来日全外国人レスラー名鑑 フ(3)

 

ブルー・インファーノス1号 → インファーノス1号を見よ

ブルー・インファーノス2号 → インファーノス2号を見よ

 

ブルー・シャーク THE BLUE SHARK
●青鮫仮面  181センチ、111キロ
1934年 米・オハイオ州フレモント出身 スープレックス
●アジア・タッグ(日本プロレス)、カナディアン・タッグ(バンクーバー版)、インターナショナル・タッグ(カルガリー版)、WWWF・USタッグ、NWA世界タッグ(デトロイト版、テキサス版)、テキサス・ヘビー、イースタンステーツ・ヘビー、北米ヘビー(トライステーツ版)
51 2 (全) エキサイト・S

ザ・デストロイヤーの覆面10番勝負の第9戦の相手として来日。ネックハンギングなどを得意とするパワーファイター。意外な大物の変身と言う触れ込みだったが、正体はビル・ミラーの弟ダン・ミラーである。ジョージアに出現した怪覆面と紹介されたが、もちろん映画「ジョーズ」の話題性にあやかった日本限定のギミック。

 

ブルー・ディモン1号 BLUE DEMON
青い悪魔 ●188センチ、125キロ
●1944年 米・ミネソタ州セントクラウド出身 ●パワースラム
●USタッグ(オクラホマ版)、テキサス・ヘビー、フロリダ・ヘビー
45 9 (国) ダイナマイト・S

国際プロレスが行なった「あなたがプロモーター」なる人気投票の4位に選ばれ来日したが、中身は本物ではなく、前のシリーズに参加していたレス・ウォルフであった。オリジナルのブルー・ディモンが日本プロの工作によって来日をキャンセルしたための苦肉の策であったといわれているが、オリジナルを来日させようとしていたのかは実際のところ不明である。同じく残留参加していたドクター・デスとの覆面コンビで暴れた。

バディ・ウォルフの項も見よ。

 

ブルー・デビル BLUE DEMON
青い悪魔 ●1941年 ペルー出身
●NWA世界タッグ(テネシー版)
49 9 (全) ジャイアント・S
オリジナルのブルー・ディモンと同じデザインのマスクで登場したのが、このブルー・デビル。しかしこれまた中身は偽者で、正体はインカ・ペルアーノの変名で新日本プロレスに初来日したWWWF地区の前座レスラー ジョー・ソトであった。

ジョー・ソトの項も見よ。

 

ブルーザー・ブロディ BRUISER BRODY 27回
●超獣閃光男 ●198センチ、135キロ
●1946年6月18日 米・ミシガン州デトロイト出身(ペンシルバニア州出身説もあり) ●キングコング・ニードロップ
●USタッグ(オクラホマ版)、ウエスタンステーツ・ヘビー、アメリカン・ヘビー、テキサス・ヘビー、WWA世界ヘビー(インディアナ版)、インターナショナル・ヘビー(全日本プロレス版)、世界タッグ(全日本プロレス版)
54 1 (全) 新春ジャイアント・S、55 1 (全) 新春ジャイアント・S、 55 7 (全) サマー・アクション・S、56 3 (全) 第9回チャンピオン・カーニバル(残留)、 56 4 (全) インター・チャンピオン・S、56 10 (全) ジャイアント・S、56 11 (全) 世界最強タッグ決定リーグ戦、57 3 (全) 第10回チャンピオン・カーニバル(残留)、 57 4 (全) グランド・チャンピオン・S、57 10 (全) ジャイアント・S、57 11 (全) 82世界最強タッグ決定リーグ戦、58 3 (全) グランド・チャンピオン・カーニバルT、 58 5 (全) グランド・チャンピオン・力ーニバルU、58 8 (全) 【特】スーパー・パワー・S、 58 9 (全) 【特】ジャイアント・S、58 11 (全) 84世界最強タッグ決定リーグ戦、59 2 (全) エキサイト・S、59 3 (全)【特】 グランド・チャンピオン・カーニバルT、59 8 (全) スーパー・パワー・S、59 11 (全) 84世界最強タッグ決定リーグ戦、60 2 (全) 85激闘!エキサイティング・ウォーズ、 60 3 (新) ビッグ・ファイト・S 第2弾、60 6 (新) バーニング・スピリット・イン・サマー、60 10 (新) バーニングスピリット・イン・オータム、60 11 (新) 85 IWGPタッグ・リーグ戦、61 8 (新)【特】チャレンジ・スピリット 86、61 11(新)【特】86ジャパンカップ争奪タッグリーグ戦、62 10 (全) 【特】87 ジャイアント・S、62 11 (全) 87 世界最強タッグ決定リーグ戦、63 3 (全) 88 チャンピオン・カーニバル
本名はフランク・ドナルド・グーディッシュ。大学卒業後に新聞記者をしていたところをフリッツ・フォン・エリックにスカウトされてプロレス入り。デビュー当時は本名のフランク・グーディッシュの名前でスタン・ハンセンとのコンビで活躍。1976年にMSGに登場しサンマルチノを追い詰めて一躍有名に。この人を最強と論ずるファンは多い。新日本プロレスに移籍して猪木と戦う前にテーズに弟子入りするなどといったストーリー作りは上手かったが、これといった名勝負は残していないのではないというのが筆者の感想。しかしキックとチョップだけで試合を作るセンスはやはり天才だったか? 最近の刊行物で彼の人間性に対して良い事が書かれていないのはいささか気の毒な気もするが・・・。サイン

 

ブルース → 外国人留学生名鑑を見よ

 

ブルース・ハート BRUCE HART 2回
●落雷男 ●178センチ、100キロ
●1950年1月13日 カナダ・アルバータ州カルガリー出身
●世界ミッド・ヘビー(カルガリー版)、英連邦ジュニアヘビー(カルガリー版)、インターナショナル・タッグ(カルガリー版)、北米タッグ(カルガリー版)
58 8 (新) 【特】ブラディ・ファイト・S、59 4 (新) ビッグ・ファイト・S 第2弾
スチュ・ハートを頂点とするカルガリーの名門レスラー一家ハート・ファミリーの次男。しかし、キース、ブレッド、オーエン(故人)といった弟たちに比べると、レスラーとしての才能はかなり下回っていた。カルガリー地区がWWFに買収されてからは弟達とともにWWF入りしたが、トップに浮上する事はなかった。

 

ブルータス・ムルンバ BRUTUS MALUMBA (グレート・ムルンバ*) 3回
186センチ、120キロ
生年月日不明 トリニダートドバコ出身 ●ヘッドバット
51 1 (新) 新春黄金・S、 52 1 (新) 新春黄金・S55 11() デビリッシュ・ファイト・S
英国経由でカナダ入りし、タイガー・ジェット・シンと意気投合。日本へもシンの親友と言う触れ込みで来日。試合前のダンス以外に見所が無いしょっぱいレスラーだったが、シンとのコンビで北米タッグにも挑戦している。カナダ東部のマリタイム地区ではベビーフェイスとして活躍、キラー・カール・クラップとの抗争を繰り広げた。ソノルートで末期の国際プロレスにグレート・ムルンバのリングネームで、準エースとして来日した事もある。海外サイトではプリンス・クマリと同一人物として紹介されているが、別人であることは間違いなかろう。

 

ザ・ブルート THE BRUT
●怪力男 ●190センチ、137キロ
●1945年 米・ノースカロライナ州シャーロッテ出身 ●ボディスプラッシュ
●パシフィックノースウエスト・タッグ、パシフィックコーストヘビー(バンクーバー版)、USヘビー(シスコ版)、北米ヘビー(トライステート版)、フロリダ・ヘビー、フロリダ・タッグ、ブラスナックル・ヘビー(テキサス版)
49 3 (国) チャレンジ・S
16歳でプロレス入りし、ザ・スチューデント、ビッグ・オー、ビューティフル・ブルートなど頻繁に改名していたレスラーで、ザ・ブルートとしてはカナダ地区で活躍していた。この後、バグジー・マグローに改名しMSGの中堅として活躍。フロリダでベビーフェイスに転向して方人気を博す。

詳細はバグジー・マグローの項参照。

 

ブルート・バーナード BRUTE BERNARD 7回
●野獣、狂人 ●186センチ、121キロ
●1921年6月6日 カナダ・ケベック州モントリオール出身 1984年7月14日没 ●凶器攻撃
●USタッグ(NY地区)、NWA世界タッグ(フロリダ版)、テキサス・ブラスナックル・ヘビー、アメリカン・ヘビー(ダラス版)、IWA世界タッグ(オーストラリア版)、オーストラ・アジアン・ヘビー
43 11 (日) NWAチャンピオン・S、44 5 (日) ゴールデン・S、45 7 (日) 第二次ゴールデン・S、45 7 (日)NWAワールド・チャンピオンS(残留)、50 1 (新) 新春黄金S、50 7 (新) サマー・ファイト・S、52 4 (新)【特】ゴールデン・ファイト・S、53 10 (新) 闘魂S
本名はジム・バーナード。古くはスカル・マーフィとのコンビ東部地区一帯で活躍した怪奇派レスラー。過激な凶器攻撃を得意とし、日本では大木金太郎の耳を角材で削ぎおとした事件は余りにも有名だが、そのクレイジーさとは裏腹に、一説にはデラウエア大学で哲学と演劇を学んだことがあるといわれている。うなり声を挙げてファンを追いまわす姿は、悪党レスラーの悲哀に満ちていた。生涯現役を貫き、1984年に思うように動かなくなった身体を嘆きピストル自殺を遂げた。本物のプロフェッショナルと呼べるレスラーであった。

 

ブルーノ・アーリントン BRUNO ERLINGTON 1回
●黒い死神 ●191センチ、135キロ
●1927年 イギリス・ポーツマス出身 ●バックブリーカー
44 10 (国) IWA世界タッグ・S
イギリスを主戦場としていた悪役レスラーで、ストロング小林の連勝記録をストップしたことで日本にも知られるようになった。日本ではイアン・キャンベルとのコンビで活躍、IWA世界タッグ選手権にも挑戦している。極度の遠征嫌いで一度しか来日していない。彼はイギリスでも有名な愛犬家で、留守にすると犬の世話が出来ないというのが、彼の遠征嫌いの理由だったという。ELRINGTONとする文献もある。

 

ブルーノ・サンマルチノ BRUNO SAMMARTINO 8回
●人間発電所 ●185センチ、115キロ
●1935年10月3日 イタリア・フォレットー出身 ●
カナディアン・バックブリーカー、ベアハッグ
●インターナショナル・タッグ(トロント版、WWWF版)、USヘビー(トロント版)、WWWF世界ヘビー、WWA世界タッグ(インディアナ版)、WWC北米ヘビー
42 3 (日)【特】 MSGシリーズ、43 8 (日)【特】 第一次サマー・S、46 11 (日) 【特】ワールド・チャンピオン・S、47 10 (全) 旗揚げジャイアント・S、48 2 (全)【特】ジャイアント・S結集戦、48 11 (全)【特】ジャイアント・S第2弾、50 4 (全)【特】第3回チャンピオン・カーニバル、56 10 (全)【特】ジャイアント・S
本名はブルーノ・レオパルド・フランセソ・サンマルチノ。人間発電所と呼ばれたジャイアント馬場のライバル。馬場との友情は厚く、WWWFが新日本プロレスと提携を結んだ時も新日本プロレス行きをかたくなに拒んだ。それに応えて馬場もサンマルチノを終始VIP待遇で扱ったのである。彼の全盛期は1960年代前盤で、2度目のWWWF王者時代は2流の挑戦者との防衛戦に終始したため権威を落としたと批判を受けたこともある。1970年代にはカツラを着用するようになったが、試合前に「絶対に触るなよ!」と相手を脅していたという。オペラのレコードの世界的なコレクターとしても有名。 サイン

公式サイトはこちら → http://www.brunobrunobruno.com/

 

ブルーノ・ベッカー BRUNO BECKER 3回
●南海の用心棒 ●185センチ、110キロ
●1943年 ニュージーランド・ウェリントン出身 ●ドロップキック
46 1 (国) 新春パイオニア・S、48 1 (新) 新春バッファロー・S、、54 8 (全) ブラック・パワー・S
ニュージーランド出身のレスラーで、ジョン・ダ・シルバにスカウトされてプロレス入り。日本のほかに東南アジア、ヨーロッパにも遠征の経験があると言う。ドロップ・キックやブレーン・バスターを得意としていたようだ。晩年はパワー・ファイターに変貌し、祖国のマット界の発展に尽力した。

 

ブルックリン・キッド THE BROOKLYN KID 1回
●下町の暴れん坊 ●182センチ、105キロ
●米・ニューヨーク州出身
47 3 (新) 旗揚げオープニング・S
カール・ゴッチのブッキングで来日したレスラーで、正体は東部地区を主戦場としていた中堅レスラーのマイク・コンラッドである。当時の海外情報などにわりと頻繁にその名前を見ることが出来たレスラーではあったが、脂の乗り切ったアントニオ猪木の対戦相手としては全くの役不足であった。

 

ブルドーザー・ビッグ・ベン BULLDOZER BIG BEN 1回
●人間ブルドーザー ●210センチ、215キロ
●米・ニューヨーク州出身 ●ヒッププレス
52 11 (国) ダイナマイト・S
本名はロバート・ベンダー。これぞ国際プロレス! と言った感のあるD級いやZ級レスラー。ただただ体が大きいだけのハンディキャップ・マッチで若手を潰すしか能の無い見世物レスラーの典型。「アンドレ・ザ・ジャイアントより重く、ヘイスタック・カルホーンより大きい」という訳の分からない触れ込みで来日した。

 

ブルドッグ・オットー BULLDOG OTTO
●重戦車 ●185センチ、162キロ
●1943年6月13日 オーストリア・グラーツ出身 ●スチームローラー
●CWA世界ヘビー(オーストリア版)、AWA世界ヘビー
51 1 (新) 新春黄金・S
CWAの帝王オットー・ワンツの若手時代のリングネーム。来日前はフロリダに飛んでカール・ゴッチの指導を受けていたようだ。

詳細はオットー・ワンツの項参照。

 

ブルドッグ・ドン・ケント → ドン・ケントの項を見よ

 

ブルドッグ・アンドリュー・ブッチャー BULLDOG ANDREW BUTCHER 在日米兵
●187センチ、107キロ
●米・ケンタッキー州ハーラン出身 ●東南部ヘビー級
29 2(旧全)日米対抗プロレス試合、29 3 (旧全)国際プロレス大試合、29 4(旧全)日本・在日米軍対抗プロレス試合、34 9 (日) プロレス秋の国際試合
プロレスラーではなく在日米軍兵で、シリーズにはエース格で参戦していた。以下、昭和29年4月に開催されたマナスル登山後援募金日本在日米軍対抗プロレス試合のプログラムより(原文のまま)。「現在南東部ヘビー級チヤンピオン太平洋岸第一位。一九四九年迄十五年間ヘビー級世界ベストテンにいたジョニー、ロンクと闘って之に勝つ一九五〇年世界ヘビー級4位、バディ、ロヂャーに勝ち・・・一九五一年に現在のヘビー級チャンピオン、ルーセーズと闘い惜しくも敗れた・・・“ブルドック”と云う愛称が示す通り勇猛果敢な試合振りには定評がある。現在海兵軍曹一等級、阪神飛行場第十六海兵ヘリコプター輸送兵団勤務。」バディ・ロジャー=バディ・ロジャース、ルーセーズ=ルー・テーズのことだろうが、あまりにも胡散臭い経歴である。(資料提供:トレーナー様)

 

ブルドッグ・ブラワー BULLDOG BROWER 2回
●猛犬 ●185センチ、127キロ
●1934年3月28日 米・デラウエア州ウィルミントン出身(カナダ・オンタリオ州トロント出身説もあり) 1997年9月15日没 ●ニードロップ
●IWA北米ヘビー、NWF北米ヘビー、インターナショナル・ヘビー(モントリオール版)、インターナショナル・タッグ(トロント版)、アメリカン・タッグ(ダラス版)
43 1 (T) オープニング・ワールド・S、43 2 (T) ワールド・タッグ・S(残留)、47 2 (日) ダイナミック・S
本名はリチャード・グランド。学生時代はアマレスと重量挙げの選手として鳴らした。フランク・タニーにスカウトされてプロレス入り。当初はカナダで腕を磨いていたが、徐々に五大湖地区を皮切りにアメリカに進出、MSGではブルーノ・サンマルチノに挑戦し、多いに苦しめた。日本プロレスではその実績を買われ、馬場のインター選手権に挑戦している。しかし期待はずれだったというファンは多く、アメリカではブルーザーに並ぶ悪党の代表格だが、日本での評価は低い。大きく目を剥いて舌を出しながら首をぴくぴくさせるという、危ないギミックが印象的。糖尿が悪化し1997年に死去。サイン

 

フレッド・アトキンス FRED ATKINS 2回
●オーストラリアの猛牛 ●188センチ、114キロ
●1910年 ニュージーランド・ウエストポート出身 1988年5月14日没
●英連邦ヘビー(トロント版)、オーストラリア・ヘビー、NWA世界タッグ(シスコ版)、インターナショナル・タッグ(トロント版)
38 4 (日) 第5回ワールドリーグ戦、38 5 (日) 世界選手権シリーズ(残留)、43 1(T)オープニング・ワールドS
オーストラリア・メルボルン出身と日本では紹介され、ワールド大リーグ戦にもオーストラリア代表で参加していたが、、実際はニューj-ランド出身だったようだ。ジャイアント馬場や、タイガー・ジェット・シン、アドリアン・アドニスを育てた名トレーナーとして有名。馬場の初渡米試合のギャラはそのほとんどがグレート東郷とアトキンスの懐に入っていったといわれている。来日時はレスラーとしてのピークは越えていたが、実力者振りを匂わせるファイトを見せた。昭和43年の来日はレフェリーとしての参加。1988年心不全により死亡。

 

フレッド・カーリー FRED CURRY 1回
●空飛ぶ旋風児 ●185センチ、115キロ
●1941年6月12日 米・コチカネット州ハートフォード ●
ドロップキック
●インターナショナル・タッグ(ダラス版)、テキサス・ジュニア・ヘビー、NWA世界タッグ(デトロイト版)、ハワイ・ヘビー、アメリカン・タッグ(ダラス版)、NWF世界タッグ
43 1 (T) ワールド・タッグ・S
本名はフレッド・トーマス・カリー・ジュニア。往年の悪党レスラー ブル・カーリーの息子だが、父親とは違い「フライング」のニックネーム通り、空中殺法を得意とした正統派レスラーで、女性ファンに人気があった。TBSプロレスに登場した際にはダニー・ホッジが保持していたTWWA世界選手権に挑戦するなどの活躍を見せた。インディー系団体に属していたため日本との繋がりは薄いが、晩年にはニューヨーク地区に登場し、藤波の挑戦者候補に名が挙がった事もある。もっと来日してほしかった選手。

 

ブレット・ソイヤー BRETT SAWYER 1回
●無双の虎 ●180センチ、103キロ
●1960年8月10日 米・フロリダ州オーランド出身
●パシフィックノースウエスト・タッグ、パシフィックノースウエスト・ヘビー、ナショナル・ヘビー(ジョージア版)、セントラルステーツ・ヘビー
62 1 (新) ニューイヤー・ダッシュ 87
本名はブレット・ウォーレン・ウォーヤン。バズ・ソイヤーの実弟で、ハック・ソイヤーの名でオレゴンでデビュー。兄の活躍するジョージア地区に転戦するが、当初はブレッド・ウェインを名乗り、兄弟である事を隠していた。しかし兄が正統派に転向すると、ブレッド・ソイヤーに改名、兄弟である事を公表しタッグを結成した。兄に比べるとインパクトは薄かったが、まぁそれはしょうがないだろう。

 

ブレット・ハート BRET HART 5
●ロッキーマウンテンの星 ●180センチ、100キロ
●1957年7月2日 カナダ・アルバータ州カルガリー出身 ●スープレックス、サソリ固め
●北米ヘビー(カルガリー版)、英連邦ミッドヘビー(カルガリー版)、インターナショナル・タッグ(カルガリー版)、WWF世界ヘビー、WWF世界タッグ
55 6 (新) サマー・ファイト・S、57 1 (新) 新春黄金・S、57 7 (新) サマー・ファイト・S第2弾、59 1 (新) 新春黄金S、59 10 (新) 闘魂S
アメリカでも「ヒットマン」として指折りのトップスターとなった、初来日当時の彼を見て今の姿を想像できたファンが果たしていただろうか?カルガリーの名門ハート一家の四男で兄弟の中では最も才能があったのは確かだが、僚友のダイナマイト・キッドと比べると1枚も2枚も落ちた感があったことは否定できない。試合も決して派手ではなかったので、アメリカでスターになった時は本当に驚いたものだ。現在は第一線を退きイタリアで静養中。

 

フレッド・バス FRED BASS 1回
●テネシーの蛇男 ●185センチ、106キロ
●1976年7月27日没
●テネシー・タッグ、
テネシー6人タッグ
46 11 (日) ワールド・チャンピオン・S
レスラーになる前は船乗りをしており、ケンカに明け暮れたために経営者からレスラーになれと解雇された。職を失い通っていたボクシングジムでエミール・デュプレと互角のスパーリングを行ないプロモーターのトニー・サントスにスカウトされた。主戦場はテネシーでサム・バスと名乗っていた。ジム・ゴールデンとのコンビでテネシー・タッグ選手権を獲得しているが、マネージャーとしてのほうが有名だったようだ。日本マットでは連戦連敗に終わり、口の悪い若手に「水漏れバス」と言われる始末。1976年7月27日に移動中に交通事故で即死。

 

フレッド・バロン FERD BARON 1回
●180センチ、101キロ ●1944年 カナダ・バンクーバー出身
45 5 (日) 第1次ゴールデン・S

バンクーバーで活躍した選手でキニスキーの秘蔵っ子といわれたが、キャリアが浅く連日日本陣営の餌食となった。ハンサムな顔が売りの人気先行型の選手だったようだ。来日前の宣伝写真(写真左)では短髪であったが、来日した際には長髪に派手なタイツのヒッピースタイルに変身しており、ファンを驚かせた。帰国後の詳細などは不明だが、ドン・レオ・ジョナサンの潜水会社でダイバーをしていたとの情報もある。

 

フレッド・ブラッシー FRED BRASSIE 12回 (*はマネージャーとしての来日)
●銀髪鬼 ●183センチ、105キロ
●1921年 米・ミズーリ州セントルイス出身 20036月2日没 ●ネックブリーカー・ドロップ、噛み付き攻撃
●南部ヘビー(ジョージア版)、南部ジュニア・ヘビー(テネシー版)、NWA世界タッグ(ジョージア版)、NWA世界ジュニアヘビー、WWA世界ヘビー(ロス版)、ジョージア版世界ヘビー、アメリカスヘビー、北米ヘビー(ハワイ版)
37 4 (日) 第4回ワールドリーグ戦、40 4 (日) 第7回ワールドリーグ戦、43 4 (日) 第10回ワールドリーグ戦、44 5 (日) ゴールデン・S、46 5 (日) ゴールデン・S、47 10 (全) 旗揚げジャイアント・S、48 10 (全) 創立1周年記念ジャイアント・S、49 8 (新) 闘魂S*、51 6 猪木VSアリ戦*、53 6 サマー・ファイトS*、55 5 第3回MSGシリーズ*、55 10 闘魂S*
本名はフレデリック・ブラスマン。「銀髪鬼」の異名で恐れられた日本プロレス界創成期の悪役の代表レスラー。デビュー当時はフレッド・マクダニエルのリングネームで正統派として活躍しNWA世界ジュニアヘビー級選手権を獲得したが、ロサンゼルスに登場を期に髪を染め悪党に変身。噛み付き攻撃はアメリカ、日本のファンを恐怖のどん底に叩き込んだ。長年ロスの帝王として君臨した。レスラー引退後もマネージャーとして手腕を奮い、スタン・ハンセン、ハルク・ホーガンなどを育てた。猪木アリ戦の際アリ陣営に加わった為、プロレス関係者からかなりの脅迫を受けたといわれている。2003年6月2日、ニューヨーク郊外の病院で逝去。サイン

 

フレディ・アレキ FREDDY ALEX 駐留軍人
30 12(旧国)プロレス国際大試合
駐留軍人。完全な素人だったが見よう見真似でドロップ・キックなどを使っていた。約7戦に出場。(昭和45年別冊ゴング6月号来日外人レスラー名鑑より:情報提供 管様)

 

フレンチ・マーテル FRENCH MARTEL
●殺人コンバット ●185センチ、115キロ
●1947年 カナダ・ケベック州ケベックシティ出身
●IWA世界タッグ(国際プロレス)、インターナショナル・タッグ(カルガリー版)、北米ヘビー(カルガリー版、プエルトリコ版)、北米タッグ(プエルトリコ版)、カリビアン・ヘビー
59 7 (旧U) UWF無限大記念日、59 8 (旧U) ビクトリー・ウイークス
ザ・コンバットの片割れである、ピエール・マーチンの変名。なぜか相棒であるマイク・マーテル(当時はすでに故人)のファースト・ネームを名乗っていた。亡き相棒へのオマージュだったのだろうか・・・。

詳細はピエール・マーチンの項参照。

 

プロフェッサー・バーン・ジール PROFESSOR VERN ZEAL 1回
●殺人教授 ●178センチ、100キロ ●南アフリカ出身?
48 3 (新) ビッグ・ファイト・S

学生時代はラグビーで身体を鍛え、卒業後は大学で教鞭をとり、多くの学士号や博士号を取得したといわれているが、どう考えても眉唾くさい。カール・ゴッチのブッキングでの来日だが、ゴッチとはどうやらイギリスの蛇の穴時代に知り合ったらしい。来日時はかなりの老齢で、合流したばかりの坂口に手もなくひねられていた。

 

プロフェッサー・タナカ PROFESSOR TANAKA 2回
●東洋の悪魔 ●183センチ、124キロ
●1930年1月6日 米・ハワイ州ホノルル出身 2000年8月22日没 ●コブラクラッチ
●IWAオーストラリア・ヘビー、北米ヘビー(ハワイ版)、WWWFインターナショナル・タッグ、アメリカン・ヘビー(ダラス版)、フロリダ・タッグ、アメリカス・ヘビー、WWWFタッグ、英連邦ヘビー(ニュージーランド版)、AWA南部ヘビー
49 1 (全) 新春NWA・S、53 11 (国)日本リーグ争覇戦

本名はチャールズ・カラニ・ジュニア。日系を名乗っていたが日本人の血は混じっていない。フィリピン人説もあったが、どうやらハワイ出身のようだ。経歴は謎が多くハワイでは金剛山を名乗っていたともいわれている。テキサスでワフー・マクダニエルとの抗争で名を挙げ、のちにWWWFに転戦、ブルーノ・サンマルチノに挑戦し塩攻めで大いに苦しめた。同地区ではミスター・フジとの日系コンビでWWWFタッグを保持するなど長く活躍。日本では日本リーグ争覇戦での活躍が特筆される。やたらでかい声で気合を入れながらファンとしていたのが印象的。アメリカではタロー・タナカ、トール・タナカとも名乗った。引退後は映画俳優として「ブラック・レイン」など多くの映画に日本人役で出演している。サイン (写真撮影:HARU1番様)

 

ザ・プロフェッショナル THE PROFESSIONAL
●竜巻仮面 ●185センチ、125キロ
●1932年 米・ネブラスカ州オマハ出身(イリノイ州シカゴ出身説もあり) ●サマーソルトキック
●AWA世界タッグ、ミッドウエスト・タッグ、ジョージア・ヘビー、ジョージア・タッグ、カリフォルニアTV、フロリダ・タッグ、セントラルステーツ・ヘビー
48 1 (国) 新春パイオ二ア・S、50 5 (新) ゴールデン・ファイト・S
正体は日本プロレスに参加したことのあるダグ・ギルバート。国際プロレスにはエース級として来日し、ストロング小林のIWA世界タイトルにも挑戦した。素顔よりもザ・プロフェッショナルとしてのほうが評価が高い。カナダではアンドレ・ザ・ジャイアントをボディスラムで投げたこともある。

ダグ・ギルバートの項も参照の事。