来日全外国人レスラー名鑑 ホ2
| ボブ・アームストロング
BOB ARMSTRONG (ジム・ドランゴ*) 2回 人間鉄塊 189センチ、112キロ 1936年米・ジョージア州クーガークリーク :フルネルソン・スウィング :ジョージア・ヘビー、南部ヘビー(ジョージア版)、アラバマ・ヘビー |
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| 43 8 (日) 第二次サマー・S、47 3 (新) 旗揚げオープニング・S | |
| ブラッド、スコット、スティーブ、ブライアンのアームストロング4兄弟の父親。アトランタ出身で地元ではプロレスラーの傍ら、空軍の格闘技指導員やスポーツ・ジムでウエイト・リフティングのコーチなどもしていた。初来日の前年にはNWAのルーキー・オブ・ザ・イヤーに選出されている。対戦相手をフルネルソンにとらえそのまま回転するネルソン・スイングという荒技を公開して話題を呼んだ。初来日から4年後にはカール・ゴッチのブッキングでジム・ドランゴに名を変え新日本プロレスの旗揚げシリーズにエースとして参加している。 | |
| ボブ・ウィンダム BOB WINDHAM 黒い猛牛 200センチ、120キロ 1945年米・テキサス州ルームショー :エルボードロップ :IWA世界タッグ、WWA世界タッグ、WWWFタッグ、USヘビー(ノースカロライナ版) |
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| 45 11 (国) ビッグ・ウィンター・S | |
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1970年度AWAのルーキー・オブ・ザ・イヤーに輝き、その実績を買われラリー・ヘニングのパートナーとして初来日、IWA世界タッグ選手権をサンダー・杉山、グレート・草津組から奪取、わずかデビューから2年目での快挙であった。帰国後WWWF地区に転戦しブラックジャック・マリガンに改名、ペドロ・モラレスに挑戦するが敗退した。 その後の詳細はブラックジャック・マリガンの項参照。 |
ボブ・エリス → カウボーイ・ボブ・エリスを見よ。
| ボブ・オートン
BOB ORTON
3回 ビッグO 192センチ、118キロ 1930年米・カンサス州 :パイル・ドライバー :サウスウエスト・ヘビー、セントラルステーツ・ヘビー |
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| 30 7 (日) プロレス国際試合、35 2 (日)プロレス春の国際試合 、35 4 (日)第2回ワールドリーグ戦(残留)、50 1 (国) 新春パイオニア・S | |
| カウボーイ・ボブ・オートン、バリー・オートンの父親。1943年にトニー・ステッカーにスカウトされてプロレス・デビュー。地元カンサスでルー・テーズやバディ・ロジャースと熱戦を繰り広げた事で知名度を上げた。またマスクを付けたビッグ・Oとしても有名である。晩年はロス地区でマスクを被りザ・ゾディアックを名乗ってサーキットした。若手時代のヒロ・マツダにレスリングの基礎をコーチしたとも言われている。息子のジュニア、バリーもレスラーになっている。サイン | |
| ボブ・オートン・ジュニア BOB ORTON JR. 195センチ、117キロ 1950年米・カンサス州カンサスシティ : フロリダ・タッグ、フロリダ・ヘビー |
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| 50 4 (全) 第3回チャンピオン・カーニバル | |
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ボブ・オートンの長男で、初来日時にはジュニアを名乗っていた。この初来日で、ザ・ブルーザーやキラー・コワルスキーといった強豪に混じりもまれたことが飛躍につながったという。 詳細はカウボーイ・ボブ・オートンの項参照。 |
| ボブ・オストン BOB OSTON 1回 | |
| 28 12 (旧全)プロレス国際大試合 | |
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おそらく在日米軍兵だと思われるが、詳細などはまったく不明。 |
| ボブ・カーセン
BOB CARSEN 悪魔の使者 178センチ、123キロ 1940年カナダ・アルバータ州カルガリー :アバランシュホールド :北米ヘビー、アリゾナ州ヘビー |
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| 46 5 (日) ゴールデン・S | |
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ボブ・スウィータンの前身。昭和44年にKOコックスの名で国際プロレスに来日が決定しながら、スケジュールの都合でキャンセルしたが、実際には日本プロレスの妨害による来日中止だったといわれている。来日前はアリゾナを主戦場としていた。この初来日では大木のアジア・ヘビーに挑戦しているが惜敗。 ボブ・スウィータンの項参照。 |
| ボブ・ガイゲル
BOB GEIGEL 2回 禿げ鷹 185センチ、114キロ 1930年米・テキサス州 : AWA世界タッグ、中西部タッグ |
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| 49 1 (全)【特】新春NWA・S、51 5 (全)【特】 NWAチャンピオン・S | |
| 来日時はボブ・ジーゲルの名で紹介されていた。体中毛むくじゃらの獣人キャラだが、マニアの方はご存知のようにレスラーであると共に中西部地区のプロモーターでもあり、短期間ではあるがNWAの会長も務めたアメリカ・マット界の実力者だった。レスラーとしてはタッグが得意で、ハードボイルド・ハガティ、スタン・コワルスキーとのコンビでAWA世界タッグを獲得。アメリカ遠征中の佐藤昭男とのタッグで中西部タッグを獲得した事もある。 | |
| ボブ・グリフィン
BOB GRIFFIN
3回 南部の若獅子 180センチ、107キロ 1944年米・フロリダ州ジャクソンビル : パイルドライバー |
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| 45 5 (日) 第1次ゴールデン・S、47 2 (日) ダイナミック・S、49 6 (国) ビッグ・サマー・S | ||
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ジョージア大学時代はアマレスでAAU大会のスターだった。卒業後ドン・カーチスの誘いでプロレス入り。ホームリングのフロリダではジャック・ブリスコとの死闘で名を挙げた。昭和47年のシリーズでは大木金太郎のオールアジア選手権に挑戦する待遇を受けている。性格的に控えめだったためトップにはなれなかったと言われている。 | |
ボブ・ジーゲル → ボブ・ガイゲルを見よ
| ボブ・スウィータン
(ボブ・カーセン*)
BOB SWEETAN 3回 絞殺魔 178センチ、123キロ 1940年カナダ・アルバータ州カルガリー :パイルドライバー :北米ヘビー(カルガリー版)、アリゾナ州ヘビー |
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| 46 5 (日) ゴールデン・S*、56 1 (国) 新春パイオニア・S、59 4 (旧U) UWFオープニング・S | ||
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「絞殺魔」の異名を持つラフ・ファイターで、デビュー当時はKO・コックスと名乗り、カンサス地区でキラー・カール・コックスとのコックス・ブラザーズで売り出す。ボブ・カーセン時代はカナダで北米選手権も獲得している。後にボブ・スイータンに改名し、サンフランシスコや中西部地区で売れっ子となる。昭和56年には10年ぶりに国際プロレスに来日しルー・テーズ杯争奪戦に参加。3年後にはユニバーサルの旗揚げシリーズに来日し、若い高田あたりを痛めつけた。 | |
ボブ・スタンレー → カール・ハイジンガーを見よ
| ボブ・ダラセーラ
(ザ・UFO *、カール・ステイナー**)
BOB DELLA SELLA 6回 180センチ、110キロ 1952年カナダ・モントリオール :ハングマンズホールド :パシフィック・ノースーウエスト・タッグ、北米タッグ(フロリダ版&プエルトリコ版) |
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| 51 7 (国) ビッグ・サマー・S*、 53 1 (国) 新春パイオニア・S、54 4 (国) ビッグ・チャレンジ・S*、59 7 (旧U) UWF無限大記念日*、59 8 (旧U) ビクトリー・ウイークス 、60 10 (新) バーニングスピリット・イン・オータム ** | |
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カナダ出身のレスラーで高校時代はオンタリオ地区のアマレスチャンピオンになっている。高校卒業後プロフットボーラーとして活躍しているところを、ブッチャー・バションにスカウトされてプロレス入り。しかし素顔を隠すためにマスクを被りザ・UFOを名乗った。以後素顔になり本名のボブ・ダラセーラを名乗るが、素顔でもザ・UFOを名乗る事もあった。1980年代にはボブ・ヘッファナン、ジョニー・ヘッファナンを名乗りドン・ケントとのニューカンガルーズで、フロリダやプエルトリコで活躍した。最後の来日では坊主頭にカイゼル髭のナチ・ギミックのカール・ステイナーに変身している。ブレーンクロー、ハングマンズ・ホールドなどダイナミックな技を得意としていた。 |
| ボブ・チャンバート BOB CHAMBERT 1回 181センチ、120キロ カナダ・ケベック州 :原爆固め |
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| 46 10 (国) ビッグ・チャレンジ・S | |
| カナダのケベック州出身で、高校時代には「百年に一人の逸材」と言われた天才レスラー。アマチュア時代の1962〜1965年のAAU大会に連続優勝1966年には大英帝国選手権に優勝、1967年パン・アメリカン選手権で銀メダル、メキシコプレ五輪では4位に入賞、翌年の五輪では7位入賞、生涯勝率9割と言う驚異的な記録を持っている。バーン・ガニアにスカウトされてプロレス入り。初来日でも無名ながら原爆固めを始めとするテクニックの豊富さで話題を集めた。ガニアが「彼の試合を見ないと必ず後悔するだろう」と言って将来性を大いに期待していたが、プロレスの世界にはなじめなかったようだ。忘れられた強豪の一人。 | |
| ボブ・バックランド BOB BACKLUND 18回 超新星、天才児 193センチ、115キロ 1950年米・ミネソタ州ブリンストン :原爆固め、アロミック・ドロップ :WWWFヘビー、WWF世界ヘビー、WWF世界タッグ、ミズーリ州ヘビー |
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| 49 7 (全) サマー・アクション・S第1弾、50 1 (全) 新春ジャイアント・S、50 2 (全) エキサイト・S、53 4(新)【特】第1回MSGシリーズ、53 7(新)【特】サマー・ファイト・S、53 12(新)【特】プレ日本選手権、 54 10(新)【特】闘魂S、55 4 (新)【特】第3回MSG・シリーズ、55 8 (新)【特】ブラディ・ファイト・S、55 9 (新) 9・31ファン感謝スーパーファイト、55 11 (新)【特】第1回MSGタッグ・リーグ戦、56 4 (新)【特】WWFビッグ・ファイト・S第2弾、56 5 (新)【特】第4回MSG・シリーズ、57 1 (新) 1・1三大スペシャルマッチ、 57 7 (新)【特】サマー・ファイト・S 第2弾、59 8【特】(新) ブラディ・ファイト・S、60 5 (新)【特】 lWGP&WWFチャンピオン・S、63 12 (U) 12・22 HEART−BEAT UWF | ||
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ノースダコタ大学時代はAAU大会で5回の優勝実績を誇り、1972年にドリー・ファンク・JRにスカウトされてプロレス入り。キャリアわずか3年でハリー・レイスからミズーリ州へビー級選手権を獲得し、次期世界王者の最右翼と呼ばれた。しかし1977年にWWWFに転戦、ここでスーパースター・ビリー・グラハムからWWWFヘビー級選手権を獲得、途中短期間アントニオ猪木に王座を明け渡したが、1983年にアイアン・シークに奪われるまでMSGの帝王に君臨した。パワーにテクニックをミックスした新世代の王者と評価は高かったが、地味な試合が多く地方の会場での集客力は低かったと言われている。 |
| ボブ・ブーシェ BOB BOUCHER 1回 カナダの流血熊 178センチ、105キロ カナダ・ケベック :プエルトリコ・ヘビー、マリタイム地区タッグ |
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| 52 11 (国) ダイナマイト・S | |
| カナダのケベック出身で、主戦場もカナダのノーバスコシア地区が中心だった。19歳でデビューし、いきなり同地区の北米ジュニア・ヘビー級選手権を獲得した。その後プエルト・リコにも遠征し、プエルト・リコ・ヘビー級選手権者にもなっている。理想的な体格に恵まれていたが、ローカル・レスラーのまま終わった。 | |
| ボブ・ブラウン
BOB BROWN
6回 猛犬 184センチ、120キロ 1935年カナダ・マニトバ州ウィニペグ(テネシー説もあり) :バックブリーカー :セントラルステーツ・ヘビー、ノースウエスト・ヘビー |
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| 48 2 (全) ジャイアント・S結集戦、50 1 (全) 新春ジャイアント・S、52 5 (全) NWAチャンピオン・S、56 2 (全) エキサイト・S、59 3 (全) グランド・チャンピオン・カーニバルT、 60 3 (全) 85激烈!スーパー・パワー・ウォーズ | ||
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ブルドッグのニックネームで知られるラフ・ファイターで中西部地区で長くトップレスラーの座にあり、16度もセントラル・ステーツ選手権を獲得している。悪党とはいえ凶器などは使わず、頑丈な体で相手を痛めつける中西部地区に多く見られるタイプのレスラーであった。ザ・ケンタッキアンズのルーク・ブラウンとは従兄にあたると言われていたがこれはギミックであった事が最近になって判明した。(追加情報 : JOE HOOKER SR氏) サイン |
| ボブ・ブラッガーズ BOB BRUGERS 1回
185センチ、110キロ : ミッドアトランティック・タッグ |
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| 48 9 (国) 第5回lWA・ワールド・S | |
| アマレス出身でバーン・ガニアにスカウトされてプロレス入り。IWAワールド・シリーズのリーグ戦では不戦勝を除いては全敗に終わったものの、気性が激しく、マッドドッグ・バションに将来性を高く評価されていた。ケン・パテラ、リック・フレアーとともにAWAの若手三羽烏と呼ばれていたが、このブラッガーズだけは大成せぬままに飛行機事故にあいレスラー人生を終えてしまった。 | |
| ボブ・ブランゼル
BOB BRUNSZELL 1回
ミズーリの隼 186センチ、115キロ 1949年米・ミズーリ州カンサスシティ :ドロップキック : 中西部タッグ、AWA世界タッグ |
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| 49 3 (国) チャレンジ・S | |
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ジム・ブランゼルの最初のリングネームで、当時すでにマイク・ジョージとのコンビでセントラルステーツ・タッグを獲得する実績を持っていた。 詳細はジム・ブランゼルの項参照。 |
| ボブ・ボイヤー
BOB BOYER
(ボビー・ボルト・イーグル *)4回 小型爆弾 185センチ、102キロ 1932年カナダ・トロント :ボーアンドアロー・バックブリーカー :カナダ・ジュニアヘビー |
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| 41 9 (日) ダイヤモンド・S、44 1 (日) 新春チャンピオン・S、47 4 (新) オープニング・S第2弾、48 9 (新) 闘魂S* | |
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カナダ出身。レスラーになる前は船乗りをしていたが、趣味で始めたレスリングの虜となりプロレスラーに転向。スピードとテクニックはなかなかのもので「小型ダニー・ホッジ」とも呼ばれた。新日本プロレスに初参加の翌年にはインディアン・ギミックのボビー・ボルト・イーグルとして再来日して関係者を驚かせた。昭和41年の来日時はゴリラ・モンスーンにポーカーでファイト・マネーをごっそり巻き上げられたと言う気の毒なエピソードも残している。 |
| ボブ・マーカス BOB MARKUS 1回 185センチ、105キロ 1958年カナダ・オンタリオ州バーリントン |
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| 53 4 (国) スーパー・ファイト・S | |
| 高校時代はアマレスとフットボールの選手として地元ではヒーロー的な存在だったと言う。卒業後トロントのプロモーターであるフランク・タニーにスカウトされてプロレス入りした。ベビーフェイスの選手なのに来日第1戦でいきなりアニマル浜口との金網でスマッチという試合を組まれたが臆することなく、これをこなしていた。帰国後はこれといって活躍したというニュースは入ってこなかった。 | |
| ボブ・マンフリー BOB MANFLIE 駐留軍人 | |
| 29 2 (日) プロレス国際試合、30 12 (旧国) プロレス国際大試合 | |
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ピンチヒッター的にシャープ兄弟らに加わった。軍隊ではアマレスのチャンピオンであったため、スピーディで小気味よいファイトを見せた。飛び入り組では最強の男と言われている。(昭和45年別冊ゴング6月号来日外人レスラー名鑑より:情報提供管様) |
| ボブ・ミラー
BUTCH MILLER
( ザ・タイガー *、ニック・カーター**、ブッチ・ミラー#)
4回 極悪羊飼い 180センチ、112キロ 1944年ニュージーランド・クライストチャーチ :ニードロップ :インターナショナル・タッグ(カルガリー版) |
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| 48 1 (新) 新春バッファロー・S *、49 9 (国) スーパー・ワイド・S**、54 5 (全) スーパー・パワー・S、62 2 (新) スプリング・フレアーアップ 89 # | |
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ニュージーランドの出身で、ボブ・ミラーが本名。この男も来日するたびに改名しているが、最終的にはブッチ・ミラーに落ちついたようだ。レスラーになる前はラグビー選手として活躍し、5年連続でナショナルチームに選抜されている。1968年にプロレス入りし当初は地元で活躍したが、1973年にカナダに渡り同郷のルーク・ウィリアムスとザ・キウィズを結成、すぐに同地区のインタータッグを獲得、その後一時タッグを解消したが、再びシープハーターズとしてチームを再結成。各地を転戦した後WWFで大ブレイクした。 |
| ボブ・ラムステッド BOB RAMSTAD 2回 コロラドの若駒 190センチ、119キロ 1943年米・コロラド州デンバー |
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| 46 2 (日) ダイナミック・ビッグ・S、48 4 (国) ダイナマイト・S | |
| 大学時代にAAUのヘビー級王者となり、バーン・ガニアにスカウトされてプロレス入り。1965年のAWAの新人王になっている。193センチ、120キロという巨体を生かしきれなかったのが致命傷だった。カナダではバック・ラムステッドの名で長く活躍した。 | |
| ボブ・ループ
BOB ROOP
3回 五輪の虎 186センチ、130キロ 1942年米・バージニア州ブラックバース :ショルダーバスター :USヘビー(シスコ版)、フロリダ・ヘビー、USタッグ(フロリダ版) |
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| 45 9 (日) 第1回NWAタッグリーグ戦、49 7 (全) サマー・アクション・S第1弾、54 1 (新) 新春黄金・S | |||
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アマレス全米五輪代表で日本へは日本プロレス、全日本プロレス、新日本プロレスの順でそれぞれ1回づつ来日。特に印象に残っているのは、昭和54年「新春黄金シリーズ」にボリス・マレンコをマネージャーに来日した時であろう。この時はエースのジョニー・パワーズを押さえて猪木のNWF王座に挑戦、がちがちのストロングファイトで猪木を大いに苦しめたが、スタミナ切れ直前でマレンコが乱入し消化不良の結末となった。文句なく強かったがファイトスタイルが余りにも地味なため、ファンの受けは悪かった。また昭和49年の来日でも馬場からショルダーバスターでフォールを奪う金星を挙げている。 | |
| ボブ・レムス BOB REMUS ミネソタの新星 196センチ、132キロ 1948年米・コネチカット州ウィルマー |
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| 50 7 (全) サマー・アクション・S | |
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ボブ・リーマスが正確な発音。ボビー・スローター時代と同じ愛国者ギミックであった。後のサージェント・スローターの若き日の姿である。 詳細はサージェント・スローターの項参照。 |
| ボボ・カーン BOBO KAHN 1回 | |
| 35 7 (日)プロレス夏の国際試合 | |
| 昭和35年に来日した謎の黒覆面。アメリカでは素顔でファイトしていた事もあったようだが、詳細は不明。 | |
| ボボ・ブラジル
BOBO BRAZIL
15回 黒い魔人 195センチ、127キロ 1929年米・ミシガン州ペントンハーバー :ココバット :WWA世界ヘビー、インターナショナル・ヘビー、USヘビー(デトロイト版) |
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| 32 8 (日) 秋の国際試合、43 6 (日) ゴールデン・S、44 4 (日) 第11回ワールドリーグ戦、45 1 (日) 新春チャンピオン・S、 47 1 (日) 新春チャンピオン・S、47 6 (日) 【特】第一次ゴールデン・S、47 11 (日) 【特】 インター選手権・S、48 2 (全)【特】ジャイアント・S結集戦、48 8 (全)【特】ワールド・チャンピオン・S、50 2 (全) エキサイト・S、50 5 (全) ブラック・パワー・S、 51 8 (全) ブラックパワー・S、52 10 (全) ジャイアント・S、53 10 (全) ジャイアント・S、54 8 (全) ブラック・パワー・S | ||
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ニグロ・リーグを経てプロレス入りしたあたりはライバルであったジャイアント馬場を同じ経歴を持つ。黒人レスラーの地位向上に貢献し、人種差別の激しいアメリカでも一目置かれた文字どおりの超一流レスラー。日本での実績もすばらしく、日本プロの宝であるインターナショナル選手権を二度にわたって腰に巻いている。長身から繰り出すココ・バットはプロレス以上屈指の必殺技。しかし晩年はブッチャーに造反にあったり、花束にかぶり付くなどイメージを落とした。1998年に他界、日本で一般紙でその訃報が報じられた数少ない外人レスラーである。本名ヒューストン・ハリス。 サイン | |
ボリス・マレンコ → グレート・マレンコを見よ
| ボロ・モンゴル BORO MONGOL モンゴルの巨人 196センチ、140キロ モンゴル? :蒙古式ベアハッグ :IWA世界タッグ |
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| 49 4 (新) 第1回ワールド・リーグ戦、51 7 (新) アジア・リーグ戦 | |
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ベーポとコンビを解消したジートが探し出したモンゴル3号で新興団体IWAやNWFせ活躍した。初来日時はベーポよりも体格も大きく期待を集めたが、キャリア不足で期待を裏切った。正体は後のマスクド・スーパースターのビル・イーディーであった。 マスクド・スーパースターの項も参照の事。 |
| ホワン・ラマス
JUAN RAMUS
1回 メキシコの虎 186センチ、105キロ 1934年メキシコ・ザカテカス :ナショナル・ヘビー |
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| 43 8 (国) ワールド・サマー・S | |
| 13才の時にザカテカスからメキシコシティに移り、アマレスに興味を持つ。17才でアマレスのメキシコチャンピオンとなりそのままプロレス入り。プロ入りして直ぐにメキシコのナショナル・ヘビー級王座を獲得。ザ・デストロイヤー、フレッド・ブラッシーの挑戦も退けた実績を持っている。メキシコのほかにロスでも活躍した。 | |
| ホンブレ・モンタナ HOMBRE MONTANA
1回 人間山脈 183センチ、158キロ 1918年アルゼンチン :ボディプレス :世界タッグ(太平洋岸地区)、アルゼンチン・ヘビー |
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| 35 4 (日) 第2回ワールドリーグ戦 | |
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アルゼンチン出身の巨漢レスラーで、リングネームはスペイン語で「人間山脈」と言う意味。1936年のベルリンオリンピックのアマレス代表に選ばれたが、母国が資金不足で参加を断念したため、アメリカに渡りプロレスラーとなる。おもに太平洋岸で活躍し、レオ・ノメリーニとのコンビで世界タッグ選手権を獲得している。引退後はロスで「ホンブレ・モンタナ」なるレストランを経営していたらしい。 |