来日全外国人レスラー名鑑 フ(2)

 

ブラックジャック・スレード BLACKJACK SLADE 1回
ネバダの山賊 191センチ、124キロ 米・ネバダ州
48 6 (全) サマー・アクション・S
「ネバダの山賊」と言われた悪党でサンフランシスコあたりを主戦場にしていたレスラーだが、中堅どころに軽くひねられていたあたり3流レスラーと考えて間違いなさそう。本名はジョセフ・グレイ。

 

ブラックジャック・ダニエル BLACKJACK DANIELS
185センチ、115キロ 経歴不詳
42 2 (日) MSGシリーズ
1960年代後半から1970年代初頭にかけてニューヨークのWWWF地区で一世を風靡したザ・モンゴルズのリーダー ジート・モンゴルの前身。典型的な2流のラフ・ファイターであった。

ジート・モンゴルの項も見よ。

 

ブラックジャック・マリガン BLACKJACK MULLIGUN (ボブ・ウィンダム*) 5回
黒い猛牛 200センチ、120キロ 1945年米・テキサス州ルームショー :ジャンピング・エルボーアタック :IWA世界タッグ、WWA世界タッグ、WWWFタッグ、USヘビー(ノースカロライナ版)
45 11 (国) ビッグ・ウィンター・S*、48 9 (国) 第5回lWA・ワールド・S、49 10 (全) ジャイアント・S第2弾、52 8 (新) 闘魂S、58 1 (新) 新春黄金・S
1969年にフリッツ・フォン・エリックにスカウトされ、本名のボブ・ウィンダムでデビュー。翌年AWAの新人賞を獲得し、ラリー・ヘニングとのタッグで国際プロに初来日、デビューわずか1年でIWA世界タッグを強奪。帰国後、マリガンに改名しランザとのブラックジャックスでWWA、WWWFのタッグタイトルを獲得した。マリガンとしては国際プロレスの第5回ワールドシリーズで決勝戦に進出する活躍を見せたが、全日本プロレス、新日本プロレスのリングでは真価を発揮できず。従兄のディック・マードックと共同でアマリロ地区のプロモートを手がけるが失敗。1989年に偽札作りで逮捕され表舞台から姿を消した。バリーとケンドール・ウィンダムの兄弟の父親である。

 

ブラックジャック・モース BLACKJACK MORSE(ブラック・デビル *)3回
コロラドの猛牛 198センチ、130キロ 1952年米・コロラド州デンバー :ネックハンギング
50 8 (全) 第2次サマー・アクション・S*、51 8 (新) 闘魂S、52 4 (新) ゴールデン・ファイト・S
初来日は「本物の」ブラック・デビルとしてであったが、当時デビュー5年目のルーキー。にもかかわらずデストロイヤーとの覆面10番勝負に出場させられたのだから荷が重かった。その後素顔で新日本に参加しているが、全くの木偶の坊で、日本マット界に定着する事はなかった。アメリカではオレゴンやハワイで活躍していたようだ。本名はランディ・リー・モース。

 

ブラックジャック・ランザ BLACKJACK RANZA (カウボーイ・ジャック・ランザ*) 3回
黒い荒馬 190センチ、115キロ 1942年米・ニューメキシコ州アルバカーキ :
ブレーン・クロー :WWA世界ヘビー、WWA世界タッグ(デトロイト版)、WWWF世界タッグ、AWA世界タッグ
41 7(日) 【特】ゴールデン・S*、41 7(日) 第一次サマー・S(残留)*、46 7 (国) ビッグ・サマー・S、53 12 (全) 世界最強タッグ決定リーグ戦
AWA地区で活躍した大型ラフファイターで、元々はカウボーイ・スタイルの正統派だったが、ボビー・ビーナンのアイディアで用心棒キャラに変身し成功を収めた。マリガンとのブラックジャックスではブル&クラ・コンビとの抗争で名を挙げWWA世界タッグを獲得、ニューヨークに転戦してもWWWFタッグを獲得した。1982年ごろ体調不良でリングを遠のいていたが、1984年の復帰時にはコスチュームを黒から白に変えて正統派に転向。ジャンボ鶴田のAWA世界選手権にも挑戦している。

 

ブラックマン BLACKMAN 1回
忍者仮面 168センチ、86キロ 1949年メキシコ・ハリスコ州グアダラハラ :UWA世界ライト、UWA世界ウェルター
57 3 (新) 第5回MSG・シリーズ
忍者仮面のニックネームで日本でも早くから注目されていたルチャドールで、1978年にエル・マティマティコからUWA世界ライト級選手権を獲得、以降69回連続防衛記録を樹立した軽量級最強の男。日本へはタイガーマスクへの刺客としてやってきたが、やはり体格差のハンデに泣いた。帰国後UWA世界ウェルター級選手権も獲得するが、その翌週にマスクをはがされた(本名:アルバロ・メンデス)。

 

ブラッド・アームストロング 1回
野生の虎 188センチ、116キロ 1958年米・ジョージア州アリエッタ :ドロップキック :ナショナル・タッグ、ナショナル・ヘビー、WCW世界ライトヘビー、UWA世界タッグ
61 7 (全) 【特】86 サマーアクションS
ボブ・アームストロングの長男で、スコット、スティーブの実兄。父の英才教育を受け、大学卒業と同時にプロレスデビュー。長く父とのコンビで活躍していたが、ティム・ホーナーと知り合い「ライトニング・エキスプレス」を結成。日本での主戦場を全日本プロレスから新日本プロレスに鞍替え。ホーナーとのコンビではUWF世界タッグ選手権を獲得した。チーム解散後はシングルプレーヤーとしてWCWで活躍し、世界ライトヘビー級選手権者にもなった。本名はロバート・ジェームス・ジュニア。

 

ブラッド・レイガンズ BRAD RHEINGANS 2回
鬼神 185センチ、112キロ 1953年米・ミネソタ州アップルトン :サイド・スープレックス
 :AWA世界タッグ
58 8 (全) スーパー・パワー・S、61 10 (全) 86 ジャイアント・S
アマレス時代はパンアメリカン選手権を2度も獲得した実力者。ノースダコタ大学の先輩であるボブ・バックランドに薦められ、バーン・ガニアの元でデビュー。AWA地区でデビュー直後から大型新人登場として注目を集め、ヨーロッパ遠征、日本遠征を経験。ガニアの後継者として期待を集めるが、レスラーとしては地味すぎて人気が出ず、若手選手のコーチを兼任するようになった。平成に入り新日本プロレスに登場し、日米ソ対抗戦のアメリカ軍の参謀として活躍した。

 

ブラディ・ブーン BRADY BOONE 1回
フロリダの筋肉獣 182センチ、105キロ 1960年米・フロリダ州タンパ
62 5 (全) 87 スーパー・パワー・S
フロリダ出身で、全米の独立団体でファイト、一時はWWFとも契約したが、前座要因で終わる。日本でも小兵ながらイキのいい試合振りで沸かせたが、なぜかチャンスに恵まれなかったのが残念。後にマスクを被り、ファイヤー・キャットとしても来日している。1998年、交通事故で死去。(解説:黒い一羽鷹氏)

 

フランキー・レイン FRANKIE LANE 2回
西部の若獅子 182センチ、105キロ 1947年カナダ・アルバータ州カルガリー :ブルドッキングヘッドロック :太平洋岸ヘビー、アメリカス・ヘビー
45 9 (日) 第1回NWAタッグリーグ戦、46 9 (日) 第2回NWAタッグ・リーグ戦
ポーランドの出身という説もある。カウボーイ出身のレスラーで、第1回、2回のNWAタッグリーグ戦に連続参加し、きびきびしたファイトで人気を集めた。特に第2回にボブ・エリスとのカウボーイ・コンビで参加した時は、二人ともハンサムで女性ファンの人気を獲得した。しかしこの時、幼稚園に孫を送った帰りの60歳の老婆をレイプするという前代未聞の不祥事を起こし強制送還され、以後2度と来日していない。1970年代前半はロス、サンフランシスコを中心に活躍したが、晩年はプエルトリコを主戦場とした。ブルドッキング・ヘッドロックが得意技。

 

フランク・グレン FRANK GRENN 在日アメリカ人
170センチ、99キロ 米・オハイオ州
29 3(旧全)プロレス国際大試合、 29 4(旧全) 日本・在日米軍対抗プロレス試合
ブルドッグ・ブッチャーらと全日本プロレスの興行に登場したアメリカ人だが、どうやら軍人ではなかったようだ。以下、昭和29年4月に開催されたマナスル登山後援募金日本在日米軍対抗プロレス試合のプログラムより。「一九三九年より一九四二年迄オハイオ洲立大学のアマチュアー レスリングチヤンピオン。一九四五年プロに転向し一九四六年及一九四七年のオハイオ洲選手権者。」原文のまま。(資料提供:トレーナー様)

 

フランク・サベージ FRANK SAVAGE 1回
190センチ、120キロ 1957年カナダ・オクラホマ州
56 7 (新) サマー・ファイト・S
キラー・コワルスキーのレスリング学校の卒業生でカナダでプロデビュー。来日当時はニューヨーク地区をサーキットしており、MSGにも出場、谷津嘉明とはライバル関係にあった。190センチ、120キロと恵まれた体格を誇ったが中堅のまま終わってしまった。

 

フランク・デューセック 1回
ブロンドタイガー 185センチ、117キロ 1952年米・ネブラスカ州オマハ :WCWA世界タッグ
57 8 (全) スーパー・パワー・S
往年のレスラー、ジョー・デューセックの息子。来日第1戦のTVマッチでジャンボ・鶴田と対戦、得意の雪崩式ブレーン・バスターを狙ったがかけられず敗れたのが記憶にある。ルーファス・ジョーンズと組み、佐藤、石川組のアジア・タッグ王座にも挑んだ。その後、テキサス・ダラス地区ではWCWA世界タッグ王座も獲得している。(解説:黒い一羽鷹氏)

 

フランク・バロワ FRANK VAROIS 4回
王朝の騎士 192センチ、125キロ 1923年フランス :アジア・タッグ、ヨーロッパ・ヘビー
35 4 (日) 第2回ワールドリーグ戦、35 5 (日) プロレス選抜戦、44 10 (国) IWA世界タッグ・S、49 2 (新) ビッグ・ファイト・S、49 6 (国) ビッグ・サマー・S
フランス出身の大型レスラーで、世界王者のヘンリー・デグレーンのコーチを受けてプロレス入り。初来日の際にはダン・ミラーとのコンビでアジア・タッグ王座決定戦に出場し、見事に王座を獲得。2度目の来日ではフランス国籍のシャチ横内とのコンビでフランス代表としてタッグリーグに参加している。モントリオールでモンスター・ロシモフと知り合いマネージャーとなる。私生活ではかなりのホラ吹きだったそうだ。アンドレの葬儀に久々に公式の場に姿を見せ、泣き崩れる姿は関係者の涙を誘ったという。ワールド大リーグ戦のタスキには「ヴァロイス」と表記されていた。(カラー写真撮影:HARU1番様)

 

フランク・ヴァロイス → フランク・バロワを見よ

 

フランク・ヒル FRANK HILL 1回
荒熊酋長 188センチ、125キロ 生年月日不明 米・カンサス州カンサスシティ :トマホークチョップ :WWF世界タッグ、世界タッグ(ロス地区)
54 11 (全) 世界最強タッグ決定リーグ戦
海外ではチーフ・ランニング・ヒルとも名乗る。昭和54年の「世界最強タッグ決定リーグ戦」にワフー・マクダニエルのパートナーに起用され初来日したが、キャリア不足がたたり連戦連敗。ワフーの足を大いに引っ張った。帰国後はロスに定着してアル・マドリルとのコンビでWWF認定のロス地区世界タッグを獲得するなどトップ・スターとして活躍、ニューヨークに転戦してジュリアス・ストロンボーに改名し、チーフ・ジェイ・ストロンボーとのコンビでWWF世界タッグを獲得した。サイン

 

フランク・ホルツ FRANK HOLTZ 1回 
190センチ、121キロ 米・フィラデルフィア州ピッツバーグ
44 2 (日) ダイナミック・S

ピッツバーグ生まれで、同地区の大物プロモーターのトーツ・モントにスカウトされてプロレス入り。一応WWWFエリアに当たる地区で活躍していながらMSGの興業には出場していない。ホルツの本職はレスラーではなく、ピックバーグ市の交通係りの巡査であった。日本へは長期休暇を利用して立ってきたのかもしれない。全日本プロレス旗揚げ直前に渡米したジャイアント馬場とシングルで対戦している。

 

フランク・モレル FRANK MORREL (フランク・モレロ*) 3回
死神 190センチ、121キロ 1944年米・オクラホマ州タルサ
47 11 (新) ニュー・ダイヤモンド・S、53 3 (全) 第6回チャンピオン・力ーニバル、59 10 (旧U) ストロング・ウイークス*
「ドイツ出身のレスラーで、ヨーロッパ時代はガードマンから血を求めてレスラーになった」とナチ・ギミックで参加した新日本プロレスのパンフで紹介されていたが、本当はアメリカ人であった。初来日の後に渡米、テキサスでジ・エンジェルを名乗りブルート・バーナードのコンビで売り出す。第6回チャンピオン・カーニバルに来日時はゴング誌がかなりの期待をかけていたが、完全な期待外れに終わり、0点という不甲斐ない成績に終わった。その6年後にはUWFに来日。UWFフロントの暴挙にオールドファンは驚かされた。

 

フランク・モレロ FRANK MORREL
死神 190センチ、121キロ 1944年米・オクラホマ州タルサ
59 10 (旧U) ストロング・ウイークス
新日本プロレス、全日本プロレスにそれぞれ1度づつ来日経験をもつフランク・モレルの変名。しかし、UWFでどのようなファイトをしたのであろうか?

詳細はフランク・モレルの項参照。

 

フランク・ランカスター FRANK LANCASTER 1回
肉弾野郎 188センチ、110キロ 1960年米・アラバマ州モントゴメリー
62 1 (全) 87 新春ジャイアント・S
ボディビルでミスター・アラバマ、ミスター・フロリダのタイトルを獲得した後、バディ・フラーを頼ってプロレス入り。初来日ではいきなり天龍のUN王座に挑戦、更には原の代役として2代目タイガーの「猛虎7番勝負」の相手にも抜擢された。しかしこれといった特徴のないレスラーであり、馬場がなぜここまで厚遇したのか不可解である。WCWにも上がっていたことがある。(情報提供:黒い一羽鷹氏)

 

フランシスコ・フローレス FRANCISCO FLORES ( ゴールデン・ファルコン*)3回
流れ星 184センチ、108キロ 1940年メキシコ :メキシカンストレッチ :アメリカス・タッグ
44 9 (日) ダイヤモンド・S、47 2 (日) ダイナミック・S、52 10 (新) 闘魂S第2弾 *
兄のゴリリタ・フローレスにあこがれてプロレス入り。メキシコ時代の経歴は不祥だが、アメリカでのデビューはアルフォンソ・ダンテスとのコンビでロスに登場。この時なぜか1960年に崩壊したAWA世界タッグのベルトを締めておりマニアの話題の的となる。以後、ロスを主戦場に活躍。ミル・マスカラスなどのパートナーを務めた。マスクマンのゴールデン・ファルコンとして来日したこともある。UWA会長とは同名異人。

 

フリッキー・アルバーツ FRICKEY ARBERTS 1回
183センチ、105キロ 南アフリカ : 南アフリカタッグ
48 9 (国) 第5回lWA・ワールド・S
南アフリカ出身のレスラーで、プロレス入りする前はアマレスとラグビーで体を鍛えていた。ウィリアム・ホールのタッグ・パートナーとして活躍し、南アフリカ・タッグ選手権を保持していた事もある。主戦場は南アフリカとヨーロッパだった様だ。リーグ戦での成績は不振に終わった。

 

フリッツ・フォン・エリック FRITZ VON ERICH 8回
鉄の爪 195センチ、120キロ 1931年ドイツ・ベルリン(実際は米・テキサス州) :アイアン・クロー :AWA世界ヘビー、テキサス・ヘビー、アメリカン・ヘビー、インター・タッグ
41 11 (日) 【特】ウインター・S、42 5 (日) アイアン・クロー・S、45 2 (日)アイアンクロー・S、46 9 (日) 【特】サマー・ミステリー・S、48 4 (日) アイアンクロー・S、48 12(全)【特】ジャイアント・S第2弾、50 7 (全)【特】サマー・アクション・S、54 1(全)【特】新春ジャイアント・S
レスラーとして、またプロモーターとして多くのレスラーから一目を置かれたのは、ジャイアント馬場とこのエリックぐらいの者だろう。ドイツ人ギミックで売ったが、両親がユダヤ系移民だったという説がある。リング上での実力者振りはもちろんのこと、一緒に来日したミル・マスカラスがゴマをすっていたというぐらいプロモーターとしても威厳を持ち、1975年からはNWA会長も勤めた。必殺技のアイアンクローは一度つかんだら絶対はなさない。その握力は130キロを超えていたという。リング上での栄光とは裏腹に、私生活では5人の息子を事故死で亡くしており、ケネディ家とともに呪われた一家と呼ばれ、晩年は寂しいものだったといわれている。1997年に肺がんの為他界。サイン

 

フリッツ・フォン・ゲーリング FRITZ VON GOERING 2回
ナチの流血獣 192センチ、123キロ 1934年ドイツ :インターナショナル・タッグ
41 9 (日) ダイヤモンド・S、47 9 (日) 第3回NWAタッグリーグ戦
ナチの流血獣というニックネームで知られるドイツ系のラフ・ファイター。日本へはマイク・パドーシスとのコンビでインターナショナル・タッグ選手権者として初来日。しかしこのタイトルは馬場、吉村組に奪われ、以後日本プロレスの看板タイトルとなった。6年後に同じナチ・ギミックのワルドー・フォン・エリックとのコンビでNWAタッグ・リーグ戦に参加したが、往年の迫力は全くなくなっていた。

 

プリティーボーイ・アンソニー PRETTYBOY ANTHONY (マスクト・インベーダー*) 2回
190センチ、130キロ 1947年カナダ・ノーバスコシア :ボディプレス
51 5 (国) ビッグ・チャレンジ・S、52 4 (国)ダイナマイト・S*
リングネームとは裏腹に190センチを超える巨漢レスラー。カナダから太平洋岸北部あたりで活躍したレスラーのようで、巨体に似合わずトップロープからのボディ・プレスなどを器用に使いこなしていたようだ。翌年覆面を付けてマスクト・インベーダーとして来日している。本名はジョセフ・アンソニー・ハーバート。マスクト・インベーダーの項も見よ。(情報提供:我理氏)

 

プリモ・カルネラ PRIMO CARNERA 1回
動くアルプス 195センチ、148キロ 1906年イタリア :殺人パンチ :世界タッグ
30 7 (日) プロレス国際試合
イタリアの出身で元ボクシング世界チャンピオン。ボクサーを引退後は故郷のイタリアに戻っていたが、ロスのプロモーター D・マッコイの誘いでプロレスに転向。「動くアルプス」のニックネームでニューヨークのマットで活躍。後にサンフランシスコに転戦し、サンダー・ザボーとのコンビで世界タッグを獲得したが、彼にとってはこれが唯一のタイトルとなった。マフィアとの悪縁が元で身を持ち崩しアメリカから逃げるようにイタリアに帰国したといわれている。1967年にイタリアで風土病のため死亡。

 

プリンス・イヤウケア PRINCE IAUKEA
ハワイの巨象 196センチ、162キロ  1936年米・ハワイ州ホノルル :フライング・ソーセージ : WWWFタッグ、ハワイ・ヘビー、USヘビー(シスコ版)
35 10 (日) 日米就航百年記念・春の国際試合、39 2 (日)【特】 春の国際大会、43 1 (日) 新春チャンピオン・S、45 2 (日) ダイナミック・S、45 2 (日)アイアンクロー・S(残留)
カメハメハ大王の末裔といわれ、ハワイでは名門の家筋の出。初来日では恐れ知らずの活きのいいファイトが力道山の目にとまり、エースと目されていたテキサス・マッケンジーを抑えてインターナショナル選手権に挑戦したが、善戦空しく敗退。帰国後はハワイ・ヘビーを獲得し、当地の英雄として活躍、キングに改名してからはWWWF地区に転出し悪党修行を積む。

キング・イヤウケヤの項も見よ。

 

プリンス・クマリ PRINCE KUMALI 2回
ケニアの黒豹 192センチ、115キロ 1933年ケニア :ヘッドバット :中東ヘビー
43 8 (国) ワールド・サマー・S、47 9 (新) ニュー・ゴールデン・S
「アフリカの黒獅子」のニックネームを持つ黒人レスラー。ケニアの王族出身といわれ、子供の頃からライオン狩の名人で、ライオンの毛皮を巻いてリングに登場するギミックでヨーロッパを中心に活躍した。他の黒人レスラーと同じく、頭突きを主体にした攻撃を得意としていたようだ。国際プロレスではそれなりの活躍を見せたが、新日本プロレス来日時は精彩を欠いていた。得意技はヘッドバット。

 

プリンス・トンガ → 外国人留学生名鑑を見よ

 

プリンス・ピューリン PRINCE PULLIN 2回
黒い怪鳥 182センチ、105キロ 1940年米・イリノイ州シカゴ :ヘッドバット
45 8(日)サマー・S、 50 9 (全) ジャイアント・S
シカゴでデビューした黒人レスラーで、「怪鳥」の異名の通りドロップキックを得意とした。初来日ではアブドーラ・ブッチャーとのコンビで黒人旋風を巻き起こした。コブラツイストの変形パイソン・ロックなる技を持っていたようだが、日本では公開していない。来日前のプロフィールでは身長が190センチとなっていたが、180センチあるかないかの小柄な男であった。

 

ブル・カーリー BULL CURRY 1回
猿人 183センチ、109キロ 1926年米・テキサス州ダラス :ニードロップ、凶器攻撃 :ブラスナックル選手権(ダラス版)、テキサス・ヘビー、ジョージア・ヘビー
39 4 (日) 第6回ワールドリーグ戦、39 5(日) ワールド選抜S(残留)
アラビア系アメリカ人。プロレス入り前はプロボクサーをしており世界王者となるジャック・デンプシーと戦った実績を持つ。「猿人」のニックネーム通り、全盛期にはドラム缶を凶器にするなどの過激な反則で無法の限りを尽くした超悪党レスラーで、全米各地で出場停止を食らっているが、レスラー転向前は警察官をしていたというからおもしろい。息子のフレッドがデビューしてからは、あまり悪どい反則をやら無くなったようだ。親子タッグではデトロイト地区で活躍した。実はかなり年齢をごまかしていたらしい。オフィシャルサイトはこちら

 

ブル・グレゴリー BULL GREGORY 2回
猛牛 180センチ、119キロ カナダ・モントリオール
50 7 (新) サマー・ファイト・S、51 10 (国) 勇猛シリーズ

カナダのモントリオールを主戦場としていたレスラーで、新日本プロレス勢のモントリオール遠征の際、坂口と対戦し敗退している。新日本プロへはオザーク・モルナー(=アリ・ババ)とのコンビで参加したが、風貌も体型もまるで双子のように似ていた。国際プロレスではジプシー・ジョー、ギル・ヘイズの子分格として活躍。だるまのような体型の名前のとおりのブル・ファイターであった。

 

ブル・デービス BULL DAVIS 1回
海賊王 185センチ、115キロ 1928年イギリス :英国南部ヘビー
43 6 (国) ビッグ・サマー・S、43 8 (国)ワールド・サマー・S(残留)
かつて七つの海を荒らしまわった海賊王デービスの末裔というギミックで売り出したラフファイター。26才の時にサンフランシスコでプロレスを観戦し、国際航路の船員を辞めてレスラーになったと言う。その後はイギリスで活躍し英国南部ヘビー級王者として来日し、グレート草津に王座を明け渡した。

 

ブル・バリンスキー BULL BULLINSKI (バッドボーイ・シールド*) 2回
暴走野郎 180センチ、125キロ 1934年米・オハイオ州クリーブランド
45 1 (国) 新春チャレンジ・S *、47 10 (国) ビッグ・ウインター・S
バッドボーイ・シールド時代はカナダを主戦場としていたが、初来日時に一緒になったバーン・ガニアにゴマを擦りまくって、ガニアに気に入られAWA地区に転出。ここで暴走族スタイルに変身し人気を獲得し、AWA圏で長く中堅レスラーとして活躍した。レスラーになる前は車の整備士をしており、仕事中に車の下敷きになったが、怪力で車を跳ね除けたというエピソードを持つ。

 

ブル・ラモス BULL RAMOS 8回
殺人アパッチ 180センチ、132キロ 1935年米・アリゾナ州フェニックス :ボディプレス :アメリカス・ヘビー、アメリカス・タッグ、PNWヘビー
44 2 (日) ダイナミック・S、44 11 (日) NWAシリーズ、46 8 (日) サマー・ミステリー・S、47 8 (日) 第2次サマー・ビッグ・S、48 6 (全) サマー・アクション・S、50 8 (全) 第2次サマー・アクション・S、52 4 (全) 第5回チャンピオン・力ー二バル、 53 1 (全) 新春ジャイアント・S
アパッチ・インディアンとメキシコ人の混血。ロサンゼルス地区で悪名を轟かせ、ミル・マスカラスとのチェーン・マッチで売り出した。猪木にもチェーン・デスマッチを迫ったが実現はしなかった。日本プロレス崩壊後は全日本プロレスの常連となり、キング・イヤウケヤとコンビを結成しタイクーンズと名乗って日本勢を苦しめた。昭和47年にクリス・マルコフと起こした乱闘騒ぎは有名。馬としゃべれるという変な特技を持つ。(写真提供HARU一番様)