来日全外国人レスラー名鑑 ク(1)

 

ザ・クエスチョン THE ?
180センチ、102キロ 1931年米・イリノイ州シカゴ : WWA世界タッグ(シカゴ版)、USヘビー(デトロイト版)
46 2(国) AWAビッグ・ファイト・S
当時AWA地区でクリス・マルコフとのコンビで暴れていたアンジェロ・ポッフォの変身。来日前にブルーザー、クラッシャー組に惨敗し、同地区を追われたニュースが入っていた為、覆面に変身したのではないだろうか? 売り出し中のラッシャー木村と金網デスマッチで対戦するがKOされている。

アンジェロ・ポッフォの項も参照のこと。

 

クラーグ CLARG 在日米人?
29 8 (日) 太平洋岸タッグ選手権・S
オルソンと共にシュナーベル一行に加わる。学生時代に3年ほどアマレスを経験したクラーグは飛び入りながら高度なテクニックを見せた。(昭和45年別冊ゴング6月号来日外人レスラー名鑑より:情報提供 管様)

 

クラウス・カーロフ → メッサーシュミットをみよ

 

クラウス・ワラス KLAUS WALLAS 2回
ヨーロッパ最強の戦士 189センチ、118キロ 1953年オーストリア・リンツ :スープレックス :欧州ヘビー
60 2(全)85激闘!エキサイティング・ウォーズ、61 5(新) 86 IWGPチャンピオン・S
オーストリア出身でプロレス・デビュー前は柔道家として活躍し、モントリオール・オリンピックで6位入賞の成績を残している。1978年にプロレスラーに転向。1983年のハノーバー・トーナメントでは早くも優勝を果たしている。この年ユーゲン・ウィスバーガーを破りVDB認定のヨーロッパ・ヘビー級王者となる。全日本、新日本に一度づつ参加しているが真価を発揮できず、特に新日本プロレス来日時のIWGP王座決定リーグでは、予選リーグで全敗を喫している。

 

クラッシャー・クランチキー CRUSHAER KRANTIKI 1回
ビガロ2世 195センチ、145キロ 1963年米・ニューヨーク州 :UWFスーパーヘビー級
63 4(新) スーパー・ファイト・S
195センチ、145キロという巨漢で、モンスター・ファクトリーがバンバン・ビガロに続いて送り込んだ第2の刺客という触れ込みで来日したが、ビガロに似ているのは体型だけで、実力の方は全く足元にも及ばぬ木偶の坊であった。ニューヨーク、プエルトリコ、中西部と広範囲をサーキットしていたようだ。本名トーマス・ウルバンスキー。

 

クラッシャー・クルスチェフ CRUSHER KRUSCHEV 2回
ロシアの悪鬼 193センチ、133キロ 1959年10月6日米・ミネソタ州ミネアポリス :ベアハッグ :ミッドアトランティック・ヘビー、同地区世界タッグ
61 1 (全)【特】ニューイヤー・ウォーズ、61 10(全)【特】 86 ジャイアント・S

本名はバリー・ダーソウ。1983年にミネソタ州のパワーリフティング・チャンピオンになった所をスカウトされAWAでクラッシャー・ダーソウの名前でデビュー。翌年イワン・コロフに誘われてフロリダ地区に転出。ミッド・アトランティック地区ではイワンとニキタ・コロフとのトリオでザ・ラシアンズを名乗り人気を取るが、2度目の来日の後にWWFに引き抜かれスマッシュ・デモリッションに変身、さらにリーポマンなど多くのキャラクターに変身している。

 

クラッシャー・コワルスキー CRUSHER KOWALSKYI
ぶっ壊し屋 190センチ、125キロ 1933年米・ミネソタ州 :バックブリーカー :AWA世界タッグ
43 1(T) オープニング・ワールド・S

タイニー・ミルズとのコンビで何度もAWA世界タッグを獲得しているスタンレー・コワルスキーの変名。

詳細はビッグ・Kの項参照。

 

クラッシャー・スタージャック CRUSHER STASIAK
狼男 193センチ、122キロ 1938年カナダ・ケベック州アービタ  :ハートパンチ :WWWFヘビー、
48 2(全) ジャイアント・S結集戦

スタン・スタージャックの変名で、ベアキャット・ライトの代打として急遽来日した。このシリーズから帰国後WWWFに転戦し、翌年ペドロ・モラレスをリングアウトに屠り、WWWFヘビー級選手権を獲得した。

詳細はスタン・スタージャックの項参照。

 

クラッシャー・バンバン・ビガロー CRUSHER BAMBAM BIGELOW 7回
入れ墨獣 195センチ、165キロ 1961年9月1日 米・ニュージャージー州アッシュブリー :回転エビ固め : WCCW・TVヘビー、IWGPタッグ
62 1(新) ニューイヤー・ダッシュ 87、62 4(新) ブレイジング・チェリー・ブロッサム・ビガロ 87、62 6(新) ビッグ・サマー・ファイト・S、63 7(新)【特】サマー・ファイト・S、63 8(新)【特】88戦国S、6310(新) 闘魂S、64 1(新) 89 新春黄金S

本名はスコット・ビガロー。ラリー・シャープが主宰した「モンスター・ファクトリー」の卒業生で、クラッシャー・ユーソフの名前でデビュー。初来日のシリーズでは藤波、前田からフォールを奪いセンセーションを巻き起こした。それまでの超大型レスラーとは違い、飛んだり回ったり動きが非常に良かった。2度目の来日ではシリーズ名に名前が使われる(ブレイジング・チェリー・ブロッサム・ビガロ)ほどの期待を受けたが、北尾やソビエト勢のデビュー戦の相手に起用されるうちにカリスマ性を失っていった。2007年1月19日、フロリダの自宅で逝去。

 

クラッシャー・ビル・ドロモ CRUSHER BILL DROMO
閃光 191センチ、125キロ 1937年カナダマニトバ州ウィニペッグ :アジア・ヘビー
42 7 (国) パイオニア・サマー・S
ヒロ・マツダ体制の国際プロレス最後のシリーズにエースとして参加した時のドロモはクラッシャー・ビル・ドロモを名乗っていた。このシリーズでは国際プロレスにタイトル保持者がいなかったためにタイトル挑戦もなく、これといった活躍を残さずに終わっている。

ビル・ドロモの項も見よ。

 

クラッシャー・ブラックウェル CRUSHER BLACKWELL 7回
重圧粉砕機 180センチ、189キロ 1949年4月26日米・ジョージア州アトランタ :ボディプレス :ミズーリ州ヘビー、AWA世界タッグ
52 1(全) 新春ジャイアント・S、57 8(全) スーパー・パワー・S、5410(全) ジャイアント・S、59 8(全) スーパー・パワー・S、60 6(全) 85 熱風!サマー・アクション・ウォーズ、61 2(全) エキサイティング・ウォーズ 86、 6311(全) 97 世界最強タッグ決定リーグ戦

本名はジェリー・ブラックウェル。AWA地区で人気のあった巨漢レスラーで、外見とは裏腹にドロップキックなどもこなす器用なレスラーだった。全日本プロレスのジャイアント・シリーズに参加した時には鶴田のUN選手権に挑戦し惜敗している。AWAではシーク・アドナン・アル・ケイシーをマネージャーにつけ、ケン・パテラと共にシーク・ブラックウェルと改名し、アラビア人として世界タッグを保持していたが、あのギミックはかなり無理があった。1995年1月22日、肝炎により死亡。

 

クラッシャー・リソワスキー CRUSHER RISOWSKI 5回
ぶち壊し屋 183センチ、115キロ 1926年米・ペンシルバニア州ピッツバーグ :フライング・ニードロップ :AWA世界ヘビー、同世界タッグ、インター・タッグ
42 11(日) 【特】ウィンター・S、 43 1(日) 【特】新春チャンピオン・S、44 8(日) 【特】第二次サマー・S、47 10(国) 【特】ビッグ・ウインター・S、51 1(全)【特】新春ジャイアント・S

スタン・リソワスキーとのコンビでNY地区で売り出し、コンビ解散後は長くAWA圏で活躍した強豪で、「殴る蹴る」のケンカファイトだけでスターにのし上がった。同じタイプのディック・ザ・ブルーザーとのコンビは世界最強といわれた。レスラーになる前は警官をしており、犯人を殴りすぎた為にクビになったというエピソードもある。AWAでは世界シングルとタッグをそれぞれ獲得しているが、他地区ではブルーザーほどの実績は上げていない。ブルーザーとは従兄弟といわれていたが血縁関係はなさそう。インタビューでマイクに噛り付いた場面は日本のテレビプロレス史上屈指の名場面。必殺技はメリケン・パンチ。サイン

 

クラッシャー・リバース CRUSHER RIVERS
186センチ、113キロ 1945年プエルトリコ・サンファン  :ドロップキック
48 4(日) アイアンクロー・S

プエルトリコのサンファン出身のホセ・リベラが正体。来日当時ロス地区では素顔でジャン・リバースのリングネームで活躍した。プエルトリコ出身のレスラーとしては大型の部類に入る。少年時代はカヌーの選手だったため、腕力は相当なものだったとか。

ホセ・リベラの項も参照のこと。

 

ザ・グラップラー THE GRAPPLER 2回
新破壊仮面 184センチ、118キロ 1958年8月25日米・テキサス州 :PNWヘビー
57 7(新) 第2次サマー・ファイト・S、63 11(新) 88 ジャパンカップ・S

オレゴン地区で活躍していたレスラーで、藤波にパシフィック・ノース・ウエスト選手権を奪われ、奪回を期して来日したものの返り討ちに遭った。これといって特徴のない地味なレスラーだったといえよう。正体はリン・デントンという選手。1980年代初頭には中西部地区で、ザ・グラップラー2号(トニー・アンソニー)とのザ・グラップラーズ、またアンソニーと素顔でダーティ・ホワイト・ボーイズとしてで活躍していた。(補足:黒い一羽鷹氏)

未来日外国人レスラー名鑑の項もリン・デントンの項も見よ。

 

クラウス・カーロフ → メッサー・シュミットを見よ。

 

グラン・ブラジミア GRAN BRAZIMIA 1回
石頭入道 195センチ、115キロ 1930年 ベルギー
45 3(国) 第2回IWAワールド・S

ベルギー出身のロシア移民。欧州でもタッグを組んでいたイワン・ストゴロフと共に来日。「石の玉子頭」と呼ばれ、195センチの長身から振り下ろすヘッド・バットが得意技だったが、自分よりもふた周りも小さい田中忠治あたりにもシングルで敗れる事があったようで、いわゆる木偶の坊だったと判断しても良かろう。

 

グラン・ラパン GRAND LAPIN
重戦車 185センチ、162キロ 1943年6月13日オーストリア・グラーツ :CWA世界ヘビー、AWA世界ヘビー
48 1(国) 新春パイオ二ア・S

オットー・ワンツの前身でフランス語で「大きい兎」と言う意味。当時はまだまだ若手の域を出ておらず、その後にドイツの帝王と呼ばれる片鱗すらなかった。

詳細はオットー・ワンツの項参照。

 

クリス・アダムス CHRIS ADAMS 4回
英国の弾丸 187センチ、105キロ 1958年イギリス・ウィガン :スーパーキック :WCCW世界ヘビー、WWFライトヘビー、アメリカス・タッグ、アメリカンヘビー
56 5(新) 第4回MSG・シリーズ、57 8(新) ブラディ・ファイト・S、58 3(新) ビッグ・ファイト・S第1弾、61 2(新) ニューウェーブ・ダッシュ

1981年イギリスでデビュー。当時は柔道着を来てリングに上がっていた。英国ミドル級チャンピオンになったあと、兄も活躍していたロスに遠征し、トム・プリチャードとのコンビでアメリカス・タッグを獲得する。一時はメキシコに定着しペロ・アグアヨと抗争を展開したこともある。日本ではタイガーマスクのライバルとして注目されたが、期待通りの活躍は出来なかった。得意技のスーパー・キックと名づけられたソバットの切れ味は鋭く、タイガーマスクを失神寸前に追い込んだこともある。ロスのプロレスが崩壊後はダラスに定着し、女子マネージャーのサンシャインをつけトップ・スターとなる。ジノ・ヘルナンデスとのダイナミック・デュオで、エリック兄弟と抗争を展開。ジノの死後ふたたびシングル・プレーヤーに転向し、WCCW世界王者となり藤波の挑戦も受けている。2001年10月ダラス近郊の酒場で射殺さる。サイン

 

クリス・テーラー CHRIS TAYLOR 1回
怪童 196センチ、198キロ 1950年米・ミシガン州ドウォジャック :スープレックス、ボディプレス
51 11(全) 【特】スーパーパワー・S

アメリカでは国民的な人気者で、アマレス時代は彼の試合が放送されると視聴率が跳ね上がったという。ミュンヘンオリンピックで銅メダルを獲得し、バーン・ガニアにスカウトされてプロレス入り。全米を股にかけた人気者となる。日本へはジャンボ鶴田の十番勝負の相手として来日するがリングアウト負けを喫している。アンドレに次ぐ人気者に成長したが1979年6月29日に太り過ぎによる心不全で29歳の若さで死亡した。(写真撮影:HARU1番様)

 

クリス・トロス CHRIS TOROS 1回
虐殺狂 173センチ、104キロ カナダ・ケベック : カナダタッグ、USタッグ(NY版)、中西部タッグ
49 1(新) 新春黄金S

ロス地区で長年にわたって活躍したジョン・トロスの実兄。1960年代中盤には弟とのタッグで東海岸を中心に活躍し、WWWF世界タッグの前身であるUSタッグ王者にもなっているはか、全米のタッグタイトル戦線を荒らしまくった。弟とのコンビ解消後は泣かず飛ばずで、1973年頃にはロスで再び弟とのタッグを結成したが、タッグ・タイトルを獲得するには至っていない。同時期に新日本プロレスに初来日を果たしているが、3試合を消化しただけで負傷帰国してしまい、兄弟タッグは実現せず。

 

クリス・ベノイ → ダイナマイト・クリスを見よ。

 

クリス・マルコフ CHRIS MARKOFF 6回
ロシアの妖怪 183センチ、125キロ 1940年ロシア・スターリングラード(ユーゴスラビア説もあり) :キッチンシンク、ニードロップ :アメリカス・ヘビー、AWA世界タッグ
44 4(日) 第11回ワールドリーグ戦、 45 4(日) 第12回ワールドリーグ戦、46 7(日) サマー・ビッグ・S、47 8(日) 第2次サマー・ビッグ・S、 4911(全) NWAチャンピオン・S、5310(新) 闘魂S

父親の指導を受けてヨーロッパでデビュー。アメリカに上陸した当時はクリス・ボルコフの名で初代ニコリ・ボルコフとのコンビで活躍。マルコフに改名後はアンジェロ・ポッフォとAWA世界タッグを獲得、ブルクラとの抗争で名を挙げる。日本では第11回ワールド・リーグ決勝で猪木初優勝の相手をつとめた事で名を挙げた。ワールドリーグの後に来日した時には馬場のインター選手権に挑んだがストレート負けを喫す。この時から馬場の猪木への充てつけはあった訳だ。後に全日本、新日本プロにそれぞれ来日しているが、体の硬いパワー・ファイターと言う印象しか残っていない。私生活でも喧嘩っ早く、多くのトラブルを起こしている。しかしなかなかのインテリで5カ国語を使いこなしたという。晩年は二代目ニコリ・ボルコフとのコンビで活躍した。サイン

 

クリス・ヤングブラッド JAY YOUNGBLOOD 1回
赤豹 184センチ、103キロ 1965年米・テキサス州アマリロ : WWC世界タッグ
62 11(全) 87世界最強タッグ決定リーグ戦

リッキー・ロメロの三男で、兄のジェイ(故人)、マークの後を追ってプロレス入りし、プエルトリコでデビュー。兄のマークとのコンビでWWC世界タッグを獲得。日本へは昭和62年の世界最強タッグに初来日し絶妙のコンビネーションを見せた。平成になっても何度か来日している。試合前のウォー・ダンスを披露するなど、インディアン・レスラーとしての存在をアピールしていた。

 

グリズリー・スミス GRIZLY SMITH
灰色熊 213センチ、159キロ 1925年米・ケンタッキー州ハザード :スタンプホールド :南部タッグ
46 8(日) サマー・ミステリー・S

ルーク・ブラウンとのタッグチーム ザ・ケンタッキアンズのリーダーであるジェーク・スミスの変名。

詳細はジェーク・スミスの項参照。

 

グリズリー・ブーン GRIZZLY BOONE 1回
188センチ、200キロ 米・ジョージア州ニックスビル :ボディプレス
63 5(全) 88 スーパー・パワー・S

丸太棒を片手に毛皮をまとって、気勢を上げながら観客を追い掛け回す原始人キャラのレスラーで、技はほとんどなく、コーナーに相手を追いつめてボディスプラッシュから、倒れたところにフライング・ソーセージというワンパターンであった。しかしUWFが人気を呼んでいた当時もはやこの様なギミックは時代遅れであった。