来日全外国人レスラー名鑑  マ1

 

マーク・テンダー MARK TENDLER 1回
ボストンの旋風児 182センチ、120キロ 米・マサチューセッツ州ボストン
54 5 (全) スーパー・パワー・S
マサチューセッツ工科大学を卒業したインテリで、「ボストンの旋風児」と若い頃は呼ばれていたレスラー。しかし昭和54年の初来日時は25歳の新鋭と言う触れ込みだったが、実際に来てみると中途半端な反則しか使わないロートル・レスラーであった。サバを読むにもほどがある。引退後はイタリアでプロモーターになり、アントニオ猪木を招聘したことがあった。

 

マーク・ヤングブラッド MARK YOUNGBLOOD 1回
赤き獅子 183センチ、106キロ 1963年米・テキサス州アマリロ : NWA世界タッグ、世界TV選手権、WWC世界タッグ
62 11 (全) 87 世界最強タッグ決定リーグ戦
リッキー・ロメロの次男。亡きジェイ・ヤングブラッドの実弟である。1981年にアマリロでデビュー。以後ミッド・アトランティック地区を中心に活躍し、NWA世界タッグ、NWA・TV選手権などを獲得している。弟のクリスがデビューするとすぐにコンビを結成しプエルトリコに転戦、WWC世界タッグを獲得した。兄譲りの果敢なファイトで日本でも評価は高かった。

 

マーク・ルーイン MARK LEWIN 10回
毒蛇 188センチ、115キロ 1937年米・ニューヨーク州バッファロー :スリーパーホールド :WWA世界ヘビー、USタッグ(NY地区)、南部ヘビー
48 3 (全) 第1回チャンピオン・カーニバル、49 4 (全) 第2回チャンピオン・カー二バル、50 4 (全) 第3回チャンピオン・カーニバル、 51 2 (全) エキサイト・S、52 1 (全) 新春ジャイアント・S、 53 1 (全) 新春ジャイアント・S、56 1 (全) 新春ジャイアントS、56 11 (全) 世界最強タッグ決定リーグ戦、57 1 (全) 【特】新春ジャイアント・S、59 8 (旧U) ビクトリー・ウイークス
ドン・ルーインの実弟で「毒蛇」と呼ばれスリーパー・ホールドを武器に活躍した。1960年代前半にニューヨークでドン・カーチスとのコンビで活躍。チーム解散後、1966年にロスでルー・テーズを破ってWWA世界王者となった。日本では長く幻の強豪と言われたが、全日本プロレスの第1回チャンピオン・カーニバルに初来日、決勝戦まで進出しファンを唸らせたが、そのファイトぶりはロープを外したり、粉を振りまいたりするクレイジー・ファイトで正統派だと思い込んでいたファンを失望させた。UWFに来日時は完全に峠を過ぎており新進気鋭の高田伸彦にKOされてしまう。サイン (左写真撮影:HARU1番さま)

 

マーク・レーガン MARK REGAN 1回
184センチ、105キロ 生年月日不明 米・ニューヨーク州
62 1 (全) 87 新春ジャイアント・S
ザ・デストロイヤーの弟子で、輪島のスパーリングパートナーも務めた。実戦経験はほとんどなかったようで、全く実績も印象も残せぬまま帰国してしまった。馬場のデストロイヤーに対する義理だけで来日したようなレスラーである。

 

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マーチン・ジョーンズ MARTY JONES 4回
英国の闘将 185センチ、95キロ 1956年イギリス・オールダム :ツームストンドライバー :英国ライトヘビー、英国ヘビーミドル、世界ミッドヘビー
52 10 (新) 闘魂S第2弾、 53 4 (新) 第1回MSGシリーズ、57 10 (新) 闘魂S、60 2 (旧U) パンクラチオン・ロード
イギリスでは大英帝国選手権のライト・ヘビー級とミドル級の二階級同時制覇も達成した事のある中量級の強豪。イギリスではヒールとして活躍していたが、ダイナマイト・キッドやマーク・ロコとはちがい、非常に陰湿なイメージがあった。1,2度目の来日では体格差に泣いたが、3度目の来日では初代タイガーと熱戦を繰り広げ内容では圧倒していた。タイガーマスクはこういったヨーロッパの選手を特に苦手にしていたようだが、地味でファンに受けないため、見栄えのするメキシカンが重用された。マーク・ロッコとの抗争はイギリス中量級のドル箱カードであった。正確にはマーチンでなくマーティ。

 

マーティ・ジャネッティ MARTY JANETTY 1回
弾丸児 183センチ、105キロ 1962年米・ジョージア州コロンバス :AWA世界タッグ、インターコンチネンタル・ヘビー
60 8 (全) 85決戦!ダイナマイト・ウォーズ
高校時代はアマレスで活躍し、それに目を付けたハリー・レイスにスカウトされて大学を卒業後にプロレス入り。デビュー当初はトミー・ロジャース、ボブ・ブラウンあたりとのコンビで中西部地区で活躍したが、1986年にAWAに移籍、ここでショーン・マイケルズと意気投合しミッド・ナイトロッカーズを結成しAWA世界タッグを獲得。その後WWFに移籍するが、ここでショーン・マイケルズの裏切りにあいコンビ解散。ショーンとの抗争を繰り広げたが、次第にフェードアウトしてしまった。

 

マイク・グラハム MIKE GRAHAM 3回
南部の若虎 175センチ、100キロ 1953年米・テネシー州メンフィス :足4の字固め :NWAインタージュニアヘビー、AWA世界ライトヘビー
49 2 (全) エキサイト・S、52 2 (全) エキサイト・S、55 2 (新)【特】 ビッグ・ファイト・S
フロリダのボス エディ・グラハムの息子でアマレスを経てフロリダでプロレスラーとしてデビュー。フロリダ地区では父の力添えもあったのであろうハリー・レイスのNWA世界選手権に幾度となく挑戦し善戦している。ケビン・サリバン、スティーブ・カーンとのコンビで南部タッグを長く保持。1980年には地の利を活かし藤波からNWAインター・ジュニア選手権を奪取した。キャリアのほとんどをフロリダで過ごしたが、AWAにも進出しAWA世界ライト・ヘビー級選手権を獲得した事もある。父親の自殺後にPWFなる団体を興している。本名はマイケル・ゴセット。

 

マイク・ケリー MIKE KELLY 3回
双子の悪魔 187センチ、125キロ 1948年カナダ・オンタリオ州ハミルトン
54 9 (国) ダイナマイト・S、60 3 (新) ビッグ・ファイト・S 第1弾、60 11 (新) 85 IWGPタッグ・リーグ戦
カナダのオンタリオ出身で一卵性双生児の兄パットとともにフランク・タニーにスカウトされてプロレス入り。主戦場はカナダだったがフロリダ、テネシーあたりにも足を伸ばし各地のタッグ・タイトルを獲得した名コンビであった。昭和54年の初来日時(国際プロレス)が全盛期と見て良く、新日本プロレスでは白星配給係に甘んじたが、高等なタッグ戦術は衰えていなかった。サイン

 

マイク・サンドー MIKE SANDOW 1回
欧州の異能派 182センチ、107キロ ベルギー・ブリュッセル
50 8 (新) 闘魂S
カール・ゴッチの推薦で来日したベルギー出身の正統派レスラー。本名はミッチェル・デバイザー。リングネームはベルギーの重量挙げの英雄であるユージン・サンドーにあやかったもので、マイク本人も重量挙げのヨーロッパ・ライト・ヘビー級選手権を獲得している。182センチ、107キロと欧州系のレスラーにしては大柄で、そのテクニックは専門誌から高い評価を受けた。

 

マイク・シャープ MIKE SHARP 3回
鋼鉄男 199センチ、119キロ 1923年カナダ・モントリオール :ニードロップ :世界タッグ、太平洋岸ヘビー(シスコ版)
29 2 (日) プロレス国際試合、31 4 (日) プロレス国際試合、37 2 (日)【特】プロレス春の国際試合、37 4 (日) 第4回ワールドリーグ戦(残留)、37 5 (日)プロレス選抜戦(残留)

アイアン・マイク・シャープの父親であり、兄のベンとのシャープ兄弟で世界タッグ選手権を6年に渡って保持した名レスラー。日本でのプロレスブーム爆発に協力した点で、日本プロレスしには欠かせない人物。兄のベンがテクニシャンだったのに対し、マイクは徹底したラフファイターであった。ベンの引退後はシングル・プレイヤーとして活躍し、第4回ワールド・リーグ戦にも参加し大いに活躍した。1988年に心臓発作で死去。

 

マイク・シャープ・ジュニア MIKE SHARPE Jr.
鋼鉄男2世 193センチ、136キロ 1951年カナダ・オンタリオ州ハミルトン :カナディアンバックブリーカー :太平洋岸ヘビー
54 4(全)NWAチャンピオン・S
タッグの名手「シャープ兄弟」のマイク・シャープの息子。ジン・キニスキーの代打として鶴田が保持していたUN選手権に挑戦したが、善戦むなしく敗退している。全日本プロレスにはこれが唯一の登場であった。

詳細はアイアン・マイク・シャープの項を参照のこと。

 

マイク・ショー MIKE SHAW 1回
圧殺気球 185センチ、140キロ 1957年米・ミシガン州スカンディア
59 11 (全) 84世界最強タッグ決定リーグ戦
カナダでプロレス入りし、カルガリーを主戦場にしていた選手。南アフリカ遠征でタイガー・ジェット・シンと戦い、シンにその勝負根性を見込まれ、最強タッグリーグ戦のパートナーに抜擢される。しかし、シンの横柄な態度に我慢できずに仲間割れを起こし、リーグ戦を途中放棄している。カルガリーではマッカン・シンと名乗った。女子プロレスラーのベルベット・マッキンタイヤーの旦那でもある。

 

マイク・ジョージ MIKE GEORGE 5回
雷光男 186センチ、125キロ 1950年米・ミズーリ州マーシャル :ダイビングヘッドバット :セントラルステーツ・ヘビー、北米ヘビー(MSWA)、カンサス・ヘビー、ミシシッピー・ヘビー、ルイジアナ・ヘビー、ミッドサウス・タッグ、カンサス地区世界タッグ、WWA世界ヘビー
50 4 (全) 第3回チャンピオン・カーニバル、55 4 (国) ビッグ・チャレンジ・S、56 1 (国) 新春パイオニア・S、58 1(新)【特】新春黄金・S、62 2 (全) 87 エキサイト・S
ミズーリ州出身で大学を卒業後、ゲスト・カラスにスカウトされプロレス入り。ロニー・エチソン、ハリー・レイスのコーチを受けてデビュー。デビューまもなく全日本プロレスに初参加、この時はキャリア不足を露呈したが、帰国後めきめき頭角を表わし、中西部地区のタイトルを総なめにした。次期世界王座候補にも名を挙げられ、1981年にはハリー・レイスから2フォールを奪い幻の王者となっている。この年国際プロレスのルー・テーズ杯争奪戦に参加、決勝進出を果たすが、決勝リーグ開催を目前にして国際プロレスは崩壊。2年後、新日本プロレスで苦戦するラッシャー木村の助っ人として参加するなど義理堅いナイス・ガイであった。引退後は車のセールスマンに転進。NWA崩壊後はWWAに参加、蝶野正洋とも抗争を展開。全日本プロレスでジャンボ鶴田とがんがんやってほしかった選手。サイン (左写真撮影:HARU1番様)

 

マイク・スターリングス MIKE STALLINGS 1回
185センチ、108キロ 1948年米・ジョージア州フォーレストバーク :フロント・ネック・チャンスリー・ドロップ
51 2 (新) ビッグ・ファイト・S
学生時代はレスリングのほかに野球にも熱中し、大リーグに在籍したほどの腕前。1966年に大リーグから転進しプロレス・デビュー。以後、地元のジョージアを中心に活躍。日本ではまったく無名であったがフロント・ネック・チャンスリー・ドロップなども器用に使いこなすテクニシャンであった。しかしその後の来日はなし。残念な逸材であった。

 

マイク・デービス MIKE DAVIS 3回
ジョージアの若虎 185センチ、105キロ 米・ジョージア州アトランタ
58 2 (全) エキサイト・S、58 5 (全)【特】 グランド・チャンピオン・力ーニバル2、59 6 (新) サマー・ファイト・S
ジョージア出身でジム・バーネットにスカウトされてプロレス入り。長く同地区で活躍し全日本プロレス来日時は大仁田が当時保持していたNWAインター選手権に挑戦している。帰国後はフロリダに転戦しヒールに転向、ケビン・サリバンの誘いでザ・フレームなるペイント・レスラーに変身。しかし芽が出ずWCCW地区(ダラス)に転戦、トミー・レーンとのロックンロールRPMsを結成するが、結局中堅のまま終わってしまった。2001年12月に心臓疾患のため死亡。サイン

 

マイク・デ・ビアース MIKE DIBIASE 1回
鋼鉄男 181センチ、111キロ 1924年米・ネブラスカ州オマハ :WWA世界ヘビー、WWA世界タッグ、NWA世界ジュニアヘビー
42 4 (日) 第9回ワールドリーグ戦
テッド・デビアスの義理の父親で、NWA世界ジュニア・ヘビー級選手権を獲得した事もある実力者。長く幻の強豪の一人だったが昭和42年に待望の初来日。非常に人望がありプライベートでは外人レスラーを纏めるリーダー的存在として活躍した。帰国後ロスでWWA世界選手権を大木金太郎からカールゴッチの助けを借りて奪取したり、ゴッチとのコンビでWWA世界タッグを獲得(これについては諸説あり)するなど最後の花を咲かせたが、その後まもなく試合中に心臓発作のため死亡。

 

マイク・デュボイス MIKE DUBOIS
195センチ、125キロ 1947年2月9日カナダ・コロンビア州バンクーバー :IWA世界ヘビー、USヘビー(シスコ版)、北米ヘビー
49 2 (全) エキサイト・S
流血怪人ことアレックス・スミルノフの前身。ケベック、モントリオール地区でジョー・ルダックとの抗争で名を挙げた。カナダではミッシェル・デュボアのリングネームを使っていたことからも解るように、実際はフランス系カナダ人と思われる。サンフランシスコ転戦時にイワン・コロフの従兄というギミックでロシア人に変身したという訳だ。本来の発音はデュボア。

アレックス・スミルノフの項も見よ。

 

マイク・ドゲンドルフ MIKE DOGENDORF 1回
195センチ、115キロ 1950年米・ケンタッキー州レキシントン
58 9 (全) 【特】ジャイアント・S
大学時代にはフットボールで活躍。卒業後にアンジェロ・ポッフォにスカウトされてプロレス入り。ポッフォ主催のICWで活動していた。巨体の筋肉マンは日本では受けないと言うジンクスを破れず、活躍できずに終わった。

 

マイク・パドーシス MIKE PADOUSIS (テネシー・レベル *)5回
重戦車 180センチ、110キロ 1929年米・オハイオ州 :エアプレーン・スピン :インターナショナル・タッグ
34 9 (日) プロレス秋の国際試合、41 9 (日) ダイヤモンド・S、43 2 (日) ダイナミック・S *、46 11 (日) ワールド・チャンピオン・S、48 1 (国) 新春パイオ二ア・S

初来日時はすさまじい暴れっぷりを示し「あまりにも強すぎる」という理由で途中帰国させられたと言う伝説を持つ。2度目の来日時はフリッツ・フォン・ゲーリングとのコンビでインターナショナル・タッグ選手権者として来日するが、馬場、吉村組に王座を奪取された。本人はインター選手権を日本においてきた事を長年悔やんでおり、昭和46年に一緒に来日していたザ・ファンクスがBIコンビから同王座を奪取した時には思わず号泣していたという。

 

マイク・フォン・エリック MIKE VON ERICH 1回
豹の爪 188センチ、108キロ 1966年米・テキサス州ダラス :アメリカン・ヘビー、世界6人タッグ(ダラス地区)
62 1 (新) ニューイヤー・ダッシュ 87
父親と三人の兄が偉大すぎて、兄の中でも一番偉大だったデビッドの抜けた穴を埋めるのがつらかったというのが自殺の原因。三人の兄は普通のレスラーの様に大型で運動神経も抜群であったが、下の二人マイクとクリスははっきり言って並か又はそれより背が低く、その上スポーツ歴もなかった。マイクが活躍していた1980年代中期は、父フリッツのWCWAがものすごい人気で、その中でフォン・エリックとしてマイクにも重荷がかかっていた。ノンタイトルマッチでリック・フレアーが負けた試合は今でも「あれは酷かった」とファンの間で言われている。そんな時大怪我をして、「もうやってられない」という感じで自殺したという話だ。(解説:Hisaharu Tanabe氏)

 

マイク・ブラナン MIKE BRANAN 1回 
60 1 (旧U) サンライズ・ウイークス
スコット・マギーの推薦で来日したレスラーで、主戦場はフロリダ。カール・ゴッチのコーチも受けたことがあるようだが、UWFでは本領を発揮できずに終わった。