来日全外国人レスラー名鑑 ル

 

ルイス・セルダン → ジノ・ブリットを見よ

 

ルイス・ヘルナンデス LUIS HERNANDEZ (ザ・メディコ2号* ) 3回
闘牛士 183センチ、125キロ 1939年メキシコシティ :メキシカン・バックブリーカー :WWA世界タッグ、テキサス・ヘビー
41 11 (日) ウインター・S、42 1 (日) 新春・S(残留)、44 4 (日) 第11回ワールドリーグ戦 *、47 1 (日) 新春チャンピオン・S
メキシコ出身のレスラーでジノ・ヘルナンデスの実父。WWA世界タッグをペドロ・モラレスとのコンビで獲得した直後の初来日の頃はスリムでメキシカンらしい軽快なファイトを披露していたが、白覆面のロス・メディコスを解散後、一時引退してハンバーガー・ショップを経営したもののこれに失敗。昭和47年に借金返済のためミスター・モトに頼み込んで来日した時には、別人のように太っており動きもかなり悪くなっていた。やはり太り過ぎが原因したのだろう、巡業先のホテルで心臓発作を起こし客死してしまった。息子のジノも若くしてなくなった。

 

ルイス・マリスカル LUIS MARISCAL 2回
赤い猛虎 173センチ、94キロ 1948年メキシコ・ハリスコ州 :アメリカス・ヘビー、メキシコ西部タッグ
57 8 (新) ブラディ・ファイト・S、63 8 (新) 88 戦国S
デビュー前はボディー・ビルで体を鍛え、1967年にプロレス入り。エンリケ・ベラとのコンビで西部地区タッグを獲得。1982年には末期のロサンゼルス地区に遠征しブラウン・シュガーのリングネームでアメリカス選手権も獲得しているベテラン。ベビー・フェイス、スコルピオとロス・ティグレス・デル・リングを結成。1987年にはティグレ・マリスカルに改名した。

 

ルー・キム LOU KIM 1回
蒙古の怪人 186センチ、123キロ アメリカ :マンチュリアンクラッチ
35 4 (日) 第2回ワールドリーグ戦

ジンギス・カンの末裔と言うギミックで来日したが、どう見ても西洋人であり実はハンガリー系、しかもジム・ライトの兄貴(異母兄)である事を自ら公表し、このギミックは日本では全く使えなくなってしまった。来日時は完全に実力的ピークを過ぎており勝率は悪かったが、必殺技のマンチュリアン・クラッチは恐怖の拷問技として大きく取り上げられた。

 

ルー・クライン LOU KLAIN 1回
185センチ、113キロ 1916年ミシガン州 :USタッグ(NY地区)
45 1 (日) 新春チャンピオン・S
必殺技ローリング・レッグロックを武器にミシガンを中心とした五大湖地区で活躍したベテランで、来日時は50歳を超えておりロートル・レスラー呼ばわりされていた。戦績も非常に悪く、これが唯一の来日となった。1960年代前半にはルー・バスチェンの名前でレッド・バスチェンとのバスチェン兄弟で活躍。常にランキングのトップに顔を出していた。

 

ルー・テーズ LOU THEZ 15回 (*はレフェリー、ウィットネスとして)
鉄人 191センチ、110キロ 1916年米・ミシガン州ナバット :バックドロップ :NWA世界ヘビー、WWA世界ヘビー、UWA世界ヘビー
32 10 (日) 世界選手権・S、37 4 (日) 第4回ワールドリーグ戦、41 2 (日) インター決戦S、43 1 (T) オープニング・ワールド・S、47 10 (新) ニュー・ゴールデン・S*、48 9 (新) 【特】闘魂・S、49 7 (新) サマー・ファイト・S、50 10 (新)【特】闘魂S、50 12 (新) 闘魂S第2弾*、52 3(新)【特】第4回ワールドリーグ戦*、54 9 (国) 【特】ダイナマイト・S、55 9 (国) 第2次ダイナマイト・S*、56 1(国) 新春パイオニアS*、57 4 (全)【特】 グランド・チャンピオン・S*、57 11(全)82世界最強タッグ決定リーグ*
もはや説明の必要はない20世紀最高の世界チャンピオン。ミシガン州の出身でハンガリー系のアメリカ人。父親のマーチン・テーズもレスラーであった。1935年に19歳でレスラーとなり、1937年に弱冠21歳でエベレット・マーシャルから世界選手権を獲得、その後、6度に渡り世界選手権を獲得し936連勝を達成するなどして、「鉄人」と呼ばれるようになった。ジン・キニスキーに敗れ最後の王座転落をしてからは故郷で家具屋を経営したが、これに失敗し新日本プロでカムバック。以後引退、カムバックを繰り返している。インディー団体に積極的に参加したことでも知られる。2002年4月逝去。

 

ルー・ニューマン LOU NEWMAN ミステリアス・メディコ*) 2回
ミスターX 181センチ、109キロ 1918年カナダ : 太平洋岸タッグ
29 8 (日) 太平洋岸タッグ選手権・S、41 12 (東) チャンピオン・S*
ハンス・シュナーベルとのコンビで太平洋岸タッグ選手者として来日、このタイトルはベイカー兄弟から奪取したものであった。来日中に力道山、遠藤組の挑戦を受けたが、あまりにも悪どいコンビ・プレーを見せたため、まだプロレスになれていないファンが興奮し暴動を起こした事件は有名。2度目の来日では老齢を隠すめに覆面をかぶり、猪木のUS選手権に挑戦しているが、惨敗を喫している。

 

ルー・バスチェン → ルー・クレインを見よ。

 

ルーク・ウイリアムス LUKE WILLIAMS
恐怖のつむじ風 183センチ、110キロ1947年 ニュージーランド・ウェリントン : インターナショナル・タッグ(カルガリー版)
62 2 (新) スプリング・フレアーアップ 90

ボブ・ミラー(ブッチ・ミラー)とのコンビで活躍したスイート・ウイリアムスの変名。

詳細はスイート・ウイリアムスの項参照。

 

ルーク・グラハム LUKE GRAHAM 5回
恐竜 193センチ、126キロ 1936年米・アリゾナ州フェニックス :アトミック・ドロップ  : WWA世界ヘビー、同世界タッグ、WWWF世界タッグ
40 3 (日) 【特】新春国際試合、40 4 (日) 第7回ワールドリーグ戦(残留)、43 8 (日) 第二次サマー・S、49 1 (全) 新春NWA・S、53 3 (全) 第6回チャンピオン・力ーニバル、56 2 (国) スーパー・ファイト・S
悪名高いグラハム兄弟の一人。「恐竜」のニックネームでWWA時代のロスでゴリラ・モンスーンとのタッグで売り出し、日本プロレスのワールド・リーグ戦に参加するも全敗。帰国後すぐにペドロ・モラレスを破りWWA世界王者になるが日本でも豊登がWWA世界選手権を名乗っており、ロスで統一戦を実施したものの実力差はカバーできず敗れ去っている。この人も実力に反比例してタイトル運に恵まれておりWWWFでは世界タッグ王座を数回獲得している。(カラー写真提供:HARU1番様)

 

ルーク・ブラウン LUKE BROWN (ザ・ケンタッキアン*) 2回
原始怪人 200センチ、149キロ 1935年米・ケンタッキー州 :ハングマンズホールド :NWA世界タッグ(シスコ版)、WWA世界タッグ
42 1 (国) パイオニア・S、 46 1 (日) 新春チャンピオン・S *
ジェーク・スミスとのザ・ケンタッキアンズとして有名な巨漢レスラー。農民のギミックでリング上でもジーンズを着用した。日本プロレスへの来日ではザ・ストンパーとのコンビでインタータッグ選手権に挑戦しているが、全盛期のBIコンビには歯が立たず敗れ、怒ったストンパーにズボンを引き裂かれている。新日本プロレスに来日したケリー・ブラウンは実子で、ボブ・ブラウンは従兄弟であるといわれているが、これはビジネス・ファミリーであるとの説もあり。本名はカール・デニス・キャンベル。

 

ルーファス・ジョーンズ RUFUS JONES (バスター・ロイド*) 8回
黒い重戦車 185センチ、124キロ 1944年米・サウスカロライナ州クリオ :ヘッドバット :セントラルステーツ・ヘビー、同タッグ、アラバマ・ヘビー
44 1 (日) 新春チャンピオン・S*、 47 12 (全) ジャイアント・S第2弾、48 5 (全) ブラック・パワー・S、49 4 (全) 第2回チャンピオン・カー二バル、50 2 (全) エキサイト・S、53 7 (全) 第1次サマー・アクション・S、56 7 (全) サマー・アクション・S、57 8 (全) スーパー・パワー・S
中西部地区で活躍した数少ない黒人レスラー。初来日時のリングネーム バスター・ロイドはサイレンス時代の映画スターの名前をミックスしたもので、アメリカでの愛称であるレイルロードも黒人への差別用語であり、これは人種差別の激しいアメリカ・マットで生き抜くために自分を卑下したリングネームを付けなければ、プロモーターに使ってもらえぬと言う悲しい現実を表わしている。セントルイスでは何度も世界選手権に挑戦している実力者であった。1993年に心臓麻痺のため死去。サイン

 

ルーベン・ファレス RUBEN JUAREZ 1回
北部の闘将 174センチ、98キロ 1937年メキシコ・ヌエボレオン州モンテレイ :回転エビ固め :アメリカス・ヘビー、アメリカス・タッグ、ナショナル・ライトヘビー
48 2 (日) ダイナミック・S
1959年にメキシコでデビューし最優秀新人賞を獲得。翌年レイ・メンドーザからナショナル・ライトヘビー級選手権を獲得した実力派。1970年代前半にロス地区に進出、アメリカスのシングル、タッグの二冠王にもなり、アーニー・ラッドやミル・マスカラスと言った強豪とも互角に渡り合った。日本へは日本プロレスの昭和48年ダイナミック・シリーズに来日、吉村道明の引退試合の相手を勤めたことで有名。

 

ルター・レンジ LUTHER LINDSEY 2回
黒い恐怖 175センチ、103キロ 1930年米・バージニア州ノーフォーク :バックドロップ :PNWヘビー、アジアタッグ
36 12 (日) プロレス冬の国際試合、37 2 (日) プロレス春の国際試合(残留)、44 7 (国) 【特】 ビッグ・サマー・S
打倒力道山に燃えるリッキー・ワルドーが呼び寄せたレスラーで、ワルドーの従兄弟と言われていた。来日中に力道山、豊登組からアジア・タッグ選手権を強奪、怒ったファンが暴動を起こし、力道山がリング上から王座転落を謝罪した。その後、中近東から東南アジアをサーキットしたが、途中インドにファンに刀で左胸を切り付けられ、国際プロレスに来日した際には痛々しい傷痕が残っていた。晩年はアメリカで活躍した。レンジでなくリンゼイが正しい発音。本名はルーサー・グッドール。

 

ルディ・サトルスキー RUDI SATURSKI 1回
ババリアの恐怖 180センチ、105キロ ドイツ・ババリア地方 :コブラツイスト
48 5 (新) ゴールデン・ファイト・S
ドイツのバーバーリー地方の出身。1955年ごろからビリー・ジョイスらとともに欧州マットで活躍した古豪。1960〜1965年にはルディ・ジェイコブスの名でハリー・ウィンゼルとコンビを組み、バーバリアン・ボーイズとしてアメリカでも活躍した。1970年代前半にプールで溺死したという情報が流れたがこれは誤報だったようだ。息子のウルフガング・サトルスキーとのニュー・バーバリアン・ボーイズを名乗って来日。前評判は低かったが素晴らしいコンビネーションで日本勢を苦しめた。