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来日全外国人レスラー名鑑 ミ
| ミーン・マイク・マスターズ MEAN MIKE MASTERS(ロッキー・ジョーンズ
*) 2回 メキシカン・キラー 183センチ、109キロ 1956年米・オレゴン州 : アメリカス・ヘビー |
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| 56 5 (新) 第4回MSG・シリーズ、58 1 (全) 新春ジャイアント・S * | |
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落ち目のロス地区でトップを張ったレスラーで来日前にはドス・カラスあたりと抗争を繰り広げていたが、リーグ戦では全敗。このレベルのレスラーがトップだったのだから当時のロス地区の状況が窺い知れる。帰国後ロスを離れブルーノ・サンマルチノの興したIWFに参加、ロッキー・ジョーンズに改名。全日本プロレスでは大仁田のNWAインター・ジュニアに挑戦するなど、なかなかの待遇で迎えられた。地元のオレゴンでレスリングスクールを開校しているという。サイン |
| ミグエル・ペレス
MIGUEL
PEREZ 1回 熱き旋風 177センチ、102キロ 1938年プエルトリコ・ポンセ :ドロップキック :インターナショナル・タッグ(NY地区) |
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| 54 4 (全) NWAチャンピオン・S | |
| プエルト・リコ出身のレスターで、アントニオ・ロッカとのコンビで1950〜60年代初頭にかけてのMSGの花形スターであったがロッカが旗揚げしたCWAに参戦したために干され、生活苦のあまり強盗事件を働き、アメリカのプロレス界を追われたといわれている。しかし完全に過去の人になっていた昭和54年に、全日本プロレスに来日を果たしファンを驚かせた。 | |
| ミグエル・ペレス・ジュニア
MIGUEL PEREZ
JUNIOR 1回 核弾頭 183センチ、118キロ 1960年プエルトリコ・カロライナ(米・ペンシルバニア州フィラデルフィア説もあり) : カリビアン・ヘビー、同タッグ、WWC世界タッグ |
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| 60 8 (全) 85決戦!ダイナマイト・ウォーズ | |
| ミグエル・ペレスの息子。父は小柄だったがジュニアは理想的な改革に恵まれていた。プエルト・リコ、中西部地区をサーキット。父譲りのばねを生かしたドロップキックなどを使いこなし将来有望と期待を集めた。メキシコを経て故郷のプエルトリコに定着した。 | |
| ミスター・]
MR.X
183センチ、106キロ イギリス : 世界タッグ(太平洋岸版) |
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| 36 1 (日) プロレス春の国際試合 | |
| 日本にやってきたミスターXの第1号は、後のPWF会長
ロード・ブレアースがその正体だった。おそらく日本限定のマスクマン変身であろう。この3ヵ月後、ビル・ミラーのミスターXが滞日している。 ロード・ブレアースの項も見よ。 |
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| ミスター・]
MR.X
196センチ、140キロ 1927年米・オハイオ州コロンバス :ジャイアントスウィング :AWA世界ヘビー、USヘビー |
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| 36 4 (日) 第3回ワールドリーグ戦、36 6 (日) プロレス夏の選抜戦(残留) | ||||
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アメリカではドクターX、ミスターMなどと名乗ったビッグ・ビル・ミラーが正体のミスターXで、来日した4人のミスターXの中では、このミラー版のXが実力・実績ともにナンバー・ワンであるが、2度ともリング上で覆面を剥がされている。アメリカでバディ・ロジャースをリンチしたのと同様、日本でもグレート・アントニオに鉄拳制裁を加えた。 ビル・ミラーの項も参照のこと。 |
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| ミスター・]
MR.X
181センチ、105キロ 1933年米 ・オクラホマ州タルサ : NWA世界ジュニアヘビー |
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| 48 1 (日) 新春チャンピオン・S | |
| ジム・オズボーンが正体のミスター・XでNWA世界ジュニア選手権も獲得している実力者。日本では来日早々に坂口征二が保持していたUN選手権に挑戦しているが、1−2で敗退している。帰国後、自動車事故に遭い死亡と伝えられたが、これは別のミスターXであった。 ジム・オズボーンの項も参照のこと。 |
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| ミスター・]
MR.X
197センチ、125キロ 1942年カナダ・オンタリオ :エルボードロップ :セントラルステーツ・ヘビー |
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| 50 10 (新) 闘魂S第2弾 | |
| 来日する度に名前を変えていたガイ・ミッチェルが正体で、アメリカではWWA地区でディック・ザ・ブルーザーと抗争を繰り広げた事もあり、実力はなかなかの物であった。この時は四の字固めを武器に猪木、坂口を苦しめたが、膝を負傷し途中帰国している。 ガイ・ミッチェルの項も参照のこと。 |
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| ミスター・]
MR.X
183センチ、112キロ 1947年ウエストバージニア州チャールストン |
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| 54 7 (全) サマー・アクション・S | |
| こちらのミスター・Xはニューヨークを主戦場にしていたジャック・エバンス
が正体。MSGでバーン・ガニアとも対戦しとことがあるという。ファイト内容から専門誌では直ぐに正体を暴かれていた。 ジャック・エバンスの項も参照の事。 |
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| ミスター・アトミック
MR.ATMIC 5回 赤仮面の怪人 183センチ、113キロ 1924年米・カリフォルニア州 :凶器入りヘッドバット |
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| 34 3 (日) プロレス春の国際試合、34 5(日) 第1回ワールドリーグ戦(残留)、34 8(日) 夏の国際選抜戦(残留)、37 2 (日)春の国際試合 、42 1 (日) 新春・S、44 9 (日) ダイヤモンド・S、45 8 (日) サマー・S | |||
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日本のプロレス界に覆面ブームを呼んだマスクマン。正体はドイツ系のクライド・スチーブス(写真右)で、本名はカール・スティーフ。昭和30年代に来日した頃の暴れっぷりは凄まじかったが、ワールドリーグ戦では準決勝で力道山に反則勝ちを収めるも、流血により試合放棄するというアクシデントに見舞われた。昭和40年代に入るとザ・デストロイヤーやミル・マスカラスの人気に押され生彩を欠いた。アメリカではマスクド・プリーチャー、ゴールデン・テラー、ザ・シャドーなどの名前を使い分けた。第2次プロレスブームを巻き起こす起爆剤となった功労者。必殺技はネックブリーカードロップ。 | |
| ミスター・オリンピア
MR.ORYMPIA (ア・シーク*)
2回 五輪仮面 185センチ、108キロ 1952年米・ジョージア州アトランタ :アラバマ・ヘビー、サウスイースタン・ヘビー、ミシシッピ・ヘビー |
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| 61 10 (全)ジャイアント・S、62 1 (全)87 新春ジャイアント・S* | |
| ジョージアやMSWA地区で人気を呼んだマスクマンで日本の雑誌でも大きく扱われた事があったマスクマンで、正体はア・シークとして来日したジェリー・スタッブスであった。MSWA地区ではタイトルを総なめにし、ミスター・レスリングの再来とまで言われた。日本ではヒロ斎藤の保持するNWAインター・ジュニア選手権の挑戦をかけて小林邦明と戦ったが、残念ながら敗退。 | |
| ミスター・ギロチン
MR.GUILOTINE 1回 斬首仮面 187センチ、101キロ イギリス |
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| 43 9 (国) ダイナマイト・S | ||
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イギリスのマット界で暴れ、日本でも有名だった怪覆面ケンドー・ナガサキの変身。イギリスでは胴着を着けて登場したが、日本ではなぜかこのギミックを使わず、ミスター・ギロチンと名乗った。1955年にサウジアラビアでジャン・アベベなるレスラーを脳天チョップで即死させたというのが宣伝文句であった。日本でもまずまずの活躍をみせ、草津の英国西部選手権に挑戦している。 | |
| ミスター・シビリアン MR CIVILIAN 1回 | |
| 39 1 (日)【特】新春国際試合 | |
| 力道山死後の4幹部体制初のシリーズで参加予定だったブル・ベドウがグレート東郷の妨害で来日不能になった為、急遽来日が決定した選手で、アメリカ(ハワイ)ではカウボーイ・キャシディのリングネームで暴れた。安定した実力はなかったが、しばしば「大物食い」をする事で有名であった。 | |
| ミスター・ジュニア・アメリカ MR. JUNIOR AMERICA 1回 | |
| 30 10 (旧全)プロレス国際大試合、30 12 (旧全)日米対抗厚生大臣賞争奪試合(残留) | |
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山口利夫の旧・全日本プロレスがシリーズに参加させたドイツ系イギリス人。しかしなぜかリングネームはアメリカ・・・。ボディ・ビルで少々の実績があったらしい。すでにアメリカ南部で力を持ち始めていたP・Y・チャン(=トージョー・ヤマモト)のブッキングで来日。(追加情報:JOE HOOKER SR氏) |
| ミスター・ゼロ
MR ZERO
1回 184センチ、110キロ 1921年 米・フロリダ州 :テネシー版世界タッグ |
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| 38 7 (日) 夏の国際試合 | |
| 1960年代初頭にカールとのフォン・ブラウナーズで活躍していたクルト・フォン・ブラウナー(=ジャック・ウィルソン)が正体のマスクマン。来日の2年後の1965年に正式にコンビは解消していたようだ。来日時はアメリカでもマスクト・マーベルとしてマスクを被っていたことがある。2004年6月に逝去。 未来日外国人レスラー名鑑のクルト・フォン・ブラウナー、マスクト・マーベルの項も見よ。 |
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| ミスター・タイガー
MR
TIGER (ミスター・ブラウン*)1回 黄金の虎 183センチ、120キロ オーストラリア・シドニー : カルガリー地区インターナショナル・タッグ |
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| 45 8 (国) 【特】 ビッグ・サマー・S*、45 9 (国) ダイナマイト・S(残留)、45 11 (国) ビッグ・ウィンター・S(残留) | ||
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昭和45年8月に来日したミスター・ブラウンの変身で、昭和44年の日本プロレスの東南アジア遠征の時に参戦したミスターXと同一人物。本名はフランク・アール・ブラックといい、全身に刻まれた刺青が不気味なレスラーだった。来日当時の主戦場はオーストラリア、東南アジア。このミスター・タイガーは当時TVで放映されていたタイガーマスクの人気にあやかったギミックではないだろうか? なかなかのテクニシャンだったようだ。日本プロレスに参加していたジン・キニスキーにスカウトされてカナダに渡り、71年にはカルガリーでジョー・トマソとのコンビで同地区のインターナショナル・タッグを獲得している。 | |
| ミスター・ダイヤモンド MR. DIAMOND 1回 カナダの虎 188センチ、105キロ 1931年カナダ :ニードロップ |
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| 40 7 (日) サマー・S | |
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高校時代にアイスホッケーの選手として活躍したあと、フットボールを経てプロレス入り。アメリカでは女性ファンに圧倒的な人気を持っていたレスラーだが、レスリングの方はさっぱり振るわず、期待外れに終わった。ルックスの良さと筋肉美だけが売り物だった。本国ではポール・ダイアモンドとも名乗った。本名はポール・レーマン。 |
| ミスター・ダンラージ
MR.
DANRAGE 1回 ガマの再来 173センチ、95キロ インド・パンジャブ :エアプレーン・スピン |
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| 46 1 (国) 新春パイオニア・S | |
| 「グレート・ガマの再来」といわれたというインド人レスラー。体は小さかったが、「ガマの再来」という触れ込みに恥じない実力は持っていたようだ。首四の字をかけられたまま立ち上がるという怪力の持ち主でもあった。豪快なボディスラムと、エアプレーンスピンが得意だった。 | |
| ミスター・フー MR. WHO 謎の赤覆面 183センチ、125キロ 米・ミズーリ州セントルイス |
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| 36 11 (日)プロレス冬の国際試合 | |
| マスクマンとして来日したが、客席にいたゼブラ・キッドの「おまえたちの正体はわかっているぞ」という野次に怒り、試合前に自ら赤いマスクを脱いで正体を曝した。初代アサシンズとして有名なロッキー・ハミルトン(=ラリー・ハミルトン、ミズリー・モウラー)
が正体だった。 詳細はラリー・ハミルトンの項参照。 |
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ミスター・フジ → 日本人全レスラー名鑑の日系レスラーの項を見よ。
| ミスター・ブラウン MR.BROWN 183センチ、120キロ オーストラリア・シドニー : カルガリー地区インターナショナル・タッグ |
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| 45 8 (国) 【特】 ビッグ・サマー・S | |
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国際プロレス昭和45年の「ビッグ・サマー・シリーズ」に突然やってきた謎のレスラー。次のシリーズから覆面をつけてミスター・タイガーに変身するのだが、このシリーズではなぜか素顔で登場。売り物である刺青を隠すために長袖のTシャツを着用していた。 ミスター・タイガーの項も見よ。 |
| ミスター・ブルート MR.BRUIT 人非人 180センチ、159キロ 1938年カナダ・ユーコン : アジア・タッグ、セントラルツテーツ・タッグ |
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| 38 1 (日)【特】春の国際大試合 | |
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アメリカではクロンダイク・ビルの名で活躍した野獣派レスラーだが、力道山とのメインエベントの3本勝負で1本目にバックドロップを食らって失神。力道山を大いに激怒させ「乞食野郎!」と罵倒された。 詳細はクロンダイク・ビルの項参照。 |
ミスター・モト → 日本人全レスラー名鑑の日系レスラーの項を見よ。
| ミスター・レスリング
MR.WRESTLING 悪の白覆面 183センチ、106キロ 米・ニュージャージー州 :スープレックス :アメリカス・タッグ |
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| 47 5 (日) 第一次ゴールデン・S | |
| 日本に最初にやってきたミスター・レスリングの正体はアマレス出身の実力者ゴードン・ネルソンだった。ネルソンはアメリカでもミスター・レスリングを名乗りヒールとして活躍、ロス地区ではパク・ソンとのコンビでアメリカスタッグ選手権も獲得している。日本でも勝率は高く、大木のアジア・ヘビーに挑戦している。 ゴードン・ネルソンの項も参照の事。 |
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| ミスター・レスリング
MR.WRESTLING 4回 正義の白覆面 188センチ、120キロ 1937年米・ジョージア州 :倒立式エビ固め :ジョージア・ヘビー、南部ヘビー、フロリダ・ヘビー |
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| 49 4 (全) 第2回チャンピオン・カー二バル、50 4 (全) 第3回チャンピオン・カーニバル、50 12 (全) オープン選手権大会、 54 11 (全) 世界最強タッグ決定リーグ戦 | ||
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こちらが本家のミスター・レスリングで、正体はご存知のようにアマレス出身のティミー・ウッズ。ジョージア地区では英雄的存在。初来日のチャンピオン・カーニバルでは、前評判を裏切らず決勝に進出するも、ジャイアント馬場に敗れいさぎよくマスクを脱ぎ、勝者の馬場に手渡した。しかし来日前にはティミー・ウッズとして参加が予定されていたため、多くのファンは正体がウッズであることを最初から知っていたのである。当時は彼のシューター振りを堪能する土壌があるはずもなく、マスクマンとしては地味なこともあり日本では今ひとつ人気が出なかった。(素顔写真提供HARU一番様) サイン |
| ミステリアス・アサシン
MYSTERIOUS ASSASIN 覆面の重戦車 188センチ、122キロ 米・テネシー州ノックスビル |
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| 55 3 (全) 第8回チャンピオン・カー二バル | |
| 昭和55年のチャンピオン・カーニバルにやってきた大型マスクマンで、正体はボビー・ジャガース。開幕戦でジャイアント馬場と公式戦で当たり、アブドーラ・ザ・ブッチャーのインターフェアがあったものの馬場からリングアウト勝ちを収めた。サイン ボビー・ジャガースの項も見よ。 |
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| ミステリアス・メディコ
MYSTERIOUS MEDICO 謎の医師 181センチ、120キロ 1918年カナダ |
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| 41 12 (東) チャンピオン・S | |
| 若きアントニオ猪木が設立した東京プロレスに来日した覆面レスラーで、シリーズ中は猪木の保持していたUS選手権にも挑戦しているが惨敗。正体は昭和29年に太平洋岸選手権者として来日していたルー・ニューマンであった。昭和41年にはすでに48歳の大ベテランであった。 ルー・ニューマンの項も見よ。 |
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| ミステリー・ザ・オレゴン
MYSTERY THE OREGON
1回 赤い影法師 183センチ、118キロ 米・テキサス州サンアントニオ |
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| 45 8 (日) サマー・S | |
| 西海岸で活躍した覆面レスラーでオレゴン・ランバージャックとして名が通っていた。サンバナディーノで坂口征二と熱戦を演じ話題を呼んだが、来日した時は完全に期待外れに終わった。正体はリッキー・ロメロの実弟、マイク・ロメロであった。 | |
ミズリー・モーラー → ラリー・ハミルトンの項を見よ。
ミツ荒川 → 日本人全レスラー名鑑の日系レスラーの項を見よ。
| ミッキー・ドイル MICKY DOYLE 1回 180センチ、108キロ 生年月日不明米・デトロイト州 |
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| 48 11 (全) ジャイアント・S第2弾 | |
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アイルランド系のレスラーで赤毛がトレードマークだった。プロレスラーになる前はデトロイトで舞台役者をしていたという変わり種でレスラーのマイク・ローレンに喧嘩を売り、その噂を聞いたザ・シークによってスカウトされたといわれている。昭和50年12月19日には猪木、坂口組のセコンドを勤めるためにフロリダのゴッチ道場からロスに駆けつけた藤波とオリンピック・オーデトリアム対戦している。 |
| ミッシェル・シュナイダー MICHAEL SCHNEIDER 1回 サンボの鬼 185センチ、125キロ ウクライナ・オデッサ |
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| 60 5 (旧U) 格闘技オリンピア | |
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旧ソビエトのウクライナ出身。学生時代からサンボ、柔道で身体を鍛え26歳の時に旧西ドイツに亡命しサンボの道場を開く。ここでローラン・ボックに認められプロレスラーとなる。デビュー当時はファントムのリングネームで活躍、1980年代に入ると頭角をあらわし、ミュンスター・トーナメントで準優勝したこともある。来日時はUWFスタイルになじめず、成績は芳しくなかった。 |
| ミッシェル・ナドール
MICHELE
NADOR 蛇男 190センチ、112キロ 1932年ハンガリー :サイドスープレックス :IWA世界タッグ |
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| 56 7 (新)【特】 サマー・ファイト・S | |
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ローラン・ボックのパートナーとして新日本プロレスが招聘した欧州系のレスラーで、国際プロレスに2度来日経験のあるマイケル・ネイダーの変名。このときの来日では第1戦で長州力をサイドスープレックス一発であっさりフォールしたが、その後TV出演はなかった。サイン 詳細はマイケル・ネイダーの項参照。 |
| ミッチー・スノー
MITCH
SNOW 1回 183センチ、102キロ 1967年米・バージニア州ノーフォーク |
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| 63 7 (全) 88 サマー・アクション・S | |
| 高校時代は地元のアマレス王者になったこともある実力者。ネルソン・ロイヤルの弟子で、修行中の輪島大士のスパーリング・パートナーを務めた。全日本プロレスへの来日はその時の見返りだった?アメリカではカンサス地区やAWA圏で活躍した。 | |
| ミッドナイト・ソルジャー
1回 粉砕戦士 200センチ、133キロ 米・ハワイ州 |
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| 63 2 (新) 88 ビッグ・ファイト・S | |
| 低迷期の新日本に来日した大型マスクマンで、正体は新日本に留学経験のあるブライアン・アダムスであった。新日本プロレスのフロントの期待に反し全く人気が出ないまま帰国。 ブライアン・アダムスの項も見よ。 |
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| ミル・マスカラス
MIL MASCARAS
22回 悪魔仮面 180センチ、105キロ 1942年メキシコ・サンルイスポトシ :ドロップキック、ダイビング・ボディアタック :EMLL世界ヘビー、IWA世界ヘビー、アメリカス・ヘビー、同タッグ、ALLL世界ヘビー |
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| 46 2 (日) ダイナミック・ビッグ・S、46 8 (日) サマー・ミステリー・S、47 5 (日) 第一次ゴールデン・S、47 7 (日) サマー・ビッグ・S、48 10 (全)【特】創立1周年記念ジャイアント・S、49 7 (全) サマー・アクション・S第1弾、51 1 (全)【特】新春ジャイアント・S、52 2 (全) エキサイト・S、52 8 (全) 【特】第2弾サマー・アクション・S、53 8 (全) 第2次サマー・アクション・S、54 8 (全) ブラック・パワー・S、54 8 8・26夢のオールスター戦、54 11 (全) 世界最強タッグ決定リーグ戦、55 8 (全) 第2次サマー・アクション・S、56 8 (全) スーパー・アイドル・S、56 10 (全) 【特】ジャイアント・S、 57 1 (全)【特】新春ジャイアント・S、57 7 (全) サマー・アクション・S、58 1 (全)【特】新春ジャイアント・S、58 11 (全) 84世界最強タッグ決定リーグ戦、60 10 (全)【特】ワールド・チャンピオン・カーニバル、61 1 (全【特】ニューイヤー・ウォーズ・スーパーバトル86、61 5 (全)【特】スーパー・パワー・S | |||||||||||||
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| 1965年にデビュー、1967年にはナショナル・ライトヘビー級選手権を獲得。1968年にはロスに登場し独特の空中殺法で人気を呼ぶ。日本でも当時創刊されたばかりのゴング誌が強力にプッシュし知名度を上げた。一時はロス名物(?)の陰謀に巻き込まれロスを去るが1970年に復帰し、翌年待望の初来日を果たした。日本でも人気は高かったが、爆発的人気を呼んだのは「スカイ・ハイ」を入場テーマにした昭和51年頃からであろう。アメリカ本土でも成功した数少ないメキシカンである。正体に関してはミゲル・モラレス説が有力だったが、現在ではアレン・ロドリゲス説が定着している。 サイン | |||||||||||||
| ミレ・ツルノ
MILE ZRNO
(シルバー・ハリケーン *) 4回 ユーゴの鷹 180センチ、95キロ 1955年ユーゴスラビア・スーイカ :スープレックス :WWU世界ジュニアヘビー |
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| 54 4 (国) ビッグ・チャレンジ・S、57 10 (新)【特】 闘魂S*、 58 3 (新) ビッグ・ファイト・S第1弾、60 2 (旧U) パンクラチオン・ロード | |
| 「ユーゴの鷹」と言われ、WWU世界ジュニア王座として国際プロレスに初来日。阿修羅原の挑戦を受けたがブロック・バスターに沈み王座から転落。国際崩壊後は新日本プロに来日、労働ビザがおりずにマスクを被ってシルバー・ハリケーンと名乗ってファイトした事もある。試合は上手かったがいかんせん線が細かった。ヨーロッパでは各地のトーナメントで上位入賞を果たしている実力者。 | |