来日全外国人レスラー名鑑 レ

 

レイ・アンソニー → ザ・レモラを見よ

 

レイ・キャンディ RAY CANDY (ムハマッド・カリム* 、スーパー・マリオマン**) 9回
黒い殺人戦車 195センチ、155キロ 1951年米・ジョージア州アトランタ :ダイビング・ボディプレス :インターナショナル・タッグ、ウェスタンヘビー
54 10 (全) ジャイアント・S、55 3 (全) 第8回チャンピオン・カー二バル、 55 8 (全) 第2次サマー・アクション・S、56 2 (国) スーパー・ファイト・S、59 4 (新) ビッグ・ファイト・S 第2弾 *、60 10 (新) バーニングスピリット・イン・オータム、61 10 (新) 闘魂・S **、62 4 (新) ブレイジング・チェリー・ブロッサム・ビガロ 87、63 2 (新) 88 ビッグ・ファイト・S
ジョージア出身のレスラーで大学卒業後はプロボクサーをしていたがボブ・ガイゲルにスカウトされてプロレス入り。1974年にアマリロでファンクスにコーチを受けてプロ・デビュー、翌年ボビー・ジャガースからウエスタン・ヘビー級選手権を獲得。195センチ、155キロという巨体を生かして東南部地区を転戦しトップ・レスラーとなる。日本ではアブドーラ・ザ・ブッチャーとのコンビで師匠のファンクスと抗争を繰り広げた。国際プロレスではテーズ杯争奪戦に参加し、予選通過するも国際プロレスが崩壊、以後、新日本プロレスに移籍し常連となった。サイン

 

レイ・グレーン RAY GLENN
176センチ、120キロ 米・オレゴン州ポートランド :スープレックス :インターナショナル・ヘビー(バンクーバー版)
48 10 (新) 闘魂シリーズ第2弾、48 12(新)ワールドタイトル・チャレンジS(残留)
本名ベレック・グレーンデニング。バンクーバーを主戦場としていたレスラーでカナダのバンクーバーではプロモーターも兼業していた。パンフではAの写真で宣伝されていたが、実際に来た(写真B)のは別人のように思われる。その体格(176センチより大きい)や独特のスープレックスをつかう点などから、ギレス・ポワゾンの変身だと言う説もあるが、現時点では資料不足のため断定しないで置く。来日前の評判は高くなかったが、意外な実力者振りを見せ、ファンはもちろん猪木、坂口を驚かせた。

 

レイ・ゴールデン・アポロン RAY GOLDEN APORON 2回
黒い戦車 185センチ、120キロ 1932年トリニダードトバコ(ベネズエラ説もあり) :カナディアン・バックブリーカー
43 11 (国) 第1回IWAワールド・S、47 3 (国) 第4回IWAワールド・S、47 5 (国) 第4回IWAワールド選抜S(残留)
トリニダード・トバコ出身のレスラーでヨーロッパを主戦場とした。黒人特有の頭の固さを活かしたヘッドバットはもちろん本格的なテクニックも身に付けており、第1回IWAワールド・シリーズのリーグ戦では好成績を上げたが、2度目の来日時はやや峠を越した感があり、ファンの期待を裏切った。国際プロレスに留学していた黒潮太郎(テリー・ハーバート)の師匠でもある。

 

レイ・コブラ RAY COBRA 1回
吸血コブラ 179センチ、92キロ メキシコ : メキシコ州ヘビー
62 1 (新) ニューイヤー・ダッシュ 87
新日本プロレスに一度だけ来日したマスクマンで、メキシコでもローカルサーキットしていたというC級レスラーだが、親友のブラック・キャットの計らいで来日。しかし実力不足はいかんともし難く、連戦連敗。二度と来日することはなかった。

 

レイ・スチーブンス RAY STEVENS 3回
金髪の悪魔 183センチ、112キロ 1934年米・ニューヨーク州ブルックリン :アトミックボムズ・アウェイ :USヘビー(シスコ版)、AWA世界タッグ
43 7 (日) 第一次サマー・S、49 11 (国) 【特】ワールド・チャンピオン・S、51 1 (全) 【特】新春ジャイアント・S
ジャッキー・ファーゴの実弟で、レスラー時代のロイ・シャイアのスカウトされてプロレス入り。レイモンド・シャイアを名乗りシャイアとのタッグで売り出した後はシングル・プレーヤーに転向。長くサンフランシスコでUS選手権を保持しシスコの帝王と呼ばれ、カウ・パレスで遠征してきたWWWF世界王者当時のブルーノ・サンマルチノと迎え撃ちリングアウト勝ちを収めた試合は語り種となっている。間違いなく超一流のレスラーだったが日本ではパットした人気が出なかった。カー・レーサーとしても有名で、国際A級ライセンスも持っていた。1996年に心臓発作のため死亡。

 

レイ・スチール RAY STEEL 2回
蛇の穴の帝王 188センチ、102キロ 1938年イギリス・ヨークシャー州リーズ :英国ヘビー
53 4 (新) 第1回MSGシリーズ、60 4 (旧U) フロンティア・ロード
欧州系のレスラーで、第28代NWA世界ヘビー級選手権者と同名だが当然赤の他人である。イギリスのジョイントプロがエンタープライズ派に対抗するための切り札として売り出した選手であったが、日本のスタイルにはまったく肌が合わず、MSGシリーズは予選で敗退している。当時すでに40歳であった。

 

レイ・バーンズ RAY BURNS 1回
187センチ、112キロ 1934年米・ニューメキシコ州
42 8(日) 第2次サマー・S
サーカスのカーニバル・レスラーから1965年にプロレス入り。タンク・モーガンのパートナーとして東部地区で名をあげた男だが、来日時は精彩を欠きタッグマッチなどでも狙い撃ちにあった。ドイツ系アメリカ人で、アメリカではスキンヘッドにカイゼルひげと言う典型的なナチギミックでヒール人気を集めたが、来日時は髭をそり毛も生やしていた。

 

レイ・ハンター RAY HUNTER 1回
195センチ、115キロ 1926年オーストラリア :オーストラリア・ヘビー、英連邦タッグ
43 9 (国) ダイナマイト・S、43 11 (国) 第1回IWAワールド・S(残留)
オーストラリア出身だが、ヨーロッパも歴戦。来日当時はアル・ヘイズとのコンビで英連邦タッグ選手権を保持していただけあってタッグはなかなか上手かった。ダイナマイト・シリーズ終了後も残留しIWAワールド・シリーズに参加したが全敗で失格、シングル・プレイヤーとしての実力は今一つであった。大変な資産家の御曹司でプロレスは完全に趣味であり、勝負へのこだわりは薄かったと言われている。

 

レイ・メンドーサ RAY MENDOZA 1回
メキシコの鉄人 170センチ、94キロ 1933年メキシコシティ :エルボースマッシュ :NWA世界ライトヘビー、同世界ミドル、UNヘビー、アメリカス・タッグ、UWA世界ライトヘビー
46 3 (日) 第13回ワールドリーグ戦
13年間無敗という記録を持ち、「メキシコの鉄人」と言われNWA世界ライトへビー級王座を長期保持したメキシコの強豪。ロサンゼルスに進出してからはUN王座も獲得した。シリーズの目玉として第13回ワールドリーグに参加するも、開幕戦で星野勘太郎にリングアウト負け、リーグ戦も散々な成績に終わった。。階級制の浸透していなかった当時の日本では無理も無かったが・・・。一説にはスペイン語が通じないストレスが不調の原因といわれている。晩年に藤波のWWWFジュニア選手権に挑戦してベテランらしい試合運びを見せた。ロス・ビジャノスの父親でもある。サイン

 

レイモンド・ルージョー RAYMOND ROUGEAU 1回
カナダの新星 180センチ、102キロ 1955年カナダ・モントリオール :USジュニアヘビー(テネシー版)
50 8 (新) 闘魂S
カナダのモントリオール地区のプロモーター兼スター選手だったジャック・ルージョーの息子で、日本へもジャックと共に来日して息の合ったコンビネーションを見せた。帰国後は中西部地区などにも遠征し人気を獲得した。ジュニア・ヘビー級のレスラーとして藤波に挑戦させれば面白かったと思うが・・・。

 

レーン・ゴルト RENE GOULET (レネ・グレイ*) 5回
マットの貴公子 186センチ、110キロ 1943年フランス・ニース :クロー攻撃 :WWWF世界タッグ、WWA世界タッグ(シカゴ版)、欧州ジュニアヘビー
47 6 (国) ビッグ・サマー・S、49 5 (国) ダイナマイト・S、 55 11 (新) 第1回MSGタッグ・リーグ戦*、 56 11 (新) 第2回MSGタッグ・リーグ戦*、57 11 (新) 第3回MSGタッグ・リーグ戦*
大学時代はギャンブラーをしており、この時に女優のブリジッド・バルドーに見込まれて映画界にスカウトされたが、これを蹴ってヘンリー・デグレーンの勧めでプロレス入り。デビューから数年はアンドレ・ボレーとのコンビでヨーロッパで活躍したが、1960年代後半に渡米。タッグの名人でWWWF世界タッグをカール・ゴッチと獲得したこともある。全盛期には国際プロレスに何度か来日したが、その名を知らしめたのは晩年にアンドレのパートナーとしてレネ・グレイの名で来日した時であろう。現在はWWFの幹部。本名はロベルト・ベダー。

 

レーン・ホール RENE HALL 1回
26 9 国連軍 朝鮮国連軍慰問プロレス大会
昭和26年9月30日、記念すべき「昭和プロレス第一戦」のメインを勤め、アンドレ・アドレーを降した。主に戦前は米本土で、戦中、戦後はハワイ、オセアニアで活躍。どんな体勢からもリストが取れるシューターで、戦後の混乱期、ミネアポリスでNWA世界ヘビー級王者になったこともある(別バージョンというか偽者)。圧巻なのはテーズのマネージャー、エド・ストラングラー・ルイスにテーズとのシュートマッチを申し込んだことだ。(解説:JOE HOOKER SR氏)

 

レオ・ノメリーニ LEO NOMELLINI 1回
タックル王 192センチ、121キロ イタリア :フライング・タックル :世界タッグ(太平洋岸版)、AWA世界タッグ
35 4 (日) 第2回ワールドリーグ戦
プロレス入り前はサンフランシスコ・フォーティーナイナーズで活躍してフットボールの名プレイヤーであったが、大学の先輩だったバーン・ガニアにスカウトされてプロレス入り。サンフランシスコ地区をホームリングとし、1955年にルー・テーズの連勝記録をストップさせた事でプロレス史上に名を残した。日本へは一度だけしか来日していないが前評判通りの実力を発揮しワールドリーグ戦の決勝に進出している。シリーズ中に行われたサニー・マイヤースとの試合は名勝負として語り継がれている。日本では必殺技のフライングタックルで、吉村を場外まで吹っ飛ばした。

 

レオ・バーク LEO BURKE ( ジ・アトミック *) 5回
カナダの若獅子 181センチ、107キロ 1948年カナダ・ノバスコシア :北米ヘビー(カルガリー版)
51 11 (全) スーパーパワー・S、54 1 (国) 新春パイオニア・S *、59 7 (旧U) UWF無限大記念日、 63 7 (全) 88 サマー・アクション・S、64 1 (全) 89 新春ジャイアント・S
カナダのノーバスコシア出身で怪奇派の代表であるザ・ビーストの実弟で、本名はレオンス・コルミアー。カナダのニューブランズウィック地区のエースで世界王者時代のドリー・ファンク・ジュニアやジャック・ブリスコに挑戦し善戦している。アメリカへも遠征しトニー・マーチンのリングネームで弟のテリーとのコンビで活躍した経験も持つ。また大西洋岸ではボビー・ケイのリングネームで活躍している。

 

レオ・ロペス LEO ROPEZ 1回
メキシコの虎 178センチ、100キロ 1939年メキシコシティ
56 1 (国) 新春パイオニア・S
ルー・テーズ杯争奪戦にメキシコ代表として参加したレスラーだが、これといった特徴のないベテランレスラーであった。本国メキシコでもたいした実績はのこしていない。なぜこのような選手が来日したのかといえば、当時国際プロレスのメキシコ地区ブッカーを勤めていたカルロス・プラタと大親友だったからである。開幕前の宣伝用写真ではマスクを被った写真が使われていた。

 

レオン・バクスター LEON BAXTER
密林王 178センチ、108キロ 米・フロリダ州
47 7 (新) ニュー・サマー・S
ジョージアなどの東南部地区で活躍していた中堅レスラー。

詳細はターザン・バクスターの項参照。

 

レジー・パークス REGGIE PARKS 2回
鋼鉄男 190センチ、107キロ 1937年オーストラリア・メルボルン :カナダ・ヘビー
45 7 (日) 第二次ゴールデン・S、45 7(日) NWAワールド・チャンピオンS(残留)、49 5 (国) ダイナマイト・S
カナダのカルガリーを皮切りに中西部地区やAWAエリアで活躍したレスラーで、強靭な腹筋を誇り、腹の上に車を走らせると言うデモンストレーションで話題を呼んだ。来日前はまだ見ぬ強豪ということで大いに期待されたが怪力だけが売り物の木偶の坊で完全な期待外れに終わった。シリーズ終了後、大木金太郎と共に渡韓しアジア・ヘビー級選手権に挑戦しているがストレート負けを喫している。現役時代からベルト製造の副業を始め引退後はこれを本業としている。現在アメリカで使われているチャンピオンベルトはほとんどパークスが製作したものだという。

 

レジナルド・ラブ REGINALD LOVE 1回
地獄から来た天使 185センチ、102キロ カナダ・モントリオール :NWF世界タッグ
49 7 (新) サマー・ファイト・S
アブドーラ・ザ・ブッチャーを売り出したブルース・ウェルズをマネージャーにハートフォードとのラブ・ブラザーズとしてカナダやNWF、IWA地区で活躍したレスラーでカール・フォン・ショッツ、クルト・フォン・ヘス組とは血で血を洗う抗争を展開したライバルだったが、日本ではショッツ、ヘス組のような活躍は出来なかった。当時流行していたヒッピースタイルのコスチュームが注目を集めた。カナダではタイガー・ジェット・シンのマネージャーも務めていたようだ。

 

レス・ウォルフ LES WOLF
ミネソタの新星 188センチ、125キロ 1944年米・ミネソタ州 :ネックブリーカー・ドロップ :ノースカロライナ・タッグ、フロリダ・ヘビー
45 7 (国) ビッグ・サマー・S
バディ・ウォルフの前身で幻の強豪と言われて来日したが、期待外れとは行かないまでも強豪と呼ぶほどの実力者とは言えなかった。シリーズ終了後もブルー・ディモンを名乗って日本に残留した。サイン

詳細はバディ・ウォルフの項を参照の事。

 

レス・ソントン LES THORNTON 6回 
小型爆撃機 180センチ、105キロ 1934年イギリス・ランカシャー :ペンジュラム・バックブリーカー :NWA世界ジュニアヘビー、アメリカス・ヘビー、テキサス・ヘビー
45 11 (国) ビッグ・ウィンター・S、49 2 (新) ビッグ・ファイト・S、 55 11 (全) 世界最強タッグ決定リーグ戦、56 7 (新) サマー・ファイト・S、57 4 (新) ビッグ・ファイト・S、57 10 (新) 闘魂S
イギリス海軍出身のレスラーで除隊後はプロのラグビーチームで活躍。その後ビリー・ライレー・ジムに入門しプロレス入り。初来日時に、日本プロレスに参加していたジン・キニスキーにスカウトされてバンクーバーに遠征。以後北米大陸に定着。テキサス、ロス、カナダなどを転戦し各地のシングル・タイトルを獲得。1980年にオクラホマでついにNWA世界ジュニア・ヘビー級選手権を獲得して長期間保持。同王座は日本で初代タイガーマスクに奪われるが、その後も世界ジュニア・ヘビー級王者を名乗りつづけた問題児でもある。得意技はワンハンド・バックブリーカー。

 

レス・トロントン → レス・ソントンを見よ

 

レス・ロバーツ LES ROBERTS 1回
巨獣 200センチ、140キロ 1940年オーストラリア
45 11 (日) インター・チャンピオン・S

「ドン・レオ・ジョナサンの再来」と呼ばれたオーストラリア出身の巨漢レスラーで、日本プロレスに来日している。アメリカではロスを主戦場にしており、来日前は雑誌で特集を組まれる事もあったようだが、結局は期待外れに終わってしまった。

 

レックス・ムーンドッグ → ランディ・コーレイを見よ

 

レッド・ウルフ RED WOLF 1回
死神 182センチ、112キロ 1955年ニュージーランド
52 4 (全) 第5回チャンピオン・力ー二バル
ニュージーランド出身のレスラーで体中に刺青のあった怪奇派レスラー。しかしデビュー2年目ということもあり実力の方はさっぱりで白星配給係となり0点という惨澹たる成績に終わったが、ジャンボ鶴田とは両者リングアウトに持ち込み足を引っ張った。本名はロス・バッキンガム。

 

レッド・デビル RED DEVIL
赤い悪魔 197センチ、125キロ カナダ・オンタリオ :セントラルステーツ・ヘビー
48 1 (日) 新春チャンピオン・S
ガイ・ミッチェル(=ザ・ストンパー)が正体の覆面レスラー。シングル・タイトルへの挑戦はならなかったが、ザ・スポイラーとのコンビで大木、坂口組のインター・タッグ選手権に挑戦し善戦した。

ガイ・ミッチェルの項も見よ。

 

レッド・デビル RED DEVIL
183センチ、117キロ 1942年米・フロリダ州タンパ
56 2 (国) スーパー・ファイト・S
こちらのレッド・デビルはカナダのビル・ホワイトが正体の別人。3年前にはレッド・デビルス2号として来日しているが、これはおそらく日本限定のギミックだと思われる。「レッド」なのになぜかグリーンのマスクも着用していた。

ビル・ホワイトの項も参照の事。

 

レッド・デビルス1号 RED DEVILS #1
178センチ、110キロ 生年月日出身地不明
53 9 (国) ダイナマイト・S
おそらく国際プロレスが考え出した即席コンビであろう。1号の正体は国際プロレスの常連チン・リーだった。

チン・リーの項も見よ。

 

レッド・デビルス2号 RED DEVILS #2
183センチ、117キロ 1942年米・フロリダ州タンパ
53 9 (国) ダイナマイト・S
カナダからやって気は覆面コンビだが、即席コンビの疑いが強い。タッグ・タイトル挑戦のチャンスは与えられなかった。正体は昭和56年にレッド・デビルとして来日したビル・ホワイト。

ビル・ホワイトの項も見よ。

 

レッド・バスチェン RED BASTEIN (テキサス・レッド *)6回
赤毛の悪魔 183センチ、110キロ 1933年カナダ・ウィニペグ :フライングヘッドシザース、アトミックドロップ :WWWF世界タッグ、AWA世界タッグ、IWA世界タッグ、アメリカス・ヘビー
43 9 (日) ダイヤモンド・S、46 9 (国) ダイナマイト・S、47 10 (国) ビッグ・ウインター・S、48 10 (国) ビッグ・ウインター・S、 50 1 (全) 新春ジャイアント・S、52 12 (全) 世界オープン・タッグ選手権大会 *
タッグの名人と言われたレスラーで異父兄のルー・バスチェンとのコンビで旧WWWF世界タッグ、ヘラクレス・コーテッツとのコンビでAWA世界の両タッグを獲得した実績がある。初来日は日本プロレスだが、その後AWAのルートで主に国際プロレスに来日、ここでもビル・ハワードをパートナーにIWA世界タッグを獲得している。後に全日本プロレスにも参加し、身軽な空中殺法を披露した。晩年は覆面でテキサス・レッドを名乗りロスでアメリカス選手権を獲得したり、MSGで猪木の格闘技世界王座にもチャレンジしている。本名はローランド・バスチェン。

 

レッド・ピンパネール RED PINPANELL
紅はこべ 190センチ、120キロ 1934年ニュージーランド・ウェリントン :キウィ・ロール :ニュージーランド・ヘビー
47 9 (新) ニュー・ゴールデン・S、 48 5 (新) ゴールデン・ファイト・S、 49 10 (新) 闘魂S第2弾
エース外人不足に泣く新日本プロのためにカール・ゴッチが招聘した覆面レスラー。正体はニュージーランドのアベ・ヤコブ(エイブ・ジェイコブス)で、猪木がゴッチから奪取した世界ヘビー選手権に挑戦を許された実力者。昭和49年の来日ではマスクを脱いで素顔で参加している。

アベ・ヤコブの項も見よ。

 

レッド・マクナッティ RED McNATTI
183センチ 113キロ 1936年カナダ・アルバータ州 :PNWヘビー
42 9 (日) ダイヤモンド・S
イワン・コロフの前身。主戦場はカナダのブリティッシュ・コロンビア地区だったようだ。この当時は中堅のパワー・ファイターの域を出なかった。帰国後、悪徳マネージャーとして有名なトニー・アンジェロにスカウトされ、髪を剃りロシア人ギミックに変身してスターとなった。

詳細はイワン・コロフの項参照。

 

レッド・ミラー RED MILLER 4回
31 4 (日) プロレス国際試合、 31 7 (日) プロレスリング国際大試合、34 9 (日) プロレス秋の国際試合、36 8 (日) プロレス秋の国際試合
1960年代に入っても日本プロレスのリングに上がっている。おそらく在留軍人で、このときはスポット参戦。プロレス史的な業績は「猪木が初めて勝った外人」(昭和36年9月15日)ということであろう。レフェリーもやったようだ。(解説:JOE HOOKER SR氏)

 

レネ・グレイ RENE GOULET
マットの貴公子 186センチ、110キロ 1943年フランス・ニース : WWWF世界タッグ、WWA世界タッグ(シカゴ版)、欧州ジュニアヘビー
55 11 (新) 第1回MSGタッグ・リーグ戦、56 11 (新) 第2回MSGタッグ・リーグ戦、 57 11 (新) 第3回MSGタッグ・リーグ戦
レーン・ゴルトをフランス風に呼んだもの。正式なフランス語の発音はルネ・グーレ。アンドレの作戦参謀的な役割を務めるために久々に日本に姿をあらわしたが、完全に全盛期は過ぎていてレスラーとしての活躍はほとんど出来なかった。

レーン・ゴルトの項も参照の事。

 

ザ・レモラ THE REMORA 1回
小判鮫 182センチ、116キロ 
44 8 (日) 第二次サマー・S
太平洋岸で活躍していたレイ・アンソニーが正体のマスクマンでダン・ミラーのパートナーとして来日。ダン・ミラーとおそろいのマスクとコスチュームで日本陣営を撹乱した。実力的には2流だったがダン・ミラーのリードで実力以上の働きをした。しかしなぜコバンザメなのだろうか?

 

レロイ・ブラウン → クレージー・レロイ・ブラウンを見よ

 

レン・シェリー LEN SHELLY (ブラック・ロッキード *) 3回
185センチ、112キロ 生年月日不明 カナダ・マニトバ州ウィニペッグ
49 9 (全) ジャイアント・S、51 1 (国) 新春パイオニア・S、51 7 (国) ビッグ・サマー・S*
カナダや北西部地区で活躍したラフ・ファイターでエア・プレンスピンを得意とした。全日本プロレスにはアブドーラ・ザ・ブッチャーの推薦で来日。2度目の来日は来日中止となったキム・クロケイド(=カラテ・キッド・・・後に猪木との格闘技戦に来日)の代打としての急遽参戦であった。3度目の来日は日本限定の覆面ギミック ブラック・ロッキード。

 

レン・ロシイ LEN ROSSI 1回
173センチ、103キロ 1935年イタリア・ローマ(米・テネシー州説もあり) :ドロップキック :テネシー・タッグ、南部ヘビー(テネシー版)
43 4 (日) 第10回ワールドリーグ戦
新日本プロレスに参加経験のあるジョニー・ロッシーの実父。息子も3流のダメレスラーであったが、オヤジのレン・ロシイもアメリカ南部代表として参加したワールドリーグ公式戦では全敗を喫したダメ外人であった。しかし地元テネシーでは絶大な人気を誇るヒーローで、若き日のアントニオ猪木ともタイトルをめぐって戦った実績を持つ。