来日全外国人レスラー名鑑 マ2
| マイク・ベネット MIKE BENNET 1回 蛇鬼 184センチ、98キロ イギリス・ウェリントン |
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| 60 7 (旧U) 格闘熱帯ロード | |
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学生時代からアマレスをはじめて卒業後にプロレス入り、中量級の有望株といわれたが、来日当時はイギリス・マット会の大型化の波に押され、地方転戦を余儀なくされるなど、あまり恵まれた境遇ではなかったようだ。グランドの攻防、逆間接の取り方などに光るものを感じたが、運悪く第一次UWF崩壊により日の目を見ることなくフェードアウトしてしまった。(情報提供:JOE HOOKER SR.氏) |
| マイク・ボイエッティ
MIKE BOIETTY
2回 187センチ、115キロ 米・アリゾナ州タスコン :ガルフコースト・ヘビー、ガルフコースト・タッグ、USタッグ |
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| 55 2 (国) スーパー・ファイト・S、56 2 (国) スーパー・ファイト・S | ||
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かなりのベテランで髪を伸ばしザ・ビーストを名乗ってロスに登場したこともあるが、主戦場はガルフ・コースト地区。ここではミッキー・ドイルとのザ・ヒッピーズでUSタッグを獲得している。ルイジアナでは髪を白くそめ化粧を施したビューティフル・ヒッピーなるギミックでも活躍(未来日外国人レスラー名鑑を見よ)。来日前はジェイク・ロバーツとのコンビで、オクラホマ、ルイジアナ地区のタッグ戦線を荒らしていた。来日時はロバーツとともにペイントを施してリングに上がりキワモノ・レスラーとして話題となる。見た目とは裏腹に原爆固めも使いこなすテクニシャンであった。テリー・ゴディやマイケル・ヘイズをスカウトしたことでも有名。 | |
| マイク・マーテル
MIKE MARTELL 2回 殺人コンバット 182センチ、110キロ 1943年カナダ・ケベック州モントリオール :IWA世界タッグ、北米タッグ |
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| 50 11 (国) ビッグ・ウインター・S、51 10 (国) 勇猛シリーズ | |
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リック・マーテルの実兄。幼馴染のピエール・マーチンとのザ・コンバット(またの名をフレンチ・ブラザーズ)で、カナダ、プエルト・リコを中心にタイトルを荒らしまわった。日本でも昭和50年の来日時にIWA世界タッグを強奪している。国際プロレス向けの小柄ながらイキのいいレスラーであっ |
マイク・マスターズ → ミーン・マイク・マスターズを見よ
| マイク・マズルキ MIKE MAZURKI (アイアン・マイク*)
2回 豪州の鉄人 198センチ、111キロ 1909年オーストラリア・タノーバラ |
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| 31 4 (日) プロレス国際試合、 31 8 (日) プロレス国際大試合 | |
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戦前からのレスラーでレフェリーや俳優としても有名。来日中には力道山主演の映画に出演した。ルー・テーズの連勝記録がストップした試合のレフェリーを務めたことでも有名。1936年9月16日サンフランシスコにて当時20歳だったルー・テーズと闘った記録もある。マンハッタン大学卒のインテリで美術の学位を持つ。(情報提供:JOE HOOKER SR氏) |
| マイク・マリノ
MIKE MARINO
1回 イタリアの魔術師 178センチ、96キロ 1927年イギリス :コブラツイスト :欧州ミッドヘビー |
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| 44 1 (国) ビッグ・ウィンター・S | |
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イタリア系イギリス人。イギリスを中心にヨーロッパで活躍。来日直前にはスコットランドで修行中だったストロング・小林とも闘っている。ミッド・ヘビー級(日米ではジュニアヘビー級にあたる)の代名詞。シリーズ中、田中忠治には敗れ、初代IWA世界ミッドヘビー級王座は逃したが、内容的には大人(マリノ)と子供(田中)であった。(解説:JOE HOOKER SR.氏) |
| マイク・ミラー
MIKE MILLER 4回 無法の喧嘩屋 188センチ、110キロ 1951年米・メンフィス州テネシー |
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| 56 4 (国) ビッグ・チャレンジ・S、60 3 (新) ビッグ・ファイト・S 第2弾、61 1 (新) ニューイヤー・ダッシュ 86、64 1 (全) 89 新春ジャイアント・S | ||
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テネシー州メンフィス出身。テネシー地区でデビューしオレゴン州で頭角を現わす。リングネームはビル・ミラーにあこがれていたところから自らつけた。ディフェンスからオフェンスへの移行の速さに光るものを感じたが、学生時代に痛めた膝の故障が原因で大成しなかった。(情報提供 :JOE HOOKER SR.氏) サイン | |
| マイク・ムーア
MIKE MOORE
1回 196センチ、145キロ 生年月日、出身地不明 |
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| 62 6 (新) ビッグ・サマー・ファイト・S | |
| 当時売り出しのバンバン・ビガロがパートナーとして連れてくるという触れ込みだったが、あまりにもキャリアが浅く、中堅どころにもてこづる始末。顔はスタン・ハンセン風だが、ファイトスタイルはブルーザー・ブロディのコピーで、シューズにも毛布のような毛皮を巻いていた。 | |
| マイク・ローレン
MIKE LOREN 3回 ポーキーピッグ 186センチ、112キロ 1934年米・アラバマ州 |
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| 43 7 (日) 第一次サマー・S、48 4(全)チャンピオン・カーニバル、48 10 (全) 創立1周年記念ジャイアント・S | |
| ザ・シークにスカウトされボクシングからプロレスに転向。気性の荒さを活かしたラフ・ファイトが得意で、デトロイト地区を主戦場としていた。写真を見てもわかるようにかなりのベテラン。第1回チャンピオンカーニバル終盤戦にはモナーカスと称しザ・シークのマネージャーとして来日し、巧みなインターフェアで観客を大いにエキサイトさせた。レスラーとしては2流の域を出ない。 | |
| マイク・ロトンド
MIKE ROTUNDO
1回 フロリダの若大将 192センチ、110キロ 1958年米・フロリダ州タンパ :スープレックス :NWA世界TV、南部ヘビー、WWF世界タッグ、NWA世界タッグ |
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| 61 1 (全) 【特】ニューイヤー・ウォーズ・スーパーバトル86 | |
| シラキュース大学時代はアマレスの名選手として鳴らし、多くの大会でチャンピオンとなる。1991年にザ・デストロイヤーにスカウトされてプロレス入り。同年9月に西ドイツでデビュー。その後カナダ、オレゴン、フロリダを転戦し南部ヘビーを獲得。1985年にはWWFに転出し、バリー・ウィンダムとのUSエキスプレスでWWF世界タッグ選手権も獲得している。その後NWA地区に戻り活躍するが、マイケル・ウォールストリートなる証券マンのギミックに変身、WWFではIRSを名乗りテッド・デビアスとのマネー・インクでスターとなる。新日本プロレスにNWOの一員として参加していた時期もある。 | |
| マイケル・ネイダー MICHELE NADOR (ミッシェル・ナドール*)2回 ハンガリーの反逆児 190センチ、112キロ 1932年ハンガリー :サイドスープレックス :ハンガリー・ヘビー、IWA世界タッグ |
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| 43 11 (国) 第1回IWAワールド・S、45 1 (国) 新春チャレンジ・S、 56 7 (新)【特】サマー・ファイト・S* | |
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アマレス時代にはオリンピックに3回もの出場経験を誇る実力者。プロに転向しハンガリー選手権を獲得した後、西ドイツに亡命。ヨーロッパでは貴重な大型レスラーで、ジャイアント・スウィングなどの大技もこなした。昭和45年の来日ではモンスター・ロシモフとのコンビでIWA世界タッグを獲得。昭和56年にはローラン・ボックのパートナーとして来日し、来日第1戦にサイドスープレックスで長州力をKOしたが、その後はなぜかほとんどTVには登場しなかった。 |
| マイケル・ヘイズ MICHAEL HAYES 2回 金髪のパンク野郎 190センチ、110キロ 1959年米・フロリダ州ペンサコーラ :UNヘビー、ジョージア・タッグ、NWA世界タッグ、テネシー・タッグ |
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| 59 1 (全) 新春ジャイアント・S、59 10 (全) ジャイアント・S | |
| マイク・ボイエッティにスカウトされてプロレス入り。テネシー地区でデビュー。テリー・ゴディとのザ・ファビュラス・フリーバーズで同地区のタッグを獲得。バディ・ロバーツとマネージャーに迎えダラス地区に転戦。ここでエリック兄弟と抗争を展開し名を挙げた。その後、フリーバーズを解散しシングル・プレイヤーとして活躍するが、ジム・ガービンとフリーバーズを結成し再びタッグで暴れた。引退後はドク・ヘンドリックスの名でWWFのコメンテーターを務めていた。 | |
| マイティ・アトラス MIGHTY ATLAS 1回 187センチ、125キロ 1922年ドイツ(?) |
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| 41 7 (日) 【特】第一次サマー・S、41 8(日) 第二次サマー・S(残留) | |
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ロープを首に巻いてその両端を引っ張らせるギミックで有名なマイティ・アトラスとは別人。本名はジャック・フィッシャー。早稲田大学理工学部への留学生として来日中にリングに上がる。相撲に興味を持ち毎朝4時半に起きて宮城野部屋の朝稽古に通ったこともあるという。シリーズ終了後も4ヶ月間滞在したあと、ホノルルで日本語学校に入り日本語を勉強。第12回ワールドリーグの決勝戦に姿をあらわしたときには日本語がぺらぺらになっていたがレスラーも廃業していた。(資料提供 :JOE HOOKER SR.氏) |
| マイティ・カランバ
1回 南アの怪力男 183センチ、125キロ マルタ共和国バレッタ :アルゼンチン・バックブリーカー |
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| 49 1 (新) 新春黄金S | |
| 初期の新日本プロレスを象徴するダメレスラー。怪力世界一の触れ込みで南アフリカから来日し、歯でバスを引っ張ったり、頭で鉄棒を曲げるなどのパフォーマンスを得意としたが、肝心のレスリングは全く出来ず、関係者をアキレさせた。このようなレスラーをエースにしなければならないほど、当時の新日本プロレスの外人招聘ルートは貧弱だったのだ。ただ南アフリカでは人気があり、坂口の南アフリカ遠征の際もパンフレットに名前を見ることができた。 | |
| マイティ・ズール
MIGHTY ZULU
1回 黒い核弾頭 185センチ、108キロ 南アフリカ |
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| 50 2 (新) ビッグ・ファイト・S | |
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暴行事件で来日中止となったマグニフィセント・ズール(=ヘラクレス・ローンホーク)の代打として急遽来日した黒人レスラーだが、全くの無名でしかも実力不足であった。少年時代にインド人の貿易商にひきとられてインドに渡りここでレスリングを覚え、タイガージェット・シンと知り合ったという。日本でもT・J・シンのパートナーとして猪木、坂口組の北米タッグに挑戦するが、狙い撃ちにされて惨敗を喫した。 |
| マイティ・ブルータス
MIGHTY
BRUTUS 怪力男 191センチ、132キロ 米・ノースカロライナ州シャーロッテ |
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| 47 3 (日) 第14回ワールドリーグ戦 | |
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後のバグシー・マグロー。来日前はビューティフル・ブルートの名前でテキサスで活躍し、ドリー・ファンク・ジュニアの世界王座に挑戦して善戦するが、日本では成績不振に終わった。 バグジー・マグローの項も見よ。 |
マイティ・ヘラクレス → ザ・ヘラキュリーを見よ
| マイティ・ミロ MIGHTY
MILO 1回 176センチ、85キロ 米・ハワイ州ハワイ |
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| 61 1 (全)【特】 ニューイヤー・ウォーズ・スーパーバトル86 | |
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シリーズ中の九州サーキットに3戦のみ押しかけ参加した謎の男。おそらくトライアル参戦のような形だったと思われるが、身体が小さく全く相手にされなかった。 |
| マイティ・ヤンキース1号 MIGHTY YANKEES #1 1回 188センチ、115キロ 米・フロリダ州ジャクソンビル |
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| 48 1 (日) 新春チャンピオン・S | ||
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アメリカで活躍していた本家の大型コンビのマイティ・ヤンキース(ムース・エバンス、ボブ・スタンレー=カール・ハイジンガー)ではなく、日本向けの偽者もしくは2代目で、1号の正体はビリー・スピアーズ。アメリカではケン・ラッセルとのコンビで活躍していた中堅レスラーである。吉村、坂口組が保持するアジア・タッグ選手権に挑戦したがストレートで敗れている。左目を負傷していたのか眼帯のようなものをしていた。 未来日外国人レスラー名鑑のビリー・スピアーズの項も見よ。 |
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| マイティ・ヤンキース2号 MIGHTY YANKEES #2 186センチ、108キロ 生年月日・出身地不明 |
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| 48 1 (日) 新春チャンピオン・S | |
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アメリカで活躍していた本家の大型コンビのマイティ・ヤンキース(ムース・エバンス&ボブ・スタンレー=カール・ハイジンガー)ではなく、日本向けの偽者で2号の正体はインフェルノスでおなじみのウィリー(ビリー)・ギャレット。 インフェルノス2号の項も見よ。 |
マクガイヤー兄弟 → ベニー・マクガイヤー、ビリー・マクガイヤーを見よ
| マグナ・クレメント MAGNA CLEMENTE
1回 176センチ、106キロ モナコ |
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| 46 3 (国) 第3回IWAワールド・S | |
| モナコ王国出身のレスラーで、テクニックを中心としたスタイルだが、ラフ・ファイトも得意とした。カナダ、オーストラリア、アメリカなどをサーキットした経験もあるという。日本ではモンスター・ロシモフと意気投合し、凸凹コンビで人気を博した。 | |
| マグニフィセント・モーリス
MAGNIFICENT MAURICE
1回 伊達男 187センチ、115キロ 1926年カナダ :世界タッグ(デトロイト版)、USタッグ(NY地区) |
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| 39 7 (日) 【特】サマー・S | |
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ミスター・クリーンをマネージャーにジョニー・バレントとの伊達男コンビでニューヨーク地区のタッグ・タイトルを独占した正統派レスラー。来日時もバレントとのコンビを復活し、豊登、馬場組のアジア・タッグ選手権に挑戦するが、ストレートで敗退。完全に全盛期を過ぎており、往年の名声を知るファンの期待を裏切った。 |
| マジット・アクラ
MAZIT AKURA 191センチ、119キロ ニュージーランド : ニュージーランド・ヘビー |
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| 51 7 (新) アジア・リーグ戦 | |
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当時のプロフィールでは東パキスタンのドラビダ族の血をひくベテランと紹介されているが、実はニュージーランドマオリ族出身のジョン・ダ・シルバーがアジア・リーグ戦向けにパキスタン人ギミックに変身したもの。リーグ戦の成績はさっぱりだったが、猪木とのシングル・マッチでは、そのテクニックで猪木を翻弄した。(写真撮影:HARU1番様) 詳細はジョン・ダ・シルバの項参照。 |
| マスクド・X
MASKED X 183センチ、110キロ 1950年カナダ・オンタリオ |
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| 56 10 (全)【特】ジャイアント・S | |
| 豪華メンバーが揃ったシリーズに、なぜ呼ぶ必要があったのか首をかしげてしまう3流覆面レスラー。正体は新日本プロレスに来日経験のあるサイレント・マクニーで、親友であったタイガー・ジェット・シンが馬場に頼んで来日させたのである。 サイレント・マクニーの項も見よ。 |
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| マスクド・アタッカー
MASKED ATTACKER 突撃仮面 175センチ、100キロ カスピ海バクー |
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| 53 6 (国) ビッグ・サマー・S | |
| バンクーバー地区に突如出現した怪覆面・・・という触れ込みで来日したマスクマンだが、正体は国際プロレスにトレーナーとして来日した事もあるベテランのジョン・フォーリーであった。 ジョン・フォーリーの項も参照の事。 |
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| マスクド・インターン
MASKED INTERN 殺人医師 188センチ、115キロ 1940年カナダ |
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| 53 4(国) スーパー・ファイト・S | |
| 正体はトム・アンドリュース。クルト・フォン・ヘスとのコンビでIWA世界タッグに挑戦するが完敗し、試合後に覆面をはがされ素顔をさらした。 トム・アンドリュース、ジ・インターンズ1号、2号の項も見よ。 |
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| マスクド・インベーター
MASKED INVADER 覆面の侵略者 190センチ、130キロ 1947年カナダ・ノーバスコシア |
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| 52 4 (国) ダイナマイト・S | |
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カナダからやってきた大型マスクマンで、かなり荒っぽい反則をやった。ワイルド・アンガスとの大型コンビで草津、浜口組のIWA世界タッグ選手権に挑戦したが、ストレート負けを喫している。正体は前年に来日したプリティボーイ・アンソニー。 プリティボーイ・アンソニーの項も参照の事。 |
| マスクド・カナディアン
MASKED CANADIAN 183センチ、102キロ 1954年米・オレゴン州ヒルズボロー :アメリカス・ヘビー |
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| 53 3 (新) ビッグ・ファイト・S | |
| 1977年にロス地区に出現した何代目かのマスクド・カナディアンでアメリカス・ヘビー級選手権を獲得し、同地区のトップ・レスラーとなる。藤波が獲得したWWWFジュニアヘビー級選手権の初防衛戦の相手にも抜擢され、この時の復讐をきしての来日だったが、来日直前にヘクター・ゲレロとのデスマッチに敗退し覆面を剥がれ、正体がロディ・パイパーである事を暴露されてしまった。 ロディ・パイパーの項も参照の事。 |
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| マスクド・グラジエーター
MASKED GRADIATOR 覆面の格闘士 191センチ、120キロ 1927年フランス :ロメロスペシャル :フランス・ヘビー |
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| 50 5 (新) ゴールデン・ファイト・S | |
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ザ・プロフェッショナルとの覆面コンビで来日した大型マスクマンでロメロスペシャルなども器用にこなした。正体はローム・マスクの名でも来日した事のあるジルベール・ボワニーで、来日前から正体は割れていたようだ。 ジルベール・ボワニーの項も参照の事。 |