外国人留学生名鑑
| アントン・ヘーシンク
ANTON
GEESINK オランダの柔道王 198センチ、140キロ オランダ |
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日本柔道帝国の牙城を崩したオランダの柔道王。昭和48年暮れに鳴り物入りで全日本プロレスに入団するが、全くプロレスのセンスがなくファンも馬場もアキレさせた。柔道ジャケット・マッチでも、相手と手が会わずもたもたした試合をやってファンにもあきれられる。昭和53年の猪木の欧州遠征の時に対戦が決定していたが、直前に敵前逃亡している。得意技はアルゼンチン・バックブリーカー。 |
| イワン・ゴメス IVAN GOMES ブラジルの英雄 180センチ、112キロ ブラジル・サンパウロ |
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ブラジルの出身でバーリトゥードの王者だった。昭和49年にブラジル遠征中の猪木に挑戦するが、猪木を試合を実際に見てプロレスに興味を持ち挑戦を取り下げて猪木に弟子入りした。バーリトゥードの王者だけあってさすがに強く、前座相手では連戦連勝。故郷に錦を飾るブラジル凱旋ではストロング・小林をKOしている。帰国後しばらくして若くしてこの世を去った。必殺技は掌底攻撃からのフロント・スリーパー。サイン |
稲妻二郎 → ジェリー・モローの項を見よ。
| 黒潮太郎(テリー・ハーバード) TARO KUROSHIO aka TERRY HARBARD | |
| トリニダート・トバコ出身で黒潮太郎はもちろんリングネーム。本名をテリー・ハーバートといい、レイ・ゴールデン・アポロンの依頼で国際プロが面倒を見る事となった。体にも恵まれ、IWAワールド・シリーズに出場するまで成長した。故郷へ帰国後はアポロンとともに母国のプロレス発展に力を注いだ。サイン | |
| ジョン・テンタ
JOHN
TENTA 196センチ、160キロ カナダ・バンクーバー : WWF世界タッグ |
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| カナダ バンクーバーの出身。昭和60年に大学を中退して来日、佐渡ヶ嶽部屋に入門するが無断で廃業。新日本、全日本の両団体に入団の噂が出るが、結局、全日本プロに入門。196センチ、160キロの巨体を生かし活躍。その後WWFでアースクウェイクのリングネームでトップクラスの仲間入りを果たし、WWF世界タッグを獲得。後にWWFを離脱しWCWにザ・シャークのリングネームで登場した。 | |
| スミス・ハート
SMITH
HART 180センチ、95キロ 米・ニューヨーク |
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カルガリー地区のドンであるスチュ・ハートの長男。父親の以降で国際プロに留学するが日本ではデビューを飾っていない。帰国後は短期間リングに上がったが、弟達に比べ体に恵まれておらずにレスラーを断念。父のプロモート業の手伝いをした。 |
| ドナルド・タケシ DONARD TAKESHI 186センチ、105キロ シンガポール |
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| シンガポール出身で父親はレオ・コン・シインという東南アジアで活躍したレスラーだった。父の指導を受けレスリングに打ち込み昭和43年に日本プロに留学。昭和46年に兵役のために一時帰国。昭和48年に新日本プロレスに再び留学。昭和48〜50年頃までは前座戦線を沸かせたが何時の間にか帰国していた。帰国後の消息は不明。本名はドナルド・レオ・シン・ボウ。 | |
| パット・タナカ PAT TANAKA 日系の猛犬 182センチ、103キロ 米・フロリダ州タンパ : AWA世界タッグ |
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| 黒帯親分と呼ばれたデューク・ケオムカの三男で父が経営するプロモート会社で務めていたが、1983年にレスラーになる事を決意。新日本プロに留学して4ヵ月の修行期間を経て日本でデビュー。帰国後はポール・ダイアモンドとのコンビでAWA世界タッグ選手権を獲得した。受け身の上手さは絶品であった。 | |
| ブラック・キャット BLACK CAT 黒猫 180センチ、100キロ メキシコシティ |
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| メシキコの名レスラーで元NWA世界ミドル級王者スギ・シトの甥に当たり、父親のウロキ・シトもレスラーというレスリング一家の出身。メキシコではクロネコのリングネームで活躍。昭和56年から留学生として来日し、そのまま日本に定着してしまった。今や新日本プロレスでも古参のベテラン。本名ビクトル・マヌエル・マル。 | |
| プリンス・トンガ(キング・ハク)
PRINCE
TONGA aka KING HAKU 褐色のプリンス 189センチ、120キロ トンガ島 |
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| トンガ出身で国王の命を受け相撲留学のため昭和48年に来日。翌年、福の島の四股名で初土俵を踏むが、所属していた朝日山部屋の内紛に巻き込まれわずか2年で廃業。しかしそのまま日本に残り、昭和52年全日本プロレスに入門。12月にはアマリロに修行に出かけ、昭和55年に凱旋帰国し、鮮やかなドロップキックで人気を博す。その後、ふたたび渡米し、キングコング・トンガ、キング・ハク、ミングなどのリングネームで活躍。屈指のパワーファイターに変貌した。相撲時代の僚友コンガ・ザ・バーバリアンとのコンビはなかなか手強かった。本名 トンガ・ウリウリ・フィフィタ。サイン | |
| ブルース BRUICE | |
| ドナルド・タケシが連れてきた中国系シンガポール人で、本名はグイ・カ・ディー新日本プロの第1回ワールドリーグ戦のパンフに登場している留学生。猪木−小林の1度目の対戦の際にもリングサイドにすの姿を確認できるが、すぐに姿を消している。 | |
| ヤーン・ヘルマンソン JAN HERMANSSON 173センチ、97キロ スウェーデン・ストックホルム |
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| スウェーデンからの留学生。昭和47年6月にデビューしている。以下新春パイオニアシリーズの紹介文から抜粋。「昭和40年6月、合気道の修行留学生として来日、柔道初段・合気道2段を修得した。昭和45年に国際プロレスのジム練習生となる。黙々と練習に打ち込み合格点に辛い社長のお眼鏡にかなったもの。黒潮太郎、稲妻二郎に続いて留学三番手、デビュー戦が楽しみだ。」 | |
| P・ジェラール P.JERAR | |
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昭和46年の国際プロレスの熱戦譜にその名が確認できるが、詳細は不明。 |