来日外国人レフェリー名鑑

 

 

アントニオ・ロッカ ANTONIO ROCCA
無冠の帝王 179センチ、102キロ イタリア・ジェノバ : インターナショナルヘビー、インターナショナル・タッグ(共にNY地区)

1950〜1960年代にかけて「ニューヨークの帝王」の名を欲しいままにした伝説のレスラーで、日本へは昭和50年に猪木とテーズのNWF世界戦を裁く為に来日し、ようやくその姿を日本のファンの前にあらわした。帰国後ロス地区で一時現役復帰しているので、若手を相手にエキジビション試合をやって欲しかった。プロレスに立体殺法を導入した点でも重要な人物。世紀の大レスラーも私生活では謎が多く、晩年は「UFOが迎えに来た」と口走るなどの奇行が目立ち、病院で亡くなった時には体が半分にしぼんでいたという。

 

アンドレ・アドレー ANDRE ADRET
43 5(国)ワールド選抜シリーズ
日本初のプロレス興行に参加したフランス出身の古豪レスラー。レスラーとしても2度来日している。昭和43年の「ワールド選抜シリーズ」には国際プロレスにレフェリーとして参加し、懐かしい姿を見せた。

 

ウォーリー堤 WALLY TSUTSUMI 
ハワイで活躍した日系人レフェリーで、全日本プロレスの旗揚げシリーズに参加。これに先立ってホノルルで行われたジャイアント馬場VSザ・シーク戦も裁いていた。ロード・ブレアースからの派遣。インタビューで来日できたことを非常に感謝していたのが印象的。

 

金震植 GIM JINSIK
昭和53年2月の三団体対抗戦に韓国側として来日したレフェリー。大阪でラッシャー木村VSジャンボ鶴田という大一番を裁いたがエキサイトした木村に突き飛ばされてしまった。キビキビしたレフェリングで好評だった。

 

ケン・ハーバー KEN HERBER 
全日本プロレスの昭和48年「第1回チャンピオンカーニバル」に来日したレフェリーで、アメリカではアマリロで活躍。ファンク兄弟のおじにあたる。

 

コシキ・ジーン CORSIKA JIN
カール・ゴッチの推薦で昭和49年に来日し猪木VS小林の第二戦のレフェリーを務めた。試合早々小林の足がロープにかかっているのに気付かず、カウント・スリーを入れてしまうポカをやらかし、ファンを大いに興奮させた。来日当時はフロリダでレフェリーをしていたようだ。現役時代はテキサスやシカゴで活躍し、コルシカ・ジーンとして紹介されていた。コルシカ・ジョーとは別人。

 

ジェリー・マードック GERRY MURDOCH
WWA時代からロサンゼルスで活躍していたレフェリーで日本へは昭和47年頃に日本プロレスに来日。そのまま残留してシリーズに参加し、吉村道明の引退試合も裁いている。日本プロ崩壊後は全日本プロレスに移籍。昭和50年頃までサブ・レフェリーとしてマットに上がっていた。ディック・マードックの叔父。

 

ジミー・タナカ JIMMY TANAKA 
デューク・ケオムカの長男で、フロリダではエディ・グラハムの右腕として活躍していた人物。昭和50年の全日本プロレス「サマー・アクション・シリーズ」に来日し、軽快なレフェリングを披露した。

 

ジャック・クレイボーン → レスラー名鑑を見よ

 

ジン・ラーベル → レスラー名鑑を見よ

 

ダニー・プレッチェス → レスラー名鑑を見よ

 

ダニー・ホッジ → レスラー名鑑を見よ

 

ハル佐々木 HUL SASAKI
オレゴン、ワシントンを中心とする北部太平洋岸地区で活躍したレスラーで、日本へは第2回チャンピオン・カーニバルにレフェリーとして参加した。シリーズ中に勃発したデストロイヤーとブッチャーの抗争を裁いたが、乱闘に巻き込まれる事もしばしばあった。

 

ハロルド登喜 HAROLD TOKI 
29 2 (日) プロレス国際試合
こちらもハロルド坂田と同じく、ハワイ出身の日系人レスラー。1940年にボクシングの全オワフ島フェザー級チャンピオンを獲得、翌1941年にプロに転向。1944年からはプロレスに転向。レスラーとしての足跡は日本では残せてはいないが、力道山と木村政彦の「昭和の巌流島の闘い」を裁いたレフェリーとして日本プロレス史上に名を残している。後にリキ・ボクシングジムのトレーナをを務めたが、力道山と喧嘩別れしている。

 

ビル・パターソン BILL PATERSON
昭和42年の国際プロレス「パイオニア・サマー・シリーズ」に登場したレフェリー。しかしながら経歴など詳細は不明。おそらくヒロ・マツダのルートでの来日。つまりフロリダで活躍したレフェリーではないかと思われる。

 

ボブ・ボックウィンクル BOB BOCKWINKEL
AWA世界王座に長く君臨したニック・ボックウィンクルの実弟で、ロサンゼルス地区で活躍したレフェリー。藤波のWWWFジュニア・ヘビー級選手権試合を何度も裁いており日本でも知名度はあった。日本へは昭和59年の旧UWF旗揚げシリーズに参加している。

 

マックス・チェン  MAX CHAN
新日本プロレスの旗揚げシリーズに登場したレフェリー。写真から判断するにアジア系にはまちがいないのだが、詳細は不明。

 

ミスター・ヘンリー  MR.HENRY
新日本プロレスのニュー・ダイヤモンド・シリーズにパンフに登場しているレフェリー。詳細は全く不明。

 

ラシッド・アンワール RASID ANWARL 
昭和30年11月に行われたアジア選手権に来日したインド系レフェリー。シンガポールあたりで活躍していたレフェリーのようで、リーグ戦のメインレフェリーを務めた。反則を犯すレスラーの耳元でホイッスルをふくというコミカルなスタイルで人気を呼ぶ。これは後に阿部脩が模倣した。ほかにも反則を犯すレスラーの耳を掴んで引き剥がしたり、ドロップキックを食らわせるなど、なかなかショーマンシップの豊かなレフェリーだったようである。

 

リチャード・ムーディ  RICHARD MOODY
当時のNWAのメイン・テリトリーであったセントラル・ステート地区から来日したレフェリーで、ハリー・レイスとは犬猿の仲であったという。日本へは全日本プロレスのジャイアントシリーズ集結戦に参加するため来日している。

 

ルー・テーズ → レスラー名鑑を見よ

 

レッドシューズ・ドゥーガン REDSHOES DUGAN
オハイオ州クリーブランド

ロス地区の名物レフェリーで、最も多く来日した外人レフェリーでもあり、初来日は昭和47年の第14回ワールドリーグ戦。その後、新日本プロに何度も来日を果たし猪木VSロビンソンの世紀の対決など多くの名勝負を裁いた。元警官だけあり厳粛なレフェリングが好評だったが、力道山VSブラッシーのWWA世界戦のような不透明な采配も行なっている。ライトヘビー級のレスラーとして活躍したこともあった。2001年パーキンソン病のため逝去。本名はレイ・ギデアム。

 

ユセフ・トルコ USEF TURKO
現役時代はコミカルなファイトで人気をあつめたが、レフェリーに転向後はキビキビしたフェレリングで好評を博した。特にギブアップを確認する時のアクションは筆者のお気に入り。猪木の新日本プロ旗揚げに参加し2年ほどレフェリーと務めるが一度は袂を分かつ。昭和58年頃から新日本プロに再登場するもまたまた喧嘩別れ、猪木へのウラミを綴った暴露本を刊行し話題となったが、現在は猪木擁護派。