来日全マネージャー&ウィットネス名鑑

 

マネージャー編

 

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グレート・マレンコ → レスラー名鑑を見よ

 

J・C・ダイクス J.C.DYKES 1回
46 8(日) サマー・ミステリー・S
ブルー・インファーノス1号、2号のマネージャーとして全米に悪名を轟かせた悪徳マネージャー。アメリカではインファーノスとともに6人タッグなどにも出場することもあったが、日本ではなんとインファーノスの試合を裁くレフェリーをやらされている。1970年代中盤にはロスにインフェルノス2号、3号を引き連れて登場し、タイトルを総ナメにした。ときおりマスクを被りシニアXを名乗ってリングに上がることもあった。ロスでインフェルノスが猪木、坂口組に挑戦したときには猪木に血だるまにされた。この試合後のインフェルノスの日本遠征では猪木に帯同来日を拒否されている。

 

ディッパー・ゴードー DIPPER GORDO 1
52 10 (新) 闘魂S第2弾
グレート・アントニオのマネージャーとしてやってきたインド人。カナダからの来日だったようだ。アントニオが猪木に無惨にもKOされたときの取り乱しようは、見ていて気の毒であった。当時の写真を見るとなかなか体格が良く、カナダではレスラーであった可能性もある。55年にはインディアン・スタイルで職探しに来日しの闘魂シリーズの開幕戦の会場でその姿を目撃されている。(情報提供:Joe Hooker Sr.氏)

 

パーシー・プリングル三世 PERCY PRINGLES THE 3RD 1回
173センチ、112キロ 1954年
54 6 (国) ビッグ・サマー・S
ザ・モンゴリアンズ1号、2号のマネージャーとして来日した男で、一応レスラーとしてもリングに上がったことがあるようだが、3流レスラーだったと判断して良かろう。ホイッスルを吹きまくり観客を挑発。レスラーよりも目立っていた。中西部地区がホームリングだった様だ。のちにWWFでアンダーテイカーの従者、ポール・ベアラーに変身、大ブレイクすることとなる。本名はイリアム・ムーディ。(情報提供:テリーN氏)

 

バニー・キャロル BUNNY CAROL 1回
56 7(国) ビッグ・サマー・S
国際プロレス最後のシリーズにジ・エンフォーサーがつれて来た女性マネージャーで、日本のリングに女性マネージャーが登場したのは彼女が初めて。常にリングサイドを徘徊し、足を引っ張ったりスタンガンで脅すなどの定番の動きを見せたが、女子レスラーではなく正体はエンフォーサーの奥さんであった。この辺のエピソードもいかにも国際プロレスらしくってぐっとくる。

 

フランク・バロワ → レスラー名鑑を見よ

 

フレッド・ブラッシー → レスラー名鑑を見よ

 

プレシャス PRECIOUS 1回 
59 8(全) スーパー・アワー・S
ジム・ガービンのマネージャーとして来日した2代目女性マネージャー。ダラスで絶大なる人気を誇っていた。ジム・ガービンとは後に結婚している。ご多分に漏れずリングサイドを歩き回り対戦相手を盛んに挑発していた。

 

ポール・エラリング → レスラー名鑑を見よ

 

ボビー・ヒーナン → レスラー名鑑を見よ

 

マンマウンテン・カノン → レスラー名鑑を見よ

 

 

ウィットネス編

 

アル・カラシック AL KARASICK
32 10(日)世界選手権・S
初期の日本プロレスに来日した古豪で、ハワイのプロモーターとしての方が成功した。レスラーとしての実力のほうはどれぐらいだったのかは不明である。日本へはテーズVS力道山のNWA世界戦のウィットネスとしての来日で選手としてリングに上がらなかった。現役時代はライト・ヘビーでアド・サンテル、テッド・サイらと競り合ったロシア人の名選手だった。(追加情報:JOE HOOKER SR氏)

 

サム・マソニック SAM MUCHINIC
49 1(全)NWAチャンピオンSほか
元々はセントルイスの野球記者で、当時のプロモーターに依頼されてセントルイス一帯のプロモーターを勤めることとなる。その後、NWAの会長を歴任。マソニックが会長だった時代がNWAの黄金時代といってよかろう。日本へはウィットネスとして日本プロレスと全日本プロレスに何度か来日している。

 

ジェリー・アラン・プラター GERRY ARAN PRATER
50 2(新)ビッグ・ファイトSほか
猪木がNWFと決裂しNWF世界選手権を返上、日本でT・J・シンを決勝戦を行う際に来日したのがこのプラター氏で、肩書きはNWF会長代行であった。

 

ジョージ・レリスコウ GEORGE RERISCOE
43 2(国)日欧決戦S
イギリスの8割の市場を牛耳っていたというジョイント・プロモーションの代表で、グレート東郷と決裂した国際プロレスの欧州提携路線に協力し、提携第一弾シリーズの欧州決戦シリーズに選手団長として来日。この来日には日本マット界の市場調査の意味もあったと思われる。この後、国際プロレスがAWAに乗り換える昭和45年ごろまでジョイント・プロと国際プロレスは提携路線を堅持した。

 

ジョン・リングレイ JOHN WRINGLEY
49 8(全)サマーアクションSほか
ジュム・クロケットの娘婿でミッドアトランティック地区のプロモートをしていた。このシリーズではザ・デストロイヤーとザ・トルネードの覆面十番勝負のウィットネスを務め、ザ・トルネードのインターフェアを見事に摘発するという重要な仕事をこなした。

 

ジム・クロケット・ジュニア JIM CROKETT Jr
アトランティック地区のプロモーターであったジム・クロケットの長男。シニアの死後に同地区のプロモーターとなり、マイナーだったミッドアトランティック地区を活性化させ、最終的にはNWAの会長にも就任した実力者。しかし最終的にはNWAの衰退を招いてしまう。

 

ジム・バーネット JIM BARNETT
50 12(全)オープン選手権ほか
オハイオ、ジョージア、オーストラリアと世界各地をプロモートしたという経歴を持つ敏腕プロモーター。ジョージアに定着してからはNWAの役員として活躍し、全日本プロレスの外人招聘窓口にもなっていた。寵愛するトミー・リッチを政治力でNWA世界王者にしたことでも有名。(写真提供:HARU一番様)

 

スタンレー・ブラックバーン STANLEY BLACKBURN
56 11(全)世界最強タッグ決定戦
バーン・ガニア、ウォーリー・カルボと共にAWAを運営していた人物で、長期間にわたってAWAの会長を務めていた重鎮。日本へは国際プロレスではなく、全日本プロレスの「81世界最強タッグ決定戦」に来日している。

 

ビンス・マクマホン VINCE McMAHON
49 5(新)ワールドリーグ戦ほか
ニューヨークを本拠地とするWWWF(現在のWWE)の首領。反骨精神の強い人物でNWAに造反してWWWFを結成した。日本プロレス、全日本プロレスと提携していたが、日本へは新日本プロレスの第1回ワールド大リーグ戦視察のために初来日。新日本プロレスとのルートを確立する傍らで、馬場とも密会していたという敏腕ビジネスマンであった。結局、WWWFは新日本プロレスとの全面提携を開始。新日本プロレスの黄金時代が到来することとなる。新日本プロレスの躍進を語る上では欠かせない人物である。

 

フランク・タニー FRANK TANNY
カナダ・トロント地区のボス。この人もNWA反主流派であり、昭和42年にはルー・テーズ、グレート東郷の要請でTWWAを結成。TBSプロレスの旗揚げに協力。また昭和57年にはIWGPの開催に全面協力を申し出た。

 

ロイ・シャイアー ROY SHIRE
43 4(日)第10回ワールドリーグ
サンフランシスコ地区を仕切っていた敏腕プロモーターで、日本へはプライベートの観光旅行で来日。日本プロレスのワールドリーグ戦を観戦するために姿をあらわし、マスコミを驚かせた。反骨精神旺盛な人でNWAにたてつくことが多かった。

 

ロジャー・デラポルト RODGER DELAPORT
47 5(国)第4回IWAワールドS
パリに本拠地がある言われていたが、その実態は不明だったIWAの会長。架空の人物という噂も流れたが、本人が来日したことで祖の疑惑も吹っ飛んだ。本人はパリでプロモーターをしていたといわれている。