韓国・台湾人レスラー名鑑

 

安明吉(アン・ミョンギル) AN MYEONG GIL
173センチ、100キロ 1943年韓国
45 9(日) 第1回NWAタッグ・リーグ戦
昭和45年に留学生として来日。テクニシャン・タイプだったようで専門誌では「韓国版吉村道明」と紹介されている。

 

任大洙(イム・デス) IM DAE SU
昭和55年4月、国際プロレスに留学生として来日。(来日が予定されていたが、実際に来日したかどうかは不明)

 

禹基煥(ウ・キハン) U GI HWAN
白熊 175センチ、103キロ 1939年韓国・ソウル出身
43 7(日)サマー・S、51 3 (新) 第3回ワールドリーグ戦ほか
チャン・ヨンチル一派のレスラー。昭和43年の日本プロレス第1次サマー・シリーズに初来日。昭和51年には新日本プロレスに張永哲、千圭徳と共に再来日。日韓対抗戦を行ない荒川誠、木村聖裔と言った当時の新人と熱戦を繰り広げた。

 

呉均銭 → 呉大均を見よ

 

呉大均(オー・タイキン) OH TAEKING
183センチ、105キロ 1940年 ソウル
50 9 (新)闘魂シリーズ、53 2 (全・国) 全軍激突戦ほか
本名は呉均銭(オー・キュンジュン)。韓国相撲の横綱になったところをキム・イルにスカウトされてプロレス入り。昭和46年に国際プロレスに留学生として来日し修行を積んだ。キムイル道場のエース格の選手で、昭和51年にはソウルで洪武雄とのコンビで復活アジア・タッグ王座決定戦に韓国代表として出場している。なかなかのテクニシャンであったが、力強さに欠けた。

 

姜成英(カン・スンヤン)=南海山 GANG SOENG YEONG
韓国の若虎 187センチ、108キロ 韓国・慶尚南道南海
50 4(新)第2回ワールドリーグ戦(新)、50 9 (新)闘魂シリーズ、51 4 (全)第4回チャンピオン・C ほか
アマレス出身の選手で大相撲の経験もあり、南海山は相撲時代の四股名。昭和46年に国際プロレスでデビュー。帰国後、韓国で活躍、昭和50年には大木金太郎のパートナーとして再来日。チャンピオン・カーニバルの公式戦、馬場VS大木に乱入するなど血の気の多いところを見せた。キムイル道場の若頭的存在。キム・イルの娘婿言う説もある。(追加情報:JOE HOOKER SR氏)

 

金一(キム・イル)=大木金太郎 KIM IL
韓国の猛虎 185センチ、122キロ 韓国・ソウル : WWA世界ヘビー、インターナショナル・ヘビー、同タッグ、アジア・ヘビー、同タッグ、極東ヘビー
韓国相撲の横綱として鳴らしたが力道山にあこがれて昭和34年に密入国。紆余曲折を経て力道山道場に入門。大木金太郎のリングネームで日本プロレスの一員として活躍する。昭和38年にアメリカ遠征。その脚で帰国し張永哲との権力闘争に勝ち、韓国プロレス界の総帥となる。セメントでは強いと言われたが後輩の馬場、猪木、坂口に人気面では大きく水をあけられた。日本プロ崩壊後は各団体を渡り歩き波乱のレスラー人生を送った。得意技は原爆頭突き。晩年は闘病生活を送ったが、2006年10月26日に心臓麻痺で急死。(右写真提供:HARU一番様) サイン

 

金基坤(キム・キゴン) KIM GI GON
185センチ、100キロ 韓国・金羅南道高興郡
高校時代は韓国相撲の強豪として鳴らした。日本へは昭和55年6月に留学生として国際プロレスに参加している。

 

金光植(キム・クワンシク)=キラー・キム KIM KWANG SIK
180センチ、98キロ 1952年韓国・全羅南道 : アメリカス・ヘビー
53 2 (全・国) 全軍激突戦ほか
キム・イルの末弟で昭和51年に全日本プロレスに登場。以後、全日本プロレス、国際プロレスに何度となく来日。1981年ごろにアメリカに遠征。崩壊寸前のロス地区でキラー・キムのリングネームでトップ・エベンターとなりアメリカス王座を獲得。その後メキシコに転戦しカネックとのコンビでアンドレ・ザ・ジャイアントとも対戦する売れっ子レスラーとなった。一部にキム・イルの息子説もあり。

 

金秀洪(キム・スハン) KIM SU HONG
181センチ、103キロ
新日本プロレスに留学していたが、選手の大量離脱で選手層が手薄となったため貴重な戦力として重用され、テレビ・マッチにも出場した。なかなかのテクニシャンだったものの、今一つアピールするものがなかった。

 

キム・スンホー
172センチ、93キロ 韓国・ソウル : NWA世界ライトヘビー
48 4 (日)アイアンクローS
日本プロレス最後のアイアンクロー・シリーズに来日、連日前座試合に出場。その後韓国へは戻らずロスに遠征。ここで実績を積みメキシコに転戦。1973年6月にアルフォンソ・ダンテスを破り、東洋人初のNWA世界ライト・ヘビー級王者となったが、同年12月にロスでレイ・メンドーサに敗れ王座転落。その後もサンフランシスコなどで活躍したが、全盛期の1976年に突然引退。

 

キム・チョウラン
48 4 (日)アイアンクローS
日本プロレス最後のアイアンクロー・シリーズにキム・スンホーらと共に来日、連日第1試合でホン・ハクトーと試合を行なった。

 

金有植(キム・ユーシク) KIM YOO SIK
173センチ、90キロ 
1947年 韓国・全羅南道
53 2 (全・国) 全軍激突戦
小兵だが、レフェリー兼レスラーと一人ふた役をこなす器用なタイプ。ベテランだけに相手のペースを巧みにかわして、巧妙に反則技を駆使。富んだり、はねたり、スタミナの続く限り変化に出る小うるさいタイプ。レフェリーとしては公正無私、彼のジャッジか観客、レスラーに好評である。(全軍激突戦のパンフレットより)

 

曹相鉄(チョ・サンチョル) JO SANG CHEOL
57 8(新)ブラディ・ファイトS
おそらく韓国留学生であろう。新日本プロレスの昭和57年ブラディ・ファイト・シリーズで力抜山とのコンビで前座試合に出場している。

 

趙京洙(チョ・ジョンス) JO GYEONG SU
ライオン・ジョー 170センチ、94キロ 1933年 韓国・ソウル
43 7 (日)第一次サマーシリーズ
ソウル工業高校を卒業後、1956年にプロレス入り。昭和43年日本プロレスに留学生として来日した。

 

趙白山チョ・パクサン) JO BAEK SAN 2006/9/6 update
53 4 (新)第1回MSGシリーズ
当時の韓国マット界とのパイプを考えると、おそらく張永哲一派の若手レスラー。突然の来日で、プロフィールなどは不明。小林邦昭には勝利を収めたが、後は黒星の山を築いた。 

 

宋鶴守(ソン・ハクスー) SONG HAK SU
42 1 (日)新春チャンピオンシリーズ
朴松男、朴成模に続く韓国からの留学生第2陣。空手、ボクシングの経験あり。後頭部をツルツルにそりあげ、前髪だけを残した特異なスタイルで驚かせた。昭和42年2月3日の来日第一戦では藤井誠之を破る。(情報:JOE HOOKER SR氏)

 

張永哲(チャン・ヨンチル)  JANG YEONG CHEOL
韓国の雄 177センチ、101キロ 韓国・プサン : 韓国ヘビー
49 5(全)MSGシリーズ、51 3 (新) 第3回ワールドリーグ戦
キム・イル不在の韓国マット界を牛耳っていた男で韓国ヘビー級選手権者に君臨し連勝記録を作っていたが、日本から帰国したキム・イルと張り合い、引っ付いたり離れたりを繰り返した。数々の謀略を張り巡らせた事で悪名が高い(詳細は昭和プロ・ファイルを見よ)。日本にも何度か来日しているが、とてもメインエベンターには通用せず、実力的にはキム・イルの足元にも及ばなかった。(追加情報:JOE HOOKER SR氏)

 

千圭徳(チョン・ギダク)  CHEON GYU DEOK
韓国の狼 180センチ、113キロ 韓国・大田 : 韓国ヘビー、テネシー地区世界タッグ
44 1(日)新春S、51 3(新) 第3回ワールドリーグ戦
韓国マット界のナンバー3として活躍。チャン・ヨンチルと組みキム・イルと覇権を争ったが一時キム・イル一派と和解。しかし再び袂をわかっている。1966年には初のアメリカ遠征を経験。テネシーでトージョー・ヤマモトとのコンビでテネシー地区世界タッグを獲得している。昭和44年の日本プロレス新春シリーズに初来日。昭和51年に新日本プロレスに張永哲、禹基煥と共に来日し日韓対抗戦を行なうが相手は猪木、坂口と言ったメインエベンターではなく小沢、藤原、柴田、永源クラスであった。引退興行は1984年5月9日、キム・イルの手で行われ、その門下生と遠征していた全日本プロレスの選手がセレモニーに立ち会った。(追加情報:JOE HOOKER SR氏)

 

朴成模(パク・スンモ) BAK SEONG MO
41 9(日)ダイヤモンドS
昭和41年日本プロレス「ダイヤモンド・シリーズ」に朴松男とともに来日。長身の選手で、顔は馬場似でした。(解説:JOE HOOKER SR氏)

 

朴松男(パク・ソンナン) BAK SONG NAM
韓国の巨人 197センチ、122キロ 韓国・慶尚南道普陽郡 : アメリカス・ヘビー
50 2 (全) 新春シリーズほか
キム・イルの弟子でキム・イルに匹敵する韓国が生んだ国際的スター選手。昭和41年に日本プロレスに留学生として来日。その後渡米しテキサス地区ではNWA世界選手権に挑戦するまでに成長。坂口征二とコンビを結成した。昭和45年にも日本プロレスに来日しているが、最後の来日は全日本プロレスの昭和50年新春シリーズ。翌51年にはソウルで猪木のNWF選手権に挑戦するがリンチまがいの凄惨な攻撃を受けた。アメリカではフロリダ、テキサスなどで長くトップスターとして君臨した。すでに故人。

 

ファン・ケンマン
台湾の選手で、昭和61年頃全日本プロレスの前座に上がっていると思います。全日本プロレスの台湾遠征ではジャイアント馬場とタッグを組みました。(解説:JOE HOOKER SR氏)

 

ホン・ハクトー
48 4 (日)アイアンクローS
日本プロレス最後のアイアンクロー・シリーズにキム・スンホーらと共に来日、連日第1試合でキム・チョウランと試合を行なった。

 

梁鎮五(ヤン・ジンオ) YANG JIN O
187センチ、110キロ 1945年 韓国・ソウル
53 2 (全・国) 全軍激突戦ほか
昭和47年に国際プロレスに留学。高校時代にはアマレスの韓国チャンピオンにもなっている。日本とは縁が深く何度か来日を経験している。187センチ、110キロと韓国レスラーの中では体躯に恵まれ、怪力を利したブレン・バスターを得意としていた。

 

梁承揮(ヤン・スンヒー)=力抜山 YANG SEUNG HI
鉄仮面 188センチ、115キロ 1955年 韓国・ソウル
53 2 (全・国) 全軍激突戦、53 9 (国)ダイナマイトSほか
ボディビル出身のレスラーで、昭和53年の全軍激突戦に初来日。当時若干23才ながら呉大均のパートナーに抜擢されアジア・タッグ選手権に挑戦している。その後、国際プロレスに参加しプレ日本選手権にもキム・イル道場代表として参加している。国際プロレス崩壊後は力抜山のリングネームで新日本プロレスに参加し貴重な戦力となった。ストロング・マシーン2号の正体と言われている。

 

羅生門綱五郎(卓詒約)
203センチ、125キロ 台湾出身 T9年3月5日 
台湾出身でプロレス入り前は大相撲の花籠部屋に所属し、新高山の四股名で幕下まで進んだ。ジャイアント馬場入門前の巨人型レスラーとして、特に藤田山との凸凹コンビは人気を集め、黒沢明監督の「用心棒」など映画出演も多かった。よくテレビ番組で彼の古い映像が馬場と間違えられて紹介されている。本名は卓詒約(たくいやく)。

 

李王杓(リー・ワンピョ) LEE WANG PYO
韓国の豹 185センチ、93キロ 1956年 韓国・忠清南道
53 2 (全・国) 全軍激突戦
来日当時弱冠22才ながら持ち前の根性で日本勢を苦しめた。ガチンコには強く格闘技戦の韓国代表と言う呼び声も高かった。バランスの取れた体をしており、スピーディーなレスリングを身上としていた。新日本プロレスの昭和57年のサマーファイトシリーズ第一弾には「ジャガー・リー」の名前で参加している。現在は李王豹と改名し、2000年3月25日、キム・イル引退試合で以前WWFにいたクルガンを決定戦で破りWWA世界ヘビー級王者になった。このWWAというのは以前ロスにあったWWAを、セレモニーにいあわせたルー・テーズが(勝手に)復活させたもので、テーズは会長にキム・イルを任命した。現在は韓国プロレス連盟の会長。(追加情報:JOE HOOKER SR氏)

 

田任秀
50 9 (新)闘魂シリーズ
新日本プロレスの昭和50年「闘魂シリーズ」に、南海山(姜成英)、呉大均と途中参加した韓国人レスラー。大木一派の若手で、まだキャリアが浅かったのか、栗栖に1勝した以外は全敗という成績に終わっている。

 

洪武雄
44 1(日)新春S
昭和44年の日本プロレス「新春シリーズ」に千圭徳とともに来日した選手。昭和51年にはソウルで行われたアジア・タッグ争奪戦に呉大均とのコンビで出場したが、極道コンビに敗れ王座獲得はならなかった。