来日全外国人レスラー名鑑 オ
| オーエン・ハート OWEN HART 3回
天才児 185センチ、102キロ 1965年5月7日カナダ・アルバータ州カルガリー : IWGPジュニアヘビー、英連邦ヘビー、北米ヘビー |
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| 62 8(新) 戦国合戦シリーズ 、63 1(新) 88 新春黄金・S 、 63 5(新) 88 lWGPチャンピオン・S | |
| カルガリー地区のプロモーター スチュ・ハートを父に持ち、スミス、ブルース、キース、ブレッドといった兄達もレスラーという名門の出身。兄弟の中でももっとも才能があるといわれ、来日前にはすでに英連邦、北米の各ヘビー級タイトルの獲得経験を持っていた。日本でも活躍しIWGPジュニア・ヘビー級タイトルを獲得。後にWWFにスカウトされ、兄ブレッドとの抗争でトップの仲間入りをはたす。ブルーブレイザーとして活躍していた1999年に入場の際のアクシデントで帰らぬ人となった。 | |
| オースチン・アイドル AUSTIN
IDOL 3回
黄金の鷲 187センチ、110キロ1951年10月26日 米・ネバダ州ラスベガス :ラスベガス・レッグ・ロック :南部ヘビー、ジョージア・ヘビー、テキサス・ヘビー、PWF世界タッグ |
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| 55 8(全) 第2次サマー・アクション・S 、62 8(全) 87サマー・アクション・S U、63 3(全) 88 チャンピオン・カーニバル | |
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テネシー地区で人気があったレスラーで、まだ見ぬ強豪の一人に数えられていたが、昭和55年に全日本プロレスのサマー・アクション・シリーズに待望の初来日、マスカラス兄弟と抗争を繰り広げた。デビュー当時はマイク・マッコードのリングネームでフロリダで活躍しMSGにも出場したが飛行機事故で重傷を負い、復帰後アイドルに改名した。タイプ的にはリック・フレアーと似ており、フィニッシュにもフレアーと同じく四の字固めを使っていたが、自分ではラスベガス・レッグ・ロックと呼んでいた。ショーマンシップが過ぎ当時の日本ではあまり受けないタイプのレスラーだった。本名はデニス・マッコード。 |
| オザーク・モルナー OSZKAR MOLNER 怪人アリババ 183センチ、120キロ ハンガリー・ブタペスト :フロント・スープレックス |
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| 50 7(新) サマー・ファイト・S | |
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パンフレットではオザーク・モルナー名義で紹介されていたが、カナダではもっぱら「アリババ」で通していたようで、テレビでもアリババとして紹介されていた。アメリカのIWAにもアリババ名義で登場して、ミル・マスカラスと対戦している。豆タンクのような体つきだが、スープレックスも器用にこなす異能派であった。 アリババの項も見よ。 |
| オックス・アンダーソン OX ANDERSON 1回 193センチ、128キロ 1931年米・アーカンソー州 : インターナショナル・タッグ(カルガリー版) |
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| 42 4(日) 第9回ワールドリーグ戦 | |
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本名はドン・アンダーソン。陸軍時代にアマレスをやり除隊後にプロに転向。名前や見た目とは違い性格が大人しくレスラーには向いていなかったようだ。MSGに登場した実績もあるが、リーグ戦では白星配給係となり、7戦全敗という不名誉な記録を残している。一緒に来日したザ・デストロイヤーの親友だったようである。来日前の東京スポーツではジ・オックスのリングネームでMSGに登場していたオックス・ベーカーが間違えてオックス・アンダーソンとして紹介されていた。2003年に逝去。 |
| オックス・ベーカー THE OX BAKER 7回
猛牛 203センチ、140キロ 1935年4月19日米・アイオワ州ウォータールー :ハートパンチ : WWA世界ヘビー(デトロイト)、世界タッグ(ロス)、北米タッグ(テネシー)、NWF北米ヘビー |
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| 44 7(国) ビッグ・サマー・S、45 11(国) ビッグ・ウィンター・S 、46 9(国) ダイナマイト・S 、50 9(全) ジャイアント・S 、53 9(国) ダイナマイト・S、54 6(国) ビッグ・サマー・S 、55 11(新) 第1回MSGタッグ・リーグ戦 | |||
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本名はダグラス・ベイカー。「猛牛」のニックネームで国際プロレスで活躍した究極のB級レスラー。日本では金網デスマッチで木村の足を複雑骨折させ、アメリカではアルバート・トーレス、レイ・グンケルをハート・パンチ(心臓部へのストレートパンチ)で死に追いやったなどという物騒なエピソードがあるが、ファイトぶりはパンチとキックだけの典型的なアメリカン・ヒール。最後の来日となったMSGタッグ戦では猪木に秒殺されオールド・ファンを嘆かせた。昭和54年に仲間割れしたアレックス・スミルノフと日本初の外国人同士のチェーンデスマッチを行なっている。現在もレスラー時代と同じ風貌で余生を送っている。 | |
| オットー・マンハイム OTTO MANHEIM
1回 187センチ、120キロ 生年月日不明 ポーランド |
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| 49 9(全) ジャイアント・S | |
| ナチス・ギミックの凶暴ファイターで、カナダ、ヨーロッパなどを流れ歩き、来日当時の主戦場はニュージーランドであった。同時に来日していたアブドーラ・ザ・ブッチャーの弟子として紹介されていた。柔道の心得があったようだが所詮3流レスラーだった。 | |
| オットー・ワンツ
OTTO
WANZ (グラン・ラパン*、ブルドッグ・オットー*) 5回
重戦車 185センチ、162キロ 1943年6月13日オーストリア・グラーツ :スチームローラー : CWA世界ヘビー、AWA世界ヘビー |
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| 48 1 (国) 新春パイオ二ア・S*、 51 1(新)新春黄金・S*、 58 5(新)【特】lWGP決勝リーグ、58 11(新) 第4回MSGタッグ・リーグ戦 、59 5(新) 84 IWGP | |
| オーストリア出身のレスラーで、それまでも別名で2度来日していたが、AWA世界選手権をニック・ボックウィンクルから獲得し俄然注目を浴びた。新日本プロレスの第1回IWGPに参加、開幕戦と数試合を戦っただけで負傷帰国してしまった。欧州修行の新日本レスラーの面倒を見るなどの影の功績がある。彼の主催するCWAは新日本プロレスとは今でも友好関係にある。猪木の引退興行にも顔を見せていた。大の親日家で力士転向を真剣に考えたが、家族の猛反対にあい、泣く泣くあきらめたというエピソードがある。必殺技はスチーム・ローラー(サマーソルトドロップ)。 | |
| オビラ・アセリン OVIRA ASERIN
(ザ・ジャックナイフ*) 2回 187センチ、115キロ カナダ |
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| 26 9国連軍 朝鮮国連軍慰問プロレス大会、49 1(国) 新春パイオニア・S* | |
| 日本初のプロレス興行「朝鮮国連軍慰問プロレス大会」が立つ来日だから相当のベテラン。主にカナダで活躍していたレスラーで、ザ・ジャックナイフとして来日し、覆面をはがされ正体が彼だという事が判明した時にはかなりの話題性があったようで、雑誌では特集が組まれていた。 | |
| オマール・アトラス OMAR ATLAS (バディ・モレノ*)
3回 黒豹 175センチ、109キロ 1941年ベネズエラ・カラカス :回転エビ固め :北米タッグ、カリビアン・ヘビー、セントラルステーツ・ヘビー |
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| 43年9月 (日) ダイヤモンド・S*、48 6(全) サマー・アクション・S、60 4(旧U) フロンティア・ロード | ||
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カリプス・ハリケーンこと、サイクロン・ニグロの異母弟で、時にはインディアン・スタイル、時にはニュージーランドの原住民・・・といった具合に多くのギミックとリングネームを使い分けていた。中西部地区ではオマール・ニグロと名乗り、兄とのタッグで北米タッグ・タイトルも活躍しているが、ほとんど兄とは別行動をとっており、兄がヒールだったのに対し、オマールは正統派のテクニシャンであった。日本では高見山に間違えられたという。たしかに似ている。 | |
| オレイ・アンダーソン
OLAY ANDERSON 3回 ミネソタの粉砕野郎 183センチ、120キロ 1942年米・ミネソタ州 :デッドリードライブ :太平洋岸タッグ、南部タッグ |
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| 45 1(日) 新春チャンピオン・S 、48 10(国) ビッグ・ウインター・S、61 3(全) チャンピオン・カーニバル86 | ||
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悪名高きのアンダーソン3兄弟(=ジン、オレイ、ラーズ。もちろんビジネス・ブラザーズ)の次男で、長男のジンとのコンビで日プロレスと国際プロレスに来日している。デビュー当時は“ザ・ロック”アラン・ロゴスキーのリングネームで暴れ、20世紀最大の新人登場と騒がれた。1980年代にはジョージア地区でスタン・ハンセンのパートナーとして活躍する傍らマッチ・メーカーも勤め、アーン・アンダーソンをスカウトして、弟としてデビューさせている。本名はアル・ロゴスキー。 | |