戦、大流血に追い込んだがストレート負けを喫している。帰国後しばらくしてから負傷のため、ザ・モンゴルズを脱退。フレッド・ブラッシーをマネージャーとし、ニコリ・ボルコフに変身した。

 

ベラ・ロドリゲス VERA RODORIGUEZ
●獅子王 ●178センチ、99キロ
●1947年 メキシコ・ハリスコ州グアダラハラ出身 ●メキシカンストレッチ
●UWA世界ヘビー、メキシコ・ナショナル・ヘビー
52 3 (新) 第4回ワールド・リーグ戦
本名はエンリケ・ベラ・ロドリゲス。後のメキシコのヘビー級ビッグ3に名を連ねたエンリケ・ベラの若手時代。この初来日ではテクニシャンとしての片鱗を見せたが、ひとつ不戦勝を拾った以外は全敗という悲惨な結果に終わった。

エンリケ・ベラの項も見よ。

 

ザ・ヘラキュリー THE HERCULES 1回
●怪腕児 ●185センチ、115キロ
●1939年5月5日 米・ノースカロライナ州アシュボロー出身 ●シュミット式バックブリーカー
●セントラルステーツ・タッグ、AWA世界タッグ、イースタン・ヘビー
41 10 (東) ビッグ・マッチ・S
本名はラリー・ウィリアム・フリン。素顔ではボビー・グラハムのリングネームで活躍。日本ではマイティ・ヘラクレスというマスクマンとして紹介されており、ある程度の知名度もあったが、なぜかマスクを被らずに試合に出場していた。猪木がアメリカ修行時代にテキサスでコンビを組んだブルー・アヴェンジャーの正体とも言われている。シリーズ中途中帰国しているが、一説にはギャラの不払いを心配して日程をキャンセルしたとも言われている。アメリカではマイティ・ヘラクレスの名でふたたびマスクを付けて活躍。一部ではインフェルノス2号の正体といわれたが、これは間違いだったようである。

 

ヘラクレス・アヤラ HERACULES AYALA 2回
●鋼鉄のトラ ●186センチ、136キロ
●1950年7月14日 プエルトリコ出身
●プエルトリコ・ヘビー、WWC北米ヘビー、インターナショナル・タッグ(カルガリー版)、EWU世界スーパー・ヘビー、インターナショナル・ヘビー(モントリオール版)、WWC世界ヘビー
51 9 (国) ビッグ・ゴールデン・S、59 4 (新) ビッグ・ファイト・S 第2弾
本名はリューベン・クルス。カルロス・コロンにスカウトされてプロレス入り。プエルトリコを出てアメリカ東部地区やカナダで修行を積み、国際プロレスにプエルトリコ・ヘビー級王者として初来日。「鋼鉄のトラ」と呼ばれ、ゴング誌では特集を組むほど期待されたが、はっきり言って期待外れ。第1戦で寺西の原爆固めに沈んだ。しかし帰国後はプエルトリコに定着し長年エースとして活躍した。

 

ヘラクレス・コーテッツ → ヘラクレス・ロメロを見よ。

 

ヘラクレス・ヘルナンデス HERCULES HERNANDEZ 1回
●伝説の豪勇 ●193センチ、150キロ
●1956年5月7日 米・フロリダ州タンパ出身 2004年3月6日没 ●シュミット式バックブリーカー
●セントラルステーツTV、セントラルステーツ・タッグ、南部ヘビー(フロリダ版)、フロリダ・ヘビー、ミッドサウス・タッグ、IWGPタッグ
58 1 (全) 新春ジャイアント・S
本名はレイモンド・フェルナンデス。フロリダ出身の元ボディービルダーで、ヒロ・マツダにスカウトされてプロレス入り。ベンチプレスで240キロを上げた記録もある。デビューから2年目に初来日、帰国後中西部地区で修行を積み、のちにWWFに移籍しハーキュリーと改名、ポール・ローマとのパワー&グローリーとしてトップクラスの仲間入りをする。WWF離脱後はスコット・ノートンとのジュラシック・パワーズで新日本プロレスに来日、IWGPを獲得しタッグ戦線をリードした。2004年3月6日心臓病のため死亡。

 

ヘラクレス・ローン・ホーク HERCULES LONEHAWK 1回
●黒い大巨人 ●200センチ、130キロ
●1960年 米・カリフォルニア州サンフランシスコ出身 ●カナディアン・バックブリーカー
●ミッドアメリカン・ヘビー、北米ヘビー(カルガリー版)
58 8 (新) 【特】ブラディ・ファイト・S
本名はロン・ポープ。ご存知史上最悪の期待はずれ外人。昭和50年にマグニフィセント・ズールーのリングネームで新日本プロレスに来日が決定していたが、直前に障害事件を起こしキャンセル。8年後に待望の来日を果たすが、開幕戦でいきなりしょっぱい正体を暴露。初戦で対戦相手となった木戸修が気の毒だった。その後は2度とブラウン管に登場する事もなく途中帰国となる。ズール時代のプロフィールでは身長186センチとなっている。詳しくは「昭和ファイル3」をみよ。

 

ヘラクレス・ロメロ HERCULES ROMERO 1回
●怪力大王 ●186センチ、130キロ
●1932年7月7日 スペイン出身 1971年7月23日没 ●ワンハンド・バックブリーカー
●スペイン・ヘビー、AWA世界タッグ
36 4 (日) 第3回ワールドリーグ戦
本名はアルフォンゾ・カーロス・チカーロ。強靭な肉体を誇る怪力レスラー。ワールドリーグ戦では戦績こそ振るわなかったが、日本初公開のワンハンド・バックブリーカーを披露してファンを驚かせた。帰国後はAWA地区に定着し、リングネームをヘラクレス・コーテッツに変えて活躍。レッド・バスチェンとのコンビでバション兄弟からAWA世界タッグ選手権を獲得。その3ヶ月後国際プロレスへの来日が決まっていたのだが、自動車事故で死亡。事故の原因はスピード狂であった彼の無謀な運転にあったといわれている。

 

ベルモ・サルバトーレ BELLOMO SALVATORE 1回 
●イタリアの彗星 ●183センチ、115キロ 
●1951年 ベルギー出身 ●スープレックス
●ECWヘビー級、カナディアン・タッグ(バンクーバー版)、パシフィックコースト・ヘビー
53 6 (国) ビッグ・サマー・S
ベルギー生まれで、幼少時代にイギリスに移住。初来日当時はドイツ、ベルギーを主戦場としており、ハノバートーナメントの上位に名を連ねる強豪であった。アマレスに裏打ちされた堅実なレスリングで玄人ファンを唸らせた。1980年代後半にはアメリカへ進出。ロスを振り出しに最終的にはサル・ベルモのリングネームでWWFに落ち着きかなりの評価を受けたが再来日は実現せず。その後はECWなどのインディー団体で野人ギミックに変身して活躍。2003年4月にはFCWなる団体の王者となっている。ジャンボ鶴田あたりとの正統派対決がぜひ見たかった選手である。

 

ペロ・アグアーヨ PERRO AGUAYO 7回
●山犬 ●176センチ、95キロ
●1946年1月18日 メキシコ・サカテカス州 ●セントーン
●NWA世界ミドル、UWA世界ジュニアライトヘビー、同ライトヘビー、同ヘビー、WWFライトヘビー
54 2 (新) ビッグ・ファイト・S、56 3 (新) WWFビッグ・ファイト・S、57 4 (新) 4・21特別興行、残留 57 4 (新) ビッグ・ファイト・S、57 11 (新) 第3回MSGタッグ・リーグ戦、59 4 (旧U) UWFオープニング・S、60 1 (全) 85激突!オールスター・ウォーズ、63 10 (新) 闘魂S
本名はペドロ・ダミアン・アグアヨ。インディオの血を濃く受け継ぐラフファイター。日本にも名前だけはパアロ・アグイヨとして古くから紹介されていたが、初来日の時の暴れっぷりはファンの度肝を抜いた。彼のラフ・ファイトは日本人がもっていたルチャへの偏見を打ち砕いたといえよう。軽量級では敵無しだったが、ヘビー級の体格のレスラーには残念ながら通用しなかった。2001年に引退。現在はジュニアが活躍している。テレビではペーロ・アグアイヨと紹介されていた。必殺技はトップロープからのセントーン。

 

ベン・アレクサンダー BEN ALEXANDER 2回
●カロライナの喧嘩屋 ●183センチ、108キロ
●1950年 米・ノースカロライナ州出身 2003年没
56 1 (国) 新春パイオニア・S、60 7 (旧U) 格闘熱帯ロード
ビッグ・ベンのリングネームで大西洋岸地区で活躍していたレスラーだが日本では全くの無名。おそらくアメリカでもほとんど無名に近かった様に思う。団体の存続をかけたルー・テーズ杯争奪戦にこの様なレスラーを参加させねばならなかった国際プロレスの無念が伝わってくる。4年後これまたレトロ・レスラーと3流レスラー専門にブッキングしていた旧UWFに来日している。2003年に逝去。(情報提供:JOE HOOKER SR氏)サイン

 

ベン・シャープ BEN SHARP 2回
●197センチ、112キロ
●1921年 カナダ・オンタリオ州ハミルトン出身 2000年11月没 ●ドロップキック
●世界タッグ(シスコ版、シカゴ版、モントリオール版)、ハワイ・ヘビー、テキサス・タッグ
29 2 (日) プロレス国際試合、31 4 (日) プロレス国際試合

カナダ出身のレスラーで、祖父がレスラー、父がボクサーだったという格闘技一家に生まれた。弟のマイクとのコンビで、プリモ・カルネラ、サンダー・ザボー組から世界タッグ選手権を獲得し、以来6年間に渡って保持。日本へもチャンピオンとして来日、力道山、遠藤幸吉組に短期間王座を奪われるが、無事奪還してトロフィーをアメリカに持ち帰っている。引退後も生活は恵まれていたようだ。力道山に敬意を表して息子をリキ・シャープと命名した。2000年11月に感染症のため死去。

 

ベン・ジャスティス BEN JUSTICE 1回 
●正義の騎士 ●180センチ、112キロ
●1943年 米・オクラホマ州 ●スリーパーホールド、スープレックス
●NWA世界タッグ(デトロイト版、ミッドアメリカ版)
44 9 (日) ダイヤモンド・S
本名はジェラルド・メイ。デトロイト地区でロッキー・ジョンソンとのコンビでUSタッグ選手権を保持し注目された覆面レスラー。プロデビュー前はアマレスで活躍し、東京オリンピックにアメリカ代表として参加した。覆面はアマレス時代の栄光を汚さぬためだったといわれている。基本的にはリングネーム通りの正統派ファイトを展開したが、ラフにも強かった。唯一の来日では本領を発揮できずに終わっている。後に素顔になりベン・ジャスティスのリングネームのままで活躍している。

 

ベンジー・ラミレス BENJIE RAMIREZ (ザ・マミー*、ザ・キラー**)5
●南米のつむじ風 ●185センチ、112キロ
●1932年1月2日 コロンビア出身 ●カロテッドクラッチ
●コロンビア・ヘビー
39 4 (日) 第6回ワールドリーグ戦 *、47 9 (国) ダイナマイト・S、49 6 (国) ビッグ・サマー・S **、50 9 (国) ビッグ・ゴールデン・S **、52 9 (国) スーパー・ファイト・S**
プロレス史上屈指の怪奇派レスラー「ザ・マミー」の正体。コロンビア選手権者という肩書きがあったが、これはおそらく宣伝用のギミックであろう。実力的には2流以下のレスラーで、後に再起を賭けてザ・キラーなるマスクマンとなるが実力の無さに泣き、マット界を去っていった。

 

ヘンリー・ジャニー HENRY JOHNNY 在日トルコ人
●168センチ、73キロ ●1932年 トルコ出身
29 2(旧全)日米対抗プロレス試合、29 4(旧全) 日本・在日米軍対抗プロレス試合、30 12 (旧全) 日米対抗厚生大臣賞争奪試合
マナスル登山後援募金日本在日米軍対抗プロレス試合に登場したトルコ人でキラー・ユセフ(ユセフ・トルコ)のいとこ、もしくは友人。以下プログラムより。「一九四六年、四九年迄トルコ、アマチュアーレスリング第三位、ミドル級。一九五〇年香港でプロ界に入り六試合全勝す、一九五二年六月来日す、日本で二試合。」原文のまま。(資料提供:トレーナー様)