来日全外国人レスラー名鑑  マ3

 

マスクド・グラップラー MASKED GRAPPLER
●190センチ、110キロ
●1932年3月15日米・テキサス州オースチン出身(テキサス州サンアンジェロ説もあり) ●
ブルドッキング・ヘッドロック
●WWA世界ヘビー(ロス&デトロイト版)、セントラルステーツ・ヘビー、IWA世界ヘビー(オーストラリア版)、北米ヘビー(プエルトリコ版)
52 9 (国) スーパー・ファイト・S
往年の名レスラー カウボーイ・ボブ・エリスが正体のマスクマン。来日前はヒューストンあたりで活躍していたようだが、なんと来日第1戦で自らマスクを剥ぎ取り、その正体を暴露した。ゆえにグラップラーとしては一戦も試合を行なっていない。

カウボーイ・ボブ・エリスの項も参照の事。

 

マスクド・スーパースター MASKED SUPERSTAR ( ボロ・モンゴル*、 ビリー・クラッシャー **、スーパー・マシン 20回
●流星仮面 ●
198センチ、132キロ
●1947年12月27日 米・ピッツバーグ州ブラウンズビル出身 ●フライングスリーパー、ネックブリーカードロップ
●サウスイースタン・ヘビー、ジョージア・ヘビー、ジョージア・タッグ、ナショナル・ヘビー、NWA世界タッグ(ミッドアトランティック版)、アメリカン・ヘビー、南部ヘビー(フロリダ版)
49 4 (新) 第1回ワールド・リーグ戦 *、51 7 (新) アジア・リーグ戦*、52 3 (新) 第4回ワールド・リーグ戦、53 3 (新) ビッグ・ファイト・S、54 8 (新) ブラディ・ファイト・S、56 7 (新) サマー・ファイト・S、56 10 (新) 10・8新日本VS国際全面対決 **、56 10 (新) 闘魂S(残留)**、57 3 (新) 第5回MSG・シリーズ、57 8 (新) ブラディ・ファイト・S、57 11 (新) 第3回MSGタッグ・リーグ戦、58 1(新)【特】新春黄金・S、59 4 (新) ビッグ・ファイト・S 第2弾、59 5 (新) 84 IWGP、59 10 (新) 闘魂S、60 5 (新)【特】lWGP&WWFチャンピオン・S、60 8 (新) チャレンジ・スピリット8560 11 (新) 85 IWGPタッグ・リーグ戦、61 4 (新) ビッグ・ファイター・S、61 5 (新) 86 IWGPチャンピオン・S、 61 11 (新) 86 ジャパンカップ争奪タッグ・リーグ戦
ビッグバン・ベイダー登場以前の新日本プロレスに参加したマスクマンの中では間違いなく最強であったと思われる大型マスクマン。初来日時はチャック・オコーナー(=ビッグ・ジョン・スタッド)が正体とされたが、実際はボロ・モンゴルのビル・イーディーが正体であった。ボロ・モンゴル時代には考えられない急成長を示しており、マスコミが騙されたのも無理はない。特にフライング・スリーパーは圧巻で、ワールド・リーグ戦では全勝で予選を通過し、台風の目となった。その後、猪木との覆面剥ぎマッチなど多くの熱戦と展開し、新日本プロレスの看板レスラーとなった。スーパー・マシーンに変身した後、WWFに入りザ・デモリッションとなる。現在はジョージア州の青少年厚生施設で教鞭を振るっている。 サイン

公式サイトはこちら http://www.georgiawrestlinghistory.com/host/billeadie/home.html

 

マスクド・ストラングラー MASKED STRANGLER
●格闘仮面 ●186センチ、113キロ

●1945年 プエルトリコ・サンファン出身 サンセットフリップ
54 11 (全) 世界最強タッグ決定リーグ戦
ミスター・レスリングのパートナーとして世界最強タッグに参加したが、対戦相手に狙い撃ちにされた。正体はクラッシャー・リバースの名でマスクマンとして来日したこともあるホセ・リベラであった。

ホセ・リベラの項も参照の事。

 

マスクド・ハリケーン MASKED HURRICANE 1回
●千の技を持つ悪魔 ●172センチ、82キロ
●1950年4月15日 メキシコ・レオン出身
●UWA世界ウェルター
56 10(新) 10・8新日本VS国際全面対決、 56 10(新) 闘魂S(残留 )
本名はカルロス・アルバラード・ゴンザレス。昭和56年の10・8蔵前国技館でタイガーマスクとのマスカラ・コントラ・マスカラのために初来日。マニアの間ではマスクのデザインが同じ事から、その正体は1978年にエル・サントにマスクを剥がれたボビー・リーである事は周知の事実であった。来日当時のリーは腰の状態が思わしくなくセミ・リタイア状態にあったため、まったく本領を発揮できず。エル・インパクト、ガジョダパト2号と名乗ったこともある。帰国後に引退して整体師となった。

 

マック・ローシュ MAC ROESCH 1回
●人間クレーン ●187センチ、117キロ
●米・フロリダ州オーランド出身
63 11(U) 11・10 FlGHTlNG NETWORK
中学校時代からアマレスに熱中し高校時代にはフロリダのアマレス選手権を獲得している。高校卒業後はカール・ゴッチやボリス・マレンコのコーチを受け1986年にインディー団体でデビューを飾る。その後、NWAでTVマッチ専門のレスラーを務めるが、その生活にも見切りを付けUWFに参戦、アマレス時代の基礎を活かした試合振りを見せた。

 

マッド・ジョック・キャメロン MAD JOCK CAMERON 1回
●キチガイ戦車 ●186センチ、125キロ
●スコットランド出身 ●ベアハッグ
46 11(国) ビック・ウインター・S
スコットランド出身の怪力男。当初は「ビッグ・チャレンジ・シリーズ」に参加が発表されていたが、スケジュールの都合で「ビッグ・ウィンター・シリーズ」に参加した。イギリスでは「流血王」ダニー・リンチとの抗争で売り出したラフ・ファイター。この試合は1970年代当初にイギリスの名物カードとなった。またイギリスではワイルド・アンガスとのコンビでも売り出していた。日本での成績は試合形式(ラウンド制ではない)に不慣れだったためか今一つであった。

 

マット・ボーン MATT BORNE 4回
●ゴリラ男2世 ●183センチ、106キロ
●1957年7月27日 米・ペンシルバニア州エルウッド出身(オレゴン州ミルウォーキー出身説もあり)
●ミッドアトランティック・タッグ、パシフィックノースウエスト・ヘビー、パシフィックノースウエスト・タッグ、ミッドサウス・タッグ、WCWA世界タッグ、テキサス・ヘビー、WCW・USタッグ
60 6(新) バーニング・スピリット・イン・サマー、61 2(新) ニューウェーブ・ダッシュ、62 4(新) ブレイジング・チェリー・ブロッサム・ビガロ 87、64 1(新) 89 新春黄金S
本名はマシュー・ウェード・オズボーン。「ゴリラ男」として有名なラフ・ファイターだったトニー・ボーンの息子。父と同じく体格には恵まれなかった。来日前にはMSGで藤波とシングルで当たっており、その後、新日本プロレスに来日。新日本プロレスの斡旋でダラスWCCWに転戦し、ランボー・スタイルに変身してアイアン・シークとの抗争で売り出す。WWFでは謎のピエロ、ドインクに変身し一躍スターになっている。現在はインディー団体のリングにマット・オズボーンとして登場している。

 

マッド・マックス1号(エリ・ザ・イリミネーター*) MADDMAXX #1 3回
●195センチ、131キロ
●1960年 米・インディアナ州インディアナポリス出身
61 1(新) ニュー・イヤー・ダッシュ 86、61 8(新) チャレンジ・スピリット 86、62 10(新)闘魂S*
サンアントニオ地区で活躍していたといわれるが、ロード・ウォーリアーズの人気を見せ付けられた新日本フロントが考えたペイント・タッグ・チーム。日本でもヒットした映画「マッド・マックス」の原題が「ロード・ウォーリアーズ」であった事は全くの偶然ではなかろう。元々はWWAでワールド・ウォリアーズを名乗り、スーパー・マックス(来日)とのコンビで暴れていたという。正体はジョン・リッチモンド。

 

マッド・マックス2号 MADDMAXX #2 2回
●195センチ、134キロ ●生年月日・出身地不明
61 1(新) ニュー・イヤー・ダッシュ 86、61 8(新) チャレンジ・スピリット 86、62 10(新)闘魂S
スーパー・マックスとのコンビを解消した1号に誘われてサンアントニオで2号になった男で正体は不明。サンアントニオといってもポール・ボッシュのプロモーションではなく、インディー団体で暴れていたようだ。南アフリカにも遠征したこともあるという。本家のウォリアーズにはるかに及ばないデクの坊だった。

 

マッド・ラシアン MAD RUSSIAN
●183センチ、110キロ
●1929年6月12日 米・ネブラスカ州ストームスバーグ出身 ●ニードロップ
●南部タッグ(トライステート版、ジョージア版)、パシフィックノースウエスト・ヘビー、カリフォルニア・ヘビー、ジョージア・タッグ、ミッドウエスト・ヘビー、北米ヘビー(マリタイム版)
42 9(日) ダイヤモンド・S、48 3(全) 第1回チャンピオン・カーニバル
スタン・プラスキーの変名。ロサンゼルスのWWAではマッド・ラシアンとして活躍していたようである。他にバション兄弟の末弟と称して、スタン・バションを名乗ったこともある。

詳細はスタン・プラスキーの項参照。

 

マッドドッグ・バション MADDOG VACHON 6回
●キチガイ犬 ●180センチ、110キロ
●1929年9月29日 カナダ・ケベック州モントリオール出身 ●コブラクラッチ
●テキサス・タッグ、インターナショナル・タッグ(カルガリー版)、カナディアン・タッグ(カルガリー版)、南部タッグ(ミッドアトランティック版)、パシフィックノースウエスト・ヘビー、パシフィックノースウエスト・タッグ、AWA世界ヘビー、ネブラスカ・ヘビー、NWA世界タッグ(ジョージア版、セントラルステーツ版)、IWAインターナショナル・ヘビー(モントリオール版)、ミッドウエスト・タッグ、AWA世界タッグ、IWA世界タッグ(国際プロレス版)、IWA世界ヘビー(国際プロレス版)
43 9(日) ダイヤモンド・S、46 2(国) AWAビッグ・ファイト・S、48 2(国) ビッグ・チャレンジ・S、48 4(国) ダイナマイト・S、50 3(国) ダイナマイト・S、52 2(国) 第6回IWA・ワールド・S
本名はモーリス・バション。アルジェリア出身のフランス人と言われていたが、最近ではカナダのモントリオールで生まれたとの説が有力。父親もレスラーだった様で、少年時代からプロレスラーになるための英才教育を受けた。移住先のカナダでロンドン・オリンピックにアマレスで出場している。1951年にプロに転向。180センチという小さい体に似合わず、スケールの大きな無法ファイトでカナダを席捲。1960年代にはAWAで世界シングル、タッグの両選手権を獲得。WWA末期のロスでは当時人気絶頂のミル・マスカラスの覆面を剥いだ事でも有名。国際プロレスでは流血の狂乱ファイトで大暴れしたが、もっと馬場、猪木との対決が見たかった強豪の一人であった。サイン(写真右撮影:HARU1番様)

 

マッドドッグ・マーチン MADDOG MARTIN
●殺人コンバット ●185センチ、115キロ
●1947年 カナダ・ケベック州ケベックシティ出身
●IWA世界タッグ(国際プロレス)、インターナショナル・タッグ(カルガリー版)、北米ヘビー(カルガリー版、プエルトリコ版)、北米タッグ(プエルトリコ版)、カリビアン・ヘビー
54 4(全) NWAチャンピオン・S、56 1(全) 新春ジャイアントS
ザ・コンバットのリーダーであるピエール・マーティンの変名。

詳細はピエール・マーチンの項参照。

 

マニー・フェルナンデス MANNY FERNANDEZ 5回
●雷神 ●184センチ、118キロ
●1954年7月27日 米・テキサス州エルパソ出身(フロリダ州マイアミ出身説もあり) ●フライングヘッドバット
●フロリダ・ヘビー、サウスウエスト・ヘビー、フロリダTV、セントラルステーツ・ヘビー、NWA世界タッグ(ミッドアトランティック版)、CWAインターナショナル・ヘビー、カリビアン・ヘビー、WWC北米ヘビー
58 8(全) スーパー・パワー・S、 62 10(新) 闘魂S、63 4(新) スーパー・ファイト・S、63 7(新) サマー・ファイト・S、 63 11(新) 88 ジャパンカップ・S
本名はエマヌエル・フェルナンデス。アメリカンフットボール選手として鳴らしたが、膝の故障が原因でプロレス入り。テリー・ファンクからフロリダ選手権を獲得し、名を知られるようになる。その後、テキサス、カンサスを転戦。一時膝が悪化してセミリタイア状態だったが、レイジング・ブルと改名して復帰。日本でもバズ・ソイヤーとのコンビで人気を獲得した。テクニックもラフも何でもこなせる器用なレスラーだった。メキシコ系アメリカ人だが、本人は大のメキシコ人嫌いであったという。

 

マヌエル・ソト MANUEL SOTO (サイクロン・ソト*、ブラック・デビル**)4回
●ラテンの竜巻男 ●180センチ、105キロ
●1946年 プエルトリコ・サンファン出身 ●ドロップキック
●アメリカス・タッグ
47 2(日) ダイナミック・S、48 3(新) ビッグ・ファイト・S*、 50 5 (全) ブラック・パワー・S*、52 8(全) 第2弾サマー・アクション・S
サイクロンの異名を取る長年に渡りニューヨークとロスを主戦場としたプエルトリコ出身レスラー。外人不足で悩む新日本プロにエースとして参加し、インターフェアがあったとはいえ猪木からフォールを奪った事もある。全日本プロレスへは「偽」ブラック・デビルを名乗って来日したが、デストロイヤーにマスクをはがされ、その後は素顔でファイトした。ロベルト・ソトは実弟。

 

マノ・ネグラ MANO NEGRA 1回
●黒い手 ●174センチ、94キロ
●1951年1月15日 メキシコ・コアウィラ州トレオン出身
●NWA世界ミドル、NWA世界ウェルター、UWA世界ジュニアライトヘビー
59 4(旧U) UWFオープニング・S
本名はヘスス・レザ・ロサレス。1973年から4年間に渡りNWA世界ウェルター級選手権を独占した実力者。中でもペロ・アグアヨとの対戦成績は抜群に良く「狂犬キラー」と呼ばれた。リングネームのマノ・ネグラは「黒い手」という意味で左手にはめた黒い手袋がトレードマークであった。1980年にUWAに移籍、ここでも世界ジュニア・ライトヘビー選手権を獲得する。1991年にEMLLに復帰し、アトランティスから世界ミドル級を獲得するが、1993年にアトランティスにマスクを剥がされた。

 

ザ・マミー THE MUMMY
ミイラ男 ●185センチ、112キロ
●1932年1月2日 コロンビア出身 ●カロテッドクラッチ
●コロンビア・ヘビー
39 4(日) 第6回ワールドリーグ戦、39 5(日) ワールド選抜S(残留)
今世紀最大のミステリーといわれた怪奇派レスラーで、テキサスの名物プロモーター モーリス・P・シゲールが考え出した傑作ギミック。全身に包帯を巻き、攻撃を受けると埃が舞いあがるという芸の細かさであったが、1966年にマリオ・マリノに覆面を剥がれベンジー・ラミレスが正体である事を暴露されたのが凋落のはじまりで、追われるようにカリフォルニアに転戦するがここでもファンに刺され入院、それ以来一時姿をくらましたが、日本プロレスの「第6回ワールド大リーグ戦」に参加。ゲテモノ人気を呼んだが、実力の方はさっぱりでリーグ戦は全敗に終わる。

ベンジー・ラミレスの項も見よ。

 

マリオ・ミラノ MARIO MILANO (ザ・バラクーダ*)11回
イタリアの旋風児 198センチ、113キロ
1935年 イタリア・ミラノ出身 ジャンピング・パイルドライバー
●NWA世界タッグ(テネシー版)、南部タッグ(テネシー版)、IWA世界ヘビー(オーストラリア版)、IWA世界タッグ(オーストラリア版)、オーストラアジアン・ヘビー、オーストラアジアン・タッグ
43 5(日) ゴールデン・S、44 7(日) 第一次サマー・S、47 1(日) 新春チャンピオン・S、47 10(国) ビッグ・ウインター・S、 50 1(全)【特】新春ジャイアント・S *、51 4 (全) 第4回チャンピオン・カーニバル*、 52 5(全) NWAチャンピオン・S、 53 5(全) スーパー・パワー・S、54 3(全) 第7回チャンピオン・力ーニバル、56 2(全) エキサイト・S、60 5(全) 85激震!サンダー・ウォーズ
イタリア出身で16歳の時にベネズエラに移住ここでプロレス入り。日本プロレスに初来日の時に猪木がマリノをパートナーにしてアメリカをサーキットしてみたいといったほどの活躍をみせた。マリノは馬場のお気に入りでもあり全日本プロレスの常連となる。垂直に落とすパイル・ドライバーでなく、フェイスバスター気味に顔面をマットに叩き付けるジャンピング・パイルドライバーを得意とし、これで凱旋帰国のロッキー羽田をKOしてしまった。アメリカ本土以外にもオーストラリア、中近東、アフリカで活躍した。覆面を付けてザ・バラクーダとしても来日して暴れまくった。サイン

 

マリオ・レオーネ MARIO LEONE
●イタリアの殺人鬼 ●183センチ、110キロ
●シシリー島出身
52 9(国) スーパー・ファイト・S
ニューヨーク地区で活躍していたことで知られるジョー・ターコの変身。当時はカナダを主戦場としていたようだ。

ジョー・ターコの項参照。

 

マンドー・ゲレロ MANDO GUERRERO 1回
●メキシコの黒豹 ●174センチ、98キロ
●1954年7月7日 メキシコシティ出身 ●回転エビ固め
●アメリカス・ヘビー、アメリカス・タッグ、カリフォルニアTV、ハワイ・ヘビー、ハワイ・タッグ、WWA世界6人タッグ(メキシコ版)
55 2(新) ビッグ・ファイト・S
本名はアーマンド・ゲレロ・ジャネス。1970年代中盤から1980年代にかけてロスで猛威を振るったゲレロ3兄弟の次男坊で、チャボに次いでアメリカス選手権を獲得し名をあげる。同地では藤波のWWWFジュニアヘビー級選手権に挑戦して善戦し注目を集め来日したが、日本では全く振るわず、挙げ句の果てには藤波の飛竜固めで失神し生死の境をさ迷った。この事件以降全く生彩を欠いてしまいセミリタイア状態に。引退後はロスでスタントマンとなる。

 

マンマウンテン・カノン MANMAUNTAIN CANNON 4回
●カナダの人間山脈 ●175センチ、136キロ
●1932年3月28日 カナダ・ケベック州モントリオール出身 1994年7月1日没 ●フライング・ボディプレス
●カリフォルニアTV
41 9(日) ダイヤモンド・S、43 8(日) 第二次サマー・S、47 11(日) インター選手権・S、51 2(新) ビッグ・ファイト・S
本名はジョージ・アーノルド・マッカーサー。ザ・カンガルーズのマネージャーとして有名な男で、ほかにもデトロイトで修行時代の坂口征二のマネージャーも勤めた。昭和51年の来日時はブラック・ゴールドマン、エル・ゴリアス組のマネージャーとしての来日であった。本人もレスラーとして活躍し、巨体を生かしたファイトで人気を集めた。試合中に赤ん坊のように泣き出すギミックで「クライベイビー・カノン」とも呼ばれた。1994年に喉頭がんのため死亡。

 

マンマウンテン・マイク MANMAUNTAIN MIKE 2回
●人間山脈 ●188センチ、288キロ
●1940年9月15日 米・ニューハンプシャー州コロンビア出身 1988年4月30日没 ●ボディプレス
●アメリカス・タッグ
46 3(日) 第13回ワールドリーグ戦、 50 4(新) 第2回ワールド・リーグ戦

本名はゲリー・ウインフレッド・フレッチャー。少年時代からきこりをしていたところをその巨体を見込まれてプロレス入り。本拠地はフロリダで、ロスやテキサスにも登場した。日本への来日は2回ともワールド・リーグ戦であった。愛嬌が売り物の巨漢レスラーにもかかわらずショーマンシップにかけたため、トップ・レスラーまで行かず中堅レスラーで終わってしまった。1988年に逝去。

 

マンモス・シキ MAMMOTH SIKI 1回
●黒い大魔人 ●190センチ、125キロ
●フランス出身 ●ベアハッグ
49 5(新) ゴールデン・ファイト・S
外人レスラーのブッキングに悩んでいた新日本プロレスにヨーロッパから来日した大型黒人レスラーで、ヨーロッパ版ボボ・ブラジルとして紹介されていた。ヨーロッパ系にしては巨漢の部類に入り活躍が期待されたが、単なる頭突きの得意な黒人レスラーであった。