来日全外国人レスラー名鑑

 

ケーシー・ベーカー CASEY BAKER 1回
26 9国連軍 朝鮮国連軍慰問プロレス大会
日本初のプロレス興行に参加したアメリカの選手。当時でもかなりの年齢だったようだから、キャリアは相当長いはず。ニックネームは狂犬。パンチ、キックを主としたラフファイターで、タックル攻撃を得意とした。(昭和45年別冊ゴング6月号来日外人レスラー名鑑より:情報提供管様)

 

ゲーリー・モンティ GERRY MONTI (ジェリー・モンティ*、クレイジー・アラブ**) 3回
●183センチ、110キロ
●1940年1月2日 米・カリフォルニア州オークランド出身 1999年12月3日没
●セントラルツテーツ・ヘビー
45 8(日) サマー・S、48 4(日) アイアンクロー・S*、54 3(国) スーパー・ファイト・S**
本名はジェラルド・モンティ。レスラーになる前はボディ・ビルに打ち込み、1966年度のミスター・アメリカになった実績を持つ。ボディビル上がりのレスラーに似合わずレスリングも上手かったようだ。なかなかの実力者で中西部ヘビー級選手権を獲得した実績もある。後にアラビア人に変身してクレージ・アラブを名乗り再び素顔で来日している。癌のために1999年に逝去。

 

ゲシュタポ THE GESTAPO
憲兵仮面 ●184センチ、115キロ
●1952年10月6日 米・フロリダ州セントピータースバーグ出身
●パシフィックノースウエスト・ヘビー、パシフィックノースウエスト・タッグ
55 6(新) サマー・ファイト・S、60 3(新) ビッグ・ファイト・S 第2弾、61 4(新) ビッグ・ファイター・S
憲兵仮面とよばれた覆面レスラーで、正体はオレゴン地区で活躍していたリック・オリバー。リングネームからも想像できるように、残虐なファイトを得意とする・・・という宣伝文句でやってきたが体が小さかったため、残虐ファイトも中堅クラスにしか通用しなかった。昭和55年の来日時にはバッドニュース・アレンと組んで北米タッグに挑戦しているが、長州のカナダ式背骨折りに轟沈。

詳細はリック・オリバーの項を参照のこと。

 

ケニー・ジャイ KENNY JAY 1回
●178センチ、103キロ
●1937年3月27日 米・オハイオ州クリーブランド出身
47 1(国) 新春パイオニア・S
本名はケニー・ベンコフスキー。AWA地区で活躍したラフ・ファイター。学生時代はアマレスとアメフト、陸上競技などスポーツは何でもこなしたという。卒業後陸軍のアマレス王者となり、除隊後にプロレス入り。典型的な3流レスラーだが、アメリカでも金網デスマッチの経験は豊富だったようで、来日時はラッシャー木村との遺恨を深め金網デスマッチで対決し注目を集めたが、試合結果は当然KO負け。

 

ケビン・ケリー KEVIN KELLY 1回
●金髪獣 ●195センチ、124キロ
●1958年4月17日 米・ミネソタ州ブルーミントン出身
●セントラルステーツ・タッグ
61 8(新) チャレンジ・スピリット 86

本名はケリー・ワコーズ。バーン・ガニアにスカウトされてプロレス入り。ブラッド・レイガンスのコーチを受けて1984年にデビュー。各地を転戦したが、カンサス地区ではハーリー・レイスと抗争を展開して注目される。この頃新日本プロレスに来日しているが、恵まれた体を生かしきれていなかったのはキャリア不足の為だけではあるまい。のちに暴行事件を起こして逮捕され、これを生かした囚人ギミックのネイルズでWWF、WCWを渡り歩いたが、現在はインディー団体で活躍しているようだ。のちにFMWに来日した時は、現役プロボクサーとして来日してファンの眉をひそめさせた。

 

ケビン・サリバン KEVIN SULLIVAN 2回
●妖怪児 ●180センチ、114キロ
●1949年10月26日 米・マサチューセッツ州ボストン出身(フロリダ州キーウエスト出身説もあり) ●エルボードロップ
●USジュニアヘビー(フロリダ地区)、南部タッグ(フロリダ地区)、フロリダ・ヘビー、ジョージア・ジュニアヘビー
49 5(全) MSG・シリーズ、52 5(全) NWAチャンピオン・S
WCWでカルト教団の教祖的なギミックで売り出していたサリバンも若手時代は有望な本格派ベビーフェイスと期待されていた。WWWF地区で売り出し、全日本プロレスに初来日。帰国後はフロリダを中心とした南部を中心に活躍し、南部各地でUSジュニア・ヘビー級チャンピオンになっている。この後ヒールに転向し奇抜なメイクで独特のキャラクターを作り出し、マーク・ルーインらとの黒魔術軍団で悪党人気を獲得。完全なクレージー・ファイターに変貌を遂げた。(追加情報:JOE HOOKER SR.氏)

 

ケビン・ヒューズ KEVIN HUGHES 1回
●新殺人狂 ●183センチ、115キロ
●1959年1月13日 米・マサチューセッツ州出身
55 1(国) 新春パイオニア・S
ボストンあたりを主戦場にしていたレスラーで、キラー・コワルスキーのレスリング学校の卒業生第1号。帰国後、精神病院に入院したという。1979年デビューで、当時はキャリア1年以下だったが、それを差し引いても試合振りがあまりにもしょっぱく、ジプシー・ジョーの鉄拳制裁を受けた。帰国後、精神病院に入ったといわれているが・・・。

 

ケビン・フォン・エリック KEVIN VON ERIC 8回
●鉄の爪2世 ●186センチ、104キロ
●1957年5月15日 米・テキサス州ダラス出身 ●アイアンクロー、ドロップキック 
●ミズーリ・ヘビー、アジア・タッグ、アメリカン・ヘビー、テキサス・タッグ、WCWA世界ヘビー
54 5(全) スーパー・パワー・S、56 5(全) スーパー・パワー・S、60 10(新)【特】 バーニングスピリット・イン・オータム、61 1(新) 【特】ニューイヤー・ダッシュ 86、61 10(新) 【特】闘魂・S、62 5(新)【特】87lWGPチャンピオン・S、62 11(新)【特】87 ジャパンカップ争奪タッグ・リーグ戦、63 11(新)【特】88 ジャパンカップ・S
本名ケビン・アドキッセン。「鉄の爪」フリッツ・フォン・エリックの次男。大学在籍中の1976年にプロレス・デビュー。1979年にはディック・マードックからミズーリ州ヘビー級王座を獲得するなどスピード出世を見せる。白人レスラーには珍しく裸足でファイトする事が多く、その跳躍力は目を見張るものがあり、更なる飛躍が期待されたが、弟のダビッド、ケリー、マイクが相次いで不慮の死をとげ、ケビン自身もプロレス界からは身を引いた形になっている。 サイン

 

ケリー・キニスキー KELLY KINISKI 2回
●荒法師2世 ●187センチ、120キロ
●1958年 カナダ・アルバータ州エドモントン ●シュミット式バックブリーカー
●WCCT・TV、ミッドアトランティック・タッグ
57 1(全) 新春ジャイアント・S、59 1(全) 新春ジャイアント・S

元NWA世界王者であるジン・キニスキーの長男。弟のニックもレスラーになっているが、ケリーは父と弟に比べからだが小さく、派手な活躍は出来なかった。日本では父のライバルであったジャイアント馬場に可愛がられ、2度に渡って全日本プロレスに来日している。将来が期待されたが、WWFに移籍後、オカマギミックを押しつけられ飼い殺しにされてしまい、いつの間にかマット界から姿を消した。

 

ケリー・ツインズ = パット・ケリー、マイク・ケリーを見よ

 

ケリー・フォン・エリック KELLIY VON ERIC 8回
●虎の爪 ●190センチ、116キロ
●1960年2月3日 米・テキサス州ダラス出身 1993年2月18日没 ●タイガー・クロー
●NWA世界ヘビー、WCCW世界ヘビー、インターコンチネンタル・ヘビー、ミズーリ州ヘビー
58 3(全) グランド・チャンピオン・カーニバルT、59 3(全) 【特】グランド・チャンピオン・カーニバルT、59 5(全)【特】 グランド・チャンピオン・カーニバルU、60 10(新)【特】バーニングスピリット・イン・オータム、61 1(新)【特】ニューイヤー・ダッシュ86、61 5(新)【特】86 IWGPチャンピオン・S、6211(新)【特】87 ジャパンカップ争奪タッグ・リーグ戦、63 11(新) 【特】88 ジャパンカップ・S
本名ケリー・アドキッセン。フリッツ・フォン・エリックの四男で、大学時代は円盤投げで活躍。レスラーになっても円盤投げのフォームを取り入れた「ディスカス・パンチ」を得意としていた。1984年に日本で死去したダビッドの追悼興業でリック・フレアーを破りエリック一家念願のNWA世界ヘビー級王座を獲得するが、18日後に因縁の日本でリック・フレアーに王座を奪回されている。1986年にオートバイ事故にあい再起不能となるが、翌年に奇跡のカムバックを果たし、WWFではインターコンチネンタル王者となる。一説には義足でファイトしていたといわれ、1993年2月に麻薬多用でノイローゼ状態となりピストル自殺を遂げた。雰囲気のある素晴らしいレスラーであっただけに惜しまれる。サイン

 

ケリー・ブラウン KERRY BROWN 4回
●豪傑熊 ●185センチ、127キロ
●1958年2月 カナダ・マニトバ州ウィニペグ出身
●北米ヘビー、インターナショナル・タッグ(カルガリー版)、USヘビー(マリタイム地区)、WWC世界タッグ、カリビアン・タッグ
59 11(新) 第5回MSGタッグ・リーグ戦、60 1(新) 新春黄金S、60 8(新) チャレンジ・スピリット85、61 4(新) ビッグ・ファイター・S
カナダで活躍していたレスラーで、カナダへ遠征した猪木の対戦相手として日本のファンの前に姿をあらわす。この試合では猪木に血だるまにされたが、その根性とやられっぷりの良さが気に入られたのか、その後新日本プロレスには定期的に来日している。マイク・ジョージをもう一回り太くしたようなレスラーだった。ケンタッキアンズのルーク・ブラウンの息子でボブ・ブラウンの甥と言われていたがこれはギミックである事が判明している。2009年9月11日永眠。(追加情報:JOE HOOKER SR.氏)

 

ケン・イーツ KEN YATES 1回
●連敗男 ●186センチ、115キロ
●1937年 米・ノースカロライナ州コルド
46 11(国) ビック・ウインター・S
元ボクサーでマイアミでの試合で相手を殴り殺してしまったためノイローゼになりボクシングを廃業。しかしこのリング上での殺人事件に目をつけたサンフランシスコの顔役ロイ・シャイアにスカウトされてプロレスに転向。テキサス経由でAWA地区に転戦。ここで連戦連勝を記録するが1970年になるとスランプに陥り2年間で500連敗を記録。解雇されるどころかAWA会長のウォリー・カルボからトロフィーと300ドルの賞金を贈られたと言うから洒落がきいている。これに気を良くしたイーツはその後連勝し始めたという。ロス時代には力道山、修行時代の馬場、猪木とも対戦している。日本ではケン・ヤーティスとも表記されたこともある。(情報提供:JOE HOOKER SR.氏)

 

ケン・パテラ KEN PATERA 6回
●五輪怪人 ●186センチ、149キロ
●1942年11月6日 米・ミネソタ州ミネアポリス出身(オレゴン州ポートランド説もあり)  ●スイング・フルネルソン
●ミッドアトランティック・ヘビー、ミズーリ州ヘビー、インターコンチネンタル・ヘビー、ジョージア・ヘビー、AWA世界タッグ
48 1(国) 新春パイオ二ア・S、5210(全) ジャイアント・S、55 9(新) 9・31ファン感謝スーパーファイト、56 1(新) 新春黄金S、56 4(新) WWFビッグ・ファイト・S第2弾、59 5(新) 84IWGP

五輪怪人のニックネーム通り、ミュンヘン・オリンピックの重量挙げ銅メダリスト。1972年にバーン・ガニアにスカウトされてプロレス入り。デビューわずか1年で国際プロレスに登場。初来日時は正統派だったが、髪を染めてヒールに転向してからはMSGでブルーノ・サンマルチノ、ボブ・バックランドを苦しめた。日本へも全日本プロレスと新日本プロレスへそれぞれ来日。全日本プロレスでは馬場のPWF選手権に挑戦し善戦、新日本プロレスでは武道館でのスペシャル・イベントで猪木と対戦、凄まじいタフネスぶりを見せ猪木を追い込み高い評価を受けたが、来日する毎に評価は下がっていった。1984年に警官に暴行を働き、マサ斎藤を巻き添えにして逮捕され、3年の実刑判決を受けた。サイン

 

ケン・ホーリス KEN HOLLIS 1回
●180センチ、106キロ ●1937年 米・テキサス州出身
43 1(日) 新春チャンピオン・S
フットボールとアマレスをやったあとでプロレス入り。色白の美男子だが、平気で荒っぽいファイトをやる。主戦場はテキサス。日本ではプリンス・イヤウケヤとのコンビでアジア・タッグに挑戦した。(参考資料:1971年度プロレス年鑑)

 

ケン・マンテル KEN MANTEL (ケン・ルスク*) 5回
●181センチ、102キロ
●1942年 米・カリフォルニア州 ●スープレックス
●NWA世界ジュニアヘビー、アメリカス・ヘビー
46 8(日) サマー・ミステリー・S*、49 11(全) NWAチャンピオン・S、5011(全) 第2弾ジャイアント・S、50 12(全)オープン選手権大会、51 4(新) 第3回ワールド・リーグ戦
オランダ系アメリカ人で、アマレス時代には多くのタイトルを獲得した名レスラーだった。デビュー当時は本名のケン・ルスクで活躍、初来日もこのリングネームであった。1973年にダニーホッジを破り、NWA世界ジュニア・ヘビー級王者となり全日本プロレスに来日、減量して挑戦してきたジャンボ鶴田を相手に引き分け防衛。翌年には新日本プロレスのワールド・リーグ戦に参加、開幕戦で木戸修にフォール負けを喫し、三段方式で木戸は鶴田より強い?と話題となった。帰国後覆面をつけザ・スポイラーを名乗りロスに登場。チャボ・ゲレロにマスクをはがれたが、チャボからアメリカス王座を獲得し面目を保った。

 

ケン・ヤーティス → ケン・イエーツの項を見よ

 

ケン・ルスク KEN LUSK
●181センチ、102キロ
●1942年 米・カリフォルニア州出身
●NWA世界ジュニアヘビー、アメリカス・ヘビー
46 8(日) サマー・ミステリー・S
NWA世界ジュニアヘビー王者になったケン・マンテルの若手時代のリングネーム。本名はケニス・ユーゲン・ルスク。来日当時はフロリダを主戦場としていた。

詳細はケン・マンテルの項を参照。

 

ザ・ケンタッキアン THE KENTUCKIAN
●原始怪人● 200センチ、149キロ
●1935年 米・ケンタッキー州ハザード出身
●NWA世界タッグ(シスコ版)、WWA世界タッグ(ロス)、インターナショナル・タッグ(トロント版)
46 1(日) 新春チャンピオン・S
ジェーク・スミスとの巨人コンビ ザ・ケンタッキアンズで活躍したルーク・ブラウンの変名。

詳細はルーク・ブラウンの項参照。

 

ケンタッキー・ブッチャー → ビッグ・ジョン・クインを見よ

 

ザ・ケンタッキアンズ → ジェーク・スミス、ルーク・ブラウンを見よ

 

ケンドー・ナガサキ → ミスター・ギロチンを見よ