来日全外国人レスラー名鑑 ヒ(2)
| ビニー・バレンチノ VINNIE VALENTINO
2回 怪鳥 180センチ、110キロ 米・ニューヨーク州 |
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| 59 4 (旧U) UWFオープニング・S、63 2 (新) 88 ビッグ・ファイト・S | |
| ジョージア地区でマイク・デービスとのコンビで売り出したプエルトリコ系の選手。全身ばねのような柔軟な筋肉をもちアクロバチックなレスリングをする才能があったが、喧嘩の弱さも見えていた。フロリダではドリー・ファンク・ジュニアのパートナーとして活躍した実績を持つ。本人よりもカミサン(ダラスカウガール=ウェンディ・リヒター)の方が有名という、「マット界の髪結い亭主]。(追加情報:Joe Hooker Jr.氏) | |
| ヒューゴ・サビノビッチ
HUGO SAVINOVICH 1回 178センチ、107キロ 1952年米・ノースカロライナ州シャーロッテ |
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| 59 7 (全) グランド・チャンピオン・カーニバルV | |
| プエルトリコの名物マネージャーで、時にはレスラー、またある時にはリングアナウンサーと、一人で何役もこなす器用な男。レスラーとしての実績はほとんどない様だが、マネージャーとしてはアブドーラ・ザ・ブッチャーのプエルトリコにおける活動をすべて取り仕切っていた。引退後はWWEでスペイン語放送の解説者となる。 | |
| ビューティフル・バーガード
BEAUTIFUL
BEAUREGARDE
1回 ハワイの野獣 185センチ、118キロ :PNWタッグ |
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| 48 5 (新)【特】ゴールデン・ファイト・S | |
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「ゴールデン・ファイト・シリーズ」の最後の1週間に特別参加した選手だが、小沢に勝った以外は負け続けた弱体選手。長年正体が不明だったが、調査の結果、オレゴン地区でロジャー・カービーとのコンビで活躍していたバーガードなる選手と同一人物であることが判明。1968〜1971年の間に4回PNW地区のタッグ王者となっている。来日前はロスに登場していたようだ。アフロ・ヘアーにジーンズというスタイルだけが印象に残ったレスラー。アメリカでは歌手としても活躍しアルバムも出していたようだ。本名はラリー・ピッチフォード。(情報提供:クライベイビー氏) |
| ヒューラカン・カステロ
HURACAN
CASTILLO キューバの暗殺者 185センチ、102キロ キューバ・サンタクララ(?) :ニードロップ |
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| 53 7 (全) 第1次サマー・アクション・S | |
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フィデル・カステロの変名。詳細はフィデル・カステロの項参照。 |
| ヒューラカン・ラミレス
HURACAN RAMIREZ
1回 暴風仮面 168センチ、84キロ 1932年メキシコシティ :NWA世界ウェルター、UWA世界ウェルター |
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| 50 1 (新) 新春黄金S | |
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暴風仮面として有名なメキシコの大物レスラー。メキシコでは国民的英雄で、そこに目を付けた新日本プロレスが全日本プロレスのマスカラスに対抗して招聘した。レスリングの実力も猪木を唸らせるほどであったが、いかんせん体が小さく、来日は一度だけで終わった。シリーズ中は猪木ともシングルで対決している。(弓矢固めで敗退。)ウラカン・ラナ・インベルディダの創始者であり、彼のこの技なくしては存在し得なかった技も多いだろう。メキシコでの絶大な人気と同じくらい、技の歴史の中でも重要な人物。本名ダニエル・ガルシア。(補足:田村慎司氏) |
| ピラタ・モルガン
PIRATA MORGAN 1回 カリブの海賊 176センチ、97キロ 1962年メキシコ・ネサワルヨコ : ナショナル・ヘビー |
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| 59 11 (全) 84世界最強タッグ決定リーグ戦 | |
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オンブレ・バラ(チャマコ・オルチス)の実弟で、試合中に右目を失明して以来、海賊(ピラタ)スタイルに変身した。1983年にはアルコン・オルチスからナショナル・ヘビー級選手権を獲得する金星を挙げ、翌年2代目タイガーマスクのライバルとして来日した。ベルドウーゴという弟レスラーもいて3人兄弟でロス・ブカネロス・デル・リングを結成。(結成時のメンバー、ジェリー・エストラーダが抜けたためベルドウーゴが新加入)本名はペドロ・オルティス・ビジャヌエバ。(補足:シーク・アリ氏) |
| ビリー・ガスパー BILLY GUSPAR 195センチ、117キロ 1950年11月30日米・カンサス州カンサスシティ : フロリダ・ヘビー |
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| 63 2 (新)【特】88 ビッグ・ファイト・S、63 5 (新) 88 lWGPチャンピオン・S、63 8 (新) 88 戦国S | |
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選手不足に陥った昭和末期の新日本プロレスをかき回した海賊男のリーダーで、正体は何と実力派のカウボーイ・ボブ・オートンである事が後に判明。マスクを一度もはがされる事なく、ほとぼりが冷めた頃にオートンは素顔で何食わぬ顔をして来日している。しかしこのギミックがオートンの日本での出世を阻んだ事は事実である。 |
| ビリー・クラッシャー BILLY CRUSHER 198センチ、132キロ 出身地不明 |
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| 56 10 (新) 10・8新日本VS国際全面対決、 56 10 (新) 闘魂S(残留 ) | |
| ボロ・モンゴル、マスクド・スーパースターの正体といえば分かると思うが、このクラッシャーとして素顔で来日した時は、単なる大型のパワーファイターで、全く活躍できなかった。あまりにもハンサムすぎて、試合に迫力が出ないという評論もあったが、彼がマスクを被りつづけたのもうなずける。 マスクド・スーパースターの項も見よ。 |
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| ビリー・ジャック
BILLY JACK
2回 暴れ馬 190センチ、120キロ 1953年米・オレゴン州ポートランド ベアハッグ :PNWヘビー |
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| 60 3 (新) ビッグ・ファイト・S 第2弾、61 2 (新) ニューウェーブ・ダッシュ | |
| ボディビル上がりのレスラーで、地元のオレゴンでバディー・ローズとの抗争で日本にも紹介され、まだ見ぬ強豪の一人に数えられ、新日本が招聘に成功したが、キャリア不足という事もあっただろうが、筋肉派に典型的な木偶の坊でショッパイ試合で日本陣営の怒りを買った。WWFに移籍し、ビリー・ヘインズに改名し人気を博したが長続きせず、その後インディー団体をわたりあるいた。 | |
| ビリー・ジョイス BILLY JOYCE 1回
英国の大砲 182センチ、110キロ 1935年イギリス・ロンドン :大英帝国ヘビー |
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| 43 5 (国) ワールド選抜 | |
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大英帝国ヘビー級王者を9年に渡り保持した実力者で、「ヘビの穴」ビリー・ライレー・ジムの師範代もつとめた。同ジムを初めて尋ねたベルギーのカール・イスタスはジョイスにボコボコにされ、入門を願い出る。イスタスがその後クラウザー、ゴッチと名を変えていったのはご存じの通りで、そう考えればジョイスが日本プロレス史に及ぼした影響は大きい。しかしながら来日時は日本の飲料水が合わず、下痢を起こし体調不十分で実力の片鱗を見せることは出来なかった。(情報提供:Joe Hooker Jr.、あtろの両氏) |
| ビリー・ツー・リバー
BILLY TWO RIVERS
1回 モヒカン酋長 185センチ、115キロ 米・アリゾナ州インディアン保護区 :インディアンデスロック |
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| 41 3 (日) 第8回ワールドリーグ戦 | |
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アメリカからイギリスに渡り、長くトップスターと活躍したレスラーで、モヒカン刈りの異様なスタイルで日本でも人気を呼んだ。試合振りはインディアン・レスラー特有の気性の激しさはなく、のらりくらりの受けのレスリングを得意としていたらしい。帰国後、死亡説が流れた時期があったが、カナダでカムバックし、死亡したと思っていた関係者を驚かせた。 |
| ビリー・ハミルトン
BILLY HAMILTON
1回 183センチ、110キロ 1940年米・ミズーリ州 |
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| 52 1 (国) 新春パイオニア・S | |
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初代アサシンズとして有名なラリーとジョーのハミルトン兄弟の末弟と称するレスラーだったが、全くショッパイレスラーで、関係者をアキレさせた。リップ・タイラーの推薦で来日したといわれている。 |
| ビリー・フランシス
BILLY FRANCIS 3回 ハワイの流血王2世 195センチ、108キロ 1950年米・ワシントン州 |
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| 49 5 (国) ダイナマイト・S、50 5 (全) ブラック・パワー・S、54 3 (全) 第7回チャンピオン・力ーニバル | ||
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ハワイの流血王として有名なエド・フランシスの実子。プロフットボールから1971年にプロレスに転向。195センチという長身を誇り、素質も十分と期待されたが、大成せずに終わった。 |
| ビリー・マクガイヤー
BILLY McGUIRE
3回 怪物兄弟 188センチ、290キロ 米・サウスカロライナ州 :ボディプレス |
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| 49 1 (新) 新春黄金S、50 1 (新) 新春黄金S、53 1 (新) 新春黄金S | |
| デブ兄弟として有名なザ・マクガイヤー・ツインズの弟の方。来日前は怪奇派として伝えられていたが、ホンダのミニバイクに乗って入場するなど愛敬を振りまき、ちびっこファンを中心に人気爆発。スター外人不足に悩む新日本の正月名物となった。彼らが正月にしか来日しなかったのは、気温が低くなければ彼らの心臓が破裂してしまうからだと、山本小鉄の著書にある。1979年にバイク運転中に転倒し死亡。 | |
| ビリー・レッド・クラウド BILLY RED CLOWD 1回
紅雲酋長 184センチ、110キロ 1928年米・アリゾナ州インディアン保護区 :インディアンデスロック :WWA世界ヘビー(シカゴ版) |
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| 46 11 (国) ビック・ウインター・S | |
| ショショネ族出身の本物のインディアン・レスラーで、デビューはアメリカではなくイギリスはリバプールのリングであった。ビリー・ツー・リバーの従兄とも言われている。1970年代にはAWA圏で活躍し人気を得た。1974年にバロン・フォン・ラシクからWWA世界ヘビー級王座を獲得。引退後はインディアン保護協会を主宰した。日本では倒立式のインディアン・デスロックを披露した以外は、これといった活躍なし。 | |
| ビリー・レッド・ライオン
(ザ・クルセイダーズ1号*) BILLY RED LYONS 4回 赤毛の獅子 190センチ、108キロ 1925年カナダ・オンタリオ州ハミルトン :足4の字固め :テキサス・ヘビー、世界タッグ(シスコ版)、USタッグ(オクラホマ版)、アジア・タッグ |
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| 40 5 (日) ゴールデン・S、48 1 (日) 新春チャンピオン・S、52 1 (全) 新春ジャイアント・S *、 54 5 (全) スーパー・パワー・S | ||
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ザ・デストロイヤーの義兄。(それぞれの嫁が姉妹)太平洋岸からカナダで活躍したレスラーで、得意のドロップキックで2秒で相手をKOしたという伝説を持つ。初来日時はデストロイヤーとのコンビで豊登&馬場組からアジア・タッグ選手権を奪取。2度目の来日では大木のもつインター選手権に挑戦するなど、日本プロレスの評価は高かったようだ。昭和52年にはマスクマンのザ・クルセイダーとして来日している。 |
| ビル・アーウィン
(スーパー・デストロイヤー2号*) BILL ERWIN 3回 喧嘩牧童 188センチ、113キロ 1952年米・ジョージア州アトランタ :アメリカン・タッグ、テキサスTV |
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| 55 1 (全) 新春ジャイアント・S、58 5 (全) グランド・チャンピオン・力ーニバルU、59 2 (全) エキサイト・S* | |
| スコット・アーウィンの弟。デビュー以降、長く素顔でシングル・プレイヤーとして活躍していたが、兄のスコットに誘われスーパーデストロイヤー2号としてマスクマンになりスーパーデストロイヤーズを結成。その後マスクを脱いでAWA地区ではザ・ロングライダーズとして活躍した。しかし兄と死に別れ、再びシングルプレイヤーとなり、テキサス一体で暴れた。なかなか器用なレスラーであった。後に全日本プロレスの常連となる。 | |
| ビル・サベージ
BILL SAVAGE
1回 殺人鬼 182センチ、115キロ アメリカ :イリノイ州ヘビー、カリフォルニア州ヘビー |
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| 32 12 (日)プロレス国際試合 | |
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イリノイ、カリフォルニア選手権者という肩書きで来日。歴史の影に隠れた強豪。沖縄で力道山との力道山とのシングル戦、ファイトマネー上でのいざこざで力道山ともめていたサベージは容赦のない攻撃で一本先取。インターバルの最中、力道山はレフェリーを通じて問題解決を提案。そして試合は成立した。(情報提供:Joe Hooker Jr.氏) |
| ビル・ドロモ
( クラッシャー・ビル・ドロモ*、ジ・インベーダー
**) BILL DROMO
7回 閃光 191センチ、125キロ 1937年カナダマニトバ州ウィニペッグ :アジア・ヘビー、ジョージア・ヘビー |
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| 39 9 (日)プロレス秋の陣 39 12(日)WWA世界選手権S(残留)、42 7 (国) パイオニア・サマー・S*、46 1 (日) 新春チャンピオン・S、47 9 (国) ダイナマイト・S、49 4 (新) 第1回ワールド・リーグ戦 **、 51 9 (新)【特】闘魂S、55 9 (国) 第1次ダイナマイト・S、55 9 (国) 第2次ダイナマイト・S(残留) | |
| 長いキャリアを持つベテランレスラーで、スタニスラウス・ズビスコの甥という触れ込みでビリー・ズビスコとしてデビュー。馬場のニューヨーク第一戦の相手を勤めている。日本ではアジア選手権を奪取した事から、大木金太郎のライバルとして知られている。昭和55年に来日した際も大木の保持するインター選手権に挑戦している。大型で実力も申し分ないが、一流レスラーにはなりきれなかった。ニューヨーク時代にいじめられたのか、ジャイアント馬場はその著書で「(一流になれなかったのは)ドロモの性格に原因があり」と書いている。オフィシャルサイトはこちら。 | |
| ビル・ハワード
BILL HAWARD
3回 爆弾野郎 184センチ、107キロ 1945年米・ウィスコンシン州ミルウォーキー :IWA世界タッグ |
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| 46 9 (国) ダイナマイト・S、48 10 (国) ビッグ・ウインター・S、57 3 (全) 第10回チャンピオン・カーニバル | ||
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AWA地区でてデビュー。日本へは来日直前に交通事故で死亡してヘラクレス・コーテッツの代打に抜擢されて来日し、レッド・バスチェンとのコンビで開幕戦でいきなり木村&杉山組からIWA世界タッグ選手権を獲得した強運な男。帰国後はシングル・プレーヤーとしてカンサスを始めとする中西部地区で活躍した。昭和57年にチャンピオン・カーニバルに出場しているが白星配給係りに終わった。 | |
| ビル・ホワイト
(レッド・デビルス2号#、レッド・デビル*)4回 殺人水夫 183センチ、117キロ 1942年米・フロリダ州タンパ |
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| 48 10 (新) 闘魂シリーズ第2弾、48 12(新) ワールドタイトル・チャレンジS(残留)、52 4 (全) 第5回チャンピオン・力ー二バル、53 9(国)ダイナマイト・S#、 56 2 (国) スーパー・ファイト・S * | |
| レスラーをする前は船乗りをしていたという変わり種。1970年代前半にはマヌエル・ソトとのコンビでWWWF地区で活躍した事もあるが、初来日当時の主戦場はカナダのバンクーバー。タイガー・ジェット・シンによる新宿伊勢丹猪木襲撃事件の共犯者(もう一人はジャック・ルージョー)。全日本プロレスの第5回チャンピオン・カーニバルでは、15人中13位の成績に終わった。(補足:Joe Hooker Jr.氏) | |
| ビル・ミラー
(ミスター・X*)5回 狂った獣医 196センチ、140キロ 1927年米・オハイオ州コロンバス :ネックハンギング、アルゼンチン・バックブリーカー :AWA世界ヘビー、IWA世界ヘビー、USタッグ(NY地区) |
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| 36 4 (日) 第3回ワールドリーグ戦 *、43 1 (日) 新春チャンピオン・S、46 2 (国) AWAビッグ・ファイト・S、47 6 (国) ビッグ・サマー・S、48 6 (全) サマー・アクション・S | |||||
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マスクマンのドクターXとしてデビュー。1934年にオマハでウィルバー・スナイダーからAWA世界ヘビー級選手権を獲得。日本でも赤覆面のミスターXとして力道山を苦しめたが、インター選手権試合で覆面をはがされた。帰国後、旧MSGに登場し、ブルーノ・サンマルチノと抗争を展開する一方で、弟のダンとのコンビでも猛威を振るった。昭和43年にはビル・ミラーのリングネームで来日したにもかかわらずマスクを被ってリングに登場した。昭和46年には素顔で初来日。サンダー杉山からIWA世界選手権を奪取し、アメリカに持ち帰った。実生活は獣医の資格を持つインテリで、プロレスはあくまでも趣味だったというが、彼が本気でプロレスに打ち込んでいれば最強のレスラーになったに違いないと言う意見は多い。サイン | |||
| ビル・ロビンソン BILL ROBINSON 25回 人間風車 191センチ、118キロ 1939年イギリス・マンチェスター :ダブルアーム・スープレックス、ワンハンド・バックブリーカー :大英帝国ヘビー、ヨーロッパ・ヘビー、IWA世界ヘビー、PWFヘビー、UNヘビー、AWA世界タッグ、CWA世界ヘビー |
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| 43 4 (国) 日欧チャンピオン決戦S、43 11 (国) 第1回IWAワールド・S、44 1 (国) ビッグ・ウィンターS(残留)、44 2 (国) 国際ゴールデンS(残留)、44 3 (国) ワールド選抜S(残留)、45 3 (国) 【特】 第2回IWAワールド・S、46 3 (国) 第3回IWAワールド・S、47 9 (国) ダイナマイト・S、49 5 (国) ダイナマイト・S、49 11 (国) 【特】ワールド・チャンピオン・S、50 12【特】(新) 闘魂シリーズ第2弾、51 7 (全) サマー・アクション・S、51 11 (全)【特】スーパーパワー・S、 52 2 (全)【特】エキサイト・S、52 8 (全)【特】第2弾サマー・アクション・S、52 11 (全) 全軍対抗戦、53 5 (全) スーパー・パワー・S、 53 10 (全)【特】 ジャイアント・S、53 12 (全) 世界最強タッグ決定リーグ戦、54 5 (全) スーパー・パワー・S、 55 1 (全) 新春ジャイアント・S、55 5 (全) 【特】スーパー・パワーS、55 10 (全)【特】ジャイアント・S、55 11 (全) 世界最強タッグ決定リーグ戦、 56 7 (全) サマー・アクション・S、57 3 (全) 第10回チャンピオン・カーニバル、59 5 (全)【特】グランド・チャンピオン・カーニバルU、60 10 (全) ワールド・チャンピオン・カーニバル | ||
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ビリーライレージムの出身のレスラーで昭和43年に国際プロレスに初来日。必殺技の人間風車(ダブルアーム・スープレックス)で日本のファンの度肝を抜いた。昭和44年の1月から5月までシリーズを通して日本陣営として活躍し国際プロレスのエースとなる。昭和50年には新日本プロレスに参加、アントニオ猪木との名勝負は今や語り種となっている。新日本プロレスへの参加はこの1シリーズだけで、その後は全日本プロレスの常連となった。全日本プロレスではPWF、UNの両ヘビー級選手権を獲得。ファンには人気が高いが、馬場の彼に関する評価はややひくかったようだ。現在は日本に住み、レスリング学校のコーチを務めている。サイン |
| ビル・ワット
2回 荒馬 196センチ、140キロ 1939年米・オハイオ州コロンバス :オクラホマ・スタンピード :AWA世界ヘビー、IWA世界ヘビー、USタッグ(NY地区) |
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| 42 9 (日) ダイヤモンド・S、49 1 (国) 新春パイオニア・S | ||
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アメフトから転向して成功したレスラーのひとりで、昭和42年日本プロレスの「ダイヤモンド・シリーズ」に初来日し、ターザン・タイラーとのコンビで馬場、吉村組からインタータッグを奪取したが、終始日本人を馬鹿にしたような態度を取り続けた。実は彼の父親が太平洋戦争で戦死したため、かなりの日本人嫌いだったのだという。昭和49年には国際プロレスに来日、ストロング小林の最後のIWA選手権防衛戦の相手となったが、ここでもTシャツを着て試合をするなどわがまま振りを見せた。後にプロモート業にも手を出し、恩人のレロイ・マクガークを裏切り、MSWA地区の興業権を奪い取った。サイン | |