来日全外国人レスラー名鑑 ロ

 

ロイ・マクラリティ ROY McCLARITY 1回
カナダの荒獅子 188センチ、110キロ 1928年カナダ・サスカチュワン
39 3 (日) 【特】春の国際大会、39 4(日)第6回ワールドリーグ戦(残留)
弟(息子説もあり)のドンとのマクラリティ兄弟で売り出した古豪で、地味な試合ぶりを身上としたテクニシャン。弟のドンがヒールだったのに対しロイは一切反則を使う事のない正統派レスラーだったと言う。高校時代にはレスリングのほかに野球、フットボール、ボクシング、ホッケーなどさまざまなスポーツに才能を発揮した。ロンドン・オリンピックのレスリングカナダ代表に選出されたが、オリンピックを待たずしてプロに転向した。ジン・キニスキーが一目置いたという実力者。

 

ロード・ジョナサン・ボイド LORD JONATHAN BOYD
英国の怪鳥 185センチ、108キロ 1945年イギリス・マンチェスター :PNWヘビー、同タッグ、インターナショナルタッグ(カルガリー版)
49 2 (新) ビッグ・ファイト・S、51 1 (全) 新春ジャイアント・S
もともとはイギリスで活躍していた選手で、オーストラリア遠征時にノーマン・フレデリック・チャールズ3世と意気投合し、ザ・ロイヤル・カンガルーズの結成を持ちかけた。ブーメランや、オーストラリア特有の帽子はオリジナル・カンガルーズを模倣しているが、コスチュームはなぜか暴走族風のデザインになっていた。主戦場はイギリスとアメリカ太平洋岸北西部。日本ではタイトルの挑戦することもなく、あまりよい扱いは受けていない。

 

ロード・ブレアース LORD BLEARS ( ミスター・X *) 2回
レスリング卿 183センチ、106キロ 1921年イギリス(1924年説もあり) :レッグストレッチ :太平洋岸地区世界タッグ
34 5 (日) 第1回ワールドリーグ戦、 36 1 (日)プロレス春の国際試合 *
ハワイに本部を置くPWFの会長として日本のファンにはお馴染みだが、現役時代はタッグの名手で4回に渡り世界タッグ選手権(シャープ兄弟が保持、日本で防衛戦を行なったもの)を獲得している実績を持つ。日本へは第1回ワールドリーグ戦にイギリス代表として来日している。2年後にはマスクを被ってミスターXをなのって来日している。正式なリングネームはロード・ジェームズ・ブレアース。ハワイでは学校の先生をしており、横綱の武蔵丸も教え子だという。  サイン

 

ロード・レイトン LORD LAYTON 1回
魔法の足 193センチ、117キロ イギリス・サリー州
32 8 (日) 秋の国際試合
デトロイトを中心とする五大湖地区で名声を馳せたレスラーでザ・シークのライバルとしても有名。晩年はレスラーとしてリングに上がる傍らプロレス番組のコメンテーターやリングアナウンサーとしても活躍し全米リングアナウンサー・コンテストで優勝した経験も持つ変わり種。一緒に来日したボボ・ブラジルとは無二の親友であった。プロフィールでは193cmとなっているが、当時のフィルムを見る限りではこれよりも大きいような印象を受ける。1984年に心臓発作で死亡。本名はオーソル・レイトン。

 

ローム・マスク L'HOMM MASQUE
191センチ、120キロ フランス : フランス・ヘビー
47 1 (国) 新春パイオニア・S
フランス系のジルベール・ボワニが正体の大型マスクマンでストロング小林のIWA世界ヘビー級選手権に挑戦して善戦している。この後も同じようなマスクを付けマスクド・グラジエーターを名乗って新日本プロレスに来日しているが、ローム・マスクとして来日した時が彼の絶頂期であった。

ジルベール・ボワニーの項も見よ。

 

ローラーボール・マーク・ロッコ ROLLERBALL MARK ROCCO
伊達男 178センチ、95キロ
1951年イギリス・マンチェスター :英国ヘビーミドル、世界ミドル
54 9 (国) ダイナマイト・S、62 4 (新) ブレイジング・チェリー・ブロッサム・ビガロ 87
イギリスの往年の名レスラー ジム・ハジーの息子で、デビュー当時はジム・ハジー・ジュニアを名乗り、日本でも最初はこのリングネームで紹介されていた。ローラーボール・マーク・ロコに改名してから国際プロレスに阿修羅原へのWWUからの刺客として初来日。原を苦しめ高い評価を受ける。3年後、初代タイガーマスクのライバルとしてブラック・タイガーに変身。佐山サトルのイギリス修行時代にライバル同志であった両者は数々の名勝負を生み出した。昭和62年に一度素顔で来日しているが、翌年からまたブラックタイガーに戻った。本名はマーク・ハジー。 サイン

ブラック・タイガーの項も見よ。

 

ローラン・ボック ROLAND BOCK 3回
欧州の帝王 191センチ、120キロ 1944年ドイツ・ゲインシュリゼン :ダブルアーム・スープレックス :WWU世界ヘビー、VDB世界ヘビー
56 7 (新) 【特】サマー・ファイト・S、56 11 (新) 【特】第2回MSGタッグ・リーグ戦、57 1 (新) 1・1三大スペシャルマッチ
西ドイツ(当時)の生んだ強豪で、陰謀渦巻いたアントニオ猪木の欧州選手権ツアーをプロモートした事でもしられる。彼の姿が日本に紹介されたのは欧州選手権シリーズ決勝戦、「シュツットガルトの惨劇」として語り種になっている試合の中継録画であった。この試合でボックは猪木を寄せ付けずドイツにボックありを印象づけた。その後来日が内定するも交通事故、心臓発作などのアクシデントが重なり再起不能といわれたが奇跡の復帰をとげ3回に渡り来日。受け身の取れないスープレックスで話題を呼んだが、4回目の来日を目前に脱税で逮捕されリングから遠ざかった。 サイン

 

ザ・ロイヤル・カンガルーズ → ロード・ジョナサン・ボイド、ノーマン・フレデリック・チャールズの項を見よ。

 

ロジャー・カービー RODGER KIRBY (ザ・クルーザー *) 5回
野生児2世 183センチ、115キロ 1939年米・インディアナ州インディアナポリス :ネックブリーカー・ドロップ :NWA世界ジュニアヘビー、セントラルステーツ・ヘビー、PNWヘビー
42 7 (国) パイオニア・サマー・S、48 5 (全) ブラック・パワー・S、54 7 (全) サマー・アクション・S、 55 8 (全) 第2次サマー・アクション・S*、59 7 (全) グランド・チャンピオン・カーニバルV
左の写真をご覧のように往年の名レスラー バディ・ロジャースに似ている事から「野生児2世」と呼ばれたレスラー。主戦場はセントルイスを中心とした中西部地区でほとんどこのエリアから転戦する事はなかったようだ。NWA世界ジュニア・ヘビー級チャンピオンにもなっている実力者だがデストロイヤーとうりふたつのマスクを被ってザ・クルーザーを名乗りPWFタッグ・トーナメントで決勝に残った以外は、日本ではそれほど目立った活躍はしていない。本名はウィリス・カービー。サイン

 

ロジャー・スミス RODGER SMITH (スーパー・アサシン*) 4回 
188センチ、135キロ 1944年ジョージア州アトランタ :PNWタッグ
51 7 (国) ビッグ・サマー・S *、59 8 (新) ブラディ・ファイト・S、60 10 (新)【特】バーニングスピリット・イン・オータム、 61 1 (新) ニューイヤー・ダッシュ 86
国際プロレスにマスクをかぶってスーパー・アサシンとして初来日した選手で、9年後リック・オリバーの推薦でようやく素顔で来日を果たした。この後の台湾遠征にも同行し猪木とシングルで戦っている。体は凄かったが、それを生かしきれていなかった。やはりスーパー・アサシンで来日した時が彼のハイライトであろう。

スーパー・アサシンの項も見よ

 

ロッキー・イヤウケア ROCKY IAUKEA 3回
185センチ、125キロ 1963年米・ハワイ州ホノルル : PNWタッグ
60 6 (新) バーニング・スピリット・イン・サマー、63 2 (全) 88 エキサイト・S、63 8 (全) 88 サマー・アクション・S U
当時、新日本プロレスがてこ入れに動いていたハワイ・マットからの留学生で、キング・イヤウケヤの息子。新日本プロレスに1シリーズ参加した3年後に全日本プロレスに登場。投げ網量に使う網を相手に投げつけると言うよくわからないギミックで人気を呼んだ。その後はWARの常連として活躍。

 

ロッキー・ジョーンズ ROCKY JONES
183センチ、109キロ 1956年米・オレゴン州米・オレゴン州 :アメリカス・ヘビー
58 1 (全) 新春ジャイアント・S
ロスに登場したマイク・マスターズの変身で、ブルーノ・サンマルチノが興したIWFなるインディー団体に参加していた時のリング・ネーム。サンマルチノのブッキングということもあってか大仁田の保持していたNWAインターナショナル・Jヘビー級選手権に挑戦するという高待遇を受けている。

詳細はミーン・マイク・マスターズの項参照。

 

ロッキー・ジョンソン ROCKY JOHNSON 2回
黒い弾丸 178センチ、105キロ 1941年米・ニューヨーク州ニューヨーク :ドロップキック :アメリカス・ヘビー、USヘビー(シスコ版)、WWF世界タッグ
45 9 (日) 第1回NWAタッグリーグ戦、 55 1 (新) 新春黄金S
ザ・ロックの父親として有名。「黒い弾丸」の異名を取ったボボ・ブラジルに次ぐ黒人スター選手。修行時代の坂口征二のライバルとしても知られデトロイトやロスでは抗争を展開したりパートナーとしてタッグを組んだりしている。アメリカでは行く先々でスター選手の扱いを受けた名レスラーであった。昭和45年に待望の初来日を果たすがパートナーのアーニー・ラッドと反りが合わず不振に終わる。10年後に新日本プロレスに来日するがスタン・ハンセンにラリアートの誤爆を受け失神、途中帰国している。日本のリングとはよほど相性が悪かったか、何一つ実績は残せず。 サイン

 

ロッキー・タマヨ ROCKY TAMAYO
187センチ、110キロ ペルー
52 10 (全) ジャイアント・S
ジョー・ソトの変名。詳細はジョー・ソトの項参照。

 

ロッキー・ダラセーラ ROCKY DARASERA 1回
59 7 (旧U) UWF無限大記念日
同じシリーズにザ・UFOとして参加したボブ・ダラセーラの弟だといわれている。カナダ・ノバスコシア地区からの来日。ファイトスタイルが合わず全く振るわず。

 

ロッキー・ハミルトン → ラリー・ハミルトンの項を見よ

 

ロッキー・ブリュワー ROCKY BREWER 1回
金髪の怪童 186センチ、108キロ 米・アイオワ州 : AWA南部タッグ
55 6 (国) ビッグ・サマー・S
来日中止となったウェイン・ファリスの代打として来日した選手。テネシー地区では将来有望ということで期待を集めていたレスラーで、AWA南部タッグを保持したこともある。宣伝写真では髪が黒かった(写真左)が、来日時は金髪に染めていたが、これは日本でラリー・レイザムとブロンド・ボンバーズを結成する為だったが、レイザムも来日中止となりボンバーズ結成はならず、テネシーでライバルだったジプシー・ジョーとのコンビで暴れた。これといった活躍はなかったが、井上&寺西とS小林&永源の間で行なわれたIWA世界タッグ王座決定戦に乱入し試合をぶち壊した。

 

 

ロッキー・モンテロ ROCKY MONTERO 2回
黒こうもり 180センチ、105キロ 1935年コロラド州デンバー :ブレンバスター :ロッキーマウンテン・ヘビー、USヘビー
43 5 (日) ゴールデン・S、45 11 (日) インター・チャンピオン・S

「黒コウモリ」のニックネームで知られるメキシコ系レスラー。小柄ながらもかなり気性が荒くロッキーマウンテン地区ではエースとして活躍し、ボボ・ブラジルあたりとも名勝負を展開した。サンフランシスコでも活躍、晩年はマスクを被ってインベーダーを名乗ったこともある。昭和43年の初来日ではカリプス・ハリケーンとのコンビで吉村&大木組のアジア・タッグ選手権に挑戦したが惜敗。

 

ロディー・パイパー RODDY PIPER (マスクド・カナディアン*) 3回
狂乱のスコッチ 183センチ、105キロ 1954年米・オレゴン州ヒルズボロー :ネックブリーカー・ドロップ :インタコンチネンタル・ヘビー、アメリカス・ヘビー、同タッグ、PNWヘビー、ミッドアトランティックTV
52 8 (新) 闘魂S、53 3 (新) ビッグ・ファイト・S* 、58 5 (全) 【特】グランド・チャンピオン・力ーニバルU
スコットランド系カナダ人でバグ・パイプを吹きながら入場するギミックでロスで人気を博す。チャボ・ゲレロとの抗争でロスに最後の黄金時代をもたらした。アリに挑戦した直後の猪木がロスに出向いた際の記者会見に乱入し猪木に挑戦し日本でも注目されるようになる。一時、覆面を付けマスクト・カナディアンと名乗るが直ぐに素顔に戻りロスを離れ大西洋岸地区に転戦。ここで本格的に実力に磨きをかけNWAのレーティングスにランクされるようになる。彼の毒舌に目を付けたWWFが1984年に故グラン・ウィザードの代わりとなるマネージャーとしてスカウト。ここでのTVインタビューが好評を呼び全米的な人気者になり全米のスターとなり映画にも出演。現在はセミリタイア状態。

 

ロナルド・パール RONALD PAULL 1回
狂乱のスコッチ 181センチ、113キロ 生年月日不明 ベルギー
47 11 (新) ニュー・ダイヤモンド・S
ベルギー出身のレスラーでカール・ゴッチのブッキングで来日。ゴッチなみのストイックなレスリングが得意と言う触れ込みでの来日で、当時の熱戦譜をたどってみると以外にも好成績をあげている、隠れた強豪だった。しかし再来日は果たせず。ヨーロッパでは覆面を被りゼブラ・キッドを名乗ったこともあったようだ。

 

ロニー・エチソン RONNIE ETCHISON (キング・オブ・マスク *) 3回
ミズーリの竜巻 186センチ、110キロ 1924年米・ミズーリ州セントジョセフ :ジャイアントスウィング :セントラルステーツ・ヘビー
36 4 (日) 第3回ワールドリーグ戦、36 11 (日) プロレス冬の国際試合*、 48 8 (全) ワールド・チャンピオン・S
50枚を超す衣装を持って来日し毎日違うコスチュームで登場したと言うお洒落な面もあったが、気性はかなり激しく「火の玉エチソン」というニックネームを付けられた。初来日のワールド・リーグ戦では白覆面を付けてファイトする事もあったようだ。アメリカでは主に中西部地区で活躍、かなり高齢になるまで現役を続けた。引退後は同地区のレフェリーとして活躍。ジャイアントスウィングが得意技であった。1994年4月に老衰により他界。

 

ロニー・ガービン RONNIE GARVIN 1回
石の右拳を持つ男 180センチ、110キロ 1944年米・ノースカロライナ州シャーロッテ :NWA世界ヘビー、ナショナル・ヘビー
46 1 (日) 新春チャンピオン・S
「兄」のテリー・ガービンに誘われてプロレス入り。テネシーでガービン兄弟として売り出す。兄のテリーが引退してからはシングル・プレーヤーに転身するがナショナル選手権を獲得した以外はビッグ・タイトルには恵まれなかった。しかし1987年にデトロイトでリック・フレアーからNWA世界ヘビー選手権を奪取し関係者やファンを驚かせた。「石の右拳を持つ男」のニックネーム通り右のパンチを得意とした。本名ロジャー・バーンズ。

 

ロニー・メイン LONNIE MAYNE 3回
宇宙犬 180センチ、123キロ 1943年米・ユタ州ソルトレイク :ヒップドロップ :アメリカスヘビー、アメリカス・タッグ、USヘビー(シスコ版)、ハワイヘビー
41 3 (日) 第8回ワールドリーグ戦、43 11 (日) NWAチャンピオン・S、48 7 (新) サマー・ファイト・S
トニー・ボーンをパートナーにシスコ地区世界タッグを獲得し有名になる。第8回ワールドリーグ戦にユタ州選手権者(日本プロが考えた架空の肩書き)として来日。初来日当時はひょうきんな風貌の若手レスラーだったが帰国後ムーンドッグを名乗り髪や髭を伸ばした異様なキャラクターで売り出してからは太平洋岸でスターとなる。MSGにも出場するが、1978年サーキット中に交通事故で命を絶った。これはデモンストレーションとして電球を食べたり、金魚を丸呑みにしたりしたことによる後遺症で運転中に気を失ったのが原因だといわれている。

 

ロバート・ウィナー ROBERT WINNER 1回
30 12 (旧全) 日米対抗厚生大臣賞争奪試合
キングストン・ケリーらと来日。小型のファイターでプロレス歴16年のふれこみであったが試合になるとボディスラムしか使わない。どうやら正体は力自慢の船乗りだったようだ。(昭和45年別冊ゴング6月号来日外人レスラー名鑑より:情報提供 管様)

 

ロバート・ギブソン ROBERT GIBSON 2回
ロックの貴公子 183センチ、105キロ 1958年米・フロリダ州ペンサコーラ :ドロップキック :南部タッグ(テネシー版)、MSWタッグ、NWA世界タッグ
63 5 (全) 【特】88 スーパー・パワー・S、63 10 (全) 88 ジャイアント・S
実兄のリッキー・ギブソンとのコンビでフロリダでデビュー。テネシー地区に転戦し南部タッグを獲得するがリッキーが引退したためチーム解散。ケン・ルーカスとのコンビを経てリック・モートンとのザ・ロックンロール・エキスプレスを結成し全米的な人気者となる。一時期はNWAの看板タッグコンビとして売り出されたが、NWA崩壊後は各地のインディー団体を渡り歩いている。本名はルーベン・ケイン。

 

ロバート・ハンビー ROBERT HAMBY 1回
170センチ、103キロ 米・ノースカロライナ州
52 11 (国) ダイナマイト・S
国際プロレスが招聘した3流レスラー。おそらくセントラルステーツ地区を主戦場にしたレスラーだと思われるが詳しい経歴などは不明。日本でのファイトも全く見るべき物がなかった。

 

ロベルト・ガステル ROBERT GASTEL 1回
肉切り野郎 182センチ、107キロ 1929年イギリス :欧州タッグ
44 1 (国) ビッグ・ウィンター・S
タッグ専門でヨーロッパを荒らしまわったラフファイター。アンドレ・ボレーとのコンビでヨーロッパ・タッグ選手権として来日したが草津、木村組の挑戦を受けてストレート負けを喫し王座を明け渡し、無冠のまま帰国している。ボレーとのコンビで豊登、杉山組の保持するTWWA世界タッグに挑んでいるがこれも敗退。

 

ロベルト・ソト (ジ・インベーター *)ROBERT SOTO 4回
カリブの弾丸 178センチ、107キロ 1948年プエルトリコ・サンファン :ドロップキック :カリビアン・ヘビー、ジョージア州ヘビー
49 10 (新) 闘魂S第2弾、52 3 (新) 第4回ワールド・リーグ戦、53 3 (新) ビッグ・ファイト・S、 56 1 (国) 新春パイオニア・S *
サイクトン・マヌエル・ソトの実弟で、ニューヨークやプエルト・リコで活躍したレスラー。初来日時はアンドレ・ザ・ジャイアントとのコンビで北米タッグ選手権に挑戦しているが狙い撃ちにされている。本国プエルト・リコでは白覆面のオリジナルのジ・インベーダーとしてアブドーラ・ザ・ブッチャーとカリビアン・ヘビー級選手権をめぐる抗争を展開した。国際プロレスにもインベーダーとして登場しているが、非常にしょっぱい試合を連発した。

 

ロベルト・ブルース ROBERT BRUCE 2回
スコットランドの暗殺者 180センチ、110キロ 1941年スコットランド・ダンジー : 欧州ライトヘビー
48 5 (新) ゴールデン・ファイト・S、49 8 (全) サマー・アクション・S第2弾
スコットランド出身でジルベール・ボワニにスカウトされてプロレス入り。ヨーロッパ時代は欧州ライト・ヘビー級選手権を短期間ながら保持していたという。アマレスの経験も持っていたが、リング上でのファイトは殴る蹴るの野獣派ファイトに終始した。カナダあたりではアブドーラ・ザ・ブッチャーとコンビを組む事が多かったということで悪影響を受けたのかもしれない

 

ザ・ロボットR−2 THE ROBOT R-2 1回
175センチ、98キロ 1941年メキシコ
54 7 (全) サマー・アクション・S
当時、世界中で話題を呼んだ映画「スターウォーズ」に登場したR2−D2を模したキャラで売り出したルチャドール。著作権に抵触するのを恐れてかリングネームはロボットの名前を丸ごと名乗っていないという姑息さ。夏休みの子供目当ての招聘で人気を呼んだが実力の方はさっぱりで連日新人相手にお茶を濁した。サイン

 

ザ・ロボットC−3 THE ROBOT C-31回
178センチ、95キロ 1957年メキシコシティ
54 7 (全) サマー・アクション・S
ザ・ロボットR-2の弟。当時、世界中で話題を呼んだ映画「スターウォーズ」に登場したC3-POを模したキャラで売り出したルチャドール。メキシコではタイトル挑戦歴もあった。彼らが来日した同じ時期にザ・ロボットというC-3に似たレスラーが出現したが、これは別人だと思われる。サイン

 

ロン・スター RON STAR 5回
アラバマの流星 190センチ、105キロ 1950年米・アラバマ州モービル :スープレックス :NWA世界ジュニアヘビー、アメリカス・ヘビー、USヘビー(シスコ版)
51 2 (新) ビッグ・ファイト・S、53 3 (新) ビッグ・ファイト・S、55 9 (新) 9・31ファン感謝スーパーファイト、 55 10 (新) 闘魂S(残留)、62 11 (新) 87 ジャパンカップ争奪タッグ・リーグ戦、63 8 (新) 88 戦国S
アラバマ出身のレスラーでドリー・ファンク・シニアのコーチを受けてプロレス入り。全米各地をサーキットしサンフランシスコではUS選手権を獲得、1976年、1980年の二度に渡ってNWA世界ジュニアヘビー級選手権を獲得している。日本でも藤波のWWFジュニア・ヘビー級選手権に挑戦し善戦している。ジュニアヘビー級のレスラーとしての印象が強いが身長は191センチありヘビー級のレスラーに遜色ないファイトを展開していた。実力は申し分なかったが性格に難がありプロモーターの受けが悪く特定のエリアに定着する事は少なかった。昭和53年のカネック・リンチ事件の首謀者と言われている。サイン

 

ロン・バス RON BASS 7
暴走馬 190センチ、120キロ 1948年米・アーカンソー州  :中西部タッグ、インターナショナル・タッグ、アメリカス・ヘビー
52 2 (全) エキサイト・S、 55 9 (国) 第1次ダイナマイト・S、55 9 (国) 第2次ダイナマイト・S(残留)、57 8 (全) スーパー・パワー・S、58 3 (全) 【特】グランド・チャンピオン・カーニバルT、59 3 (全) 【特】グランド・チャンピオン・カーニバルT、60 3 (全) 【特】85激烈!スーパー・パワー・ウォーズ、61 3 (全) チャンピオン・カーニバル86
バス四兄弟(=フレッド、ボビー、ドン)の末弟(三男とする資料もあり)と(いう触れ込みでデビューしたが、当然血のつながりのないビジネス・ブラザーであった。初来日時はキャリアが浅く活躍できなかったが、帰国後中西部地区でダッチ・マンテルとのニュー・アウトローズで売り出す。その後ロス、フロリダを転戦し力を付け、国際プロレスにはドン・バスをマネージャーにエース格で来日し成長振りを日本のファンに知らしめたが、彼の日本でのハイライトは昭和58年スタン・ハンセンとのコンビで馬場、鶴田組からインター・タッグを奪取した時であろう。

 

ロン・フラー RON FULLER 1回
南部の荒獅子 198センチ、110キロ 1950年米・ジョージア州アトランタ :ドロップキック :南部ヘビー(フロリダ版、テネシー版)
58 11 (全) 84世界最強タッグ決定リーグ戦

フロリダのプロモーター兼レスラー バディ・フラーの長男で弟のロバートもレスラーというレスリング一家の出身。1970年代のフロリダではアイドル的な人気を獲得し南部選手権を長期間保持したが、これは多分に「親の七光り」の臭いがしなくはない。待望の初来日を果たした時には完全に全盛期を過ぎており、線の細いレスラーと言う印象しか残さなかった。

 

ロン・ミラー RON MILLER 2回
オーストラリアの鷹 183センチ、108キロ 1945年オーストラリア・シドニー :フロリダ・タッグ、オーストラリア・タッグ、NWA世界ライトヘビー(豪州版)
47 6 (日) 第2次ゴールデン・S、57 5 (全) エキサイト・S
ラリー・オディとのジ・オーストラリアンズとして豪州、アメリカを股にかけて活躍したタッグの名手。オーストラリアンズではリーダーであった。オディとのコンビ解消後はシングル・プレーヤーに転向、1975年に地元シドニーでNWA世界ライトヘビー級選手権(オーストラリアで認定されていたもの)を獲得した。全日本プロレスに10年ぶりの来日を果たし、ベテランらしい試合巧者振りを披露した。

 

ロン・リッチー RON RICHIE 1回
北国番長 187センチ、107キロ 1959年カナダ・マニトバ州ウィニペグ
62 11 (新) 87 ジャパンカップ争奪タッグ・リーグ戦
バーン・ガニアのレスリングスクール卒業生。大西洋岸で活躍したあと、太平洋岸北西部に定着、バディ・ローズやカート・ヘニングとの抗争で力をつけた。外人不足に悩む新日本プロレスがロン・スターのパートナー(コンビ名はロン・コネクション!)として招聘したが、なかなか味のあるファイトを展開したものの白星配給係に甘んじてしまった。