来日全外国人レスラー名鑑 ク(2)

 

ザ・クルーザー THE CRUISER
快速船 野生児2世 183センチ、115キロ 1939年米・インディアナ州インディアナポリス :NWA世界ジュニアヘビー、セントラルステーツ・ヘビー
55 8(全) 第2次サマー・アクション・S

「第2次サマー・アクション・シリーズ」で行われたPWF杯争奪タッグトーナメントにデストロイヤーのパートナーとして参加したマスクマンで、デストロイヤーとうりふたつの体型をしていた。なかなかの実力者で決勝まで進出し、マスカラス兄弟と優勝を争っている。正体は野生児二世といわれたロジャー・カービーだから、この活躍も当然の事であろう。サイン

ロジャー・カービーの項も見よ。

 

ザ・クルセイダー 1号 THE CRUSADERS # 1
仮面の十字軍 190センチ、108センチ 1925年カナダ・オンタリオ州ハミルトン
52 1(全) 新春ジャイアント・S

十字軍を名乗る謎の覆面コンビで、来日前はインタータッグを狙っての来日といわれていたが、結局は高千穂、サムソン・クツワダの保持するアジア・タッグに挑戦するも惜敗している。正体はビリー・レッド・ライオン。

ビリー・レッド・ライオンの項も見よ。

 

ザ・クルセイダー 2号 1回 THE CRUSADERS # 2
仮面の十字軍 189センチ、116キロ 1943年2月28日カナダ・オンタリオ州ハミルトン
52 1(全) 新春ジャイアント・S

トロント地区で活躍していたマスクマン・コンビという触れ込みでの来日だったが、現地では素顔でファイトしていたといわれる。この2号の正体はディウィ・ロバートソン。ロバートソンは後にミッシング・リンクに変身してブレイク。平成に入ってからリンクとしても来日している。ディウィ・ロバートソンとしても知名度は高かったが、素顔では一度も来日していない。

未来日外人レスラー名鑑のディウィ・ロバートソンの項も見よ。

 

クルト・フォン・スタイガー KURT VON STEIGER 3回
177センチ、104キロ 1931年ドイツ・ハンブルグ :スープレックス :北米タッグ(カルガリー版)、USタッグ(シスコ版)、PNWタッグ
44 5(日) ゴールデン・S、48 2(日) ダイナミック・S、51 8(新) 闘魂S

本名はアーノルド・パストリッヒ。「弟」のカールとのスタイガー兄弟でカナダや太平洋岸地区で活躍。カールとはビジネス上の兄弟で血のつながりはない。カールより一回り小さく、シングルではそれほどでもなかったが、タッグになるとしぶとい強さを発揮、日本でも兄弟コンビで絶妙のコンビネーションを披露した。昭和48年の来日ではキラー・カール・クラップとのコンビで吉村の引退で空位になったアジア・タッグ王座決定戦に出場したが、小鹿、松岡組に惜敗している。

 

クルト・フォン・ストロハイム KURT VON STOHEIM 3回
ナチの残虐者 188センチ、112キロ 1929年ドイツ・ベルリン :ニードロップ :WWA世界タッグ、ヨーロッパ・ヘビー、世界タッグ(テネシー版)
39 10(日)【特】 プロレス秋の陣、39 12(日) WWA世界選手権S(残留)、44 5(日) ゴールデン・S、52 10(新) 闘魂S第2弾

本名はウィリー・ラトゴスキー。元ナチスのギミックで売ったレスラーで、1950〜60年代にカールとのストロハイム兄弟で活躍した古豪。体格的にもなかなかの大型であった。1960年代中盤からはテネシー一帯で2代目クルト・フォン・ブラウナーとなり、カール・フォン・ブラウナーと2代目ブラウナー兄弟として暴れた。最後の来日ではさすがベテランという巧さを見せパット・パターソンとのコンビで北米タッグ王座への挑戦権を与えられたが、直前に負傷し挑戦権をスティーブ・ライトに譲っている。

 

クルト・フォン・ヘス KURT VON HESS 6回
ナチの亡霊 193センチ、114キロ 1944年カナダ・ケベック州モントリオール :クロー攻撃 :NWF世界タッグ、IWA世界タッグ、北米タッグ
49 5(新) ゴールデン・ファイト・S、52 2(国) 第6回IWA・ワールド・S、53 4(国) スーパー・ファイト・S、54 1(新) 新春黄金・S、55 8(全) 第2次サマー・アクション・S、57 5(全) エキサイト・S

カール・フォン・ショッツとのコンビでNWF世界タッグ王者として来日するはずだったが、来てみればNWAの北米タッグ王者だった。タッグの名人でショッツとのタッグのほかにも、ボブ・ループとのコンビで北米タッグに挑戦、国際プロレスではビッグ・ジョン・クインとのコンビでIWA世界タッグ王座決定トーナメントに優勝するなどの実績を持つ。晩年はT・J・シンの参謀役として全日本プロレスにも登場した。タッグ・マッチにおける司令塔としての才能は抜群であった。1999年3月に心臓発作で逝去。

 

クレイトン・トムソン CLAYTON TOMSON 2回
英国の鋼鉄男 180センチ、102キロ 1944年スコットランド・グラスゴー : 大英帝国ヘビーミドル
48 9(新) 闘魂S、50 8(新) 闘魂S

レスラーになる以前は、丸太投げチャンピオンにもなった事があるという怪力の持ち主で英国博覧会の丸太投げのデモンストレーションに参加するため来日したこともある。イギリス・マットを中心にヨーロッパで活躍した中量級のレスラーで、2度目の来日時は大英帝国ヘビー・ミドル級選手権を保持していた。地味だが堅実なレスリングでマニアを唸らせた。

 

クレージー・アラブ CRAZY ARABU
恐怖の気違い酋長 186センチ、110キロ 1944年米・カリフォルニア州オークランド
54 3(国) スーパー・ファイト・S

日本プロレスに初来日したマスクマンのゲーリー・モンティの変身。元々ボディ・ビルの出身でモンティ時代はスピードを生かした大技もこなす正統派レスラーとして注目を集めたが、突然アラビア系を名乗るクレージー・ファイターに転向した。アラブとしての来日では、まずまずのそつのない試合振りを見せていた。

ゲーリー・モンティの項も参照のこと。

 

クレージー・セーラー・ホワイト → セーラー・ホワイトを見よ

 

クレージー・ボビー・バス CRAZY BOBBY BASS (テキサス・アウトロー*) 2回 
187センチ、115キロ 1947年カナダ・ノバスコシア :カナダ・ジュニアヘビー、USタッグ(アラバマ版)
51 5 (国) ビッグ・チャレンジ・S、54 6 (国) ビッグ・サマー・S *

バス4兄弟(フレッド、ドン、ロン)の末弟と言う触れ込みでデビューしたが、これは当然ビジネス・ブラザーであり血のつながりはなかった。本名はデニス・バルドック。学生時代はボクシングに励みアマのカナダ王者になったが、拳をいためプロレスに転向したところをロン・バスに認められ、ボビー・バスとしてアメリカ本土に進出、アラバマやフロリダでロンとのコンビでUSタッグ、世界タッグを獲得している。実力的には3流レスラーである。

 

クレージー・レロイ・ブラウン (エリージャー・アキム* )3回
黒い起重機 199センチ、160キロ 1950年米・イリノイ州シカゴ :ヘッドバット :アメリカス・ヘビー、アメリカス・タッグ
54 6 (新) サマー・ファイト・S、59 4 (新) ビッグ・ファイト・S 第2弾*、60 3 (新) ビッグ・ファイト・S 第1弾
プロフットボールの「ニューヨーク・ジェッツ」で活躍していたが1977年にプロレス入り。すぐに頭角をあらわしテキサス、ロスでトップを取った大型黒人レスラー。初来日ではブッチャー2世として期待され開幕戦で小林をKO、しかし試合前のデモで頭でビール瓶を割ろうとしたが、ブラウンの額が割れて大流血。このシリーズでは坂口の北米選手権にも挑戦したが、マサ斎藤が乱入し反則負けを取られる。ヘッドバット一本槍の単純なレスラーだった。後にエリージャー・アキムに改名し、ムハマッド・カリム (レイ・キャンディ)とのザンビア・エキスプレスで来日している。アメリカではバッド・バッド・レロイ・ブラウンとも名乗った。1989年に狭心症で死亡。サイン

 

グレート・アントニオ GREAT ANTONIO 2回
密林男 193センチ、210キロ 1928年カナダ・ウィニペッグ :ボディプレス
36 4(日) 第3回ワールドリーグ戦、52 10(新)【特】闘魂S第2弾

日本での知名度は高いが、実際はカナダの一部でしか活躍していなかったローカル・レスラーで、アメリカではほとんど無名に近いといえる。2度来日しているが、2回ともシリーズ途中で対戦レスラーの反感を買いリンチを受けての途中帰国となっている。かなりの虚言癖があり、ほとんどのレスラー仲間から嫌われていたようだ。2度目の来日でもアンドレ・ザ・ジャイアントの怒りを買いリンチを受け、猪木にも無残にKOされている。しかしマネージャーにチェーンでひかれてリングに登場したり、バスを引っ張ったりというパフォーマンスは昭和のファンに強烈な印象を残した。晩年は恵まれず、2003年9月に故人となった。サイン

 

グレート・イゴール GREAT IGOR 1回
岩石男 186センチ、120キロ 1944年ポーランド :ヘッドバット :AWA世界ヘビー
46 7(日) サマー・ビッグ・S

生まれ故郷のポーランドから1963年にカナダに移住したところをイワン・カルミコフにスカウトされてプロレス入り。AWA地区で活躍した怪力レスラーでイゴール・ボディックの名でも知られ、主に子供に人気があったレスラー。AWA世界王者にもなっており、まだ見ぬ強豪の一人に数えられていたが、昭和46年に日本プロレスに最初で最後の来日を果たす。しかしこれが全くの期待外れで、「これが本当に世界王者になった男か!」と酷評を受けた。以後一度も来日がないのはもちろん、来日の噂も立たなかった。

 

グレート・キマラ GREAT KAMARA
ウガンダの大魔神 205センチ、160キロ 1950年5月28日米・ミシシッピー州ジャクソン
60 11(ジ) ニューウェーブ・イン・ジャパン

アメリカではフライデーという覆面マネージャーをつけて人気を獲得したレスラー。最後の怪奇派といっても良かろう。ジャイアント・キマラの変名。

ジャイアント・キマラの項参照。

 

ザ・グレート・コキーナ GREAT KOKINA 1回
サモアの巨象 193センチ、158キロ 1966年10月2日東サモア(米・カリフォルニア州サンフランシスコ説もあり) :ボディプレス : WWF世界ヘビー
63 8(新) 88 戦国S

サモア出身の超巨漢レスラーで、さまざまなインディー団体を渡り歩いて力を付けた。特異なキャラクターが買われ、ジャン・レノ主演の「暴風神父」フライ・トルメンタをモデルにした映画「グラン・マスクの男」にも出演している。後にWWFに移籍しヨコズナとして売り出し、WWF世界王者にもなっているが、2000年10月22日肥満が原因の狭心症の発作で死亡。本名はロドニー・アノアイで、アファ、シカのアノアイ兄弟の甥。

 

グレート・スヌーカ GREAT SNUKA
鬼神 183センチ、105キロ 1945年5月18日フィジー :PNWヘビー
46 9(日) 第2回NWAタッグ・リーグ戦、 49 11(全) NWAチャンピオン・S

ジミー・スヌーカの前身で、デビュー1年目で初来日。初来日当時は写真のようなインディアン・スタイルだった。来日前はグレート・シアヌークとして紹介されていた。

詳細はジミー・スヌーカの項参照。

 

グレート東郷 → 日本人全レスラー名鑑の日系レスラーの項を見よ。

 

グレート・マーシャルボーグ GREAT MARSHALBORG 1回
恐怖の殺人機械 190センチ、155キロ 米・ハワイ州 :南部ヘビー(テネシー版)
56 7(全) サマー・アクション・S

落ち目のキラー・トーア・カマタが連れてきたとんでもない食わせ物。来日前は「全米マーシャル・アーツ王者だったが、対戦相手を死亡させマーシャル・アーツ界を追われた・・・」という宣伝文句でかなり人気を煽ったが、蓋を開けてみると、これが全くの木偶の坊。落ち目のカマタをさらにどん底に突き落としたのだった。後にこの男が猪木の格闘技史上最低の対戦相手といわれたミスター・Xだと言う噂が流れ、ファンは大きく首を縦に振って納得したものである。しかしどうやらミスターXとは別人だと思われる。またブッダ・カーンのリングネームでテネシー版南部選手権をジェリー・ローラーから獲得している。本名はタラス・ブルバ。サイン

 

グレート・マレンコ GREAT BORIS MARENCO 5回
デスマッチの鬼 185センチ、108キロ 1932年ロシア・ウクライナ :キャメルクラッチ、葉巻攻撃 :AWA世界タッグ、フロリダヘビー
40 2(日) 【特】新春国際試合、48 5(全) ブラック・パワー・S、49 10(新) 闘魂S第2弾、53 3(新) ビッグ・ファイト・S、54 1(新) 新春黄金・S

正式にはグレート・ボリス・マレンコといい、AWA圏ではドイツ人ギミックのオットー・フォン・クラップ名義でボブ・ガイゲルとのコンビでAWA世界タッグを獲得している。今でこそシュートの達人と言う評価を受けているがふざけたファイトが多かったようで、当時の雑誌では酷評されている。全盛期はチェーン・デスマッチの名人としてフロリダあたりで悪名を轟かせた。晩年はボブ・ループやマスクド・スーパースターのマネージャーとして来日し葉巻で猪木の目を焼くなどしてファンの憎悪をかった悪役マネージャーとしての印象が強い。ジョーとディーンのマレンコ兄弟の父親である。本名はラリー・シモン。1994年血液ガンのため死亡。サイン

 

グレート・ムルンバ GREAT MURUMBA
186センチ、120キロ 生年月日不明トリニダートドバコ
55 11(国) デビリッシュ・ファイト・S

新日本プロレスに来日経験のあるブルータス・ムルンバの変名。国際プロレスでは準エース級の扱いを受けた。試合前のデモンストレーション・ダンスが印象に残る。

ブルータス・ムルンバの項も見よ。

 

グレート・メフィスト GREAT MEPHISTO 1回
アラビアの妖鬼 183センチ、110キロ 1936年サウジアラビア・アブダビ(ドイツ出身説、米・カンサス州出身説もあり) :キャメルクラッチ :テキサス・ヘビー、USヘビー(シスコ版)
55 11(全) 世界最強タッグ決定リーグ戦

アブドーラ・ザ・ブッチャーと仲間割れしたザ・シークがパートナーとして連れてきた選手で、サンフランシスコや北西部、中西部地区を主戦場としていた選手。小柄な割にはパワーもあったが、肝心のザ・シークがまともな試合をする気がなくリーグ戦はほとんどが反則負けであった。プロレス&ボクシングの昭和40年7月号ではドイツ出身で本名はレッド・シュタインケと紹介されているが詳細は不明。アラビア人でないことは間違いなさそうだが。必殺技はアラビア系の定番であるキャメル・クラッチ。

 

グレッグ・ガニア GREG GAGNE 3回
帝王二世 183センチ、100キロ 1948年7月27日米・ミネソタ州ミネアポリス :ドロップキック :AWA世界タッグ
48 9(国) 第5回lWA・ワールド・S、57 5(全) 【特】エキサイト・S、59 3(全) 【特】グランド・チャンピオン・カーニバルT

AWAの帝王 バーン・ガニアの息子で現役中は常に「親の七光り」というレッテルがついて廻った。ジム・ブランゼルとのハイ・フライヤーズで何度もAWA世界タッグを保持。一時ブランゼルとコンビを解消して、単身WWFに転戦した時期もあり、藤波のジュニア選手権に挑戦するという計画が持上がった事もあった。これが実現していれば、なかなかの名勝負になったであろう。AWA末期にはランボー・スタイルに変身するなどしたが、シングル・プレーヤーとしては最後まで大成しなかった。得意技はドロップキック。

 

グレッグ・バレンタイン GREG VALENTINE 5回
金髪のジェット機 185センチ、113キロ 1951年米・ワシントン州シアトル :エルボードロップ :NWF世界タッグ、アメリカス・ヘビー、WWF世界タッグ
50 5(新) ゴールデン・ファイト・S、50 10(新)【特】闘魂S第2弾、54 10(新)【特】闘魂S、57 7(新) 第2次サマー・ファイト・S、59 8(新)【特】ブラディ・ファイト・S

「金髪のジェット機」といわれたジョニー・バレンタインの実子でデビュー当時はジョニー・バレンタイン・ジュニアを名乗って試合をしていたが、ジョニーが実子であるを否定したため「ジョニーの息子ではない偽者」と報道された事もある。西海岸でジャッキー・ファーゴの弟として活躍。NWF地区で世界タッグを獲得した後、コンビを解消してロスへ転戦しジョニーの弟としてグレッグ・バレンタインに改名。新日本プロレスの常連レスラーとなる。昭和54年の来日では減量して藤波のジュニア王座に挑戦し、藤波を大いに苦しめた。アメリカでもボブ・バックランド、リック・フレアーあたりと抗争を展開していた実力派である。WWFでは髪を黒く染めてザ・ハンマーのニックネームで活躍。日本では過小評価されたといえる。得意技は父譲りのエルボードロップ。

 

グレッグ・ピーターソン GREG PETERSON 1回
フロリダの毒蛇 180センチ、110キロ 米・オハイオ州コロンバス :ブラスナックル選手権(ジョージア地区)
47 11(新) ニュー・ダイヤモンド・S

ジョージアやフロリダ一帯を主戦場としていたレスラーで、グレート・マレンコとのチェーンデスマッチはドル箱カードだったといわれている、。得意技はスリーパー・ホールドと各種のクロー攻撃。写真を見てのとおり、なかなかの美男子で、アメリカでは女性ファンの人気があったようだ。当時の海外熱戦譜にも名前が登場、専門誌でも特集が組まれていたが、日本での成績はさっぱり。

 

グレッグ・ブラウン GERG BROWN 1回
185センチ、101キロ 1966年米・オクラホマ州タルサ
63 10(全) 88 ジャイアント・S

ジェリー・オーツのスカウトでプロレス入り。可もなく不可もないといった特徴のないレスラー。当時から黒人レスラーは減少傾向にあり希少価値はあった。ダイビング・ボディ・アタックのような大技も器用にこなしたが、その後一度も来日していない。

 

黒潮太郎 → 外国人留学生名鑑を見よ

 

クロンダイク・ビル CRONDYKE BILL (ミスター・ブルート *) 2回
人非人 180センチ、159キロ 1938年カナダ・ユーコン :
フライング・ソーセージ :アジア・タッグ、セントラルツテーツ・タッグ、ハワイ・ヘビー
38 1 (日)【特】春の国際大試合*、43 7(日) 第一次サマー・S

アメリカで活躍したオリジナルのクロンダイク・ビルで初来日ではミスター・ブルートを名乗る。エースとして来日するが、力道山との三本勝負の一本目でバック・ドロップを浴び失神、二本目を試合放棄。空手チョップを観衆に魅せられなかったとして力道山を大いに怒らせた。2度目の来日時にはシングルでジャイアント馬場からフォール勝ちを収めたりアジア・タッグを奪取したりと大活躍の汚名挽回。野獣派ではあったが小柄だった為、二流の域を脱する事が出来なかった様だ。本名はビル・ソロウェイコ。

 

クロンダイク・ビル CRONDYKE BILL 1回
人間空母
181センチ、210キロ 1942年イギリス・ヨークシャー
48 11(国) ビッグ・ウインター・S

こちらはイギリス版のクロンダイク・ビル。弟を名乗るクロンダイク・ジャック(ジェイクとする説もあり)とのクロンダイク・ブラザーズを名乗ってタッグで暴れていた。想像の通りの木偶の坊で、なんと浜口、大磯を相手にしたハンデイ・マッチでフォール負けを喫するという体たらく。こういった野獣レスラーは見かけ倒しが多く、一流レスラーには歯が立たない場合がほとんどのようである。