来日全外国人レスラー名鑑 リ
| リー・シャロン LEE SHARON 1回 | |
| 43 2 (国) 日欧決戦 | |
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国際プロレスの欧州路線第一弾として来日したレスラー。突然の来日だったため、観光ビザで入国。これでは試合に出場できないので香港で役務ビザに書き換えて再来日し試合に出場した。 |
| リー・ヘニング LEE HENNING 1回 | ||
| 38 9 (日) 秋の国際試合 | ||
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来日当時すでにかなりの老齢で、それを隠すために覆面をしたという。アメリカではブッチャーボーイ、ブルドッグ・ヘニングなどとも名乗った。1970年代前半まで、覆面を被り老体に鞭打ってリングに上がりつづけたが、デトロイト地区でファイトを終えた後、心臓発作で死亡したという、非業のレスラー。 | |
| リスマルク LIZMARK 1回 アカプルコの青い翼 171センチ、87キロ 1949年メキシコ・ゲレーロ州アカプルコ :NWA世界ライトヘビー、同ミドル、同ウェルター |
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| 59 1 (全) 新春ジャイアント・S | |
| 「アカプルコの青い翼」と言うニックネームで日本にも早くから紹介され、来日が期待されていたルチャドールで、ナショナル、NWA世界選手権のウェルター級、ミドル級、ライトヘビ級の3階級制覇を成し遂げた実力者であった。来日時もシングル、タッグで無敗、新春恒例のバトルロイヤルでも優勝するなどの活躍を見せたが、いかんせん小型であったため再来日は果たせず。 | |
| リチャード・チャーランド RICHARD CHARLAND (ザ・テンペスト
*) 2回 184センチ、116キロ 1949年カナダ・ケベック州モントリオール |
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| 51 9(国) ビッグ・ゴールデン・S*、 59 8 (旧U) ビクトリー・ウイークス | |
| 国際プロレスに覆面を被りザ・テンペストを名乗って来日したレスラーで、カナダ・ケベック地区を中心にサーキットしていた3流レスラー。主戦地区はモントリオールで、旧UWFはここで活躍していたレトロ&C級レスラーを大挙して来日させた。昭和昭和51年10月の「勇猛シリーズ」には素顔のディック・チャーランドで残留参加が発表されていたが、なぜかキャンセルし帰国している。平成2年には全日本プロレスにリチャード・シャラン名義で登場している。 | |
| リッキー・ギブソン RICKEY GIBSON 1回 南部の若獅子 178センチ、100キロ 1951年米・フロリダ州ペンサコーラ :ミサイルキック :セントラルステーツ・ヘビー、南部タッグ |
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| 50 7 (全) サマー・アクション・S | |
| フロリダ出身のレスラーで、ガルフ・コースト地区でデビュー。昭和50年の来日ではジャンボ鶴田を相手にトップロープ最上段からのミサイル・キックを日本で初公開して話題を呼んだ。中西部を主戦場とし、セントラルステール選手権も獲得。弟のロバート・ギブソンがデビューしてからはギブソン兄弟で売り出すが、タイトルに恵まれず解散。再びシングル・プレイヤーとなりフロリダ・ジュニア・ヘビー級などを獲得している。 | |
| リッキー・スティンボート RICKY STEAMBOAT 7回 南海の黒豹 180センチ、110キロ 1953年米・ハワイ州ホノルル :ダイビング・ボディアタック :NWA世界ヘビー、インターコンチネンタル・ヘビー、ミッドアトランティック・ヘビー |
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| 55 11 (全) 世界最強タッグ決定リーグ戦、56 5 (全) スーパー・パワー・S、56 8 (全) スーパー・アイドル・S、 57 5 (全) エキサイト・S、57 11 (全) 82世界最強タッグ決定リーグ戦、 59 2 (全) エキサイト・S、59 10 (全)【特】 ジャイアント・S | ||
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ハワイ出身で、イギリス人の父と日本人に母の間に生まれた。バーン・ガニアのレスリング・キャンプに参加してプロレス入り。サム・スティムボートの甥と言う触れ込みでミネアポリスでデビュー。同地区では芽がでなかったが、大西洋岸地区に転戦してからが、ジミー・スヌーカやリック・フレアーとの抗争で人気爆発。平成に入ってからはNWA世界、WWFインターコンチネンタル選手権を獲得するなどタイトルには恵まれているが、プロレス通の間での評価は極めて低い。現在はジムを経営している。本名リチャード・ブラッド。 サイン | |
| リッキー・トンプソン RICKY THOMPSION 1回 | |
| 53 1 (国) 新春パイオニア・S | |
| おそらくこのレスラーが来日していた事など普通のファンは誰も覚えていないだろう。経歴など詳しい資料はないが、当時の国際プロレスのブッキングルートから判断するに、カナダか中西部地区でファイトしていた新人レスラーであろう。 | |
| リッキー・ハンター RICKY HUNTER 4回 氷上鬼 190センチ、110キロ 1936カナダ・マニトバ州ウィニペッグ :ニードロップ :フロリダ・ヘビー |
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| 43 1 (日) 新春チャンピオン・S、 46 1 (日) 新春チャンピオン・S、50 10 (新) 闘魂S第2弾、51 10 (新) 闘魂S第2弾 | ||
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少年時代からアイスホッケーの名選手として鳴らしたため「氷上鬼」のニックネームがある。一見ラフ・ファイターに見えるが、なかなかのテクニシャンでスープレックスなども器用にこなした。猪木のブラジル遠征の対戦相手を勤めた事もある。昭和51年の来日時にはプライベートでウイリエム・ルスカともめて血祭りにあげられたそうだ。フロリダではマスクを被ってグラディエーターを名乗ったこともある。引退後はパット・パターソンの口利きでWWFのTVスタッフとなる。 | |
| リッキー・フィールド RICKY FIELD 1回 テネシーの喧嘩狂 182センチ、118キロ 1955年米・テネシー州 : ガルフコースト・ヘビー |
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| 52 1 (国) 新春パイオニア・S | |
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高校時代はフットボールで活躍。卒業後ニック・グラスにスカウトされてプロレス入り。アラバマでは一緒に来日したエディ・サリバンとの抗争で名をあげたが、来日時の格の差はいかんともしがたく、中堅レスラーとしての扱いを受けた。 |
| リッキー・マーテル RICKY MARTEL 185センチ、107キロ 1956年カナダ・ケベック州ケベックシティ |
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| 51 10 (国) 勇猛シリーズ | |
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後のリック・マーテルの新人時代。当時は日本ではほとんど無名であったが、実兄のマイク・マーテルのプッシュもあってか、IWA世界ミッドヘビー選手権に挑戦している。当時はまだポピュラーではなかったウラカンラナを披露している。 リック・マーテルの項参照。 |
| リッキー・ロメロ
RICKY ROMERO (メヒコ・グランデ*)
4回 弾丸野郎 176センチ、106キロ 1943年米・テキサス州サンアントニオ :ドロップキック :WWA世界タッグ(ロス版) |
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| 42 9 (日) ダイヤモンド・S 、48 1 (全) 新春ジャイアント・S *、49 10 (全) ジャイアント・S第2弾*、 52 6 (全)【特】NWAチャンピオン・S* | |
| ヤングブラッド3兄弟の父親で、アマリロ地区ではメキシコ系のファンに絶大なる人気を誇った。アマリロに定着する前にはロスに登場しペドロ・モラレスとのコンビでWWA世界タッグを獲得している。素顔では一度しか来日していないが、来日前の評判に比べるとやや期待外れに終わった。引退後もファンク一家のブレーンとしてアマリロ地区のプロレスを支えた。 | |
| リッキー・ワルドー
RICKY WALDO
4回 黒い野牛 178センチ、109キロ 1930年米・バージニア州ノーフォーク :アジア・タッグ |
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| 35 7 (日)プロレス夏の国際試合 、35 8 (日)プロレス秋の国際試合 (残留)、36 12 (日) プロレス冬の国際試合、37 2 (日)プロレス春の国際試合、37 5 (日) プロレス選抜戦、37 7 (日) 夏のプロレス国際試合(残留) | |
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アメリカ、ヨーロッパ、東南アジアを渡り歩いた旅烏で日本へは単身で来日、力道山のジムに単身姿をあらわし、自ら売り込み日本のリングに登場。ジムに姿を表わした時にはガリガリにやせていたというが、トレーニングを積み見事な体にビルド・アップした。当時ブームだったダッコちゃんとイメージがダブったか人気爆発。3度目の来日ではいとこのルター・レンジを帯同、力道山、豊登組からアジア・タッグ選手権を強奪し、ファンが暴動を起こした事件は語り種となっている。 |
| リック・オリバー
RIC OLIVER (ゲシュタポ
*) 6回 残虐戦士 184センチ、115キロ 1952年10月6日米・フロリダ州セントピータースバーグ :パシフィックノースウェスト・ヘビー |
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| 52 4 (国) ダイナマイト・S、55 6 (新) サマー・ファイト・S *、 59 6 (新) サマー・ファイト・S、60 3 (新) ビッグ・ファイト・S 第2弾*、60 10 (新) バーニングスピリット・イン・オータム、61 4 (新) ビッグ・ファイター・S * | ||
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高校時代はボクシングで鳴らしたが、18歳でプロレスラーとしてアラバマ地区でデビューし、リップ・タイラーとのコンビで活躍。その後テキサスを経てオレゴンに転戦。バディ・ローズとの抗争で名を挙げ、パシフィック・ノース・ウエスト選手権も獲得している。マスクを被ってゲシュタポを名乗り暴れたが、日本へは素顔のオリバーとして、マスクのゲシュタポとして、それぞれ3回づつ来日している。リップ・オリバーと名乗ることもある。 | |
| リック・スタイナー
RIC STEINER 1回 豪腕野獣 183センチ、125キロ 1961年米・ミシガン州デトロイト :ジャーマンスープレックス :NWA世界タッグ、WWF世界タッグ |
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| 62 2 (新) スプリング・フレアーアップ 92 | |
| バーン・ガニアにスカウトされてプロレス入り。今こそ日本でも知名度は高くファンなら誰でも知っているレスラーになったが、初来日時は当然全くの無名で期待もされていなかった。しかし、当時としては禁じ手であった「投げっぱなし」のジャーマン・スープレックスで中堅どころを投げまくり、遂には星野勘太郎を病院送りにしてしまい話題をさらった。帰国後、UWFでスティングなどと組んで売り出すもぱっとしなかったが、弟スコットとのタッグで大ブレイク、WCW、WWEで活躍し現在に至る。本名はロバート・レック・スタイナー。 | |
| リック・デビッドソン RICK DAVIDSON 1回 無法兄弟 197センチ、120キロ 1950年米・ニューメキシコ州アルバカーキ : サザン・タッグ、アメリカス・タッグ |
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| 55 7 (全) サマー・アクション・S | |
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ジョンとのデビッドソン兄弟で活躍したラフ・ファイターで、来日中にプリンス・トンガ(=キング・ハク)の国内デビュー戦の相手も勤めた。その後、凋落の一途をたどるロサンゼルスでエースに君臨、ミル・マスカラス、カネック組との因縁のタッグ戦で話題を呼んだ。デトロイトではザ・シークのボディーガード役をつこめていたというから、腕っ節はかなりのものであったようだ。サイン |
| リック・ニール
LIK NEAL 1回 牛殺し 185センチ、118キロ 生年月日、出身地不明 |
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| 47 6 (新) オープニング・S第3弾 | |
| テキサス一体で活躍したレスラーで、リック・ロンメルというナチ・ギミックリングに上がった事もあったが、実際は生っ粋のテキサス人で、ロデオ大会などにも出場したカウボーイである。日本へがカール・ゴッチのブッキングでの来日だったが、ゴッチとは長期間同じ地区(オマハか?)をサーキットし、パートナーを務めた事もあったという。 | |
| リック・ハリス
RIC HARRIS 岩石ゴリラ 185センチ、125キロ 米・テキサス州フォートワース :アラバマ州ヘビー |
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| 58 8 (全) スーパー・パワー・S | |
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リック・ハリスとしてよりブラック・バートに改名してからのほうが日本のファンにはなじみがあるだろう。デビュー当時はデトロイトでザ・ワイルドマンを名乗っていたこともあったという。リック・ハリス時代はロン・バスとのコンビでフロリダ近辺で活躍した。 ブラック・バートの項も見よ。 |
| リック・フェララ
RIC FERARA (イワン・プトスキー
*) 3回 岩石男 173センチ、105キロ フランス・ディジョン :逆エビ固め :南部タッグ |
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| 47 9 (国) ダイナマイト・S、49 5 (新) ゴールデン・ファイト・S *、 52 4 (新) ゴールデン・ファイト・S | |
| フランス系カナダ人でプロレス入りする前は酒場で用心棒をしていたが、そこへ客として現われたマッドドッグ・バションと殴り合い、その腕っ節を見込んだバションにスカウトされてレスラーになったという変わり種。ファンとぶりは力に物を言わせたブル・ファイター・タイプ。新日本プロレスへはイワン・プトスキーとして来日。アメリカでもイワン・プトスキー名義で1960年代末からマイティ・イゴールとコンビを結成していたこともあり、どうやらフェララが初代プトスキーのようだ。トライステート地区ではイゴール・プトスキーと名乗っていたこともある。東部地区で人気のあったイワン・プトスキーとは、全くの別人である事はいうまでもない。1996年に死亡。 | |
| リック・フレアー
RIC FLAIR
11回 狂乱の貴公子 185センチ、110キロ 1950年米・テネシー州メンフィス :足4の字固め :NWA世界ヘビー、WWF世界ヘビー、USヘビー(大西洋岸版) |
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| 48 6 (国) ビッグ・サマー・S、53 4(全)【特】エキサイト・S、56 10 (全)【特】ジャイアント・S、57 5 (全)【特】エキサイト・S、58 5 (全) 【特】グランド・チャンピオン・力ーニバルU、58 11 (全) 【特】84世界最強タッグ決定リーグ戦、59 5 (全)【特】 グランド・チャンピオン・カーニバルU、59 8 (全) 【特】スーパー・パワー・S、60 3 (全)【特】 85激烈!スーパー・パワー・ウォーズ、60 10 (全)【特】ワールド・チャンピオン・カーニバル、 62 2 (全)【特】87 エキサイト・S | ||
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この男もバーン・ガニアにスカウトされてプロレス入り。デビュー当時はアウトローズのようなGIカットのラフファイターとして売り出す(この当時初来日)が、全く芽が出ずAWAからNWAの目玉マーケットとなりつつあった大西洋岸地区へ転出。ここでネイチャーボーイを名乗る今のギミックにたどり着き人気爆発。グレッグ・バレンタインとのコンビで同地区認定世界タッグを獲得したのを皮切りに、大西洋岸地区のタイトルを総ナメ。初来日の時もキム・ドクとのコンビで馬場、鶴田からフォールを奪いストレート勝ちを収める活躍。次期世界王者最右翼といわれたが、1981年にようやくダスティ・ローデスから世界選手権を獲得。以降、長年にわたりアメリカマット界のトップの座を守っている。得意技は足4の字固め。 サイン | |
| リック・マーテル
RIC MARTEL
( リッキー・マーテル*) 6回 弾丸戦士 183センチ、110キロ 1956年カナダ・ケベック州ケベックシティ :ダイビングボディアタック :AWA世界ヘビー、WWFタッグ |
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| 51 10 (国) 勇猛シリーズ*、55 2 (全) エキサイト・S、 59 7 【特】(全) グランド・チャンピオン・カーニバルV、59 10 (全)【特】 ジャイアント・S、60 10 (全) 【特】ワールド・チャンピオン・カーニバル、61 11 (全) 86 世界最強タッグ決定リーグ戦 | |||
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フランス系カナダ人で兄のマイクの後を追って1972年に16歳でデビュー。2年後、モントリオール地区の世界ジュニアヘビー級選手権を獲得し注目を浴びる。昭和51年、国際プロレスに初来日。寺西勇の保持するIWA世界ミッド・ヘビー級選手権に挑むが惜敗している。1981年にはWWF地区に転戦しトニー・ガレアとのコンビでWWFタッグ選手権を獲得し、一躍スターとなる。王座転落後AWA地区に転戦、1984年にジャンボ鶴田からAWA世界選手権を獲得する金星。日本ではリック・フレアーと世界初のNWA、AWA世界ダブル・タイトル・マッチを実現させた。同王座はスタン・ハンセンに奪われるが、WWFに復帰しチト・サンタナとのコンビでWWF世界タッグを獲得。その後はキザ男のギミックでヒールに転向し活躍したが解雇され、インディー団体に活躍の場を求めた。本名はロチャード・ヴィンボウルド。 | |
| リック・マグロー RIC McGROW 2回 早打ち野郎 183センチ、110キロ 1955年米・ノースカロライナ州シャーロッテ :ドロップキック |
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| 56 4 (新) WWFビッグ・ファイト・S第2弾、 57 7 (新) 第2次サマー・ファイト・S | |||
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まずロスで人気が出たマッチョ・レスラーで、WWFに転戦しアンドレとの凸凹コンビで売り出した。「クイック・ドロー」と呼ばれ、マッチョ・タイプには珍しくドロップキックなどのスピード殺法が売り物だったが、これからという時の1985年に薬物中毒による急性心不全で帰らぬ人となった。この当時からレスラーの薬物使用が問題となった。公式データでは183センチとあるが、長州よりも背は低かった。サイン | |
| リック・モートン
RIC MORTON
2回 狂乱のロック野郎 180センチ、102キロ 1956年米・テネシー州ナッシュビル :NWA世界タッグ、南部タッグ |
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| 63 5 (全) 【特】88 スーパー・パワー・S、63 10 (全) 88 ジャイアント・S | |||
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テネシー出身のレスラーで父のポールもプロ・レスラーであった。ソニー・キングとのザ・スケアクロウズと言うタッグでデビュー。キングとのチーム解散後はしばらく低迷を続けたが、ロバート・ギブソンとロックンロール・エクスプレスを結成してからは人気爆発。大西洋岸地区進出後は全米的な人気レスラーとなった。1991年にコンビ解散後はWCWで活躍。しかしすぐにギブソンとのタッグを再結成している。 | ||
| リッパー・コリンズ RIPPER COLLINS
3回 引き裂き魔 180センチ、120キロ 1926年米・カリフォルニア州 :ショルダーブロック :大西洋岸ヘビー(ロス版)、パシフィックノースウェスト・ヘビー、北米ヘビー(カルガリー版) |
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| 40 1 (日) 、48 5 (全) ブラック・パワー・S、52 1 (国) 新春パイオニア・S | |||
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かなりのベテラン・レスラーで愛敬のある顔や体型とは裏腹にかなり悪どいラフ・ファイトを得意とした。ジョージア、ハワイ、太平洋岸で活躍したが、晩年はカナダのカルガリー地区に腰を据え、ラリー・シャープとのコンビで同地区のインターナショナル・タッグ選手権を獲得、その余勢を駆って最後の来日も果たしている。このときはホイッスルを吹き鳴らすわけのわからないパフォーマンスを披露した。その後は現役を退き、カルガリー遠征中のアニマル浜口のマネージャーとして活躍した。 | ||
| リップ・タイラー
RIP TYLER 6回 吸血獣 185センチ、120キロ 1940年米・ミシガン州ジャクソンビル :rスボードロップ :ガルフコースト・ヘビー、IWA世界タッグ、ミシガン州ヘビー、ハワイ・ヘビー |
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| 46 11 (日) ワールド・チャンピオン・S、47 6 (新) オープニング・S第3弾、51 5 (国) ビッグ・チャレンジ・S、 52 1 (国) 新春パイオニア・S、 53 9 (国) ダイナマイト・S、59 10 (全) ジャイアント・S | ||||
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非常に息の長いレスラーで13年の間に6回来日している。旗揚げ間もない新日本プロレスにはエースとして登場しているが、彼が日本で最も活躍したのは国際プロレス登場時で昭和51年に僚友のエディ・サリバンとのコンビでIWA世界タッグ選手権を獲得するなど、当時の国際プロレスのエース外人の一角をになった。アメリカでもさまざまな地区を飛び回り、中西部ではエディ・サリバンとのタッグで暴れ、ハワイではハワイ選手権を獲得するなど、タイトル歴も豊富なレスラーである。上田馬之助とは親友であった。1997年12月心臓麻痺のため逝去。 | ||
| リップ・ホーク RIP HAWK 2回 解体屋 178センチ、106キロ 1928年米・オレゴン州ポートランド :ネックブリーカードロップ :NWA世界タッグ、南部タッグ、テキサス・タッグ、テキサス・ヘビー |
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| 42 5 (日) アイアン・クロー・S、 42 5 (日) ゴールデン・S(残留)、51 10 (新) 闘魂S第2弾 | ||||
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スエード・ハンセンとの泥棒コンビで一世を風靡した名レスラーで、アメリカ修行時代の猪木のライバルでもあった。日本プロに来日したころには、ハンセンとのコンビで大いに実力を発揮したが、晩年に新日本プロレスに来たころには年を取り過ぎていて全く迫力が無かった。当時はアメリカのIWAでビューティフル・ブルースとコンビを組んでいた。話はそれるが猪木はこのホークはじめパートナーのスウエード・ハンセンなどアメリカ修行時代のライバルを晩年になっても義理堅く招聘している。本名はハーヴィー・エヴァース。 | ||
| リップ・モーガン
RIP MORGAN 1回 超獣2世 192センチ、125キロ 1957年ニュージーランド・ウェリントン |
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| 64 1 (新) 89 新春黄金S | ||||
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キウィズやブッシュワッカーズで有名なボブ・ミラー(ブッチ・ミラー)の甥。1984年にプロレスラーとなり、翌年アメリカへ修行に出る。ここでブルーザー・ブロディに魅せられ、彼のスタイルを模倣するようになった。平成に入ってからは全日本プロレスにも参加している。 | |||
| リップ・ロジャース
RIP RODGERS
1回 男色野獣 184センチ、105キロ 1955年米・インディアナ州セイモア : USタッグ、USジュニア・ヘビー(ICW版)、ナショナル・タッグ |
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| 63 5 (全) 88 スーパー・パワー・S | ||||
| 長髪に髭面と言う厳つい顔であるにもかかわらず、ピンクのガウンにピンクのタイツを付けたオカマ・レスラー。新日本プロレスに登場したエル・グレコとエル・セルヒヨのコンビと同様に中堅レスラー相手にコミカルな・ファイトを展開して人気を獲得した。1984年頃にはテッド・オーツとハリウッド・ブロンドスを結成した時期もある。保健体育の学士でもある。 | ||||