来日全外国人レスラー名鑑 オ

 

オーエン・ハート OWEN HART 3回
●天才児 ●185センチ、102キロ
●1965年5月7日 カナダ・アルバータ州カルガリー出身 1999年5月23日没
●IWGPジュニアヘビー、英連邦ミッド・ヘビー、北米ヘビー(カルガリー地区)、WWFインターコンチネンタル・ヘビー、WWF世界タッグ
62 8(新) 戦国合戦シリーズ 、63 1(新) 88 新春黄金・S 、 63 5(新) 88 lWGPチャンピオン・S
カルガリー地区のプロモーター スチュ・ハートを父に持ち、スミス、ブルース、キース、ブレッドといった兄達もレスラーという名門の出身。兄弟の中でももっとも才能があるといわれ、来日前にはすでに英連邦、北米の各ヘビー級タイトルの獲得経験を持っていた。日本でも活躍しIWGPジュニア・ヘビー級タイトルを獲得。後にWWFにスカウトされ、兄ブレッドとの抗争でトップの仲間入りをはたす。ブルーブレイザーとして活躍していた1999年に入場の際のアクシデントで帰らぬ人となった。

 

オースチン・アイドル AUSTIN IDOL 3回
●黄金の鷲 ●187センチ、110キロ
●1951年10月26日 米・ネバダ州ラスベガス出身 ●ラスベガス・レッグ・ロック
●南部ヘビー(テネシー地区)、ジョージア・ヘビー、テキサス・ヘビー、CWAインターナショナル・ヘビー、PWF世界タッグ
55 8(全) 第2次サマー・アクション・S 、62 8(全) 87サマー・アクション・S U、63 3(全) 88 チャンピオン・カーニバル

本名はデニス・マッコード。テネシー地区で人気があったレスラーで、まだ見ぬ強豪の一人に数えられていたが、昭和55年に全日本プロレスの「サマー・アクション・シリーズ」に待望の初来日、マスカラス兄弟と抗争を繰り広げた。デビュー当時はマイク・マッコードのリングネームでフロリダで活躍しMSGにも出場したが飛行機事故で重傷を負い、復帰後アイドルに改名した。タイプ的にはリック・フレアーと似ており、フィニッシュにもフレアーと同じく四の字固めを使っていたが、自分ではラスベガス・レッグ・ロックと呼んでいた。ショーマンシップが過ぎ当時の日本ではあまり受けないタイプのレスラーだった。

 

オザーク・モルナー OSZKAR MOLNER
●怪人アリババ ●183センチ、120キロ
●ハンガリー・ブタペスト出身 ●フロント・スープレックス
50 7(新) サマー・ファイト・S

パンフレットではオザーク・モルナー名義で紹介されていたが、カナダではもっぱら「アリババ」で通していたようで、テレビでもアリババとして紹介されていた。アメリカのIWAにもアリババ名義で登場して、ミル・マスカラスと対戦している。豆タンクのような体つきだが、スープレックスも器用にこなす異能派であった。

アリババの項も見よ。

 

オックス・アンダーソン OX ANDERSON 1回 
●193センチ、128キロ
●1931年 米・アーカンソー州出身 2003年1月18日没
●インターナショナル・タッグ(カルガリー版)
42 4(日) 第9回ワールドリーグ戦
本名はドン・アンダーソン。陸軍時代にアマレスをやり除隊後にプロに転向。名前や見た目とは違い性格が大人しくレスラーには向いていなかったようだ。MSGに登場した実績もあるが、リーグ戦では白星配給係となり、7戦全敗という不名誉な記録を残している。一緒に来日したザ・デストロイヤーの親友だったようである。来日前の東京スポーツではジ・オックスのリングネームでMSGに登場していたオックス・ベーカーをオックス・アンダーソン間違えて紹介されていた。

 

オックス・ベーカー THE OX BAKER 7回
●猛牛 ●203センチ、140キロ
●1935年4月19日 米・アイオワ州ウォータールー出身  ●ハートパンチ
●WWA世界ヘビー(インディアアナ版)、WWF世界タッグ(ロス版)、北米タッグ(テネシー版)、NWF北米ヘビー
44 7(国) ビッグ・サマー・S、45 11(国) ビッグ・ウィンター・S 、46 9(国) ダイナマイト・S 、50 9(全) ジャイアント・S 、53 9(国) ダイナマイト・S、54 6(国) ビッグ・サマー・S 、55 11(新) 第1回MSGタッグ・リーグ戦
本名はダグラス・ベイカー。「猛牛」のニックネームで国際プロレスで活躍した究極のB級レスラー。日本では金網デスマッチで木村の足を複雑骨折させ、アメリカではアルバート・トーレス、レイ・グンケルをハート・パンチ(心臓部へのストレートパンチ)で死に追いやったなどという物騒なエピソードがあるが、ファイトぶりはパンチとキックだけの典型的なアメリカン・ヒール。最後の来日となったMSGタッグ戦では猪木に秒殺されオールド・ファンを嘆かせた。昭和54年に仲間割れしたアレックス・スミルノフと、日本初の外国人同士のチェーンデスマッチを行なっている。現在もレスラー時代と同じ風貌で余生を送っている。

 

オットー・マンハイム OTTO MANHEIM 1回
●187センチ、120キロ
●生年月日不明 ポーランド?
49 9(全) ジャイアント・S
本名はオンノ・ボエリー。ナチス・ギミックの凶暴ファイターで、カナダ、ヨーロッパなどを流れ歩き、来日当時の主戦場はニュージーランドであった。同時に来日していたアブドーラ・ザ・ブッチャーの弟子として紹介されていた。柔道の心得があったようだが所詮3流レスラーだった。

 

オットー・ワンツ OTTO WANZ (グラン・ラパン*、ブルドッグ・オットー) 5回
●重戦車 ●185センチ、162キロ
●1943年6月13日 オーストリア・グラーツ出身 ●スチームローラー
●CWA世界ヘビー(オーストリア版)、AWA世界ヘビー
48 1 (国) 新春パイオ二ア・S*、 51 1(新)新春黄金・S、 58 5(新)【特】lWGP決勝リーグ、58 11(新) 第4回MSGタッグ・リーグ戦 、59 5(新) 84 IWGP
オーストリア出身のレスラーで、それまでも別名で2度来日していたが、AWA世界選手権をニック・ボックウィンクルから獲得し俄然注目を浴びた。新日本プロレスの「第1回IWGPリーグ戦」に参加、開幕戦と数試合を戦っただけで負傷帰国してしまった。欧州修行の新日本レスラーの面倒を見るなどの影の功績がある。彼の主催するCWAは新日本プロレスとは今でも友好関係にある。猪木の引退興行にも顔を見せていた。大の親日家で力士転向を真剣に考えたが、家族の猛反対にあい、泣く泣くあきらめたというエピソードがある。

 

オビラ・アセリン OVIRA ASSELIN (ザ・ジャックナイフ*) 2回
●187センチ、115キロ
●カナダ・ケベック州モントリオール出身 故人(没年不明)。
26 9国連軍 朝鮮国連軍慰問プロレス大会、49 1(国) 新春パイオニア・S*
日本初のプロレス興行「朝鮮国連軍慰問プロレス大会」が立つ来日だから相当のベテラン。主にカナダで活躍していたレスラーで、ザ・ジャックナイフとして来日し、覆面をはがされ正体が彼だという事が判明した時にはかなりの話題性があったようで、雑誌では特集が組まれていた。ガルフコースト地区ではガイ・ラローズなるリングネームを名乗っていたこともあるようだ。すでに故人。

 

オマール・アトラス OMAR ATLAS (バディ・モレノ*) 3回
●黒豹 ●175センチ、109キロ
●1938年4月22日 ベネズエラ・カラカス出身 ●回転エビ固め
●テキサス州ヘビー、北米ヘビー(カルガリー版)、セントラルステーツ・ヘビー、北米タッグ(セントラルステーツ版)、カリビアン・ヘビー
43年9月 (日) ダイヤモンド・S*、48 6(全) サマー・アクション・S、60 4(旧U) フロンティア・ロード
本名はオマール・ミハレス。カリプス・ハリケーンこと、サイクロン・ニグロの異母弟で、時にはインディアン・スタイル、時にはニュージーランドの原住民・・・といった具合に多くのギミックとリングネームを使い分けていた。中西部地区ではオマール・ニグロと名乗り、兄とのタッグで北米タッグ・タイトルも活躍しているが、ほとんど兄とは別行動をとっており、兄がヒールだったのに対し、オマールは正統派のテクニシャンであった。日本では高見山に間違えられたという。たしかに似ている。

 

オレイ・アンダーソン OLE ANDERSON 3回
●ミネソタの粉砕野郎 ●183センチ、120キロ
●1942年4月22日 米・ミネソタ州出身 ●デッドリードライブ
●ミッドウエスト・ヘビー、アトランティック地区世界タッグ、ジョージア・タッグ
45 1(日) 新春チャンピオン・S 、48 10(国) ビッグ・ウインター・S、61 3(全) チャンピオン・カーニバル86
本名はアル・ロゴスキー。悪名高きのアンダーソン3兄弟(=ジン、オレイ、ラーズ。もちろんビジネス・ブラザーズ)の次男で、長男のジンとのコンビで日プロレスと国際プロレスに来日している。デビュー当時は“ザ・ロック”アラン・ロゴスキーのリングネームで暴れ、20世紀最大の新人登場と騒がれた。1980年代にはジョージア地区でスタン・ハンセンのパートナーとして活躍する傍らマッチ・メーカーも勤め、アーン・アンダーソンをスカウトして、弟としてデビューさせている。