来日全外国人レスラー名鑑 レ

 

レイ・アンソニー → ザ・レモラを見よ

 

レイ・キャンディ RAY CANDY (ムハマッド・カリム* 、スーパー・マリオマン**) 9回
黒い殺人戦車 195センチ、155キロ
1951年12月3日 米・ジョージア州アトランタ出身
●ジョージア・タッグ、ウエスタンステーツ・ヘビー、ミッドアメリカ・タッグ、ルイジアナ・タッグ、USタッグ(トライステーツ版、フロリダ版)、ジョージアTV、インターナショナル・タッグ(全日本プロレス版)、サウスイースタン・ヘビー、ルイジアナ・ヘビー、AWA南部タッグ、フロリダ・ヘビー、プエルトリコ・ヘビー
54 10 (全) ジャイアント・S、55 3 (全) 第8回チャンピオン・カー二バル、 55 8 (全) 第2次サマー・アクション・S、56 2 (国) スーパー・ファイト・S、59 4 (新) ビッグ・ファイト・S 第2弾 *、60 10 (新) バーニングスピリット・イン・オータム、61 10 (新) 闘魂・S **、62 4 (新) ブレイジング・チェリー・ブロッサム・ビガロ 87、63 2 (新) 88 ビッグ・ファイト・S
ジョージア出身のレスラーで大学卒業後はプロボクサーをしていたがボブ・ガイゲルにスカウトされてプロレス入り。1974年にアマリロでファンクスにコーチを受けてプロ・デビュー、翌年ボビー・ジャガースからウエスタン・ヘビー級選手権を獲得。195センチ、155キロという巨体を生かして東南部地区を転戦しトップ・レスラーとなる。日本ではアブドーラ・ザ・ブッチャーとのコンビで師匠のファンクスと抗争を繰り広げた。国際プロレスではテーズ杯争奪戦に参加し、予選通過するも国際プロレスが崩壊、以後、新日本プロレスに移籍し常連となった。(写真撮影=HARU一番様) サイン

 

レイ・グレーン RAY GLENN
●176センチ、120キロ
●米・オレゴン州ポートランド出身 ●スープレックス
●インターナショナル・ヘビー(バンクーバー版)
48 10 (新) 闘魂シリーズ第2弾、48 12(新)ワールドタイトル・チャレンジS(残留)
本名ペレック・グレーンデニング。バンクーバーを主戦場としていたレスラーで、カナダのバンクーバーではプロモーターも兼業していた。パンフではAの写真で宣伝されていたが、実際に来た(写真右)のは別人のように思われる。その体格(176センチより大きい)や独特のスープレックスをつかう点などから、ギレス・ポワゾンの変身だと言う説もあるが、現時点では資料不足のため断定しないで置く。来日前の評判は高くなかったが、意外な実力者振りを見せ、ファンはもちろん猪木、坂口を驚かせた。

 

レイ・ゴールデン・アポロン RAY GOLDEN APOLLON 2回
●黒い戦車 ●185センチ、120キロ
●1932年 トリニダードトバコ出身(ベネズエラ説もあり) 1997年2月4日没 ●カナディアン・バックブリーカー
43 11 (国) 第1回IWAワールド・S、47 3 (国) 第4回IWAワールド・S、47 5 (国) 第4回IWAワールド選抜S(残留)
トリニダード・トバコ出身のレスラーでヨーロッパを主戦場とした。黒人特有の頭の固さを活かしたヘッドバットはもちろん本格的なテクニックも身に付けており、第1回IWAワールド・シリーズのリーグ戦では好成績を上げたが、2度目の来日時はやや峠を越した感があり、ファンの期待を裏切った。国際プロレスに留学していた黒潮太郎(テリー・ハーバート)の師匠でもある。

 

レイ・コブラ REY COBRA 1回
●吸血コブラ ●179センチ、92キロ
●メキシコ出身 ●メキシコ州ヘビー
62 1 (新) ニューイヤー・ダッシュ 87
新日本プロレスに一度だけ来日したマスクマンで、メキシコでもローカルサーキットしていたというC級レスラーだが、親友のブラック・キャットの計らいで来日。しかし実力不足はいかんともし難く、連戦連敗。二度と来日することはなかった。

 

レイ・スチーブンス RAY STEVENS 3回
●金髪の悪魔 ●183センチ、112キロ
●1935年9月5日 米・ウエストバージニア州ポイントプレザント出身(ニューヨーク州ブルックリン出身説もあり) 1996年5月3日没 ●アトミックボムズ・アウェイ
●アメリカン・タッグ(メリーランド版)、MWAオハイオ・タッグ、MWA世界ジュニアヘビー、南部ジュニア・ヘビー(テネシー版)、AWA世界タッグ(インディアナ版、シスコ版、ミネアポリス版)、USヘビー(シスコ版、ハワイ版)、IWA世界ヘビー(オーストラリア版)、IWA世界タッグ(オーストラリア版)、フロリダ・タッグ、NWA世界タッグ(ミッドアトランティック版)、フロリダTV
43 7 (日) 第一次サマー・S、49 11 (国) 【特】ワールド・チャンピオン・S、51 1 (全) 【特】新春ジャイアント・S
本名はカール・レイモンド・スティーブンス。ジャッキー・ファーゴの実弟で、レスラー時代のロイ・シャイアのスカウトされてプロレス入り。レイモンド・シャイアを名乗りシャイアとのタッグで売り出した後はシングル・プレーヤーに転向。長くサンフランシスコでUS選手権を保持しシスコの帝王と呼ばれ、カウ・パレスで遠征してきたWWWF世界王者当時のブルーノ・サンマルチノと迎え撃ちリングアウト勝ちを収めた試合は語り種となっている。間違いなく超一流のレスラーだったが日本ではパットした人気が出なかった。カー・レーサーとしても有名で、国際A級ライセンスも持っていた。1996年5月3日に心臓発作のため死亡。(右写真提供:花園えびす様)

 

レイ・スチール RAY STEEL 2回
●蛇の穴の帝王 ●188センチ、102キロ
●1938年 イギリス・ヨークシャー州リーズ出身
●英国ヘビー
53 4 (新) 第1回MSGシリーズ、60 4 (旧U) フロンティア・ロード
欧州系のレスラーで、第28代NWA世界ヘビー級選手権者と同名だが当然赤の他人である。イギリスのジョイントプロがエンタープライズ派に対抗するための切り札として売り出した選手であったが、日本のスタイルにはまったく肌が合わず、MSGシリーズは予選で敗退している。当時すでに40歳であった。

 

レイ・バーンズ RAY BURNS 1回
●187センチ、112キロ ●1934年 米・ニューメキシコ州出身
42 8(日) 第2次サマー・S
サーカスのカーニバル・レスラーから1965年にプロレス入り。タンク・モーガンのパートナーとして東部地区で名をあげた男だが、来日時は精彩を欠きタッグマッチなどでも狙い撃ちにあった。ドイツ系アメリカ人で、アメリカではスキンヘッドにカイゼルひげと言う典型的なナチギミックでヒール人気を集めたが、来日時は髭をそり毛も生やしていた。

 

レイ・ハンター RAY HUNTER 1回
●195センチ、115キロ
●1926年 オーストラリア出身
●オーストラリア・ヘビー、英連邦タッグ
43 9 (国) ダイナマイト・S、43 11 (国) 第1回IWAワールド・S(残留)
オーストラリア出身だが、ヨーロッパも歴戦。来日当時はアル・ヘイズとのコンビで英連邦タッグ選手権を保持していただけあってタッグはなかなか上手かった。ダイナマイト・シリーズ終了後も残留しIWAワールド・シリーズに参加したが全敗で失格、シングル・プレイヤーとしての実力は今一つであった。大変な資産家の御曹司でプロレスは完全に趣味であり、勝負へのこだわりは薄かったと言われている。

 

レイ・メンドーサ RAY MENDOZA 1回
●メキシコの鉄人 ●170センチ、94キロ
●1929年6月6日 メキシコシティ出身 2003年4月16日没 ●エルボースマッシュ
●NWA世界ライトヘビー、ナショナル・ライトヘビー、NWA世界世界ミドル、UNヘビー、アメリカス・タッグ、UWA世界ライトヘビー
46 3 (日) 第13回ワールドリーグ戦
本名はホセ・ディアス・ヴェラスケス。13年間無敗という記録を持ち、「メキシコの鉄人」と言われNWA世界ライトへビー級王座を長期保持したメキシコの強豪。ロサンゼルスに進出してからはUN王座も獲得した。シリーズの目玉として第13回ワールドリーグに参加するも、開幕戦で星野勘太郎にリングアウト負け、リーグ戦も散々な成績に終わった。。階級制の浸透していなかった当時の日本では無理も無かったが・・・。一説にはスペイン語が通じないストレスが不調の原因といわれている。晩年に藤波のWWWFジュニア選手権に挑戦してベテランらしい試合運びを見せた。ロス・ビジャノスの父親でもある。2003年4月16日心臓発作のため死亡サイン

 

レイモンド・ルージョー RAYMOND ROUGEAU 1回
●カナダの新星 ●180センチ、102キロ
●1955年2月18日 カナダ・ケベック州セントサルピス出身
●IWA世界ジュニアヘビー(モントリオール版)、IWAインターナショナル・タッグ(モントリオール版)、IUSジュニアヘビー(テネシー版)
50 8 (新) 闘魂S
カナダのモントリオール地区のプロモーター兼スター選手だったジャック・ルージョーの息子で、日本へもジャックと共に来日して息の合ったコンビネーションを見せた。帰国後は中西部地区などにも遠征し人気を獲得した。ジュニア・ヘビー級のレスラーとして藤波に挑戦させれば面白かったと思うが・・・。

 

レーン・ゴルト RENE GOULET (レネ・グレイ*) 5回
●マットの貴公子 ●186センチ、110キロ
●1932年7月12日 カナダ・ケベック州ケベックシティ出身(フランス・ニース説もあり) ●クロー攻撃
●パシフィックノースウエスト・タッグ、南部ヘビー(フロリダ版)、WWWFタッグ、WWA世界タッグ(インディアナ版)、ジョージア・タッグ
47 6 (国) ビッグ・サマー・S、49 5 (国) ダイナマイト・S、 55 11 (新) 第1回MSGタッグ・リーグ戦*、 56 11 (新) 第2回MSGタッグ・リーグ戦*、57 11 (新) 第3回MSGタッグ・リーグ戦*
本名はロベルト・ベダー。大学時代はギャンブラーをしており、この時に女優のブリジッド・バルドーに見込まれて映画界にスカウトされたが、これを蹴ってヘンリー・デグレーンの勧めでプロレス入り。デビューから数年はアンドレ・ボレーとのコンビでヨーロッパで活躍したが、1960年代後半に渡米・・・と、当時のプロフィールにはあるが、カナダ出身との説もあり、この経歴は眉唾。ヨーロッパを転戦した際はバディ・ロジャース・ジュニアを名乗っていた。タッグの名人でWWWF世界タッグをカール・ゴッチと獲得したこともある。全盛期には国際プロレスに何度か来日したが、その名を知らしめたのは晩年にアンドレのパートナーとしてレネ・グレイの名で来日した時であろう。現在はWWFの幹部。(写真提供;花園えびす様)

 

レーン・ホール RENE HALL 1回
26 9 国連軍 朝鮮国連軍慰問プロレス大会
昭和26年9月30日、記念すべき「昭和プロレス第一戦」のメインを勤め、アンドレ・アドレーを降した。主に戦前は米本土で、戦中、戦後はハワイ、オセアニアで活躍。どんな体勢からもリストが取れるシューターで、戦後の混乱期、ミネアポリスでNWA世界ヘビー級王者になったこともある(別バージョンというか偽者)。圧巻なのはテーズのマネージャー、エド・ストラングラー・ルイスにテーズとのシュートマッチを申し込んだことだ。(解説:JOE HOOKER SR氏)

 

レオ・ノメリーニ LEO NOMELLINI 1回
●タックル王 ●192センチ、121キロ
●1924年6月19日 イタリア出身 2000年10月17日没 ●フライング・タックル
●NWA世界タッグ(シスコ版、ミネアポリス版)、パシフィックコースト・タッグ(シスコ版)、AWA世界タッグ
35 4 (日) 第2回ワールドリーグ戦
プロレス入り前はサンフランシスコ・フォーティーナイナーズで活躍してフットボールの名プレイヤーであったが、大学の先輩だったバーン・ガニアにスカウトされてプロレス入り。サンフランシスコ地区をホームリングとし、1955年にルー・テーズの連勝記録をストップさせた事でプロレス史上に名を残した。日本へは一度だけしか来日していないが前評判通りの実力を発揮しワールドリーグ戦の決勝に進出している。シリーズ中に行われたサニー・マイヤースとの試合は名勝負として語り継がれている。日本では必殺技のフライングタックルで、吉村を場外まで吹っ飛ばした。

 

レオ・バーク LEO BURKE ( ジ・アトミック *) 5回
●カナダの若獅子 ●181センチ、107キロ
●1948年 カナダ・ニューブランズウィック州ドーチェスター出身
●セントラルステーツ・ヘビー、北米タッグ(セントラルステーツ版)、北米ヘビー(マリタイム版、カルガリー版)、インターナショナル・タッグ(マリタイム版、カルガリー版)、ウエスタンステーツ・タッグ、マリタイム・ヘビー、マリタイム・タッグ、英連邦ヘビー(ニュージーランド版)、WWC世界ヘビー、カリビアン・ヘビー、カリビアン・タッグ、インターナショナル・ヘビー(マリタイム版)
51 11 (全) スーパーパワー・S、54 1 (国) 新春パイオニア・S *、59 7 (旧U) UWF無限大記念日、 63 7 (全) 88 サマー・アクション・S、64 1 (全) 89 新春ジャイアント・S
カナダのノーバスコシア出身で怪奇派の代表であるザ・ビーストの実弟で、本名はレオンス・コルミアー。カナダのニューブランズウィック地区のエースで世界王者時代のドリー・ファンク・ジュニアやジャック・ブリスコに挑戦し善戦している。アメリカへも遠征しトニー・マーチンのリングネームで弟のテリーとのコンビで活躍した経験も持つ。また大西洋岸ではボビー・ケイのリングネームで活躍している。

 

レオ・ロペス LEO ROPEZ 1回
●メキシコの虎 ●178センチ、100キロ
●1939年メキシコシティ
56 1 (国) 新春パイオニア・S
ルー・テーズ杯争奪戦にメキシコ代表として参加したレスラーだが、これといった特徴のないベテランレスラーであった。本国メキシコでもたいした実績はのこしていない。なぜこのような選手が来日したのかといえば、当時国際プロレスのメキシコ地区ブッカーを勤めていたカルロス・プラタと大親友だったからである。開幕前の宣伝用写真ではマスクを被った写真が使われていた。

 

レオン・バクスター LEON BAXTER
●密林王 ●178センチ、108キロ
●1938年6月4日 米・アラバマ州ドゥーサン出身
●北米ヘビー(トライステート版)、USタッグ(トライステート版、ガルフコースト版)、ガルフコースト・ヘビー、ガルフコースト・タッグ、アラバマ・ヘビー
47 7 (新) ニュー・サマー・S
ガルフコーストやアラバマなどの東南部地区で活躍していた中堅レスラー。初期の新日本プロレスにはカール・ゴッチのブッキングで、決してメインストリートと呼べない地区の無名レスラーが大挙来日した。

詳細はターザン・バクスターの項参照。

 

レジー・パークス REGGIE PARKS 2回
●鋼鉄男 ●190センチ、107キロ
●1937年 カナダ・アルバータ州エドモントン出身
●NWA世界タッグ(シスコ版)、ミッドウエスト・タッグ、ウエスタンステーツ・タッグ、インターナショナル・ヘビー(アマリロ版)
45 7 (日) 第二次ゴールデン・S、45 7(日) NWAワールド・チャンピオンS(残留)、49 5 (国) ダイナマイト・S
カナダのカルガリーを皮切りに中西部地区やAWAエリアで活躍したレスラーで、強靭な腹筋を誇り、腹の上に車を走らせると言うデモンストレーションで話題を呼んだ。来日前はまだ見ぬ強豪ということで大いに期待されたが怪力だけが売り物の木偶の坊で完全な期待外れに終わった。シリーズ終了後、大木金太郎と共に渡韓しアジア・ヘビー級選手権に挑戦しているがストレート負けを喫している。現役時代からベルト製造の副業を始め引退後はこれを本業としている。現在アメリカで使われているチャンピオンベルトはほとんどパークスが製作したものだという。(右写真提供;花園えびす様)

公式サイトはコチラ http://www.midwestwrestling.com/Beltentrance.htm

 

レジナルド・ラブ REGINALD LOVE 1回
●地獄から来た天使  ●185センチ、102キロ
●カナダ・モントリオール出身
●NWF世界タッグ、NWF・USタッグ、インターナショナル・タッグ(トロント版)
49 7 (新) サマー・ファイト・S
本名はジョン・エヴァンス。アブドーラ・ザ・ブッチャーを売り出したブルース・ウェルズをマネージャーにハートフォードとのラブ・ブラザーズとしてカナダやNWF、IWA地区で活躍したレスラーでカール・フォン・ショッツ、クルト・フォン・ヘス組とは血で血を洗う抗争を展開したライバルだったが、日本ではショッツ、ヘス組のような活躍は出来なかった。当時流行していたヒッピースタイルのコスチュームが注目を集めた。カナダではタイガー・ジェット・シンのマネージャーも務めていたようだ。

 

レス・ウォルフ LES WOLF
●ミネソタの新星 ●188センチ、125キロ
●1944年 米・ミネソタ州セントクラウド出身 ●パワースラム
●USタッグ(オクラホマ版)、テキサス・ヘビー、フロリダ・ヘビー
45 7 (国) ビッグ・サマー・S
バディ・ウォルフの前身で幻の強豪と言われて来日したが、期待外れとは行かないまでも強豪と呼ぶほどの実力者とは言えなかった。シリーズ終了後もブルー・ディモンを名乗って日本に残留した。サイン

詳細はバディ・ウォルフの項を参照の事。

 

レス・ソントン LES THORNTON 6回
●小型爆撃機 ●180センチ、105キロ
●1934年 イギリス・ランカシャー ●ペンジュラム・バックブリーカー
●北米ヘビー(カルガリー版)、インターナショナル・タッグ(カルガリー版)、アメリカス・ヘビー、ジョージア・タッグ、パシフィックノースウエスト・タッグ、英連邦ヘビー(ニュージーランド版)、NWA世界ジュニアヘビー、WCCW・TV、英連邦ミッド・ヘビー(カルガリー版)
45 11 (国) ビッグ・ウィンター・S、49 2 (新) ビッグ・ファイト・S、 55 11 (全) 世界最強タッグ決定リーグ戦、56 7 (新) サマー・ファイト・S、57 4 (新) ビッグ・ファイト・S、57 10 (新) 闘魂S
イギリス海軍出身のレスラーで除隊後はプロのラグビーチームで活躍。その後ビリー・ライレー・ジムに入門しプロレス入り。初来日時に、日本プロレスに参加していたジン・キニスキーにスカウトされてバンクーバーに遠征。以後北米大陸に定着。テキサス、ロス、カナダなどを転戦し各地のシングル・タイトルを獲得。1980年にオクラホマでついにNWA世界ジュニア・ヘビー級選手権を獲得して長期間保持。同王座は日本で初代タイガーマスクに奪われるが、その後も世界ジュニア・ヘビー級王者を名乗りつづけた問題児でもある。

 

レス・トロントン → レス・ソントンを見よ

 

レス・ロバーツ LES ROBERTS 1回
●巨獣 ●200センチ、140キロ
●1940年 オーストラリア出身
45 11 (日) インター・チャンピオン・S

「ドン・レオ・ジョナサンの再来」と呼ばれたオーストラリア出身の巨漢レスラーで、日本プロレスに来日している。来日当時アメリカではロスを主戦場にしており、来日前は雑誌で特集を組まれる事もあったようだが、結局は期待外れに終わってしまった。デトロイトやトロントではディング・ザ・サンダウナーのリングネームを名乗ったこともあるようだ。

 

レックス・ムーンドッグ → ランディ・コーレイを見よ

 

レッド・ウルフ RED WOLF 1回
●死神 ●182センチ、112キロ
●1955年 ニュージーランド出身
52 4 (全) 第5回チャンピオン・力ー二バル
本名はロス・バッキンガム。ニュージーランド出身のレスラーで体中に刺青のあった怪奇派レスラー。しかしデビュー2年目ということもあり実力の方はさっぱりで白星配給係となり0点という惨澹たる成績に終わった。しかしジャンボ鶴田とは両者リングアウトに持ち込みリーグ戦を混乱させた。

 

レッド・デビル RED DEVIL
●赤い悪魔 ●197センチ、125キロ
●1942年 カナダ・オンタリオ州ハミルトン出身 ●パイルドライバー
●南部ヘビー(ジョージア版)、セントラルステーツ・ヘビー、WWA世界タッグ(インディアナ版)、IWA世界ヘビー(オーストラリア版)
48 1 (日) 新春チャンピオン・S
ガイ・ミッチェル(=ザ・ストンパー)が正体の覆面レスラー。シングル・タイトルへの挑戦はならなかったが、ザ・スポイラーとのコンビで大木、坂口組のインター・タッグ選手権に挑戦し善戦した。

ガイ・ミッチェルの項も見よ。

 

レッド・デビル RED DEVIL
●183センチ、117キロ
●1945年2月27日 米・ペンシルバニア州フィラデルフィア出身
●モービル・ヘビー
56 2 (国) スーパー・ファイト・S
こちらのレッド・デビルはカナダのビル・ホワイトが正体の別人。3年前にはレッド・デビルス2号として来日しているが、これはおそらく日本限定のギミックだと思われる。「レッド」なのになぜかグリーンのマスクも着用していた。(右写真提供=HARU一番様)

ビル・ホワイトの項も参照の事。

 

レッド・デビルス1号 RED DEVILS #1
●178センチ、110キロ
●生年月日不明、カナダ出身? ●ショルダー・クロー
●ガルフコースト・ヘビー、南部タッグ(ガルフコースト版)、USジュニアヘビー(ジョージア版)、インターナショナル・タッグ(カルガリー版)
53 9 (国) ダイナマイト・S
おそらく国際プロレスが考え出した即席コンビであろう。1号の正体は国際プロレスの常連チン・リーだった。

チン・リーの項も見よ。

 

レッド・デビルス2号 RED DEVILS #2
●183センチ、117キロ
●1945年2月27日 米・ペンシルバニア州フィラデルフィア出身
●モービル・ヘビー
53 9 (国) ダイナマイト・S
カナダからやって気は覆面コンビだが、即席コンビの疑いが強い。タッグ・タイトル挑戦のチャンスは与えられなかった。正体は昭和56年にレッド・デビルとして来日したビル・ホワイト。

ビル・ホワイトの項も見よ。

 

レッド・バスチェン RED BASTIEN (テキサス・レッド *)6回
●赤毛の悪魔 ●183センチ、110キロ
●1931年1月27日 米・アイダホ州ボイス出身(カナダ・マニトバ州ウィニペッグ出身説もあり) ●フライングヘッドシザース、アトミックドロップ
●パシフィックノースウエスト・タッグ、パシフィックコースト・ジュニアヘビー、テキサス・ジュニアヘビー、USタッグ(ニューヨーク版)、AWA世界タッグ(インディアナ版、ミネアポリス版)、カナディアン・タッグ(バンクーバー版)、IWA世界タッグ(オーストラリア版、国際プロレス版)、フロリダ・ヘビー、テキサス・ヘビー、テキサス・タッグ、アメリカス・ヘビー、アメリカス・タッグ
43 9 (日) ダイヤモンド・S、46 9 (国) ダイナマイト・S、47 10 (国) ビッグ・ウインター・S、48 10 (国) ビッグ・ウインター・S、 50 1 (全) 新春ジャイアント・S、52 12 (全) 世界オープン・タッグ選手権大会 *
本名はローランド・バスチェン。タッグの名人と言われたレスラーで異父兄のルー・バスチェンとのコンビで旧WWWF世界タッグ、ヘラクレス・コーテッツとのコンビでAWA世界の両タッグを獲得した実績がある。初来日は日本プロレスだが、その後AWAのルートで主に国際プロレスに来日、ここでもビル・ハワードをパートナーにIWA世界タッグを獲得している。後に全日本プロレスにも参加し、身軽な空中殺法を披露した。晩年は覆面でテキサス・レッドを名乗りロスでアメリカス選手権を獲得したり、MSGで猪木の格闘技世界王座にもチャレンジしている。

 

レッド・ピンパネール RED PINPANELL
紅はこべ  190センチ、120キロ
1934年(35年説もあり)ニュージーランド・ウェリントン出身  キウィ・ロール
ニュージーランド・ヘビー、インターナショナルTVタッグ(ロス版)、フロリダ・タッグ
47 9 (新) ニュー・ゴールデン・S、 48 5 (新) ゴールデン・ファイト・S、 49 10 (新) 闘魂S第2弾
エース外人不足に泣く新日本プロのためにカール・ゴッチが招聘した覆面レスラー。正体はニュージーランドのアベ・ヤコブ(エイブ・ジェイコブス)で、猪木がゴッチから奪取した世界ヘビー選手権に挑戦を許された実力者。昭和49年の来日ではマスクを脱いで素顔で参加している。

アベ・ヤコブの項も見よ。

 

レッド・マクナッティ RED McNATTI
●183センチ、113キロ
●1936年8月25日 カナダ・アルバータ州出身(モントリオール州ケベック、オンタリオ州説もあり) ●カナディアン・バックブリーカー
●WWWF世界ヘビー、ミッドアトランティック・ヘビー、IWAインターナショナル・ヘビー(カナダ版)、南部ヘビー(フロリダ版)、フロリダ・タッグ、ジョージア・タッグ
42 9 (日) ダイヤモンド・S
イワン・コロフの前身。主戦場はカナダのブリティッシュ・コロンビア地区だったようだ。この当時は中堅のパワー・ファイターの域を出なかった。帰国後、悪徳マネージャーとして有名なトニー・アンジェロにスカウトされ、髪を剃りロシア人ギミックに変身してスターとなった。

詳細はイワン・コロフの項参照。

 

レッド・ミラー RED MILLER 4回
31 4 (日) プロレス国際試合、 31 7 (日) プロレスリング国際大試合、34 9 (日) プロレス秋の国際試合、36 8 (日) プロレス秋の国際試合
1960年代に入っても日本プロレスのリングに上がっている。おそらく在留軍人で、このときはスポット参戦。プロレス史的な業績は「猪木が初めて勝った外人」(昭和36年9月15日)ということであろう。レフェリーもやったようだ。(解説:JOE HOOKER SR氏)

 

レネ・グレイ RENE GOULET
●マットの貴公子 ●186センチ、110キロ
●1932年7月12日 カナダ・ケベック州ケベックシティ出身(フランス・ニース説もあり) ●クロー攻撃
●パシフィックノースウエスト・タッグ、南部ヘビー(フロリダ版)、WWWFタッグ、WWA世界タッグ(インディアナ版)、ジョージア・タッグ
55 11 (新) 第1回MSGタッグ・リーグ戦、56 11 (新) 第2回MSGタッグ・リーグ戦、 57 11 (新) 第3回MSGタッグ・リーグ戦
レーン・ゴルトをフランス風に呼んだもの。正式なフランス語の発音はルネ・グーレ。アンドレの作戦参謀的な役割を務めるために久々に日本に姿をあらわしたが、完全に全盛期は過ぎていてレスラーとしての活躍はほとんど出来なかった。

レーン・ゴルトの項も参照の事。

 

ザ・レモラ THE REMORA 1回
●小判鮫 ●182センチ、116キロ 
44 8 (日) 第二次サマー・S
太平洋岸で活躍していたレイ・アンソニーが正体のマスクマンでダン・ミラーのパートナーとして来日。ダン・ミラーとおそろいのマスクとコスチュームで日本陣営を撹乱した。実力的には2流だったがダン・ミラーのリードで実力以上の働きをした。しかしなぜコバンザメなのだろうか?

 

レロイ・ブラウン → クレージー・レロイ・ブラウンを見よ

 

レン・シェリー LEN SHELLY (ブラック・ロッキード *) 3回
188センチ、128キロ
生年月日不明 カナダ・マニトバ州ウィニペッグ出身
49 9 (全) ジャイアント・S、51 1 (国) 新春パイオニア・S、51 7 (国) ビッグ・サマー・S*
カナダや北西部地区で活躍したラフ・ファイターでエア・プレンスピンを得意とした。全日本プロレスにはアブドーラ・ザ・ブッチャーの推薦で来日。2度目の来日は来日中止となったキム・クロケイド(=カラテ・キッド・・・後に猪木との格闘技戦に来日)の代打としての急遽参戦であった。3度目の来日は日本限定の覆面ギミック ブラック・ロッキード。

 

レン・ロシイ LEN ROSSI 1回
173センチ、103キロ
1935年 米・テネシー州ノーランズビル出身(イタリア・ローマ出身説もあり) ドロップキック
NWA世界タッグ(ミッドアメリカ版)、南部タッグ(ミッドアメリカ版)、南部ジュニアヘビー(ミッドアメリカ版)、ミッドアメリカ・タッグ
43 4 (日) 第10回ワールドリーグ戦
本名はレン・ロシターノ。新日本プロレスに参加経験のあるジョニー・ロッシーの実父。息子も3流のダメレスラーであったが、オヤジのレン・ロシイもアメリカ南部代表として参加したワールドリーグ公式戦では全敗を喫したダメ外人であった。しかし地元テネシーでは絶大な人気を誇るヒーローで、若き日のアントニオ猪木ともタイトルをめぐって戦った実績を持つ。現在は「レン・ロッシー・ヴァイタミン」なる薬品販売会社を経営して成功している。

公式サイトはコチラ http://www.lenrossivitamins.com/Len%20Rossi.htm