来日全外国人レスラー名鑑  ヒ1

 

P・Y・チャン P.Y.CHANG 1回
神風男 172センチ、115キロ 1928年米・ハワイ州 :ハワイ・タッグ、テネシー・タッグ
30 7 (旧全) プロレス国際大試合
中国人の父と日本人の母の間に生まれたハーフ。アメリカでは日系のトージョー・ヤマモトを名乗った事で有名。主にテネシー地区を中心に活躍し、同地区に転戦した日本人レスラーのマネージャーを買って出たが、悪質なピンはねに激怒した上田馬之介、松岡巌鉄のセメントコンビに鉄拳制裁を受け、腕の骨を折られた。それでも懲りずに、悪徳マネージャー業は続けていたというのだから、商魂のたくましさには恐れ入る。大仁田、淵のコンビもマネージメントしたことがある。1992年に自宅でピストル自殺。

 

ザ・ビースト THE BEAST 3回
人非人 176センチ、118キロ 1938年カナダ・ノバスコシア州ニューブランズウィック :スープレックス
48 1 (全) 新春ジャイアント・S、48 10 (全) 創立1周年記念ジャイアント・S、51 4 (全) 第4回チャンピオン・カーニバル
このビーストは、イタリアからやってきた初代ビーストではなく、カナダとアマリロ地区を中心にファイトしていたビーストである。リング上で生肉を食べ生き血を飲むデモンストレーションで売り出した。野人キャラをまっとうするためかパンチとキック以外の技はほとんど出さなかった。カナダで有名なテリー、トミー(レオ・バーグ)のマーティン兄弟の実兄である。ピエール・ラベールと名乗ったこともある。本名はイヴォン・コルミアー。

 

ビースト・コロンビア BEAST COLUMBIA 1回
コロンビアの野獣 185センチ、117キロ コロンビア :コロンビア・ヘビー
52 6 (国) ビッグ・チャレンジ・S
リングネームからも分かるように南米コロンビア出身のレスラーで、主戦場はプエルト・リコ。典型的なげてものレスラーで、かきむしりと噛み付き以外の攻撃は全くしなかった。AWAと提携が切れてからの国際プロレスには、この様な3流レスラーが大挙来日し、国際=マイナーという印象がファンに植え付けられていった。本名はラファエル・ロドリゲス。

 

ピーター・カイザー PETER KAYSER 1回
ドイツの鉄人 182センチ、108キロ ドイツ・ハンブルグ
50 2 (新) ビッグ・ファイト・S
ドイツの有名なプロモーターである、グスタフ・カイザーの実弟といわれる男。カール・ゴッチのヨーロッパ・ルートからのブッキングだが多くの欧州系レスラーと同じく、荒っぽい日本のレスリングにはなじめず、真価を発揮できずに帰国している。全盛期にはジョージ・ゴーディエンコとは因縁のライバル関係にあり、ゴーディエンコを追いかけてカルガリーに遠征したこともあったが、基本的にはドイツが主戦場で欧州からは出ることはなかった。

 

ピーター・メイビア PETER MAIVIA 3回
サモアの怪人 180センチ、125キロ 1937年西サモア・ブアイマウガ :ヘッドバット :ハワイ・タッグ、USヘビー(シスコ版)、アメリカス・ヘビー
43 11 (国) 第1回IWAワールド・S、53 6 (新) サマー・ファイト・S、54 4 (新)【特】第2回MSG・シリーズ
「サモアの怪人」と呼ばれ、国際の第1回IWAワールド・シリーズに初来日、ビル・ロビンソンとの抗争をリング外でも繰り広げた。昭和53年に新日本プロレスの「サマーファイト・シリーズ」に10年ぶりの来日を果たし健在ぶりを見せたが、翌年のMSGシリーズでは予選で敗退し、期待を裏切った。下半身の刺青が不気味な雰囲気を盛り上げていたがこれが寿命を縮める原因だったようだ。MSGではボブ・バックランドに挑戦して実績もある。映画「007は2度死ぬ」に出演したこともある。WWFのザ・ロックの母方の祖父にあたる。1982年に食道ガンのために死亡している。

 

ピート・スチュワート PETE STEWART 1回
195センチ、110キロ 1946年イギリス・ランカシャー州サルフォード :スープレックス
51 9 (国) ビッグ・ゴールデン・S
国際プロレスに来日したイギリスのレスラー。1966年にプロレス入り。この男もヘビの穴出身で、テクニックには見るべき物があり、急遽特集記事が組まれるほど注目を集めたが、帰国後に大成したという話は聞かない。プロ入り前はアマレスで多くのタイトルを獲得した実力者だったという。本名ピーター・アーネスト・ローラー。

 

ピート・リーブス PETE REEVES 1回
184センチ、108キロ 1949年プエルトリコ・サンファン
53 4 (新) 第1回MSGシリーズ
ビクター・リベラにあこがれてプロレス入りし、リベラを頼ってアメリカに上陸した。WWFエリアの前座試合に出場していたようだ。リーグ戦でも予選で見事に敗退している。

 

ピート・ロバーツ PETE ROBERTS 14回
英国の魔豹 183センチ、100キロ 1943年イギリス・ランカシャー :回転エビ固め :世界ミッド・ヘビー
49 1 (新) 新春黄金S、50 1 (新) 新春黄金S、51 5 (新) ゴールデン・ファイト・S、52 1 (新) 新春黄金・S、53 8 (新) ゴールデン・ファイト・S、55 8 (新) ブラディ・ファイト・S、56 8 (新) ブラディ・ファイト・S、57 8 (新) ブラディ・ファイト・S、58 7 (新) サマー・ファイト・S、59 11 (旧U) イヤーエンド・スペシャル、 60 5 (旧U) 格闘技オリンピア、61 7 (全) 86 サマーアクションS、62 3 (全) 87 チャンピオン・カーニバル、63 1 (全) 88 新春ジャイアント・S
13歳でヘビの穴に入門した、「職人」という表現がピタリとはまるテクニシャン。イギリスではマーク・ロコが登場するまでミドル・ヘビー級クラスで最強を誇った。猪木好みのレスラーだった様で新日本プロレスの常連だったが、なぜかタイトルには挑戦させてもらえず、来日10年目にしてようやく木村健吾のNWAインター・ジュニア選手権に挑戦した。UWFをへて全日本プロレスに移籍し、ジュニア戦線を沸かせた。日本で知り合ったスタン・ハンセンとは大親友。サイン

 

ビーフ・ウェリントン BEEF WELLINGTON 1回 
183センチ、95キロ 1963年カナダ・アルバータ州カルガリー :インターナショナル・タッグ(カルガリー版)
63 10 (新) 闘魂S
カナダ・カルガリー地区を拠点に活動し、同地区認定のインターナショナル・タッグ王座を獲得した経験もある。モヒカン頭で、昭和末期から平成にかけての新日本プロレスのジュニア戦線で、中堅外人として重用された。(解説:黒い一羽鷹氏)

 

ピエール・マーチン (マッドドッグ・マーチン*、フレンチ・マーテル**) PIERRE MARTIN 6回 
殺人コンバット 185センチ、115キロ 1947年カナダ・ケベック州モントリオール :IWA世界タッグ、北米タッグ(プエルトリコ版)
50 11 (国) ビッグ・ウインター・S、51 10 (国) 勇猛シリーズ54 4 (全) NWAチャンピオン・S *、56 1 (全) 新春ジャイアントS *、59 7 (旧U) UWF無限大記念日** 、59 8 (旧U) ビクトリー・ウイークス**
マイク・マーテルとのタッグ・チーム「ザ・コンバット」で、カナダ地区を荒らしまくったタッグの名手で、国際プロレスではIWA世界タッグ選手権を井上、草津組から奪取する活躍を見せた。パートナーのマーテルと死に別れてからはシングル・プレーヤーとして活躍。名を変えて4回来日しているが、シングル・プレーヤーとしては2流の域を出なかった。本名はジーン・ガニア。

 

ピエール・ラファイエル PIERRE RAFAIER 1回 
183センチ、108キロ カナダ・ケベック州 :インターナショナル・タッグ(モントリオール版)
59 8 (旧U) ビクトリー・ウイークス
ピエール・ルフーブルのリングネームで紹介されていたカナダの選手。テネシーで修行を積んだ後、カナダ・モントリオール地区で、ピエール・マーチンとのタッグ「ニュー・コンバット」で活躍。マーチンのほか、あのビル・ロビンソンやパット・パターソンとも組んで、同地区認定のカナディアン・インターナショナル・タッグ王座を何度となく制している。ほかにアンドレ・ザ・ジャイアントと引き分けたという勲章も持っていたとか。昭和59年3月25日、MSGでのWWFインターナショナル・ヘビー級王座決定戦で前田に敗れる。雪辱を期してマーチンと組み旧UWFに来日したものの、高田や山崎に苦杯を喫する有様だった。(女王提供:黒い一羽鷹氏)

 

ピエール・レ・グラン PIERRE LE GRAN
カナダの岩男 187センチ、125キロ 1946年カナダ・ケベック州ジョンケベール : GWA世界ヘビー、同世界タッグ
45 7 (日) 第二次ゴールデン・S、45 7(日)NWAワールド・チャンピオンS(残留)
フランス系カナダ人のギレス・ポアゾンの変名で、この時が初来日。このレスラーも多くの名を使い分けたことで知られている。日本プロレスのポスターでは「ピアリ・グレーン」と表記されていた。

詳細はギレス・ボアゾンの項参照。

 

ビクター・ジョビカ VICTOR JOVICA 1回
180センチ、103キロ 生年月日不明 プエルト・リコ
58 2 (全) エキサイト・S
プエルトリコのレスラーで、カルロス・コロンのキャピトル・プロモーションの役員であり、コロンの参謀でもあった。来日時はセミリタイヤ状態で、日本へはプロレス市場視察の目的もあったようだ。

 

ビクター・リベラ VICTOR RIVERA 8回
黒い核弾頭 182センチ、102キロ 1944年プエルトリコ・サンロレンソ :ドロップキック、サンセットフリップ :アメリカス・ヘビー、WWWF世界タッグ
42 11 (日) ウィンター・S、46 7 (日) サマー・ビッグ・S、48 9 (新) 闘魂S、51 4 (新) 第3回ワールド・リーグ戦、52 4 (新) ゴールデン・ファイト・S、 54 4 (新) 第2回MSG・シリーズ、 56 7 (全) サマー・アクション・S、 57 10 (全) ジャイアント・S

猪木がテキサス修行時代のライバルで、昭和42年の初来日時は猪木と共にカール・ゴッチの指示を受けた。その後、WWWF、ロサンゼルスでトップレスラーとなり、新日本プロレスにも参加してテクニシャン振りを発揮したが、1970年代後半に入ると悪党に転向し、陰気なイメージの小悪党に成り下がってしまった。最後は全日本プロレスに移籍し、ルーファス・ジョーンズとのコンビでアジア・タッグ選手権に挑んだが、佐藤昭夫にドロップキックをかわされ、肩を脱臼した試合は忘れられない。主にNYとロスで活躍。特にロスではロスマット衰退後も定着し、1987年にACCWなる団体を旗揚げするが、1989年の団体崩壊とともに引退。サイン

 

ビクター・ロゼッターニ VICTOR ROSETTANI 1回
185センチ、110キロ 1946年カナダ・モントリオール
46 10 (国) ビッグ・チャレンジ・S
AWAでは「プロレス界のほらふきクレイ」といわれた中堅レスラー。ケンカっ早い性格が災いして転々と職を変え、結局キャバレーの用心棒に落ち着いたが、ある夜客同志のケンカの仲裁に入ったマッドドッグ・バションに『商売の邪魔をするな』と突っかかっていったが逆にKOされてしまう。ロゼッターニの度胸を見込んだバションはプロレス界にスカウトされたが、結局中堅クラスで停まってしまった。(情報提供:JOE HOOKER SR氏)

 

ビジャノ3号 VILLANO III 2回
悪魔童子 170センチ、96キロ 1952年メキシコ・メキシコシティ : UWA世界ライト・ヘビー、UWA世界ウェルター、WWFライト・ヘビー
56 6 (新) 6・25スーパーファイト、57 8 (新) ブラディ・ファイト・S
「メキシコの鉄人」レイ・メンドーサの3男坊で、兄弟5人がレスラーというなかで、一番才能があった。日本では初代タイガーマスクとの激闘が印象にのこる。意外とキャリアは古く、1971年のデビューで、当時の日本のプロレス雑誌でもエル・ビラーノとして何度か紹介されていた。WWF、UWAの両ライトヘビー級選手権、UWA世界ウェルター級選手権など、獲得タイトルは多い。ビジャノとはスペイン語で「極悪」という意味。サイン

 

ビジャノ4号 VILLANO IV 1回
ピンクパンサー 175センチ、94キロ 1965年メキシコ・メキシコシティ : UWA世界トリオ、WWA世界ジュニアライトヘビー
63 4 (新) スーパー・ファイト・S
ビジャノ兄弟の5男坊。1979年14歳でデビュー。このときのリングネームはレオパルド・ネグロ。この後ローカルタイトル(ライト級、ウエルター級、ミドル級)を数多く総なめと言っていいほど獲得、その中には、兄、ロカンボレ(後のビジャノ5号)と組んで、ロス・プラソスから獲得した、ナウカルパン・タッグ王座等がある。1983年にビジャノ4号に改名。シングルでは、1988年サンドカンのマスクを剥ぎ、同年1,5号とのトリオ(ロス・パンテラス・ロサス)でブラソスのマスクを剥いでいる。(解説:シーク・アリ氏)

 

ビジャノ5号 VILLANO V 1回
ピンクパンサー 175センチ、98キロ 1962年メキシコ・メキシコシティ : UWA世界トリオ、UWA世界ジュニアヘビー
63 4 (新) スーパー・ファイト・S
ビジャノ兄弟の4男坊。1976年にロカンボレのリングネームでデビュー後、ローカルタイトルを総なめ。1979年にはクロネコとのコンビで、グラン浜田&ブラック・テリー組を倒し、ナウカルパン・タッグ王者になる。NWA(EMLL)系に出場するときにもロカンボレを名乗っていたらしい。 (解説:シーク・アリ氏)

 

ザ・ビジランテス1号 、2号 THE VIGILANTES
1号=187.5センチ、108キロ 1945年米・カリフォルニア州ビッグサー、2号=187.5センチ、107キロ 1947年米・カリフォルニア州ビッグサー
41 8 (日) 第二次サマー・S
史上最弱の兄弟レスラーといわれる、ジェリーとボビーのクリスティー兄弟が正体。一応エース格としての扱いを受けたが、アジアタッグ選手権の試合中にマスクが脱げてしまうという失態を演じ、対戦相手の馬場、吉村組の闘志を半減させたのは有名な話。1970年代にもこのギミックで再びロスに登場している。ちなみにビジランテとは自警団員という意味。

 

ビッグ・K (スタンレー・コワルスキー *、クラッシャー・コワルスキー**) BIG K 3回
ぶっ壊し屋 190センチ、125キロ 1933年米・ミネソタ州 :バックブリーカー :AWA世界タッグ
33 11 (日) *、43 1 (国) オープニング・ワールド・S**、 46 9 (国) ダイナマイト・S
デビュー当時は金髪のラフ・ファイターとして鳴らし、次に長髪にスタイルをかえ、タイニー・ミルズとのコンビでAWA世界タッグを獲得した。1970年代にビッグKに改名し同地区に遠征中のストロング小林のマネージャーとして、小林をトップ・クラスのレスラーに押し上げた恩人。3度目の来日でも日本側につき、小林のセコンドを勤めた。初来日時一緒だったタイニー・ミルズとは日本ばかりでなく、米国北部、オーストラリアでもコンビで暴れまわった。タッグ屋の元祖のような存在。改名魔としても有名で本名のスタンレー・コワルスキーのほかに、クラッシャー・コワルスキー、クリッパー・カール・コバックスとも名乗った。(追加情報:JOE HOOKER SR氏)

 

ビッグ・コマンチ BIG KOMANCHI 2回
狼酋長 198センチ、125キロ 1933年米・オクラホマ州 :トマホークチョップ
45 3 (国) 第2回IWAワールド・S、46 7 (国) ビッグ・サマー・S
狼酋長のニックネームで知られる凶暴ファイター。高校時代はアマレスで活躍したがコマンチ族に伝わる独特の技を使ったところ反則に取られ、これに怒ってプロレスに転向したと言う。インディアンレスラーは正統派が多いが、このコマンチは非常に荒っぽい反則を得意としており来日時もかきむしりや噛み付きといったラフ一辺倒のファイトを見せた。

 

ビッグ・ジョン・クイン ( ジョニー・クイン* ) BIG JOHN QUINN 5回
荒熊 195センチ、137キロ 1947年カナダ・バンクーバー :エルボードロップ IWA世界タッグ、北米ヘビー(バンクーバー版)、太平洋岸ヘビー、世界ヘビー(イギリスジョイントプロ版)
45 9(日) 第1回NWAタッグリーグ戦 *、50 6(国) ビッグ・サマー・S、52 2(国) 第6回IWAワールド・S、55 9(国)第2次ダイナマイト・S59 5 (新) 84 IWGP
デビュー当時はケンタッキー・ブッチャーのリングネームでWWWF地区で活躍、MSGでサンマルチノの世界選手権の挑戦し大いに苦しめた実績を持つ。故郷のカナダに戻り、ジョニー・クインに改名。初来日ではニック・ボックウィンクルとのコンビでNWAタッグリーグ戦に準優勝、3度目の来日ではクルト・フォン・ヘスとのコンビでIWAタッグトーナメント優勝と、日本ではタッグリーグで活躍した。晩年はヨーロッパで活躍したが、なぜか日本人を毛嫌いするようになったという。。サイン

 

ビッグ・ジョン・スタッド BIG JOHN STUDD 4
人間起重機 203センチ、145キロ 1948年米・ペンシルバニア州ピッツバーグ : WWWFタッグ
55 10 (全) ジャイアント・S、58 5 (新) lWGP決勝リーグ、58 10 (新) 闘魂S、59 5 (新) 84 IWGP
チャック・オコーナーとしてニューヨークでデビュー。昭和51年に師匠のキラー・コワルスキーと共に黒覆面のエクスキューショナーズに変身し、WWWFタッグ選手権を獲得した。マスクド・スーパースターが初来日した時に、その正体として名前が挙がったが、カロライナ地区ではスーパースター2号として試合をした事もある。マスクマンとしては他にキャプテンUSAとも名乗った。昭和58年のIWGP決勝リーグにカナダ代表として来日した際も、「気分的な問題」で、マスクを付けて登場した。1987年に現役を退き映画俳優に転身したが1989年にカムバック。しかし1995年に悪性リンパ腫のため病死。本名はジョン・ミントン。

 

ビッグ・ダディ・リッター BIGDADDY RITTER 1回
番犬 188センチ、115キロ 1953年米・ルイジアナ州ニューオリーンズ:北米ヘビー(カルガリー版)、
54 4 (国) ビッグ・チャレンジ・S
ルイジアナ出身の黒人レスラーで、アメフトのニューヨーク・ジェッツをへて、カナダでプロレス・デビューし、北米選手権を獲得している。日本では大木金太郎張りの一本足頭突きを出して人気を集めた。来日後すぐにアメリカ中西部地区に転戦し、ジャンク・ヤード・ドッグに改名。NWAの主要地区、WWFでトップ・レスラーとして活躍するスターとなった。特に子供のファンが多かったようだ。ドッグに変身してからは、一度も来日しなかった。本名はシルヴェスター・リッター。

 

ビッグ・バッド・オー BIG BAD OH 1回
黒い死神 190センチ、130キロ 1952年米・ジョージア州アトランタ
54 10 (全) ジャイアント・S
アブドーラ・ザ・ブッチャーにスカウトされてプロレス入りした男で、190センチ、130キロという巨漢。しかし、同じくブッチャーの弟子であったビッグ・レッドと共にゴング誌の評判企画「二度と呼んで欲しくないレスラー」にランクされる木偶の坊であった。「ブッチャーの子分は弱い」というジンクスの見本のような男。

 

ビッグ・ブバ BIG BUBBA 1回
怪力用心棒 203センチ、170キロ 1963年米・ケンタッキー州ルイビル : UWF世界ヘビー
63 3 (全) 88 チャンピオン・カーニバル
本名レイモンド・トレイラー。ビッグ・ババ・ロジャース、ビッグ・ボスマン、ザ・ボス、ザ・マン、ザ・ガーディアン・エンジェルなどのリングネームを使っている。得意技はスクラップバスターなど。デビュー当時は、ジム・コルネットの用心棒というギミックで暴れたが、途中から刑務所の看守スタイルに。体格に似合わずかなり器用なレスラーであった。来日前アメリカでは「ビッグ・ババ」と呼ばれていた。日本では御大の手前、「ブバ」と読んだのが真相ではないか。(解説:田村慎司氏、JOE HOOKER SR氏)

 

ザ・ビッグ・ブラック・モンスター THE BIG BLACK MONSTER 1回
196センチ、135キロ 生年月日、出身地不明
60 8 (ジ) サマー・ドリーム・フェスティバル
ミスター・ヒトのブッキングで来日した黒人マスクマン。来日前に「ゴング」誌が煽りまくり、正体=ボボ・ブラジル説まで流れた。フタをあけたらしょっぱい黒人マスクマンで、箸にも棒にもかからずじまい。ジャイアット・キマラ2号(ボツワナ・ビースト)の前身説もあったが、実は南部を主戦場にしていたアブドーラ・ジュニアなる2流レスラーだったらしい。(情報提供:黒い一羽鷹氏)

 

ビッグ・レッド BIG RED 5
ジョージアの赤熊 193センチ、131キロ 1953年米・ジョージア州アトランタ
51 8 (全) ブラックパワー・S、 53 10 (全) ジャイアント・S、54 3 (全) 第7回チャンピオン・力−ニバル、 54 10 (全) 【特】ジャイアント・S、57 4 (新)ビッグ・ファイトS
しょっぱいレスラーのベスト5にランクされるダメ外人。インディアンと黒人の混血で、アメリカでは親しみやすいキャラクターでちびっこファンの人気を集めたが、日本ではブッチャーの愛弟子という事もあり、柄にもなくラフ・ファイトで勝負しようとして、ことごとく日本勢に叩きのめされた。ある意味かわいそうなレスラーだった。正式なリングネームはビッグ・レッド・リース。新日本プロレスに登場した時はビッグ・レッド・ジョンと名乗っていた。本名はジェリー・リース。

 

ビッグバン・ベイダー BIGVAN VADER 7回
皇帝戦士 190センチ、170キロ 1956年米・コロラド州デンバー : CWA世界ヘビー、IWGPヘビー、UWA世界ヘビー、WCW世界ヘビー
62 12 (新) 12・27 イヤーエンド・イン・国技館、63 1(新) 88 新春黄金・S(残留 )、63 4 (新)【特】スーパー・ファイト・S、63 5 (新)【特】88lWGPチャンピオン・S、63 7 (新) サマー・ファイト・S、63 8 (新) 88戦国S、64 1(新) 89新春黄金S
バーン・ガニアにスカウトされ、AWA地区でレオン・ホワイトとして正統派でデビュー、当時のAWA世界王者のスタン・ハンセンにも挑戦している。まもなくヨーロッパに渡り、ブル・パワーに改名。オットー・ワンツからCWA世界ヘビー級選手権を奪取。これに目を付けた新日本プロレスが、TPGの刺客というギミックで日本デビューさせたが、企画のお粗末さにファンが暴動を起こしたのは承知の事実。しかし、彼自身の実力は一流のものであり、汚名返上して新日本プロレスの看板レスラーとなる。その後、UWFインター、全日本プロレスに登場。現在もNOAHに闘いの場を変えて活躍している。

 

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ザ・ヒッピーズ・ジェロム&ジョセフ THE HIPPIES JEROME&JOSEF
フーテン兄弟 ジェロム=187.5センチ、108キロ 1945年米・カリフォルニア州ビッグサー、ジョセフ=187.5センチ、107キロ 1947年米・カリフォルニア州ビッグサー
47 9(日) 第3回NWAタッグリーグ戦
ジェリーとボビーのクリスティ兄弟がはじめて素顔で来日したのが、このヒッピー・スタイルのギミック、ジェロム(=ジェリー:写真左)とジョセフ(=ボビー:写真右)のクリステンセン兄弟である。さすがにチーム・ワークは良かったようだが決定力不足で、リーグ戦においては白星配給係に甘んじた。キャラクター的には時代を感じさせて面白い。来日前はロスでピーズ・ブラザーズと名乗っていた。ヒッピーズは日本向けの名称のようだ。

ジェリー・クリスティー、ボビー・クリスティーの項も見よ。